逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】 作:A。
今回の対局シーン書くのが難しすぎて辛かったです。ふわっと読んでください。
進藤ヒカルと桑原本因坊が互いにニギる。置石はヒカルが突っぱねて無しになった。結果、ヒカルが黒。桑原が白。
本因坊にとっては、アマチュアの少年との対局である。指導碁になるであろうし、気楽な対局となるだろうという周囲の予測に反して、桑原は真剣な面持ちとなっている。
まして、対する進藤ヒカルともなれば先ほどまでの人を小馬鹿にする態度は一切なりを潜め、重々しい雰囲気をまとっていた。目つきはどこまでも鋭く盤上を──そして桑原を見据えている。
『これは誰だ?』
──誰しもがそう感想を抱いた。それほどまでに今まで抱いていた人物像と乖離しているのだ。周りに嫌というほど感じさせる大きな威圧感は、とても少年とは思えない。
『ここはどこだ?』
──碁会所のスペースにも関わらず、両者が対峙しているのはまるで日本棋院にある『幽玄の間』ではないのだろうか? という感想を抱かざるを得ない。まるで、タイトル戦での一幕の様に錯覚してしまう。
各々が、そんな馬鹿なと首を振ったり目を両手でこすったりしている中、既に対局は始まっている。
序盤はどちらも早碁の様だった。様子見だったり、力碁ということはない。まるで、この対局を今までずっと待ち望んでいて、ついに待ちきれない瞬間が来たとばかりに、持ち時間はあまり使われる様子がないのだ。
先にいち早く動きをみせたのは黒だった。黒が素早い連携をみせ、右辺を黒の勢力圏へとしていく。しかし、白も未だ完全ではない連携を崩してしまおうと積極的に仕掛けにいっている様だ。
白は着実に陣形を広げつつも、少しでも黒の隙があるとここぞとばかりに攻めていく。ヒカルは苦しい顔をしている。今の手が甘い一手になってしまった自覚があるのだ。
ただし、転んでもただでは起きないと言わんばかりに気合の一手を返す。陣地を広げるのに有効な場所へと石を置き、押し返しをみせている。
「あの……今、どんな状況なんですか?」
「うるせぇよ。黙っとけ!」
「いや……これは……だけど、まだここからだろうし……」
「今の所はまるで互角みたいに見えるな」
「この先、どうなるか、だ」
対局の邪魔にならない様にギリギリまで絞った音量で会話しつつ、前のめりになって碁盤に食いつかんばかりに凝視している『囲碁さろん』の面々。対して、囲碁のルールも全く分からない人が多いテレビクルー達では温度差がとてもあった。
しかし、幾ら囲碁が分からなくても理解出来ることも多い。対局をしている桑原本因坊の様子が余りにも本気であり、場のピリピリとした雰囲気に当てられ、思わずソワソワと状況を尋ねてしまっているのだ。
まさか──あの目の前の生意気な少年はタイトルホルダーが本気で相手をしないとならない程の人物なのだろうか? と。
到底信じられることではないものの、その信じられない出来事が現実に起こっているかもしれないのだ。その言い知れない緊迫感が場の全体を包み込み、知らぬ間に体が少し震えており、口の中が乾いていく。
徐々に対局を見守っている全員が押し黙り、固唾を飲んで先の展開を見守っていた。
白が中に入ってきての戦いは、一部のものから徐々に全体へと広がりをみせている様だ。しかし、ここで桑原の手がピタリと静止した。
眉間に皺が寄り、思わずといった風に唸る。どうやら見慣れぬ定石らしき形に戸惑いと警戒心を抱いている様である。──ここで長考だ。
ヒカルはまるでここで悩むのがわかっていたとばかりに、桑原へと意識を向ける様子がなかった。盤上を見つめ思考を巡らせており、決して集中力を途切れさせない。
やがて、時間をかけながらも一つの結論に達した桑原が白石を打つと、ヒカルはノータイムかつ、一際大きな音を立てて黒石を置いたのだ。
囲碁が分かる者の誰しもが思わず目を見張る──最善の一手だった。
「…………ぐっ」
「…………」
黒はここぞとばかりに、定石から圧力をこれでもかとかけながら白の周囲で黒地を増やしていく。桑原としてはこの勢いを止めたいところであり、多少無理をしてでも与えるのを阻止したいところだ。
