逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】 作:A。
ヒカルは封筒を切って、再びギチギチに詰め込まれている手紙の量に苦笑いした。下手したら裂ける恐れがあるレベルでの膨らみ具合だったからだ。
「どれどれ……なんて書いてあるかなーっと」
やはり一番初めに読むのは中国棋院の翻訳者兼窓口兼代表者になっている
「あっははははははは! ウケる! 『なんてものを送りつけてきたんだ……。こっちが今、一体全体どんなことになっていると思っている!!』だってさ。楊海さんの全力の絶叫が聞こえてくるみたいだぜ。最初はすげー丁寧な言葉遣いだったのにこの手紙じゃ見る影もねーし。よっぽどってことだろ?ドッキリ大成功~~」
ヒカルはケタケタ笑いながら手紙をヒラヒラと振った。さっきまでの明日からの騒動を考えての憂鬱めいた気持ちは既にどこかに吹き飛んでいる。
恐らく明日からは自分が振り回されるに違いないので、逆に自分が振り回しているというこの展開が愉快でならないのだ。
とはいえ、ふざけるのはここまで。ヒカルは改めて楽な姿勢にあぐらをかいて座り直すと、手紙に目を落とす。
「んー……」
手紙には親切にもヒカルからの返信が来る前からの出来事が順番に綴られていたのであった。
◇◆◆◇
「
「一体全体なんなんだい? 何かあるとでもいうのかい? それに
中国棋院の事務室から出てきたところを、李は楽平に捕まりまとわりつかれる。持っている手紙を見せて欲しいと言うから楽平宛のものはないと告げても納得をせず、しつこいので見せるだけ見せたらこのリアクションだ。
「いいから! で、どうなの? 他にないのかよ?」
「はいはい。それで全部だとも。本当だよ」
「チェッ。なんだ。つまんないったらないぜ」
事実なので伝えると、あっという間に興味が失せたのか去っていく。呆気に取られた李だったものの、先ほど事務室で聞いた話を思い出す。ここの所、ずっと皆に手紙について尋ねられるそうなのだ。
しきりに首を捻るものの、答えはわからない。李も不思議に思って皆に尋ねるのだが、なぜか話をはぐらかされるのであった。
「あ! 李師匠。郵便物が届いたんですか? ちょっと見せて欲しいのですが……」
「
そして──その現象はなんと約二週間程続くのである。
郵便物について聞かれすぎてうんざりな日々。事務方や李は手紙と聞くだけで若干ノイローゼ気味に反応を返す頃。漸く皆が待ち望んだ進藤ヒカルからの手紙がやってきたのだった。
大部屋には大勢の人が集まっている。中心には翻訳するために楊海が手紙を持って陣取っていた。楽平が横からしきりに早く封を切るようにせっついている。反対側には趙石がちゃっかりと座っていた。
楽平をなだめながら、周囲に集まりに集まった連中を楊海は眺めてため息をつく。なにせ、自分を何重にも人が取り巻き、期待に満ちた顔をしながら結果の内容を待ち望んでいるのだ。
「全く。皆、俺が一番に『進藤ヒカル』の存在を見つけたんだぞ。わかっているんだろうな? もし、彼が来た場合、対局の優先権は俺にある」
封を切る前に楊海がお厳かに告げると周囲から一斉にブーイングが飛んだ。それはナンセンスであるし、そんなものはいいからさっさと中身を取り出せという言葉が盛大に飛び交う。
「というより、本当に返事が来たことにまず驚くべきだと思うよ。僕たちはラッキーだ。だって、大量に進藤ヒカルには手紙が届いているに違いないんだから」
趙石がとりなすように周囲に呼びかけると、皆は矛先を一旦収めて再び手紙に注目が集まる。
「じゃあ、皆。覚悟はいいか? 開封するぞ?」
一声かけると頷きが返ってくる。それを確認すると楊海は慎重にペーパーナイフ──普段は指で適当に開封したり、カッターナイフを利用するのだが、今回は特別に用意したもの──で、中から便箋を取り出した。
ゴクリと唾を飲み込む音が響いた気がした。この広い空間の中、大勢の人がいるにも関わらず、無駄口を叩くものなど誰ひとりいない。ピンと空気が張り詰めている。
肝心の封筒の中身はたった二枚の紙だった。それしか入っていない。しかし、誰しもが落胆したりしなかった。問題はその内容にあるのだから。
そして楊海は大きく目を見開く。後ろから飛びかかってきた楽平と隙を逃さず覗き込んだ趙石も呆気に取られて思わず口を開けた。
何故なら日本語を中国語に翻訳する筈だったのだが、その必要が全くなかったからだ。シンプルな便箋には、力強い文字で二言のみ記されていた。
──『その挑戦を受ける』『俺が行くまで、これでも検討して暇潰ししといてよ』
「進藤ヒカルが挑戦を受けやがった!!」
「これ……中国語だ。間違いなく中国語で書いてある。……それって明らかに中国の存在を大きく意識しているってことだよね?」
その内容に楊海が硬直している間に、両脇の二人の反応で周囲が大きくざわめいた。そしてその中国語で書かれた文章を見ようと押し合いへし合いになったため、楊海が大慌てで文章を口にする。
途端、歓声が爆発した。
が、しかしその喜びは長く続かなかった。問題は二枚目の用紙に潜んでいたのだ。それも特大の爆弾が。
中国国内No.1の実力を誇る中国棋院所属九段
