逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】 作:A。
ヒカルが一番最初にアキラにメッセンジャーとして塔矢門下に挑戦状を叩きつけてから一ヶ月半程度が経過しようとしていた。
あれから待ってみたものの音沙汰はない。ヒカルは個人的にそろそろタイムリミットかと思っている。
本来ならば長いとみるかもしれないが、棋士というのは意外と多忙なのだ。まさか、自分の出題した問題にかかりきりという訳にもいかないだろう。
他に研究するべき内容も、真剣に取り組むべき手合いもあるのだから。そこまで考えていた時、ふと思い出した。
(あれ? 塔矢って俺の家も知らなければ、電話番号もしらねーじゃん。仮に問題が解けても連絡が出来ないんじゃないか?)
そこまで考えて、しまったと思っていた時だった。ちょうど、母親からヒカル宛の電話が来ていると呼び出しがかかる。
「ハイハイ、今行くって!」
下の階に聞こえる様に大声で叫びながら、心当たりを考えつつ階段を降りた。受話器を取り、声を出す。
「もしもし?」
「小僧。元気にしておったか? なんて、この間会ったばっかりじゃったな」
「おー! 桑原のじーさん」
誰かと思えば馴染みある声で自然と弾んだ声が出た。そんなヒカルに対して、桑原は独特の笑い声を上げながら、話しかけてくる。
「ひゃっひゃっひゃ。小僧の例の問題だがな。ようやっと問題の答えが分かったからと、その言伝を頼まれてしもうて、その連絡じゃ」
「へぇ~塔矢門下も意外とやるじゃん。俺、絶対解けないと思ってたけど」
「いいや、塔矢門下ではないぞ?」
「ん? じゃあ、森下門下? 打倒塔矢ってのは本気だった訳だ」
「それも違うの」
「え? 待ってくんない。俺、その二つにしか問題出してないけど?」
そこまで話してヒカルはキョトンとした。そんなヒカルに対して、桑原はどこか含みのある声色で心底楽しそうに語りかける。
「小僧は考えが、ちと甘いの。あんな血のたぎるしかない挑戦状を叩きつけて黙っていられる様な大人しい奴ではないんじゃ、あやつはな」
「?」
「塔矢行洋じゃよ。あやつ、森下九段と協力関係を築いただけでなく、他にも一柳棋聖やら座間王座やら流れとはいえ引き込みおって……。ま、ワシは自ら飛び込んだんだがの」
「……まじ?」
流石のヒカルも驚いた。塔矢門下にアドバイスを確かに禁止したものの、まさか自分で解く方向に火がついていたとは。それも、タイトルホルダー連中に声を掛けて一緒に協力し合うなんて無茶苦茶だ。ある意味、チートなのではないかと思った。
けれど、ヒカルとしては嬉しい結果である。塔矢行洋vs saiの棋譜を元にした問題をそのメンバーで検討して貰えたというのだから。
「ただ、残念ながら塔矢門下生と森下門下生で正解は導けなかった様じゃがな」
「そっか。まァ、だけど真剣に取り組んではくれただろうし……」
「ひぇっひぇっひぇ。とか言いつつ、小僧はこの程度も解けないのかと煽るつもりなんじゃろうて」
「ハハハ」
本当に食えないじーさんだとヒカルが乾いた笑いを漏らすと、桑原は更に言葉を続けた。
「という訳で、小僧の囲碁の問題が解けたのだから遊びに来て欲しいとのことじゃ」
「え、誰から?」
「だから名人だと言うておろうが」
「何で塔矢名人? 俺、塔矢門下に出題したんだけど」
「まァ、このままだと門下生には解けないと判断したのもあって出張って来たんじゃろうて。……なんての。単純にあやつは自分達が解けたことが嬉しくて仕方ないに違いあるまい、ふひゃひゃ」
「えー。そんなんありかよ」
「ありじゃあり。流石にワシらが皆集まるのはちと骨が折れるからの。代表して、名人が請け負うということで話が決まってな」
「…………」
「何、少し年の離れた友人にでも会いに行くと思えば良い」
「お、思えるかよ?!」
ヒカルは全力でツッコミを入れた。しかし、この流れでまさかの後日。のらりくらりと地味に押しが強かった桑原の手により、塔矢行洋邸を訪問することが決まっていたのだ。
大きな立派な門がある家を見ながら、ヒカルは「うへぇ」という感想を抱く。やっぱりインターホンを押さずにUターンして帰ってしまおうか、そんな気持ちが溢れる。しかし、そんなヒカルの気持ちを読んだかのように塔矢アキラがやってきていた。
「進藤! 来てくれたんだな。ありがとう!」
「仕方ないからだし、勘違いすんなよな」
「それでも構わないよ。なにせ、僕らは君がせっかく挑戦してくれたというのに、不甲斐ない結果で終わってしまったんだから。僕は失望して見限られるかと思っていたくらいさ」
「一々大げさな奴」
「そんなことないよ、事実さ。じゃあ、とにかくウチに上がってよ。皆、待ってるんだ」
「へーへー」
