逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】 作:A。
日本語が『』となっております。
ヒカルの解説もついに終りを見せた。いよいよ──『
「こんなタイミングで言いたくはないが、もう随分と遅い時間帯となっている。対局は明日に持ち越しだ。その代わり、明日は朝一から存分に打って欲しい」
「え────!」「そんなっ。生殺しだ」「ケチ────!」「そんな……」「ここからだって時に……」「なんてことだ」
一斉にブーイングと抗議の声が響くが、流石に管理責任があるのだろう。李老師も引くに引けないといった様子であった。
『しゃーない。しゃーない。気づいたら結構時間経ってるからさァ。ホントにもう遅い時間だぜ。それに飛行機での疲れもあるし……一晩ゆっくりして明日の一局の方が頭が冴えるのは確かかも』
『ヒカルは本当にそれでいいの?』
『ったく……そんな顔すんなよ奈瀬』
『え?』
まったく自覚がないらしい。ヒカルは苦笑しながら、奈瀬の頭にポンっと手を置いた。
『物足りないですって、不服そうな顔だぞ』
『ええええええっ、そんな……』
赤面して頬を押さえる奈瀬にヒカルはニヒルに笑った。
『楽しみにしとけよ、奈瀬。明日は最高の一局をみせてやるからさ』
『うんっ、楽しみにしてるねっ』
弾んだ声色で肯定した奈瀬に、ヒカルは胸に暖かい気持ちが広がるのが分かった。その一方で青ざめているのは磯部秀樹だ。
『うっわ。おい、進藤。そんなに悠長なことをしている場合じゃないぞ』
『ん? なに~?』
『見ろよ、アレ』
磯辺がこっそりとヒカルに合図する。磯部の目線の先を辿ると中国棋院所属の九段
しかし、その様子がおかしい。深刻そうな顔をして顎に手を当てながらブツブツつぶやいては考え込んでいるみたいなのだ。更に、凄まじいのは目つきである。目が獰猛そうにギラギラと輝いていた。今にもつつけば噛み付いてきそうな印象まであるのだ。
今までに見てきた真剣で真面目そうな顔や爽やかで穏やかな柔和そうな顔など、欠片も存在しなかった。
隣にいた奈瀬がそのあまりの姿にゴクリと唾を飲み込んだ。磯部も恐る恐るといった風に横目で見ては少しビビっている。
『どうするんだよ? どうやら向こうは本当に本気のスイッチが入ったみたいだぞ』
『別にどうもしないけど? 俺は俺の碁を打つだけだからな』
『全く、進藤。お前ってやつは……あの凄まじい姿を見てなんとも思わないのかよ』
『思わない訳ないだろ? 寧ろ、俺は嬉しく思うぜ』
『はァ?!』
何言ってるんだとばかりに磯部が目を剥くが、ヒカルはその表情を笑い飛ばした。
『だってそうだろ? 一介のアマチュアである俺にどこまで本気になってくれるかの心配がいらなくなったんだぜ? あの挑戦状ですら本気にさせるには足りなかったってことだよ。これで油断は完全に消滅した。本気同士のぶつかり合いだ。へへっ、この対局を楽しまなくちゃ!』
『正気か?? 進藤』
磯部はヒカルの囲碁に対する情熱は知っていたが、ここまでとは完全に理解しきれなかったのだと思い知った。
ヒカルはどこまでも楽しみにしている様だが……磯部はチラリと再び王星の姿を見て身を震わせる。余りにも迫力がありすぎたのだ。
ちなみに、中国棋院側のメンバーは李老師に文句を言うのに忙しく気づいてない様子だった。唯一、
ところが、ヒカルは丸で意に介した様子がない。無造作に王星に近寄ると、声をかけたのだ。
「明日の対局、心から楽しみにしていますです。全力でぶつかり合いたいです」
「えぇ、勿論。こちらも心から対局を望んでいます。ですから……─」
「?」
