今か今かとその時を待つ人々の熱気で、今俺が居る会場は間違いなく一つになっていた。
薄暗い照明。隣に居る担当アイドルの顔もしっかりと確認できないほどの空間の中で、346プロのロゴだけがその存在を世間に改めて知らしめるかのように静かに頭上でくるくると輝いている。
「Pタン」
ふと名前を呼ばれそちらを振り向くと、既に臨戦態勢の結華がこちらを心配そうに見つめていた。
「ん、どうかしたか?サイリウムの調子でも悪いか?」
俺は自分の内心を悟られないようにと誤魔化すように冗談を口にする。
「朝しっかり確認してきたからばっちりですー!アイドルオタ歴何年だと思ってるのさ。その辺は三峰にはぬかりないよ!?」
両手に2本ずつ。計4本のサイリウムを手にブンブンとこちらへとオーバーなリアクションを見せつける。狭い空間でそんなに動かれると正直うっとおしいんだが……。
「で、大丈夫?」
ふと、先ほどまで騒がしかった結華の両目が俺をピタリと捉えた。
「だ、大丈夫って何がだよ……」
情けない。自分でも声が震えてるのが分かる。
「緊張してるんでしょう?」
「……お見通しか?」
担当アイドルだから分かるのか、三峰結華だから分かるのか。
彼女の指摘を受けて改めて俺の背中を冷たい汗が伝わっていくかのような感覚を受ける。季節は秋とはいえ、この会場の熱気の中そんなことがあり得るわけがないのに。
「怖い?」
結華はどうやら今の俺の感情をそう見抜いたらしい。
「ちょっと違うかな……」
そうだ、今俺の胸の内をじわじわと締め付けてくる感情は、これは恐れというよりも……。
「焦り……かな」
「……焦り、ねぇ」
結華が噛みしめるように俺の言葉を反芻する。
「……そっか。でも、今だけは楽しんで欲しいな。私の為にも、そして、菜々さんの為にも」
菜々さん。結華は大切そうにその名前を口にした。
「菜々と何を話したんだ?」
開演前、結華は菜々に会ったと口にしていた。その時にいったいどんな会話が繰り広げられていたんだろうか。かたやトップアイドル。かたや駆け出しの低ランクアイドル。二人の間に一体どんな言葉が交わされたのか気になった。
「それはね、内緒」
そう言うと結華は悪戯っぽく笑った。……そんな表情も出来るのか。そういう仕事もありかもしれないな。
「でもね」
職業病に思考が引っ張られかけたところに彼女の声が突き刺さり、思わず俺の視線はそんな結華に釘付けになる。その目は真剣そのもので、どこか消え入りそうな俺の気持ちをしっかりとここに繋ぎ留めてくれていた。
「でもね、菜々さんの想いだけは感じ取って欲しい。私の辿り着いた先を見ていて欲しいって。そして、私の決意も少しだけでも齧ってくれると嬉しいな」
先ほどの緊張感が一気に溶けていく。それぐらいに目の前で笑う結華の笑顔はアイドルだった。
「菜々の……想い」
「うん、三峰は菜々さんの姿を目に焼き付けなきゃいけないんだ」
結華の台詞と重なる様に会場を震わせるかのような歓声が上がる。
シンデレラたちの舞踏会、その幕が上がったのだ。
「いやぁ、人違いだったらどうしようかと思いましたよっ!」
そういって目の前のウサミンはテレビでよく見せる照れ臭そうな顔を浮かべた。
「え、えっと……」
言いたいことはいっぱいある。開演前だけど時間は大丈夫なのかとか、今日のライブ楽しみにしてますとか、どうしてここにいるんですかとか。あ、それは今日の出演者なのだから当然か。
それよりもなによりも、私が一番言いたいのは……。
「どうして私の名前を?」
これに尽きる。仮にも同じ業界。同じ職業の人間だ。知っていても、おかしくは……。いや、でも方やトップアイドル、そして対する私は何処にでもいる駆け出しアイドルだ。
「あぁああいきなりごめんなさいっ!びっくりしますよね!?」
そりゃいきなり名前を呼ばれたらびっくりするけど……。
「ショッピングモールでのイベント見てましたよ!」
そう言って彼女は目の前でぴょんぴょんと可愛く跳ねて見せる。いちいち仕草が可愛いなこんちくしょう。これがトップアイドルかっ!
