逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】   作:A。

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※※ お知らせ ※※

この『IF奈瀬ルート』を最終話まで書き終わったため、この話の投稿をもちまして毎日更新に切り替えたいと思います。話は全部で残り6話。㉟まであります。最後までお付き合いいただければ嬉しく思います。よろしくおねがいします。


IF奈瀬ルート 第十二話から分岐㉙

取り敢えず、濡らしたハンカチを差し出してお姉さんが目元に当てるのを確認した後、ヒカルは直ぐに立ち去るつもりだった。

 

別にハンカチなんて返して貰わなくても良かったのだ。……気まずさのあまり咄嗟に差し出してしまっただけである。

 

女性は、二十代前半または中盤くらいに見えた。プロポーションは抜群。ブランド物も品良く身につけていて、高嶺の花といった風体だ。

 

セミロングの丁寧に手入れをされていた髪は奈瀬を彷彿とさせたが、恐らくブランド物のヘアオイルを使っているのかもしれない。先ほど一瞬近づいた時に華やかな香りが鼻腔をくすぐっていた。

 

「じゃあ、俺はこれで」

 

踵を返して、ヒカルは去ろうとした。しかし、そこで待ったがかかる。ヒカルの洋服の裾をお姉さんがつまんでいたのだ。

 

思わずギョッとして顔をみると、流石に気まずそうな顔をしていた。

 

「ね、ハンカチをくれるくらい紳士な貴方にお願いしたいんだけど、ちょっとだけ愚痴に付き合ってくれる?」

「え? いや、それはちょっと……」

 

確かにヒカルは逆行しているため、年齢にそぐわない経験をしてきているが、泣いている美人のお姉さんを慰めるのは流石に手に余る。ところが、次に口にされた言葉に硬直した。

 

「囲碁って分かる?」

「わかる、けど……」

 

わかるどころか、神の一手を極めようと高みを目指しているくらいだ。唐突に囲碁のお話題をだされて反応してしまったのが悪かった。完璧に立ち去るタイミングを完全に逃してしまっていたのだ。

 

「私、囲碁には全く興味がないのよ」

「うん」

 

でしょうね、というリアクションしか返せない。一般人にもかなり知名度があるヒカルの存在を知らないというだけで、少なくとも囲碁には全く無縁で興味の欠片もないことはわかっていた。

 

「でもね、私の彼氏は──碁打ちなの」

「…………ッスー……あー」

 

なんとなく察した。ヒカルも不本意ながら逆行前に経験がある。

 

「愚痴、聞いてくれない?」

「……しょうがないなぁ。美人なお姉さんに免じて聞いてやるよ」

「ありがと。ヒカル君」

 

そしてヒカルはそのまま公園のあずま屋でお姉さんの愚痴を聴き続けた。コンビニで買った買い物の中でスナック菓子以外にお茶もあったため──彼女が泣きすぎていて声が枯れ切っていたので──それも提供している。

 

碁打ちとして、話を聞いているとどちらかというとその彼氏にシンパシーを感じてしまう部分がかなり大きかったものの、聞き役としての役目をなんとか果たしていた。

 

どれくらいの時間、そこでひと時を過ごしていたことだろう。ずっと話していて少しは落ち着いたらしい。声色は普通に戻っている。

 

「それで、彼氏は私よりも囲碁ばっかりで……この間なんて最悪。考えられる? 私に当たり散らしたのよ?」

「……女性に八つ当たりは男として情けないかもね」

「ふふっ。そうでしょ」

 

逆行前のヒカルには良く効くセリフだったものの全力で他人事だとスルーした。

 

「で、ちったースッキリした?」

「うん。スッキリしたわ」

「それは良かった。んじゃ、はい」

 

キョトンとするお姉さんの手を取って立ち上がらせる。

 

「仕方ねーから近くまで送る」

「え、でも……」

「あ。家までは知られたくないだろうし、近くまでな」

「流石にそこまでしてもらうのは申し訳ないかも……」

「別に。いいんじゃね? 世の中、美人はお得って相場が決まってんだから」

「ヒカル君、モテるでしょう」

「そこはいい男って評価してくれる?」

 

ヒカルは手を離すと公園を一緒に出た。するとその時、こちらに勢いよく走ってくる足音がする。瞬間、お姉さんが腕を後ろに引っ張られて後退した。

 

「や、やっと見つけた。すまなかった、本当に……」

「精次……」

 

お姉さんの腕を引いたのはまさかというべきか緒方精次、その人であった。

 

