逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】 作:A。
その日、和谷義高は休日だったため、自宅でゴロゴロと自堕落に過ごした後、リビングにて昼食を食べているところだった。
今日のメニューはどうやらインスタントラーメンの様で、野菜やら卵やらが入って心なしか豪華になっている。麦茶を飲みながら、和谷はテレビを見始めた。
「なんか、おもしれーのやってねぇかな……」
ザッピングしていると目に映るのはニュースにワイドショー。コメディにグルメ番組。すると、途中で見慣れた碁盤が目に入り、ピタリと動きを止めた。
「昼間から囲碁の番組かぁ……どれどれ?」
どうやら『囲碁のプロvs天才少年』というテレビの企画らしいと説明を聞いて、和谷はガシガシと頭を掻きながら大きくため息を付いた。
(天才少年って言ったって、もし本当にそんな奴がいたら院生に入ってるか、既にプロになってるっつーの! まァ、噂の塔矢アキラとかなら別かもしれねぇけど……)
そして、案の定というべきか、メインに据えられている少年の今までの大会での優勝した経歴や実力についての解説を聞いても、天才少年という程ではないという印象に変化はみられなかった。
挙句、実際の対局では登場していたプロの初段にいい様に翻弄されている。その様はとても見ていられるものではない。
和谷はあちゃーという表情をすると、思わずチャンネルを別なものに変更した。お笑い芸人がコントを繰り広げている様子をぼーっと暫く眺め、ラーメンもすっかり食べ終わった時だ──携帯がけたたましい音で鳴り響いたのだ。
伊角慎一郎からの着信だった。何の用かと不思議に思いつつも和谷は電話に出た。
「もしもし? 伊角さん、どーしたの?」
「和谷!! 落ち着いて、今すぐテレビをつけろ」
「テレビぃ? なんでまた……まァ、そりゃ今見てたけどさ」
「それなら丁度いい。囲碁番組がやってるから、それを見てみて欲しいんだ」
普段よりも上擦った、どこか興奮を無理矢理抑えつけているかの様な声。訝しむ和谷を伊角は急かす。
「いいから……とにかく見てくれないか?」
「そりゃ、いいけど……だけど、さっき見てたけど全然つまんなかったぜ」
「……前半はな。この二時間の番組の中で後半、十五分くらいで特別企画をやっているんだよ」
「ふーん」
「ははは。和谷も見れば分かるよ。退屈なんて吹っ飛ぶ所か、とてもじゃないが正気を保っていられなくなるぞ」
「は?」
「取り敢えず、一旦切るからな。絶対に見ろ。見ないと一生後悔するぞ」
明らかに伊角の様子がおかしかった。どうしたことなのだろうか? 和谷は不思議に思いながらも、そこまで言うのならとチャンネルを変更した。
すると、画面に大写しになったのは──桑原本因坊だ。
(あっ、桑原本因坊だ。伊角さんが言いたかったのは、これなのか? けど、一生後悔するっていうのも変な話だし……)
しかし、次いで映ったのは前髪が金髪というのが特徴的な少年だった。二人は碁盤を挟んでいる様子で、どうやら対局をしているらしい。
「うっわー。桑原本因坊なにやってんだか。 前からお茶目な所があると思ってたけど、こんなテレビの企画にも出るもんなんだな。だけど、どうやったって桑原本因坊が圧勝して終わりだろ?」
そう言いながら、今度は盤面が映るシーンになったため、和谷は何気なく目をやり、驚愕に目を見開く。ちなみに、ちょうど麦茶を口にした所だったが全力で吹き出した。
「……は?」
ボタボタと顎を伝う液体をガン無視しながら、目を擦るもテレビ画面はありのままを映している。
「い、いやいやいやいやいやいやいや。おかしいだろ!!!」
今度は全力で否定し始めたが、テレビ画面に影響はまるでみられない。見間違いではないため、全くの無意味である。しかし白石が新しく置かれたかと思えば場面転換らしく、碁盤から今度はレポーターが映り始め、何やら感想を述べ始めた。
咄嗟に、ソファーから転がり落ちながら和谷はテレビへと縋り付く。そのままガタガタ揺らしながら叫んだ。
「ふざけんな! コノヤロウ! もう一回、碁盤映しやがれ!!!」
「義高! うるさいわよ!」
母親から抗議の声があがるも、和谷は無視をしながら、必死に画面を凝視するばかりである。しかし、レポーターは箸にも棒にも掛からないコメントをしているだけだ。解説ならまだしも、そんなコメントなど誰も欲しくはない。
しかし、その願いが通じたのか再び碁盤が映ったため、和谷は凝視する。