このままだと黒の陣地が強化されてしまうだろう。白は自陣を補強しながらも、黒の陣形に攻め入る形となった。
ある程度打たれるのを覚悟して、拡大を防ぐ。しかし、そんな様子を黒が黙って見ているハズがないのだ。ここで周りを封鎖されると苦しくなるに違いないと即座に判断したヒカルが動いている。
やがて阻止がしたいのに阻止できない状況に追い込まれた桑原の顔が徐々に険しさを増していく。が、桑原は決してやられっぱなしではなかった。
息苦しいものの生きている石を利用して、切り返す打ち回しは本因坊の貫禄を体現していると言っても過言ではない。
「な、なぁ。俺、夢を見てるのかも……クソガキが優勢に見える」
「本当におかしくなってしまったのかもしれん。……俺もだ」
「嘘だろ? 嘘だろ?」
「互角? いや、これは押してるのか?」
震える声で状況を理解している連中が異常事態に対して戦慄いていると、すかさずレポーターが反応してくる。
「もしかして……善戦しているんですか?」
「もしかしなくても、互角以上の戦いをしてんだよぉぉぉ!」
「あああああああ! そこに打つのかよぉぉぉぉぉ!」
「クソガキ……!」
小声で叫ぶという器用なことを成し遂げながらも、レポーターを揺さぶるおっさん。手に汗どころか、いまでは顔だとか背中とかにも滲んでいる様子だった。
この期に及んで漸く、テレビクルーの面々も只事ではないのだと理解をしたらしい。今までのどこか他人事といった雰囲気から、打って変わって真剣な面持ちになっている。
左辺を占めるのも良い手であり、白は奮闘している。一見、黒にあっさりと良い場所へ打たれてしまいそうなものの、白と黒がそれぞれ辺のいいところを占め合って、互角の布石となっている。
途中、ここぞという場面で桑原が打つと思われていた一手が、止まるという場面があった。どこか嫌な感じがすると直感で判断していたそれは正に正しく、ヒカルは内心で舌打ちをしていたりしている。閑話休題。
しかし、全体の盤面を見るに黒が安定する形となってしまい、白は辛い状況となってしまった。
なにせ、桑原にとって予想がつかない一手が多いのだ。例えば、ここで他に転じるのは白に迫られる形になるため黒が困るにも関わらず、"敢えて"そこに打っている節がある。他にも、逃げるしかない場面で不思議なことに逃げていないケースなどが見受けられるのだ。
これには桑原の警戒心がここぞとばかりに高まる。ただ、幾ら思考を巡らせても、読みきったと判断しても進藤ヒカルの思考に追いつけていない事実に歯噛みするばかりだ。
まるで遥か先から対局を見通しているかの様な印象を受ける。
最初から第六感で不思議な子供だという印象があり、只者ではないと理解していた桑原だからこそ、手を抜くことをしなかった。しかし、どこか全力ではなかったに違いない。
それが何とも口惜しい。今にしてみれば、なんと勿体無いことをしたのかと心の底から悔やむ。
今では少年を少年だと認識していない。桑原と同じタイトルホルダーと言われても納得する程の実力は、どうしてその年でそこまでの力を身につけているのかと疑問に思う前に、霧散した。何故なら、今。この場でこの──進藤ヒカルと対局出来る幸せを味わっているのだから。
桑原はじっくりと考えながら、ならば……と判断。打ち込めば、本来それでその場所は白のものになるところが、そうならない結果に終わってしまい、逆に黒に良い形になる始末。状況が悪くなる展開に桑原の握る手に自然と力が入った。
しかし、ふと。進藤ヒカルの方を見やれば、緊迫した表情ながらも目がとてもキラキラと輝いていた。その顔は心の底からこの対局を楽しんでいるというのが在りありと伝わってくるものだったのだ。
そんなどこか嬉しそうな顔をしたまま、ヒカルは一手を打つ。桑原にはそれが盤面の中で輝いて見えていた。
「…………」
「…………」
目を一度瞑り、ゆっくりと開く。
(……これ以上は無理じゃな。ここまでかの)
そこまで判断した桑原は迷うことなく頭を下げた。
「ありません」
「ありがとうございました」
黒である──アマチュアの進藤ヒカルが、本因坊のタイトルを持つ桑原を負かした瞬間であった。