クリスマスイベのコミュが尊い。
「結華」
深く意識の奥へと沈み込んでいこうとしていた私を、まるで水面へと引きずり上げるようにその声は優しく私の名前を呼んだ。
「……こがたん」
隣には見知った私のアイドル仲間の姿があった。私を呼んだのはこがたんか。
「どがんしたと、さっきから一言もしゃべらんけん心配したとよ?」
「……ごめん。ちょっと考え事してて」
「大丈夫ね?体調悪かとかじゃなか?」
「うん、ごめんね。心配かけて」
私の言葉にいまいちどこか納得をいっていないような表情を浮かべながらもこがたんは小さく私に頷いた。
「こういう時は謝ってばかりじゃなくてもっと別の言葉がよかなー」
それはきっと彼女なりの気遣いなんだろう。ぷぅっと小さく頬を膨らませたこがたんを見て、私は彼女の意図を察する。
「ありがとう、こがたん」
「はい、それでよかたい!」
見慣れたいつもの笑顔がそこにはあった。
「笑顔でおらんば灯織にも悪かけんね!」
「そうだねー!ありがとね、こがたん。今日は三峰、はりきって応援しちゃうよー!」
気合を入れ直して、今日の為に持参したマイサイリウムを握りしめたその時だった。
いくつかの歓声とともに会場全体に鳴り響くのは最近ラジオやテレビで耳にすることが増えたイントロ。
「みなさんこんにちはー!765プロ、春日未来ですっ!一曲だけの披露ですが、今日は楽しんでいってくださいねー!」
フリフリのピンクのドレス。そして満点の笑顔。そこにいたのは最近話題のアイドル、765プロの春日未来ちゃんだ。
「わぁ……可愛か衣装たいねっ!」
「うん~生未来ちゃん。いいもの見れた―!いいぞー未来ちゃーん!」
「……って、結華がいつものアイドルオタクモードに戻っとるたいね。今日は灯織の応援に来たとやけん忘れんごとね!」
「ごめんごめんっ!そうだね、それになんてったって今日は……」
ワンダーアイドルノヴァグランプリ、通称「W.I.N.G」。
今日この場所は、新人アイドルの祭典であるその会場への出場権を得るためのオーディションを兼ねた、合同ライブの会場だ。
「わんだーあいどるのばぐらんぷり?」
「ワンダーアイドルノヴァグランプリ。通称W.I.N.Gだ。その出場権をかけた合同ライブに2人とも出てみないかって話だ」
平日の夕方、私とひおりんは西日差し込む事務所の一角で、Pタンに一枚の書類を手渡されていた。
「あまり聞き慣れない名前ですが、いったいどのようなイベントなんでしょうか。結華さん」
書類を両手で握りしめながらこちらを向くひおりん。
「いや、アイドル関連の事ならとりあえず私に聞くみたいなスタンスどうなの……」
「ってことは、結華さんも知らないんですね……」
「まぁね……」
自分でもアイドルイベントに関しては多少詳しいと自負しているものの、今の名前は正直初耳だ。
「まぁ、結華が知らないのも当たり前だ。今回のイベントはテレビ局といくつかのスポンサーが立ち上げた新しい企画だからな」
「なるほど、アイドル界を盛り上げる新しいイベントって訳だね!」
「まぁ……そういうことなんだろうな」
「いまいち歯切れが悪いねぇ」
「……こういう言い方はあれだが、こういうのは儲かるからな」
「なるほど」
「それに私と結華さんで出てみないかって訳なんですね」
ひおりんは納得いったようで、先ほど手渡された書類の内容にもう一度目を通している。
「で、どういうイベントなの?」
「それについては結華も一緒に書類に目を通しながら聞いてほしい。まず、WINGは新人アイドルの祭典だ。新人アイドルって括りがアバウトすぎて分かりにくいと思うが、イベントの規定では事務所に所属してから1年未満のアイドルに出場権が与えられている」
「なるほど、だからこがたんが居ないのか」
これで私が今日ここに来てからずっと抱いていた疑問が解決した。
「そう言うことだ。恋鐘はもう既にうちの主戦力だからな」
こがたんはこの前バラエティの仕事でゴールデンデビューを果たした。芸人さんたちと一緒にロケに行く企画だったけどこがたんの天然さが良い具合に番組にスパイスを与えていたと思う。
「単独ライブも既に複数回成功を収めているし、恋鐘さんはすごいですね」
ひおりんも納得の表情を隣で浮かべている。そんなこがたんのライブには何度も二人で足を運んでいる。
熱狂的なファンも多いみたいで正直羨ましい。
「それで、出場権っていうのがあるとみんな舞台に立てるの?」
