逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】 作:A。
ヒカルが厄介なことになったと思った通りに展開が進む。要は、ややこしいことになったのだ。
奈瀬は完全にヒカルが囲碁の初心者だと思い込んでいる。この誤解をどう解いたら良いかということだ。それも相手は完全に親切心で話しかけてきている。
(あちゃー…こういうときの奈瀬の思い込みは強いんだよなァ…)
取り敢えず、否定しておくべきだろう。少なくとも初心者ではないことは確かなのだから。
「何勘違いしてんのかしらねぇけどさ。俺、初心者じゃねぇし」
「うんうん。けど、ボヤいてたじゃん。対局したいーって。ちょうど、私もそう思ってたんだ。どうかな?」
思いっきり流された。恐らく、向こうは強がりで否定しているとか思ってそうだ。思わずため息をついた。
「それは否定しない。けど、碁会所に行く金は……」
「オッケー大丈夫。おねーさんに任せなさい!じゃじゃーん。マグネット囲碁。これで適当に公園でも行ったらいいでしょ?」
「あー。まァ」
否定し続けるのも面倒だ。久しぶりに懐かしい顔に会えたのもある。対局したいのも事実。このまま流されて一局打てば直ぐに実力に気づいて貰えるだろう。
肯定の返事を聞き出せた奈瀬は、そのまま先導して書店を出て行く。ヒカルも後ろを付いていく形で歩き出す。そのまま暫くして小さな公園までやってきた。
ベンチに隣同士に腰掛けると、間にマグネット囲碁を置く。簡易ながら、これで対局の準備が整った。
「さてっ、せっかくなんだし。自己紹介ね。あたしの名前は奈瀬明日美。ね?君の名前聞いてもいい?」
「俺の名前は進藤ヒカル」
「じゃあ、進藤君。石は何個置く?」
「だーかーら。置石なんていらねーよ。ってか、呼び捨てでいいぜ。君とか気持ちわりぃってば」
初対面だからだろうか?気を遣っての君付けかもしれないが、奈瀬に言われると違和感しかない。即座に呼び捨てを希望する。
そして、ヒカルが心底嫌そうに言ったのが通じたらしい。今度はキョトンという顔をしている。しかし、ふと思いついた様な顔をして奈瀬は口を開く。
「ふーん。じゃあ、進藤って呼ばせて貰うね。あくまでも初心者じゃないって言うのは分かった。けど、私。こう見えて強いよ」
(知ってる。院生だもんな。二歳上だったから今は…中学二年生か…)
思わず言いたくなる気持ちを抑えた。しかし、ヒカルが即座に奈瀬が強いということに対して反論を言ってこなかったのが意外だったらしい。今度は目を瞬いている。
「別に女だからって碁が弱いなんて思ってねーよ。単純に俺が強…──」
「進藤、偉い!分かってるじゃん!」
途端に華やかに笑ってみせる奈瀬。ついでと言わんばかりに背中を力いっぱい叩かれて痛みが走る。
「おい、奈瀬。いてぇって!」
「……アンタ、年下の癖に呼び捨てってどうなの?」
先ほどの上機嫌はどこへやら、途端に呆れ顔になってこちらを見てくる奈瀬に表情が変わりすぎと思いつつも反論する。
「別に。悔しかったら、対局で勝ってみれば?」
ヒカルとしては奈瀬は奈瀬。既に呼び方が定着しているので、今更別な呼び方をするつもりはない。ヒカルが君付けで呼ばれて違和感を感じた様に、『奈瀬さん』呼びなんて気持ち悪いに決まっている。
「随分と言うじゃないの。けど、私が強いのは事実なんだし置石は譲れないんだけど」
「俺だって強いさ」
「えー」
「えーじゃねぇっての」
「…………」
「…………」
お互いに強情らしく無言になっても両者譲る気配がなかった。しかし、奈瀬はこのままだと延々と話が進まないと踏んだらしい。妥協案を出してきたのだ。
「じゃあ、進藤。この詰碁といてみなさいよ。アンタがもし本当に強いんなら解けるでしょ?」