「どうして俺は最初っから見なかったんだ、くそっ。最初から対局が見てぇ……それにしてもどうなってんだよ。 まるで互角か、それ以上で打ち合っているとしか思えない……って、嘘だろ! 子供が黒ォ!!!」
盤面は非常に複雑な展開を見せているものの、現在。場を支配してリードをみせているのは明らかに黒だ。ということはこの子供が桑原本因坊に対して、上回る打ち方をしているという意味になる。
番組の言葉を信じるのならこの子供はアマチュアだ。それも、大会に出場経験すら一度もない。にも関わらず、プロ──それもタイトルホルダーであり、歴戦の猛者である桑原に対して負けていない。それどころか、寧ろ押している。
「どうしてここの重要な局面で具体的な解説がないんだよ……え? どうしてここで、そこに打つんだ?」
ここぞという場面、桑原本因坊ならば見逃さずに打つであろう位置に打ってない。
「というか何なんだ? これって定石?」
どうやら進藤ヒカルというらしい少年は、見たことのない定石らしいものを使っているみたいだが、本当にそれが定石なのかが和谷には理解できなかった。というか予想がつかない一手が多く、理解不能なのである。
「ああああああああああああああ!」
どうやら番組のメインではなく特別企画のためらしいが、解説が初心者向けのあっさり目なものであり──というより状況判断や、打っている意図を丸で理解出来ていないらしく、無難なことしか言えないと思われる──殆ど深く言及しないことに頭を掻きむしりながら、急な場面転換に再び絶叫するのであった。
『囲碁のプロvs天才少年』──放送当時はリアルタイムで見ている者はそこまで多くなく、お昼の番組としては視聴率も低めだったらしい。しかし、放送終了直後からの反応は劇的なものだった。
テレビ局や日本棋院に碁打ち達からの問い合わせが殺到したのだ。あの少年は何者だというものから、やらせだったんじゃないのかと疑う声。
より詳しい解説の要望も特に多く、放送時間が短いからと解説が初心者向けの当たり障りのないことしか述べていないことに批判が集まった。他にも、一から全ての棋譜を公開してほしいという希望が一挙に押し寄せている。また、もっと枠を拡大して再放送して欲しいという旨も相次いだ。
ちなみに、メインに据えられていた天才少年とやらと進藤ヒカルは扱いを逆にするべきだったという抗議の声が最も大きく、決してテレビ局は無視できない状況へと追いやられていたのだった。
もちろん、その話題は院生やプロ。アマチュアの碁打ちに至るまで、急速に広まりをみせていたのだ。
「桑原のじーさんが負けたの? それもアマチュアの子供に? 嘘でしょ?」
日本棋院では倉田は他のプロから告げられた情報が信じられず目を白黒とさせた。その近くには緒方精次が居たが、椅子に体をぐったりと預け、頭を抱えている。
「あのジジイが盤外戦なら兎も角、対局に関して茶番をするとは到底思えん。一体何があったんだ……」
話を聞いたものの、誰しもが信じられないらしい。しかし、テレビ番組で見たという人が居るため、強ち嘘だとも判断出来ないのだ。色々な噂が飛び交っている状態である。
「緒方さん、桑原のじーさんに聞いてないの?」
「無論、問い詰めたさ……」
「じゃあ、何て?」
「あのクソじじい……完全に面白がってやがる」
「え」
「『聞いての通りじゃ緒方君。ワシが対局に負けた。事実だとも。ふむ……それ以外になんと答えれば君は満足するんじゃろうな』だと」
「うっわ……」
「その肝心の詳細についてを聞きたかったんだが、のらりくらりとかわされて終わりだった」
「じゃあ、負けたのは間違いなく事実ってこと?」
「らしいぞ」
「へーすげー子供が居たもんだ」
そう気楽なコメントを寄せているものの、その倉田の眼差しはどこまでも真剣なものだった。それは緒方も同様だ。
「……ずるい!」
「ん?」
「だって、ずるいだろそんなの! 面白そうじゃん。俺はその強い子供と対局してないのに! 俺だって打ちたい!!」
「今は、じじいが情報を独占している状況だろう」
「じゃあ、そのテレビ局は?」
「テレビ局だと?」
「そう! 直接、話を持ちかければアリなんじゃん」
「……なるほどな。その時に参考にすると言って棋譜を入手すれば良い訳か……それに具体的に話を聞いて、その進藤ヒカルという子供に対しての情報の真偽をハッキリさせることも出来るな」
しかし、混乱する情報が交差し、噂が噂を呼ぶことで更に話題になる中。同じ様なことを考える人間が何も倉田と緒方だけという訳ではないのだ。──話は別な場所でも広がり、動きを見せていた。