「まぁ、結華の疑問はごもっともだと思うが、そんなに生易しい物じゃないさ。書類の下の方を見てくれ」
Pタンに言われるままに書類の方へと再び視線を落とすと、そこにはいくつかの日付と、その横に聞き覚えのある会場の名前があった。
「これは?」
「WINGの本選出場を懸けた予選会場の日程と場所だ」
「……予選ですか」
「ということは、ひおりんと予選でぶつかっちゃう可能性が!?」
「それはないな」
Pタンは苦笑いしながらそう答えた。
「どうしてそう言い切れるの?」
「あー、まぁ、大人の都合って奴だ」
「大人の都合……ですか?」
「まぁ、お前たちは当事者だし別に隠す必要もないだろうから言うが、WINGに出場するということは、アイドルたちにとっては名前を売るチャンスだけど、それと同時に事務所にとってもチャンスなんだ」
「あーなるほど」
Pタンの言いたいことは理解できた。けど、隣のひおりんにはいまいちピンと来ていないみたいだ。
「まぁ、要するに自分のところのアイドルがWINGに出場してくれるとそれだけで事務所に入ってくる仕事の量が増えるんだよ。箔みたいなもんかな」
「……なるほど、理解できました」
「そうなると当然事務所的には自分のところのアイドルが本選に出場できる確率を上げたい」
「同じ事務所のアイドル同士で予選で潰し合いをさせるわけにはいかないってことだね!」
「流石結華。理解が早い」
なんかそういう事情にすんなり納得が行っちゃう辺り私も業界に染まってきたなーなんてね。
「ということで結華と灯織は別々の日程で予選に出てもらうことになる訳なんだが、そうなると決めなきゃいけないのが……」
「どちらが先に出るかって話だね」
「そう言うことだ」
そうなるとまずは私が年上として先陣を切らなきゃだよね!
「じゃあ私が、」
「私が最初に出ます」
元気よく手を上げようとしたその時だった。私の言葉はそれ以上に力強いひおりんの声にかき消されてしまった。
「灯織が最初に出るのか?」
「ええ、どうしても」
「そうか、結華もそれでいいか?」
「あ、え、えっと……」
そんな逡巡する私を捉えたのは、真剣なひおりんの二つのまなざしだった。
「結華さん。私は結華さんに感謝してます」
「え、いきなりどうしたのさひおりん。私、感謝されるようなことなんて……」
「だって結華さんは、きっかけをくれた人だから」
きっかけ……。きっとひおりんが言いたいのはあの日渡したライブのチケットのことだろう。
でも、あれは偶然私の元へと舞い込んできたもので、元はと言えばPタンへの贈り物だ。
「ライブのチケットのことを言ってるんだったら、あれは、たまたま……」
「でも、あの日結華さんはここで確かに私にチケットを手渡してくれました。結華さん」
ふと、ひおりんの言葉が止まった。その視線は先ほどよりも更に深く私の心を捉えて離さない。
「あの日の答えは、出ましたか?」
あの日の答え。それはきっと、ひおりんが私に尋ね、そして私が答えに詰まったものだ。
『アイドルとはどんな存在で、何が必要なのか』
菜々さんは舞台の上から、その生き様を見せてくれた。アイドル安部菜々という存在の答えを。
だけど、私、アイドル三峰結華の答えは未だに雲の隙間から顔を覗かせてくれそうにはない。
「もしかして、ひおりんは見つかった?」
先ほどの質問から推察するに、ひおりんはきっと見つけたんだろう。その答えを。
「いえ、まだ見つかってはいません」
だけど、私の予想に反して、ひおりんの答えは私が用意したものとは別の物だった。
「だから、答え合わせに行きます。泰葉さん、恋鐘さん、結華さん、そしてプロデューサー。ヒントは沢山あったんです。だから、見つけに行きます。ステージの上からなら、きっと見つかります。だから、結華さん、プロデューサー」
私を捉え続けていたその目が、机の向こうで静かに事の顛末を見守っていたPタンの方へとちらと飛ぶ。
「見ていてください。アイドル、風野灯織のステージを」
「お疲れ様でした!」
「あ、ああ。いいステージだった」
「ありがとうございます!それでは私はこれで!」
春日未来はその華やかな舞台衣装に負けないくらいの満面の笑みをこちらに向けると、そのまま控室へと続く通路へと去っていってしまった。
「プロデューサー?」
ふと名前を呼ばれ、立ち去っていく彼女の背中から隣の方へと視線を移す。
「どうした灯織」
「いえ、出番の前に何か無いものかと思いまして……」
何と言うか、灯織は未だに本番前の緊張が抜けない。