「うっわぁ~……」

 

気まずいなんてものではなかった。なにせ、今まで赤裸々にお姉さんから緒方のやらかしてきたことを聞いたのだから。

 

そして今現在恋人とのやりとりを目の前で見せつけられている状況だ。完璧にヒカルの存在に気づいていないからとはいえ、これはどうかと思う。

 

暫く恋人劇場を眺めていたものの、一向に気づく様子がなかった。このまま帰ろうかとも思うものの、なんとなく仲直りしたっぽい瞬間を狙って一応一声だけでもかけていくことにする。

 

「あーえーゴホン。お二人さん、俺もいるんだけど?」

「は? なっ……進藤、ヒカル……?!」

「やっと気づいたの? もー勘弁してよ」

「ごめんね、ヒカル君」

「仕方ねーなァ」

 

そのお姉さんとヒカルのお互いにすっかり慣れたやり取りに緒方は酷く混乱して戸惑いまくっている。

 

「ば……っ。な……どうして……?」

 

目を白黒させて動転しまくっている緒方に対して、ヒカルはにや~~~っと含み笑いをすると、厳かに告げる。

 

「緒方さん、恋人は大事に……泣かせるなんて論外。良くいたわってあげなくちゃ。じゃないと男として情けないよ」

「ぐ……っ」

「というかこんなことを子供に指摘されている時点でどうかと思う」

「う……っ」

「いい加減反省したら?」

「そ、それは……っ」

 

緒方は唇を戦慄かせながらも、二の句を継ぐことが出来ない様子だ。それを散々にからかってニヤニヤとして眺めたヒカルは満足した。桑原が良く緒方をからかう理由が理解できた気がする。

 

しかし、そんなヒカルを据わった眼差しで緒方は見やると、徐に近づいて襟首をとっ捕まえたのだ。

 

「うわっ。何するんだよ」

「俺のことなんてどうでもいい。ここで会ったが運の尽きだったな。この後一局付き合って貰うぞ」

「嘘だろ? そんなことよりお姉さんと仲直りが先だろーが。優先順位もわからないの? そんなんだから緒方さんはダメなんだよ」

「抜かせ。この機会を逃してたまるかっ。というより誰のせいでこんなことになったと思っている?」

「えーっ。俺なんもかんけーねーよ!」

 

そんな二人を不思議そうな顔をして眺めていたお姉さんは尋ねた。

 

「二人はお友達だったの?」

「「それはない」」

 

異口同音にハモった二人をみて、お姉さんは苦笑した。そしてヒカルをひっ捕まえて決して離そうとしない緒方を見て、取り敢えず場所を移したら良いのではないかとお姉さんは提案したのである。

 

そうしてなぜか連れてこられた女性の部屋にヒカルは内心でドギマギしていた。尤も表には絶対に出さない。先ほど、散々からかったお返しを緒方にされることがわかりきっていたからだ。

 

お茶の用意をしに彼女が席を離れた瞬間にヒカルは切り出した。

 

「ほらっ、緒方さん。俺は逃げないんだから、いい加減離せよ」

「フン」

「ふんじゃねぇし。この借りはデカイからなっ」

「というより、進藤。そもそもお前はどうして……─」

 

そこまで言いかけた時だ。ふと、目についたのだろう。喉が渇いていたのかテーブルに置きっぱなしにされている透明な水を緒方は一気に煽った。しかし、途端に顔を歪める。

 

「ゲホッゲホッ……なんだ? これは焼酎か?」

「げっ。緒方さん水飲んだら?」

 

ところが、緒方は変に勢いづいたのか部屋の隅に避けて置いてある筈の焼酎の酒瓶を手繰り寄せて更に飲んでいる。再び、時折むせながらも中身を煽ると、ダァンと勢いよくグラスをテーブルに叩きつけた。

 

「おい……進藤ヒカル……」

「うっ……なんだよ?」

「お前少しは自重しろ。どれだけ大騒動に発展したと思っている。というより、そもそもお前の棋力は一体どうなっているんだ。底が知れないにも程があるだろう。もしかして、まだ何か力を秘めているとでもいうつもりか? くそっ、これ以上の下手な出し惜しみはするんじゃないぞ」

「はぁ、自重して欲しいの? して欲しくないの? どっちかにしてよ」

「大体……アレと俺との仲がこじれたのも、そもそもの原因はお前だ、進藤」

「そんなのむちゃくちゃだ。もう酔いが回ったに違いないってば……俺水貰ってくる」

「いいから居ろ。この程度で酔う俺ではない」

「酔っぱらいは皆、そういうんだよ」

 

