逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】   作:A。

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IF奈瀬ルート 第十二話から分岐⑯

「ねぇねぇ、今日って8階の奥らへんって何かイベントでもあったっけ?」

「イベントォ? そんなの聞いたことないけど、何で8階の奥? あそこ特に何もない普通の空き部屋しかないじゃないか……」

「うーん。そうよねぇ~」

 

日本棋院の事務局でそんな会話が聞こえて週刊碁の記者をしている天野は足をピタリと止めた。特に何も気にすることはない日常の雑談だ。しかし、なんとなく気になってしまった。

 

記者の勘とでもいうべきか、何かオモシロイネタでもあるのかと、首を突っ込んでみることにする。

 

「やぁ、それってなんの話だい?」

「あ。天野さん」

「別に大した話じゃないんですよ~」

「そうかもしれないけど、なんとなく気になったんだ。よかったら話してくれないかな?」

 

話を聞けないか問いかけてみると二人は顔を少し見合わせた後、女性の職員が話してくれた。

 

「えっとぉ。偶然見ちゃったんです」

「何をだい?」

「無駄にご機嫌な一柳棋聖が不機嫌そうな座間王座を引っ張って8階をコソコソ奥の方に向かっていく変な場面」

「ぶっっ」

 

咄嗟に、天野は吹いてしまった。あんまりにもあんまりな光景だ。それが想像出来てしまうだけに中々インパクトがある。

 

「でもって、その後で様子が気になってもう一回見に行ってみたら……」

「みたら?」

「今度は桑原本因坊がニコニコしながら足取り軽く、また8階の奥に向かっていくんだもん。今日は一体なんの日かと思って」

「ほぅ……それは気になるな」

 

碁打ちとして名だたる面々が一堂に会するなどそうあるものではない。今日はイベントではないというのなら一体なんなのだろうか? 天野も首をかしげた。

 

「だから、今日は8階は特に何もないし、あるのは空き部屋くらいなもんだって。きっと偶然なのと気にしすぎているからなんじゃないか?」

「けど……」

「なるほど! いいや、確かに興味深い話だったよ! 実際に行ってみることにする」

「えっ、確かめに行くんですか?」

 

天野はお礼を言うと、その場から踵を返した。なんとなく、年甲斐もなくワクワクしてしまった。

 

まさか事務局で、ここまで興味深いネタをゲット出来るとは思わなかった。天野は絶対に何かあるとこの時点で確信してる。

 

(しかし、あの面々か……予想が全く付かない。一体何をしているんだ……?)

 

まさか三人全員が偶然集まったとは非常に考えづらい。何か理由があって密かに集まっているとみるべきだろう。迷いのない足取りで8階へたどり着くと、周囲を確認しながら奥へ奥へとゆっくり進んでいった。

 

(今日は確かに何もない日と言っていた通り、人の気配は全然ないな)

 

そう考えながら天野が歩いていたときだった。一番奥の部屋付近から、人の会話が聞こえてきたのだ。何を言っているのかはわからないものの、随分と盛り上がっている様子で賑やかだ。

 

その声は静寂の中で一際響いたため、直ぐにわかった。そして、それが一番奥の部屋だと理解した天野はゴクリと唾を嚥下すると、部屋のドアをノックしてみた。

 

瞬間──ピタリ、と。不自然なまでに言葉が一切しなくなる。

 

暫く無言で待ってみたものの、特に返答がある訳ではない。しかし、誰かがいるのは確実だ。ノックをしたのだから、今度は開けようとドアノブに手を添えて捻ってみる。かくして、ゆっくりと扉が開く。

 

「な……っ。い、一体何事ですか?!」

 

そして目にした光景に天野は腰を抜かすかと思ったのだった。現にメガネはずり落ちそうになっている。そこには碁盤を囲んで、塔矢名人・森下九段・桑原本因坊・一柳棋聖・座間王座というタイトルホルダーが揃って固まっているという光景だったのだから。

 

「誰かと思えば、天野さん。あなたでしたか……」

「名人、これはどういうことですか? この顔ぶれを考えるに何か重要な案件の話し合い……と思ったのですが、碁盤がありますし……」

「ひゃっひゃっじゃ、単なる囲碁の研究会じゃよ、天野君」

「け、研究会ですか? このメンバーで? なんて豪華な……」

 

天野は話を聞いて仰天した。密かにこんな研究会があるなんて知らなかったし、初耳だ。普段、多忙かつ有名なこのメンバーが揃って集まるとは予想外にも程があった。

 

「といっても、本来は俺と行洋の奴だけでやってたんだが……」

 

