逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】   作:A。

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※今度は逆に日本語が「」です
 中国語が『』になっています


IF奈瀬ルート 第十二話から分岐㉞

王 星(ワン シン)』vs『進藤ヒカル』の終局。その時、奈瀬明日美は衝撃的な事実に気づいて愕然としていた。

 

思わず、興奮と熱気に溢れる訓練室からフラフラとした足取りで飛び出していた。そして、どこへ行くわけでもなく、歩き出す。やがて、いつの間にか到着していた自動販売機と椅子が立ち並ぶ休憩所に近寄ると、立ち止まり大きく息を吐いた。

 

「っ、もう信じらんない……進藤のバカ……」

 

奈瀬はその気づいた事実に気が付けば涙をにじませていた。最初は気のせいかとも思ったのだ。しかし、考えれば考える程、そうに違いないという想いが胸を溢れされている。

 

「何が?」

「えっ」

 

誰かに話しかけられて、咄嗟に驚きから涙が引っ込んだ。思いっきり勢いよく振り返るとそこには磯部秀樹が立っていた。目をパチクリさせる奈瀬に対して、どこかぶっきらぼうに磯部は言葉を口にした。

 

「進藤が囲碁に関しては天才だけど、バカなのは今に始まったことじゃない。それは散々振り回されてきた僕達が、嫌ってくらいに知ってる。だろ?」

「ふふっ、うん。そうよね」

 

気持ちが漸く落ち着いて軽い笑が溢れた奈瀬に、磯辺は内心で胸をなで下ろしていた。どうやらいつもの調子が戻ってきたと判断して、話を続ける。

 

「で? 今度は進藤のバカが何をやらかしたんだよ?」

「あー……うん。実は……」

「実は?」

「あの一局」

「?」

 

口ごもった奈瀬は何故か真っ赤な照れた顔をしていた。

 

「気のせい、かもしれないけど。本当に信じられないんだけどっ」

「いいから話してみたら?」

「進藤ってば、あんなに本気の一局だって言ってたのに、凄い楽しみにしてた癖して……あれは私達に向けた一局だった」

「は?」

「ううん。正確には私たちへの強いメッセージも秘めた対局だったってこと」

「はぁぁぁあああ?! なんだそりゃ? そんなのアリかよ?」

「いや、それでも多分、なんだけどね。確証がないっていうか……」

 

とてもではないが聞き捨てならない話だ。磯部は信じられないという顔をしたものの、今度は声を潜める。

 

「それでも気になるだろ? 話せよ」

「だって、昨日の夜言ってたじゃない? 『明日の一局、じっくりみててくれよ。俺ってば、よく新しい手だとか、新定石とかばっかり持て囃されているけど、それだけじゃないって所、みせるからな』って」

「あっ」

「多分だけど……きっと進藤は、色々な一手がある中で……本に書いてあるような基礎でも極めれば、世界でも通用するような一局が……中国のトッププロにだって勝てちゃうくらいの実力がつくっていいたかったのかなーって……それに前に出して貰った問題からの一手とかもあったり……」

「………………」

 

磯部は言葉を失った。歓迎されていたとはいえ、囲碁のこととなると完全アウェイというプレッシャーの中、本気のぶつかり合いの最中にも関わらず、そんなことにまで気を回す余地があったという驚きの事実に。

 

「そりゃ、勿論凄かったよっ。王星さんはあのヒカルの怒涛の攻めを互角にまで持ち込んで防いでたし、地にこだわって上手く立ち回ってた」

「うん。僕も地を重視するタイプだから特に凄いと思ってた」

「前に磯部にも言ってたと思うけど、私にも言ってたのよ『基本的なことだけど、得意分野を伸ばすのは有効だ』って……」

「だからって……こんな時に……進藤はバカかよ……」

「うん。そうだよ……うん。きっとバカなんだと思う」

 

二人のバカという言葉とは裏腹に、強い感謝の念が込められていた。磯部は先ほどの奈瀬同様にこみ上げてくるものがあったらしい。くるり、と後ろを向いて目元を拭う。そして、次に振り返っていた時には平然としていた。