力なくヒカルは発言したが、緒方は意に介さない。再びグラスに焼酎の液体を注ぎながらチビチビと飲み始めた。せめて水でも持って来ようとしたが、席を立とうとすると緒方に凄まれる。無視して取りに行くこともできたが余計に面倒くさいことになりそうだった。

 

どうせあと少ししたらお姉さんがお茶を持って来てくれるのだから、そのタイミングで良いだろう。そう判断して酔っぱらいの愚痴を聞き流した。

 

「あら? なんで精次は飲んでるの? これ、焼酎なのだけれど……」

「本人に聞いて。なんか勝手に飲み始めたんだ」

「はーっ。全く困った人」

「困った人どころじゃないよ……」

「違いないわ。取り敢えず、お水持ってきてあげる」

「お姉さん、優しすぎ」

「ふふっ、でしょ?」

 

せっかく持ってきてくれたお茶にも緒方は一瞥もくれずに酒を飲み続けている。お姉さんがお水を勧めたものの、断固として断りグラスを重ねていた。呆れた二人を意に介さず、ずっとブツブツとつぶやいているのだ。

 

「俺は今まで努力し続けてきた。実際に対局で勝ち星も得て結果だって出ていた。なのに、どうして理解が及ばない。ふざけるな。どうやったらあんな発想が出てくるんだ。忌々しいまでの魅力に溢れた挑戦状だった。出題された問題を見れば見るほど、素晴らしい問題過ぎて自分の実力の無さを痛感する。だが、疎ましく思うことは決してできなかった。寧ろその魅力に取り憑かれて……俺は……俺はっ……」

「う~~わ~~」

「…………これはもうダメね」

 

二人は顔を見合わせて首を振った。

 

「進藤っ!」

「へいへい」

「俺がどんな想いで今まで苦悩してきたと思っている。どんな想いで……っ」

「そんなこと言われても……」

「お前の打った碁を研究すればするほど、遥かなる高みへの道のりの険しさを思い知るばかりだ。学ぶことばかりなのは認める。だが、それだけに絶望を味わうことになる」

「知らない。知りたくもない」

 

緒方の話を黙って聞いてやっていたヒカルだったものの、キッパリと言い切った。軽く息を呑む音が聞こえたが、全く意に介さず続けた。

 

「大体さァ、モタモタしすぎなんだよね。俺、名人には待ってるって言っちゃったけど、既に今までですっかり待ちくたびれたぜ。せっかく待っててあげたのに」

「…………進藤」

「俺さ、可能性があると思ったから問題をぶつけてみたり、待ってやったりしてた訳。あんまり俺をがっかりさせないでくれよな。期待を裏切られるとかマジ最悪なんだけど」

「期待、してくれているのか……?」

 

半ばやけになり酒を飲んでいた緒方の手が途端にピタリと止まった。次いで、恐る恐るといった具合にヒカルと目を合わせる。ヒカルは酔っ払い相手とは思えないほど、真剣で真面目な厳しい顔つきをしていた。

 

「二度も言わない。ま、どちらにしろ言えることは、俺と名人との対局を見て得たことが全てだと思うよ。名人としての重責をかなぐり捨ててまで追い求めた先にある一手だ。その重みはわざわざ語るよりも、見ただけで訴えかけるものがある。ごちゃごちゃ考えるより先に、感じてみたら?」

「……そうか。そう、だな……」

「そうなの。全く緒方さんは世話がかかるんだから……」

「うるさいぞ、進藤」

「えー言われて当然だと思うけど。あんまり遅いと、俺ドンドン先に行っちゃうんだからな」

「ふざけるな。俺が……俺は……」

「緒方さん」

 

再びヒカルは呼びかける。

 

「早くここまで駆け上がって来いよ」

「あァ、必ず」

 

緒方も同様に言葉を返したが、酔が回りすぎたのかそのまま意識を失った。……寝落ちしたのだ。ゴチンとテーブルに頭をぶつける間抜けな音がリビングに響いた。なんとも締まらない一幕だ。

 

そのやりとりを邪魔せず静かに見ていたお姉さんが一言ヒカルに尋ねる。

 

「ねェ……ヒカル君って本当は凄い人?」

「ハハハ。さァね」

 

ポケットを軽く叩きながら答えた。中は"パスポート"が入っている。

 

実はヒカルの次の行動は決まっていた────ちょっと優雅に海外まで高飛び、もとい、旅行をするのだ。

 


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