キュッキュッという乾いた音だけが静かなダンススタジオに響き渡る。
「ふっ、っくっ、っぁ」
私しかいない静かな空間。西から差し込む夕日だけがまるでお情けのスポットライトのように部屋の中央の私を寂しく照らしている。
「こんなんじゃ、だめだっ!」
脳裏をよぎるのはひおりんの姿。ステージの上で、キラキラに輝いて会場全体を飲み込んでいったその姿に、私は確かに翼を見た。
どこまでも奇麗に、そして力強く羽ばたいていく翼の姿。
そんな彼女と違って今目の前にいる自分はどうだ。
「足元にも……及ばないよ……」
スタジオの一面に張られた大きな鏡。そんな鏡の真ん中に見えたのはちっぽけな少女の姿。
翼を持たない、ただ星に憧れる少女。
ただの三峰結華、自分自身の姿だった。
「……足りないっ。……こんなんじゃっ、足りないよぉ」
私は鏡越しの私に向かって言葉を吐く。目の前の私は今にも泣きそうな表情をしていた。
キラキラの世界に憧れ、手を引かれるように入ったアイドルの世界。憧れていたアイドルたちみたいに輝きたくて、でもその輝き方が私には分からなかった。
菜々さんみたいに、そしてひおりんみたいに……追いついて見せるからって誓ったのに。
「あ、もうこんな時間……」
気づけば既に時刻は夜7時を回ろうとしていた。今日は事務所が遅くまでスタジオの時間を押さえてくれているとはいえ流石にそろそろ帰らないとだ。
電車の時間を確認するために私は隅へと追いやっていた鞄の中からスマートフォンを取り出す。そんな時だった。
ピコン、と聞き慣れた通知音と共に一件のメッセージの受信履歴がそこにはポップアップで表示される。
『今から行くけん。恋鐘』
「えっ、今からって、えっ!?」
思わず驚きの声を上げてしまう。何と言うか唐突過ぎないかな。それに今日私がここにいることは知らないはず……。
「今からって今ったい!」
そんな時だった。聞き慣れた声がスタジオ内に響き渡る。慌てて声の主の方へと振り返ると、そこにはスタジオの入り口でこちらにビシッっと指を突き立てるこがたんの姿があった。
「いや、何してんのさ」
「ふっふっふ……迷える子羊に愛の導きたい!」
「意味が分からないよ」
「……」
「……」
「ふふっ」
「はははっ」
意味もなくお互いに声を上げて笑いあう。何と言うか、さっきまで悩んでたのが馬鹿らしく思えてきた。それぐらい彼女の笑顔には元気を貰える魅力がある。
「で、ほんとにどうしたのさ突然。今日私がここにいるって言ったっけ?」
「うちは超能力者やけんね~結華の場所なんて一発でわかるったい」
こがたんは私の隣に座り込むとそのまま大の字に床へと寝ころんだ。
「こらこら女の子がそんな恰好しないの」
「今は結華だけやけん問題なかもん~」
横になったせいか余計に主張するその二つのお山が恨めしい。神様は今日も理不尽だ。
「で、結局のところ真相は?」
こがたんが超能力者じゃないことぐらいまるっとお見通しだ。何か理由があることぐらいわかる。その理由が分からないけど。
「事務所の今日のスケジュール盤」
こがたんの言葉で思い出すのは事務所に置かれた大きなホワイトボード。カレンダー形式になっているそれにはアイドルたちの一か月の予定が書かれている。
「今日の日付、結華のところ空欄になっとったとよ。そして事務所の貸しスタジオの予定帳確認したらこのダンススタジオば9時まで貸しきっとったやろ?」
予定帳……確かそんなものもあったりしたなぁ。Pタンから以前聞いた話だと、この辺は芸能事務所が多いからこういうダンススタジオは予定が無くても事前に予約を入れておくものなんだとか。そうじゃないといざ使おうとしたときに本当に空きがないらしい。
まぁ、その分使おうが使うまいが料金は発生しているらしいけど……これはこがたんとひおりんのおかげで事務所が潤ってきたおかげかな?