その時の騒ぎたるや、目も当てられないくらいで、蜂の巣をつついたような……上を下への大騒ぎに発展した。
「この二人が対局?!」
「いつ!! なんでどうして?!」
「持ち時間が短いけど、これって…─」
「もしかして進藤ヒカルは指導を受けていたとか?」
「違う! 違うんだ……これ……王さんが負けてる……」
「嘘だッッ!!」
「嘘だろ。有り得ない。こんなことが、あってたまるか!?」
途端に響き渡る悲鳴の数々。次いで怒声が響き渡る。
「棋譜を見せろ!!」
「こっちにも! 早く!」
「みんなで大盤で検討するしかない……倉庫から急いで持ってこよう」
『架空の棋譜での問題』という一文を全く気づかないくらいには大混乱であった。
王星は、実力は凄いにも関わらず、おごることのない気さくな性格をしている。一流のプロになっても、古巣の訓練室に度々顔をだすこともあるくらいだ。
しかし、今回はその気まぐれでやってくるのを待つだけの余裕が皆無であった。
棋院の近所に住んでいるので、引っ張り出そうと今にも突撃しそうになっている面々であったが、取り敢えず目の前の棋譜を読み込むことを最優先にしようとばかりに一斉に動く。
楊海は棋譜を奪われないように必死で死守しながら、目だけは用紙に釘付けだ。内容を読み込めば読み込むほどに興奮が抑えられない。寧ろ溢れて止まらなくなる。体が小刻みに震えるのが分かった。
「これが架空の棋譜だって? こんなにリアルで……王星の碁そのものなのに? 実は内緒で打ってたりとかいうオチはないよな。しかし……何度改めて見てみても王星の棋力が今より強い気がする。どういうことだ? もっと強いはずだと挑発を……? いいや、このままだと自分にあっさり負けるぞというメッセージとも取れる……しかし、相手はあの王星だぞ。中国のトップと言っても過言ではない棋士だ。進藤ヒカルは中学生にも関わらず、子供なのに、ここまでの実力を持っているとでもいうつもりなのか……?」
「ずーるいーー! ずるすぎる! 俺にも見ーせーろーよー!!」
「ばっ。楽平! 引っ張るな破れる! というか俺が見えないだろーが!」
「楊海! 大盤持ってきた! さっさと再現しろ!」
「棋譜の独占を許すな!」
「わーばか。やめろってええええええええ!」
楊海がもみくちゃにされている中、王星とある程度の交流があり、電話番号を知っている者たちは鬼電の真っ只中だ。勿論、今日はオフなのを理解しての容赦ない所業である。
本人に問いただせ! 本人に解説させろ! という強い気持ちに突き動かされたのと、王星と付き合いのある友人連中は、周囲からせっつかれ、この行動は正当性のあるものであり、非常に重要な使命に突き動かされていますと言わんばかりの顔をしている。
やがて泡を喰って電話に王星が出たことから、直ぐに中国棋院に引っ張り出されるに違いない。本来、年上で実力も凄いトッププロである王星に礼儀の観点からしても、失礼にあたるため、突撃なんて真似はしない筈にも関わらず、群衆は興奮のあまりリミッターが外れている。
やっと登場した大盤に、皆はかじり付きながら、ああでもないこうでもないと意見が盛んに飛び交う。やがて、仲の良い連中に電話で不意打ち気味に呼び出されたにも関わらず、人が良いので急いで来てくれただろう王星がやってきた。
気の早い連中が家まで走って呼びに行く途中で本人と合流を果たしたらしい。息を整えながら、大部屋のカオスな惨状に目を白黒とさせている。
「こ、これは一体なんなのですか……?」
しかし、周囲は本命たる王星の登場に益々盛り上がりをみせるばかりだ。誰かが合図した訳でもないにも関わらず、部屋に一歩踏み入れた瞬間、一斉に拍手が鳴り響く。
代表として結局、楊海が経緯を説明し出し、一枚の届いたばかりの──ある意味問題だらけの棋譜を差し出した。
最初は怪訝そうな顔を隠しもしなかった王星だったにも関わらず、その棋譜を一目目にした瞬間、顔色が変わった。
途端に真剣な眼差しになり、穏やかな気性を放り捨てて棋譜をひったくる。
目を皿にしながら、眼球が左右へ上下へと忙しく動いていた。周囲が王星の反応を確認しようと徐々に静まり返る。
やがて、一通り目を通した彼が大きく息を吐いて尋ねた。
「この黒……これは一体誰の碁なんだ……? 中国流の打ち方を良く研究し尽くしたとでも言わんばかりの打ち方だ。そもそも、こんな素晴らしい碁は打ったら絶対に記憶に残っているに決まっているのに、不思議なことに覚えがないのです。何で打った記憶がない……? これは間違いなく自分の碁です。もう急に呼び出されたことなんてどうでもいいから、この棋譜の情報について至急説明して欲しい」
誰しもがいちはやく今までの情報を説明したがった。王星は暫く黙って話を聞いていたものの、ある程度把握すると、手を二、三度叩いて周囲を収める。そして徐に口を開く。
「話はわかりました。皆さん、彼はいい度胸をしている。そして子供ながらに強い。その点は理解しましたが、彼には中国の強さを良く思い知らされるべきだと思います。返り討ちにして差し上げましょう。いいですね?」
応じる声が一斉に大気を震えさせた。誰も彼もが強い決意に満ちた表情をしている。
────『中国棋院は進藤ヒカルを全力で迎え撃つ』
途端、決起集会に発展する有様と化したのであった。