そんなことを言いながら塔矢邸に足を踏み入れる。適当なペースで廊下を歩く。そうして到着した部屋に入室すると、重い空気にヒカルはドン引いた。
「うわっ、何だよ。この空気……」
部屋に漂っているのはどんよりとした空気だった。周囲を見渡せば塔矢門下生達がガックリと肩を落としながらコチラにじっとりとした眼差しを浮かべている。
「進藤……やっと来たのか。本当に答えはあるんだろうな?」
特にねっとりとした眼差しは緒方さんだ。心なしか目の下にクマが出来ていて、やつれている気すらする。
「も、もちろんだって。それに塔矢名人だって答えが分かったから俺を呼んだんだろ?」
「あぁ、間違いない」
そこでヒカルは一旦塔矢門下の面々を見渡してみる。緒方を始めとして誰しもが、暗い表情をしているのだ。ここで追い詰めるのはどうかと思うものの、ヒカルは悪役ロールをするのを忘れてはいなかった。
「なんだよ。もしかして、問題解けたのって名人だけなの? じゃあ、この挑戦は俺の勝ちってことで。全く塔矢門下ってこの程度かよ」
「「…………」」
誰も何も言わなかった。無言で俯き肯定しているというか、言葉を発する気力がない様だった。この分だと、恐らく一番最初はやる気に満ちて楽しんで研究していたものの、行き詰まりどうしようもなくなって停滞。焦りと焦燥がみられたのもあって、名人からストップがかかったのかもしれない。
ため息をつきたくなった。確かに挑戦という形をとったのはヒカルだが、きっと塔矢行洋vs saiとの棋譜を見て感じるものや得るものが大きいだろうと思ってのことだった。
躍起になって解こうとする理由は分からなくない。しかし、だからといってこんな結末は言葉とは裏腹に内心で望んではいなかった。
「進藤君。せっかく来たんだ。そんな所に立っていないで、こちらに座りなさい」
「うん」
「それでどうだろう。私一人だけだったら到達出来なかったかもしれないが、幸運なことに皆が協力してくれた。キミに答えを提示出来ることを嬉しく思う」
そう言いながら名人が碁盤のとある箇所を示す。ヒカルは静かにじっと目の前の盤面を見つめる。
「ここの切断に備えるための必要な一着だとそう思っていた。しかし、その前に……隅にオキを打つ。すると、白はオサえるしかない。つまり、黒がこの様に備えた手で隅にオイていれば、逆転する道が開ける」
「…………」
「どうだろうか? これが皆で導き出した逆転の一手だ」
「……正解。名人だけが見つけた答えじゃないってのが、意外だったけど……中々やるじゃん」
その途端、塔矢行洋のピリピリとした空気が霧散し、落ち着いた安堵した表情になった。次いでヒカルの言葉を聞いて満足そうに微かに微笑んだのだ。
「たとえタイトル戦でなくとも本気の碁が打てる。私の思考を再現してみせた一局ですら、あれほどの碁が生まれるのだ。生身の私が幻影に負ける訳にはいかないだろう。今回、私に無限に広がる可能性を見せてくれて、ありがとう」
そう言って塔矢行洋は進藤ヒカルに対して頭を下げたのだった。門下生達は絶句している。ヒカルはそんな面々を見てため息をついた。
「名人ってやっぱ考え方が違うわ。うん、俺もとっておきの問題を出した甲斐があったよ。それに比べて……そんなんだから、塔矢門下はその程度かよって俺に言われるんだよ。もっと視野を広く持つべきだろ」
「進藤君。良かったら、少し時間はあるだろうか? キミとは色々と話したいこともある。それに、出来れば私と一局打って貰いたい」
「やめとくよ。歓迎されてない場所に長時間居たら、心臓に良くないし。またの機会にでも」
突き刺さる視線もなんのその。いつもの調子でヒカルは茶化すと、名人にだけ手を軽く振って挨拶をし、その場を後にする。
本来、ヒカルは塔矢行洋との対局が願ってもないものだと思っているが、あの場で打った所で、他の者達にとっては逆効果の影響しか生まないと判断したのだ。
せっかくの碁が台無しにされるのは嫌だった。
すると、暫くしてこちらに小走りで駆け寄って来る足音がする。──塔矢アキラだ。
「進藤……僕たちはどうすれば……どうするのが正解だったんだろうか……?」
「そんなの自分たちで考えろよ」
「頼む……教えてくれないか?」
「はぁ……」
ヒカルは頭を下げるアキラを見て、大きくため息をついた。ここで断れば土下座でもやりそうな無駄な迫力があったのだ。
「どうしても自分たちで解けないと思ったら、名人の手を借りれば良かったんだよ」
「え……それじゃあ、勝負が……」
「勝負よりも利益を取る。他人に勝つより自分に勝つ。何よりも囲碁に対しての貪欲さ」
「あ……」
「お前らは出来てないこと、名人だけは出来てたよ」
「…………」
無言の塔矢アキラに背を向けて、今度こそ進藤ヒカルは立ち去ったのだった。