そこで王星は言葉を区切った。不思議そうな顔をしているヒカルに対して挑むように告げる。
「持ち時間を三時間にして対局をしましょう」
「……!」
「どうです?」
「願ってもありません。上等です。そうします」
王星の申し出にヒカルは即座に頷いていた。周囲は、王星のまさかの抜けがけに、李に向いていた文句の矛先が変わった。今度はズルいという声が飛び交う。しかし、彼は一切動じない。
「皆の時間を貰う分だけのものをみせます。みせてみせます。存分に中国の力を思い知って下さい」
「俺だって……! 架空の棋譜だけが全てじゃないってトコ、みせてやるさ!」
いつの間にかブーイングは止んでおり、周囲は二人を静かに見守っていた。言葉を交わした二人は満足そうな顔つきに変わる。そして、ヒカルは場を後にした。
勝手知ったるといった風体で堂々と進んでいく。それを慌てて奈瀬と磯部。撮影クルーが追っかける。決戦は翌日に持ち越されたのだった。
◇◆◆◇
そして、待ち望んだ──翌日。
中国棋院の訓練室の大部屋に皆が集結していた。しかし、王星とヒカルは別室にいて、そこでの対局となる。皆で検討しながら見られる様に、どこからか中継する道具まで持ち出してきたのだ。
当日となった今、王星の顔はげっそりとどこかやつれている。その一方で目だけが爛々と輝いており、昨日よりも異様さがより浮き彫りになっていた。
それもその筈。王星はあの後から一睡もしないで進藤ヒカルのことについて取り憑かれた様に研究をしていたのだ。
元々、挑戦状を叩きつけられた時から研究はしていたが、今回はその比ではない。次元が違う対局を見せつけられて……なのに、それが実際の棋譜ではなく、空想上のものだと知って体が震えた。衝撃が走ると共に、どうしようもなく火がついてしまったのだ。
しきりに、張り切って思考を巡らせる脳内と、興奮の余り眠気がくる暇がなかったとも言う。目だけが闘争心の大きさを如実に表していた。
堂々とゆっくり歩む進藤ヒカル。ついに、王星と対峙する。碁盤を挟み合う二人が一体どんな対局を見せてくれるのか? モニター越しに皆の期待をぶつけられながら、ついに対局が始まるのであった。
「まだかよ~まだなのかよ~」
「もう
「だって仕方ないだろ?
「そりゃ気持ちは僕も分かるけどさァ」
「いって~~!」
「いいからもう黙れ。始まるぞ!」
その言葉に周囲はモニターに注目した。にぎった結果はというと、黒が進藤ヒカルで、白が王星だ。
王星は囲碁界において打ち方に流行り廃りがある中、頑なに自分流を貫いているにも関わらず、実力があり勝ち星を重ねている貴重な棋士でもある。トッププロの九段という証明をするかのごとく、純粋に強いのだ。
「(どうなるのか結末をしっかり見届けないとな……)」
楊海達は高鳴る胸の鼓動をそのままに、勢いよく始まった対局の展開を碁盤に再現していく。
訓練室には幾つもの碁盤があるのだ。そのため、モニターに映し出される対局を各場所で再現をしてはグループごとに意見が飛び出だしていく。時に、注意を引くような意見を耳にしてはそちらの碁盤あちらの碁盤へと席移動なんてまどろっこしいとばかりに人がすっ飛んでいく。
「ここまではオーソドックスな立ち上がりだよな?」
「だな。様子見なのか……?」
「だけど、このまま大人しい展開になるなんて到底思えないわ」
「絶対に嵐の前の静けさに違いないよ」
「さて、どうなる……?」
ここまでは無難な進行であった。右下では戦いが起きたものの、両者の想定内のようで、セキ──お互いに2眼はないけれど生き──の形となっている。
「お。ここの王星の一手。痺れるな。流石といえるよ」