 

「僕、思うんだ」

「?」

「今日、ここに……中国棋院に進藤達と来れて本当に良かったって」

「それは、私もそう思う」

「だろ? あの対局を直に見られたのは物凄い幸運だ。なにせ、本来はどれだけ金を積んだって実現不可能かつ見られやしない……他ならない俺達のためのスゲー贅沢な対局だった」

「うん。感謝しないとだね」

「あァ」

 

二人は頷き合いしんみりとした空気がながれた。しかし、それは長く続かない。磯部が唐突に言い出したのだ。

 

「けど、それとこれとは別だ。進藤に文句言いに行こうぜ」

「文句?」

「大事な対局で俺たちのこと悠長に考えている場合かよってな」

「ふふっ。そうね。特に中国棋院サイドには絶対にバレる訳にはいかないもんね。こんな重たい秘密抱えるんだから、進藤にはうんと文句言わなくちゃ」

 

奈瀬が握りこぶしをつくりながら、宣言した。そんな時だ。急に第三者の声が割り込んできたのは。

 

「誰に何するって~~?」

「げっ、進藤」

「これって噂をすればご本人登場ってやつ?」

「やっと見つけたかと思えば、お前らなァ~~」

 

別室で対局をしていた進藤ヒカルが訓練室に不在だった二人を迎えに来ていたのだった。

 

 

 

◇◆◆◇

 

 

 

『本当に勉強になりましたし……負けはしましたが、良い対局であったと思います。ありがとうございました』

『こちらこそ、対局を感謝するです。ありがとうございました』

 

王 星(ワン シン)と進藤ヒカルが部屋の中央で挨拶を交わす。それを取り巻くようにして人々が輪をつくっていた。テレビカメラもここぞとばかりに良いシーンだと撮影している。

 

『君と出会うまで中国でナンバーワンの棋士だと評価されていたことに、今までどこか慢心していたようです。調子に乗っていた自分が恥ずかしいし、情けない。一人の棋士として、より高みを目指すための気概と貪欲さを見失っていました』

『いいえ、別にです。何故なら、全ては俺が強すぎるからなのです』

『ハハハ』

 

次は自分と対局を! と周囲からヒカルが熱望されている中、王星はこれだけは聞かねばならないと思っていた質問を投げかける。

 

『一つだけ気になることがあります』

『何ですか?』

『あの例の棋譜。ほら、私が負けていた架空の棋譜ですよ。その受け取った挑戦状よりも、先ほどの対局の方がより洗練され、より強くなっていました。進化していたと言っても過言ではないでしょう。一体、どういうことなのです?』

『あ~~……』

 

ヒカルは気まずそうに頭をポリポリと指で掻いた。そもそもがそれは『sai』vs『王星』なため、仕方のないことかもしれない。saiはヒカルの強さの象徴で永遠の憧れでもあるが、唯一の欠点として未来の碁を見て勉強するだけの時間がなかったのだ。

 

つまりは逆行した時よりも、更に前の時の対局の棋譜ということになる。しばし考えた後、ヒカルは述べた。

 

『あの架空の棋譜、実は昔のやつなのです。それよか、今の方が強いのは当たり前なのです。あの棋譜が実力の全てと思われるのは非常に心外』

『…………あなたは本当にアマチュアの子供なのですか? 実は囲碁が強い幽霊が取り憑いていて、影から答えを教えているとかではありませんか?』

『…………は、ははは。王星クラスの人間でも、冗談を言うのデスネ~~』

 

ヒカルの声が虚しく響いた。そこで撮影は一旦終了となる。ここからは随分と遅くなった昼食を挟み、念願の自由な対局タイムだ。

 

ヒカルはせっかく中国にやってきたにも関わらず、味気ないことに適当にコンビニで買い物を済ませると、棋院のロビーでご飯を掻き込み再び訓練室に舞い戻ってきた。これには奈瀬も磯部も呆れ顔だ。

 

そして、ここからが怒涛の勢いだったのである。──ひたすらに10秒碁を打っては検討をしてのエンドレスだったのだ。

 