奈瀬がマグネットの碁石を盤面に並べ始める。しかし、それが出来るや否や、ヒカルは即答していた。
「へぇ……。あ、ここだろ」
「は、はやっ」
奈瀬が大きく目を見開いて驚く。純粋に驚かれて気持ちが良い。ニヤリと笑えばムッとした顔でムキになられた。
「あれは、単なるウォーミングアップ!これならどう?」
「はい、ここね」
「…………」
呆気に取られた顔。これまた気持ちがいい。
「ま、まだまだ。今度は難しい問題よ。さっきとかのと違って、そう簡単には……─」
「んー。そんなに難しいって?なんだ、ここじゃん」
「…………」
連続して詰碁の問題をあっさりと解いてみると奈瀬が急に頭をかきむしり始めた。
「んもーなんなの?なんであの問題をあっさり解けてんの?意味分かんない!」
「意味分かんないもなにもないだろ?だって、言ったじゃん、俺は強いんだって」
「……ホントに進藤ってば強い訳?」
「そーだって言ってるだろ?」
そこまで言い募って漸く奈瀬の誤解はとけたようだった。見る見る赤面していく。
「うわっ、私って相当変な誤解しちゃった……」
「やっぱり最初、初心者っての否定したのに信じてなかったんだな」
「うっ、ごめん。進藤……」
素直に謝ってくれたからよしとしよう。そう思ったものの、ふとイタズラ心が沸いた。奈瀬ばっかり問題を出すなんて一方的だよな?という気持ちになったのだ。
「いいよ、別に。ただし、これ解いてみろよ」
マグネットの碁石を操り、盤面を白と黒で埋めていく。手を淀みなく動かし、目的の通りに作り上げる。それを見た奈瀬の目が点になった。
「……え?」
「いや、え?じゃないって。ほら、どーしたんだよ。強いんだろ?だったら即答できるよな?」
「う。いや、それはそうなんだけど。え、いや。まじ?いやいや、ちょっと待って!!」
焦りながらも、意識を切り替えたらしい。顎に手を当てた奈瀬が真剣な表情で碁盤を覗き込む。さて、解けるのか?ニヤニヤしながら相手が悩む様子を見る。
数分時間が経過したものの、最初の姿勢から微動だにしない。必死で頭を動かして考えている様だった。時々、唸っているのが少しポンコツっぽくて面白い。
しかし、それから更に時間が経過しても答えが出る様子がなかった。ついに
「はいっ。解けた!」
「で?どこだよ?」
「ここっ!」
「はい、ハズレー」
「えええええええええええ!そんな嘘でしょ?」
「嘘じゃない。残念だったな」
ドヤ顔で、ハズレを告げてやれば、奈瀬が絶叫する。その様子が面白くてヒカルは笑った。奈瀬は悔しくて仕方ないという表情をしている。
打った場所に対しての解説を入れてやると、奈瀬が頭を抱えた。「本当に違ったし……」とボヤいている。どうやら凄く自信があったらしい。
「ギブアップする?」
「待って!ちょっと待って!」
「へー。ちょっとでいいのかよ?」
「ぐっ……もう暫く待って下さい」
「宜しい」
あれやこれやと必死に考えている様だ。奈瀬のリアクションは見ていて楽しい。しかし、空を眺めてみるとどうやらそこそこ時間が過ぎ去っている様だ。
「奈瀬、時間切れ。答え言うわ」
「待って!お願い。本当にもうかなりイイ線までいっているの!」
「うーん。じゃあ、今日は土曜だし。また来週にしようぜ。月曜日、本屋で会った時間にこの公園でってのは?」
「うん、それまでに考えとく」
「ん。じゃあな、奈瀬」
「バイバイ。またね、進藤」
そうして奈瀬と公園で別れた。だから、進藤ヒカルは知らなかった。奈瀬がずっと悩み続け、日曜日の院生にまでこの詰碁の問題を持ち込み答えを考えていたことを。──…そして、それがいつものメンバーたる伊角や和谷に見つかり、そこから発展し、院生中の間で話題になるなんてことは予想がつかなかったのである。