「って、あの会場に居たんですか!?」
思い返すのはもう数か月も前の出来事。
三峰結華のアイドル譚、その歴史的一ページにしっかりと刻まれている出来事だ。
「偶然だったんですけどねぇ~。あそこ、近所ですから」
なるほど、あの会場に……。私の拙いMCはトップアイドルの目にはどう映ったんだろうか。
「ってぁああああ!違いますよっ!ナナの地元はウサミン星ですから!たまたま乗り換えで降りたんですっ!」
乗り換えって、あそこ最寄駅から車で10分以上離れている郊外なんですが……。って今更な話か。
「……お決まりのネタなんですか?」
「ネタって言わないでっ!?」
なんというか、こうしてトップアイドルを目の前にしても平然としていられる辺り私も成長したなぁ。なんて目の前のシンデレラガールを見ながら冷静になる私。だんだん業界に毒されてきたな。
「お時間とか大丈夫なんですか?」
近くの壁掛け時計は開演まで1時間を切っていることを告げている。
「あー、ナナの出番は後半の方なんで問題ないです!それに、結華ちゃんにはどうしても伝えておきたいことがありまして……」
「私に伝えておきたいこと……ですか?」
「ええ」
ふと、真剣なウサミンの視線と私の視線が重なる。
ドキッとした。いつもステージ上で楽しそうに笑っているウサミンのそんな目を初めて見たからだ。
「アイドルを、諦めないでくださいね」
「そんな……」
そんなことあるわけがない。
アイドルを始める前の私だったら、間違いなくそう即答できた。
でも、今はそれに即答できない自分が居る。
それが、たまらなく悔しかった。
「アイドルに大切なものって何だと思いますか?」
突然、私の胸の奥をガツンと殴られるかのような言葉が飛んでくる。その質問は、ここ最近ずっと見えないトンネルの中で彷徨っている私にはあまりにも響くものだった。
その答えが欲しくて、私は手を伸ばそうと足掻いている。
「ウサミンは……菜々さんは、それを知っているんですか?」
「はい、私は持っていますよ」
「じゃあ」
ぜひ教えてください。そう言葉を続けようとする私の言葉は、菜々さんの突きつけられた手のひらによって遮られた。
「でも、この答えに正解はありません」
正直意味が分からなかった。正解がないってどういうこと?
「結華ちゃん」
名前を呼ばれてはっとなる。気づかないうちに私は下を向いていたようだ。
「アイドルっていうのは、生き様なんです」
「……アイドルは、生き様」
「はい、346プロもそうですけど、アイドル業界は戦国時代。沢山のアイドルたちが明日のトップアイドルを夢見て頑張っています。ナナもまだナンバーワンにはなれてませんからね!まだまだ頑張っちゃいますよー。なんたってこの業界には……春香ちゃんが居ますから」
春香ちゃん……。地元に居た時に何度もテレビで見た、そして何度も憧れたアイドルの名前。まさかこんなところでこんな人から名前を聞くことになろうとは。
「だから、結華ちゃんは結華ちゃんだけの生き様を見つけてください。それがトップアイドルへと近づける一歩かもしれませんね」
生き様……。生きる様……。どういうことなんだろう。
「ごめんなさい……いまいち分からなくて」
「あはは……そうだと思います。私も、これに気づくのに何年もかかってしまいました」
菜々さんが何年もって、そんなの私なんかが分かるわけない。
「いつか気づける時が来るんでしょうか」
「ええ、きっと。いや、必ず来ます」
必ず。菜々さんは自分に言い聞かせるように何度も必ずと繰り返す。
「理解するのと、本当に気づけるのは違います。頭の中では分かっていても、心が本当にそう思ってくれるとは限りません。でも、その時が来たら、きっと今まで以上にアイドルとしての世界が広がります。私がそうでした」
まるで恋心を自覚したときのことを思い返すかのように、菜々さんは照れ臭さとも幸福感ともいえない笑みを浮かべている。
今、私の目の前には、確かに夢を追いかける少女の姿があった。
「どうして、そこまで菜々さんは断言できるんですか……?」
私に何かしらの秘めたる力を感じた……なんて都合のいい展開があるわけじゃない。菜々さんはどうしてそこまで力強く、私にその時が来ると言い切れるのだろうか。
「だって今、貴女の隣にはトップアイドルと一緒に歩んできたプロデューサーさんが居ます」
菜々さんの笑顔は、どこか寂しそうだった。
全く、うちのPタンはどこまで罪な男なんだろうか。トップアイドルにこんな表情をさせることが出来るのは世界中どこを探してもあの人ぐらいだろう。
「私にそれを教えてくれたのは、ナナがウサミン星人であり続けてもいいんだって教えてくれたのはあの人ですから。私に私らしい生き方を、私らしいアイドルを教えてくれたのは、あの人です」
うちのPタンが安部菜々の元担当プロデューサーだということは本人から直接聞いている。けれども、こう本人から改めて言われるとやっぱりそうなんだって感情が湧いてくる。
そんな人が私の今の担当。
「でも、なんかあの人今もどこかで立ち止まってるみたいですからねぇ……」