打ちながら自分にもアドバイスをして欲しいと主張してヒカルに求めてくる周囲。最早、テレビ番組の一貫という概念など放り捨てて暴走していた。熱気と勢いがどこまでもあって、まるで止まらないのだ。

 

しかし中国陣営は、どんなに高い壁にぶち当たっても、日本より乗り越えようとする気概が凄い。どこまでも食らいついてきて決して離れようとしないのだ。大きなポテンシャルを秘めている。

 

ヒカルにとって、それは輝かしいまでの魅力を感じていた。それに応えなくてはという気持ちに自然となるため、益々対局が過熱するのだ。

 

そのおかげというべきか。数々の検討を乗り越えたヒカルは、中国語を話すことをかなり習得していた。定型文を丸暗記が多く、不自然な敬語になる言葉遣いも見事克服してみせたのだ。

 

ちなみに、中国勢は日本語で「対局」の単語のみ、皆が言える様になっていた。

 

ヒカル達の滞在可能な一週間はこうしてあっという間に過ぎていったのである。

 

中国滞在最終日前夜は、ヒカルは徹夜で中国棋院で打ちまくっていた。本来、それは許されないことではあったのだが、テレビ撮影という証拠に残らないオフの出来事であるし、ひっそりと李老師(リ せんせい)は見なかったことにしてくれたのである。

 

こうして、ヒカルにとっては対局三昧という最高の日々を過ごしたのであったが、ついに中国棋院の前で皆との別れの時がやってきていた。李老師に世話になったお礼を告げる。

 

『ついに帰国か。帰りも気をつけてな』

『サンキュ~、楊海さん』

『ったく、本当に中国語上手くなったよな。上達早すぎ』

『そーかァ? 俺って割となんでも出来るタイプだからさ』

『(そういいながら影で努力してるんだろうな、進藤は)そーかよ』

 

そこまでふざけていたヒカルであったが、急に楊海が真顔になったため怪訝そうな顔つきになる。

 

『どうしたの? 楊海さん何あった?』

『例の進藤からの皆が熱狂する隠し玉。特別なお土産には俺も驚かされた』

『そう?』

『進藤、俺がパソコンで囲碁の開発をしていることを知っていたのか? 知っててあれを……?』

『さァね』

 

ヒカルは知っていて敢えて誤魔化した。勿論、知っててぶつけたに決まっている。

 

楊海が言っていた隠し玉とは、あのAI同士の対局の棋譜だ。確かに色々な思惑はあったものの、PC囲碁開発に情熱を燃やしていた楊海の心に響くものがあれば良いとも思っていた。顔つきをみるに、どうやらバッチリとメッセージは伝わっていたようである。ニヤリとヒカルが笑う。

 

『将来、期待してるから』

『おう。任せとけ!』

 

力強く頷いた楊海はどうやら大きく得る様なものがあったらしい。続いて声をかけてきたのは趙石(チャオシィ)だ。

 

『寂しくなるよ』

『今度は日本にも来いよ! 日本には深キョンのストラップだって色々な種類売ってるし』

『それは楽しみかもね』

 

にこやかな二人と対照的にいきり立っているのが楽平(レェピン)だ。

 

『くそっ。今度はぜってー勝つ。首洗ってまってろよ!』

『それはいいけどさ。楽平のもう一局! は流石に聞き飽きたぜ』

『なんだとー!』

 

そんな賑やかな一幕を得て、最後にやってきたのは王星だ。

 

『今回は、我々の情報不足と用意が足りなかっただけです。準備を整えて次は必ず勝ってみせます』

『残念だけど、俺は次も勝つよ』

 

互いに挨拶を交わし合い、日本勢は帰国の途についた。しかし、その帰りの飛行機の中、奈瀬は思いつめた表情でヒカルの横に座っている。

 

この中国行きで益々進藤ヒカルとの差を実感したのだ。そして、それが契機となり、とある強い決意をした。奈瀬の手がプルプルと震える。

 

────奈瀬にとって、それはそれは大きな決意だったのだ。

 


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