「うーん、まさに王さんの碁そのものを見せつけられているみたいだ。中国の歴史を感じさせる……」
王星らしい手を打っており、黒が左に模様を張っているのに対して、白が打ち込むという形をみせていた。しかし黒は黙っておらず、ヒカルは盛んに攻めの姿勢である。
「これは……うーん……しかし……」
「意外といえば意外ですね」
「だ~~っ。もう、訳知り顔でなんなんだよ?! 説明しろよ!」
「分からないのか楽平。勉強不足だな」
「ぐ……っ」
楽平は言葉が詰まった。楊海の勉強不足という言葉が突き刺さる。悔しくてイライラするにも関わらず、とても言い返せない。
それでも、普段の気性ならば言い返していた。それでも大人しく黙っていたのはどうしてもその意味をしりたかったからだ。
楊海は仕方ないなァという顔をして解説してやる。
「理想的すぎるんだよ」
「? どういうことだよ」
「つまりは、理想的なまでの……まるで本に書いてあるような進行なんだ」
「えっ。そんなことがあるのかよ」
「だから皆、意外だと思っているところだ。あっ、ここで更に、か?」
モニター上に映る黒の碁石に楊海が反応をみせる。すると、他の連中もこぞって騒ぎ立てた。
「見ろ!」
「あっ」
「ここで、こうくるのか……?」
ヒカルがここで更にお手本とはかくあるべきと言わんばかりの返しで、絶好の位置に石を置き、白を攻めていた。
「だけど、王星も負けてない!」
「白は防戦一方に見えがちだけど、白地が多いから形勢は互角だ!」
「どうなる? どうなる……?」
「これって、引き続き互角の進行だわ」
周囲はこの互角の状況がいつ崩れるのか内心でハラハラして見守っている────そして、ついにヒカルが動いた。
「うおっ」
「えっ」
「おおっ」
「う……っ」
「凄いな……」
ここで黒から妙手が飛び出したのだ。その余りの素晴らしい一手に、過剰に反応せざるをえない。
「ここ……この流れよ!」
「オキ、ハネ、ツケ。これが決定打になるな!」
「まさに一撃、って感じだ」
「凄まじい手筋だ……」
「感嘆のため息しかでない」
特に最後のツケは、これまた詰碁の本に出てきそうな凄まじい手筋だったのだ。このツケにより一閃が炸裂した。黒の勝ちが決定づけられた瞬間である。
「生きている想定の場所がコウになっては勝負アリ、か……」
「王星もよく防いでたのにな~~」
「白は地を厚くしていたんだが……あの妙手がなァ……」
「黒は勢いがあった。それが全てって訳じゃないけど」
「認めたくはないけど、進藤ヒカルは強すぎる」
ここの妙手の一手から、わずか4手後に、白の投了となったのであった。これで、『王星』と『進藤ヒカル』の対局は────『進藤ヒカルの勝利』となる。
蓋を開けてみるとなんと黒のヒカルの中押し勝ちという結果に終わった。互いに本気での対局だったにも関わらず、中押しという歴然とした差を見せつけての勝利だ。それに対して中国棋院側はもう進藤ヒカルという存在を認めるしかない。
「迎え撃つつもりが予定が狂ったな」
「全くだ」
「困りものよね」
勿論、中国側が負けている事実を悔しく思うのは当然である。苦々しい気持ちで一杯だ。本音を言えば、認めなくなどなかった。しかし、受け止め方は思い思いだが、素晴らしい対局をみたとあっては仕方がない。充実感に満ち溢れているのも事実であるのだから。
────そんな中、奈瀬明日美は碁盤を見つめ、愕然としていた。とあることに気づいたからだ。この場の誰にも言えない事実に唯一気がつき、堪らず、訓練室をフラフラとした足取りで出て行ったのである。
それを心配そうな顔をして磯部が追いかけていったのであった。