そういって苦笑いを浮かべる菜々さん。私の知らない、プロデューサーと菜々さんの関係がそこから見えてくる。なんかちょっと妬けちゃうな。
「全く、何でグジグジ悩んでるんでしょうか。これは一発ぶん殴ってやらないと気が済まないですねぇ」
菜々さんは小さな手で握り拳を作ると何もない空間に向かってブンブンとその手を振り回している。何と言うか、可愛い。
「だから、プロデューサーさんに結華ちゃんから伝えてもらえませんか」
「……伝えるって、何をですか?」
「見ててくださいって」
「見てて……」
「はい、ナナの辿り着いた先をちゃんと見ていて下さいって。それがナナのキツーイ一発ですっ!」
先ほどがむしゃらに振り回していた手を体の前で小さく組むと菜々さんはファイティングポーズをこちらにとった。
「ちゃんと、お伝えくださいね!」
お茶目な仕草を見せながらも、菜々さんの目はしっかりと私を捉えて離さなかった。心を掴んで離さないその両目。私が憧れ、羨んだその視線が今は私だけを捕まえている。
Pタンへのメッセージを伝えながらも、その目は同じことを私にも伝えようとしている。
「アイドル安部菜々の生き様を、見ていてくださいね!」
「愛梨ちゃんすごいね……」
「確かにあれはシンデレラガールだな」
ライブも中盤。4時間の予定のライブも半分が過ぎ、十時愛梨の出番が終わったところだ。先ほど口にした通り、十時愛梨のパフォーマンスは圧巻の一言だった。
ダンスや歌ももちろんだが、会場全体を煽るのがとにかくうまい。彼女の曲が流れる5分間だけ、確かにこの会場に集まった2万人が、間違いなくあの時間の間彼女だけの虜だった。
「あれが、トップアイドル……」
結華が小さく呟くのが聞こえる。先ほどまで会場と一体になって盛り上がっていた姿とは裏腹に、今は何処かあっけに取られているのが見える。
「どうした?」
「いやぁ、アイドルになってみて初めて分かる凄さというか……。なんか、今までは単純にサイリウム振るだけだったけど本当に見る目変わるというか……」
『そのとき空から、不思議な光が降りてきたのです』
結華に何と声を掛けようかと逡巡している傍からこれだ。
『それは……ナナでーっす☆』
「来たね、Pタン」
何度も耳にしたイントロ。久しく耳にしていないはずなのにどうしてこんなにも胸を締め付けられる思いがするのだろう。
「菜々……っ」
「Pタン!」
思わず目を背けようとする俺を、結華の声が叱咤する。
「目を背けるのはやめて。私もしっかり胸に刻むから。菜々さんの、生き様」
「生き様」。結華がそう表現したそれは、それはあの土砂降りの雨の日に菜々が俺へと語った言葉の中に含まれていたものだった。
アイドルは私にとっての生き様。彼女はそう口にした。
「あれが、菜々さんの生き様……」
大きなステージで小さな姿で懸命に動き回る菜々は、間違いなくアイドルだった。一挙手一投足にファンが呼応し声を上げ、それに応えるかのように菜々も精いっぱいの笑顔とパフォーマンスを振りまく。
他の誰でもない、安部菜々にしかできない舞台がそこにはあった。俺と3年の間作り上げてきたステージの向こう側が、そこには広がっていた。
俺たちの歩んできた道の先、俺たちの目指したステージ。
「菜々は、ちゃんと辿り着いたんだな」
俺の信じたウサミンは、俺の信じた安部菜々は何も間違ってなかったんだってそれをこうして俺に証明するために。
「Pタン。菜々さんきっと待ってるよ」
隣の結華が小さく呟いた。一度諦めてしまった俺を。キラキラの大舞台から逃げてしまった俺を、彼女はまだ……。
「待っていてくれるかな」
コツン、と小さく音が鳴った。見れば結華の小さな握り拳が、俺の胸を打ち付けている。
「それは分かんない。でも、もしPタンがそこに行きたいというのであれば、その時は菜々さんじゃなくて三峰が隣に居たいな」
ステージ上の菜々が力強くアリーナを指さした。それが偶然にも俺を指さしているように見えて、なんてのはライブ特有の今俺の方を見た的な思い違いなのかもしれないけれど、それでもその一瞬の光景が、これでもかというほどキラキラと輝いて見えた。
菜々のソロ曲は多くはない。今日の出演者的に考えるとソロでの出番はこれが最初で最後だろう。
たった一回のパフォーマンス。だけど確かに届いたぞ、菜々の生き様。
彼女にかかったシンデレラの魔法は、きっと12時の鐘を告げることはないだろう。いつまでも、どこまでも眩しく、キラキラと輝いていくんだろう。
「でも、いつか追い付いて見せるからな」
隣の結華を見ると彼女も同じようにステージ上のウサミンを見つめていた。目指そう。その場所を。結華がいつか俺に告げた言葉を現実にするために。
二人、いちばんぼしを追いかけて。
ということでお読みいただきありがとうございました。
今回も誤字脱字等気を付けてはおりますがもし見かけた方がいらっしゃいましたらご指摘いただけると幸いです。
それと、ご感想や評価等頂けると泣いて喜びますのでそちらも良かったらお願いいたします。
相も変わらず不定期更新ですが頑張っていきますので引き続きよろしくお願いいたします。