思い返すのは舞台袖で見ていた春日未来と担当プロデューサーの本番前にやり取り。
「緊張、相変わらず抜けないな」
「まぁ、そればっかりはそう簡単には行きませんよ」
少し呆れ顔で灯織が呟く。これには俺も何と言うか罪悪感だ。
「悪いな。こういう舞台になかなか慣れさせてやれなくて」
「そんな、謝ってもらうようなことでは……」
「そうにもいかんさ。さっきの春日未来を見てるとな……」
765プロダクションは昔の小さな新興事務所だったころに比べて今は独自のシアターを構えるまでに成長している。しかもそこでは所属アイドルたちが定期的に公演を行っているって言うじゃないか。文字通り踏んできた場数が違う。
346に居た頃は大手だったこともあり新人アイドルでも小さな箱程度ならすぐに埋まるぐらいの集客も見込めていたが……。
「何を後悔しているのか知りませんけど、今あるもので勝負するしかないんです」
後ろめたい俺の心情を察したのかどうかは分からないが、灯織はどこか吹っ切れたような表情でこちらを見ていた。
「本番前から舞台は始まっている」
「え?」
「私が初めて舞台に立つときにプロデューサーが私に掛けてくれた言葉ですよ」
俺がその言葉を言った場面を思い出そうと記憶をほじくり返す間もなく、灯織は次の言葉を口にする。
「だから、アイドルは舞台袖でも笑顔を忘れない。ですよね」
そう言って笑顔を浮かべる灯織は今までの舞台袖で見た表情の中で、一番の笑顔を浮かべていた。
「私の笑顔、どうですか?」
心が揺さぶられた気がした。いつの間にか、そんな表情が出来るようになったんだな。なんていう言葉は俺の複雑な感情が邪魔をして言葉になってくれない。
「……まだ、どっか固いな」
辛うじて口をついたのはそんなぶっきらぼうな言葉。
「そうですか……精一杯の笑顔だったつもりだったんですけど」
それでも彼女は、俺の言葉にどこか嬉しそうな苦笑いを浮かべるとそのまま俺に背中を向けてしまった。
「風野さん、音出ます!」
近くに居た音響スタッフが舞台袖に響くように声を上げる。それと同時に会場全体に灯織の曲のイントロが流れ出した。
「行ってきます」
「ああ、楽しんで来い」
「はいっ!」
たった一曲だけの出番。それでも、アイドルが翼を得るのに十分な時間であることを俺は知っている。
菜々が俺に教えてくれて、そして今灯織がまたそれを再び俺に教えてくれようとしていた。
「はじめまして、283プロ所属アイドル、風野灯織ですっ!短い間ですが、皆さんに笑顔を届けられるように精一杯がんばりますのでよろしくお願いしますー!」
今回の出場者の中ではある程度名は知れているのかもしれないが、灯織はまだまだ駆け出しの新人アイドルだ。
いったい客席の中でどれだけ灯織のことを知っている人がいるのだろうか。
そんな中で灯織は、自分を、アイドル風野灯織を精一杯に表現しようとしている。
「灯織……」
彼女の名前を思わず呟く。その時の俺の感情は、嬉しさなのか寂しさなのか。
灯織の空気に触れ、少しずつ会場の空気は灯織に呑まれていく。
拙いコールは気づかぬうちに一つになり、先ほどまでちらほらと赤とピンクの中間色がちらついていた客席は今や一面の青に染まっている。
これが灯織のステージ。灯織にしか出来ない舞台だ。
「俺の気づかないうちに、そんな顔もできるようになったんだな……」
視線の先の灯織は、今まで見てきた中で一番キラキラと輝いていた。
「課題の答え、ちゃんと見つけられたんだな」
上手く力になってやれずに正直不安だった。
でも、俺が見てきた小さな雛はその翼を精一杯に広げて、ステージの上で、そしてアイドルという世界で大きく羽ばたいている。
成長してくれて嬉しい。アイドルとしての答えを見つけてくれて嬉しい。
そんな俺の想いとは裏腹に心の中には小さな感情が渦巻いて消えてくれない。
そうか、またアイドルたちは俺の知らないところでいちばんぼしへの階段を昇っていくんだな。
ということでお読みいただきありがとうございました。
今回も誤字脱字等気を付けてはおりますがもし見かけた方がいらっしゃいましたらご指摘いただけると幸いです。
それと、ご感想や評価等頂けると泣いて喜びますのでそちらも良かったらお願いいたします。
クリスマスコミュ、エモエモのエモじゃありませんでした!?ユニットを超えた掛け合い、楽しかったです!
相も変わらず不定期更新ですが頑張っていきますので引き続きよろしくお願いいたします。