どこか気まずそうに森下が述べる。天野はライバル視をしている名人との組み合わせを意外に感じたが、賢明にも口をつぐんだ。

 

「そこに、噂を聞きつけた俺と座間王座が来たって訳でね。その後から、桑原本因坊まで勘づいてやってきたって訳。にしても、こんな場所でコソコソ検討しているなんて、ホントびっくりったらないよ。だけどね、名人も森下九段も人が悪いったら。こんなオモシロイことを二人で独占だなんて」

「俺はとんだとばっちりって訳ですがね」

 

一柳棋聖と座間王座が説明をしてくれているが、中に気になる言葉があった。

 

「検討ですか? 一体どんな内容を?」

 

このメンバーで検討するのだから、さぞ特別な内容に違いない。天野は胸をときめかせた。

 

「ひゃっひゃっひゃっ。天野君、キミも見てみるかね? 我々同様取り憑かれることになるやもしれんがな?」

「取り憑かれる?」

「本因坊秀策の亡霊にじゃよ……」

 

声を潜めて、桑原はそう告げた。現役本因坊たる桑原がそう言うので、意味が余計に分からない。天野がキョトンとしていると、ニヤリと顔を悪そうに歪めた桑原が手招きをした。

 

 

 

恐る恐るといった風に、部屋に一歩を踏み出す。そして盤面を覗き込み……──息を飲んだ。

 

 

 

後日。テレビ局を通して、進藤ヒカル少年に取材の申し込みをした天野の姿があったことは言うまでもない。

 

 

 

 

 

◇◆◆◇

 

 

 

──中国棋院

 

「はぁ?! そんな訳あるかよ。デマだ、デマ」

 

部屋でパソコンをずっと睨んでいたかと思えば、急に興味がなくなったらしい。椅子をグルグルさせて楊海(ヤンハイ)が頭を抱えている。

 

そんな姿を部屋に遊びに来ていた趙石(チャオシィ)が不思議そうな顔をして眺めていた。

 

「どうしたの? そんな変な顔して……」

「変んん? (チャオ)お前なァ」

「だって本当に変なんだ。すごく期待をしてるけど、何だかどうしても裏切られるに決まってる、信じられないって複雑そうな顔してるでしょ?」

「ぐっ。そう言うところだぞ!」

「何が?」

 

趙石はたまにこういう時があるのだ。妙に勘が鋭いところがある。それは楽平(レェピン)もそうなのだが、野生の勘ではなく、ここぞという時にズバリ切り込んでくるというのが趙石の不思議な所なのである。

 

楊海は頭を掻き毟りながら、ため息をついた。

 

「いや、日本に物凄く強いアマチュアの子供がいるらしい。今、囲碁好きな在日中国人の掲示板で噂になってる」

「強いアマチュアの子供? ……へぇ、アマチュアなのに強いなんて珍しいね」

「俺も掲示板で噂になるくらいだから期待したさ。けど、こりゃダメだ」

「どうして?」

 

趙石は本当に疑問に思っている様だ。それに対して楊海は投げやりに答える。

 

「幾ら強いアマチュアの子供の噂が本当だとして……─」

「? うん」

「だからといって、現役の本因坊を打ち倒す実力の持ち主ってのは無理がある」

「…………」

「だろう?」

 

趙石は無言で押し黙った。誇張された情報にも程度というものがある。幾ら本当にその子供が強かったとしても、ここまでの規模で強いという表現は流石にデマだとハッキリと分かってしまう。

 

「何で?」

「いや。何でってそりゃ……」

「本当に本因坊よりも強いのかもしれないでしょ?」

「は?」

「掲示板に書かれてるって言ってたけど、ソースとかはないの? いつも、情報があったらソースを気にするのに」

「…………」

 

今度こそ、押し黙るしかなかった。そんな楊海に対して趙石はにっこりと微笑むと純粋な気持ちで言葉を紡ぐ。

 

「そんなに強い子供がいるなんて、凄く興味があるよ。詳しく分かったら教えてね」

「ったく。お前には敵わないな、趙」

 

楊海は大きく深呼吸をすると、再びパソコンに向かい始めた。掲示板ではあまりの内容に、他の人々もデマだと判断したらしい。書き込みをボロクソに否定するか、スルーする人ばかりの様子だ。

 

誰も詳細を尋ねようともしていない。ただ、不思議なことにここ最近、別な人々によって、この手の書き込みがちょこちょこあるのだ。だからこそ、楊海も気を止めるきっかけになったといえるだろう。

 

こうして、楊海はその掲示板の書き込みに対して詳細を求めるレスをした。

 

 

 

──それが全てのきっかけになるとは思わずに。

 

 

 


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