「で、それだけだと私がここにいる理由にはならなくない?」
「……灯織のステージの最中、結華一つも声を上げんかったとよ。いっつも精一杯応援ばしよるとに。そいだけあのステージには結華の心を動かすなんかがあった。そいがなんかまではうちは分からんけど、結華やったらそのステージの直後のオフにダンススタジオが空いとったら行くとやなかかなって。……あっとる?」
一つ一つ紡がれていくこがたんの言葉。その度に私の心にいろんな感情が沸いていくのが分かった。心配をかけて申し訳ないとか、ここまで来させて手間をかけたとか、それよりもなによりも、そこまで私のことを想ってくれて……嬉しかった。
「……こがたんは名探偵になれるよ」
「泣いとる子に言われても嬉しゅーなかよ」
「ごめん」
「はいはい。……結華」
ふと隣のこがたんが立ち上がるとその場で軽くステップを踏んだ。
「今のステップどがんね?」
すらりと伸びたスタイルのいい体が部屋の中央で大きく動く。その姿は、なんというかお世辞にも奇麗とは言えない。
「相変わらずダンスは苦手そうだね」
「そがんとよー、練習してもいっちょん上手くならんと」
それを今唐突にやりだしてどうしたんだろう。
「結華。ダンスが上手ならダンサーになればよか。歌が上手かなら歌手になればよか。うちたちがアイドルやっとはね、アイドルやけん出来ることがあるけんよ」
アイドルだから……出来ること。
「アイドルにできることはね、自分っていう存在をステージの上で魅せること」
「自分という存在……」
「うちが憧れたアイドルはね、ドジで歌もダンスも上手じゃなかったけど、誰よりもステージを楽しんどって、誰よりも仲間ば大切にする人やった。うちはその人に憧れて長崎から上京したと。やけんね結華。なんば悩みよっとかは知らんけど、結華は結華のまま、ステージばめいいっぱい楽しめばよかとよ」
「私は私のまま……?」
「そう、結華は応援してくれとる人の気持ちがよくわかるやろ?」
そりゃそうだ。アイドルのライブなんて何回行ったかももう数えきれない。客席からそのステージを見上げた数は幾重にも上っている。
「ステージは一人で作るもんじゃなか。灯織のライブだってそう。あの時は灯織の空気に飲まれて会場が一つになった。それなら今度は結華の方法で会場を一つにすればよかったい。アイドル三峰結華はここにいるぞーってみんなに見せんばね!」
「……私は、私でいいんだ」
「そう、こんだけ沢山アイドルがおって、それぞれに応援してくれとる人がいるのはその人が魅力的やからたい。だけん結華も結華でぶつかればよか。結華らしさば魅せればよかよ」
私……らしさ、か。
誰かみたいに上手くならなきゃ。誰かみたいに奇麗にならなきゃ。そればかり考えていた。
違うんだ。菜々さんの言っていた「生き様」っていうのは、自分らしさっていうことなんだ。自分がこれまで積み重ねてきたもの。自分がこれまで生きてきた全て。それが自分というアイドルを作り上げていくんだ。
菜々さんのあのステージには、菜々さんの生きてきた世界が詰まっているんだ。辛い時も、悲しい時も、楽しい時も、嬉しい時も。その全てがそこにはあった。
そしてそんな世界の一部にPタンも居るから、菜々さんはあのステージをPタンに見て欲しいってそう言ったんだ。
「結華……?」
黙り込んでしまった私を心配してかこがたんがこちらを心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫だよ。ちょっと吹っ切れた」
「そう、ならこいば伝えても安心たいね」
「え、伝えるって……?」
こがたんは勿体ぶる様に少し間を開けると可愛らしく人差し指を自分の顎に当てた。
「灯織からの伝言たい」
「ひおりんからの?一体何を……」
ひおりんからのメッセージ。私の少し先を歩く彼女の、翼を手に入れた彼女からの言葉。励ましだろうか。アドバイスだろうか。私はこがたんへと先を急かす。
「結華さん、決勝のステージで待ってます」
それだけ言うとこがたんは悪戯っぽくこちらへと笑いかけた。ひおりんからの言葉は私が想像していた生易しい物じゃない。
そう、これは宣戦布告だ。
アイドル風野灯織から、アイドル三峰結華に向けた宣戦布告。
「どう、やる気になったね」
「こんだけされてやる気が出なかったらそいつはもう人間じゃないよ」
待ってろよひおりん。私は私をぶつけるために、すぐにでもそこに向かってやる。
「そいぎん、お腹減ったけんなんか食べてから帰ろう~」
私が闘志をめらめらと燃やす中こがたんがそんなことを言うもんだから、今までの気が一気に抜けてしまった。
「まったく、こがたんは相変わらずだなぁ~」
「相変わらずってなんねっ!?」
「いや、気にしなくていいよ」
「余計気になるたい!」
私は手早く普段着へと着替えるとこがたんに食べたいものはないかと尋ねる。そんな彼女へ「ありがとう」の言葉が伝えられるのはもうちょっと先になりそうだ。
灯織のライブから数日後、恋鐘の付き添いの為に訪れたテレビ局の一角で俺はとある人物に遭遇していた。
「プロデューサーさんはコーヒーでよかったですか?」
「……あのさ、菜々。プロデューサーはよしてくれ」
「あ、ごめんなさい。昔の癖がついつい……」
「もう何年前の話だってんだよ」
「お砂糖だけ入れるんでしたよね」
テレビ局のスタッフでごった返す食堂の一角。大勢の人が行き交うそんな一角の小さなテーブルで俺は菜々に差し出されたコーヒーへとそっと口を付けた。
「この前のライブ、ちゃんと見ててくれました……?その、直接会えなかったので」
この前のライブ。菜々が言っているのはこの前竹内君が招待してくれた346プロのライブのことだろう。
「ああ、見たよ」
「それは良かったです。どうでしたか!?」
目の前の少女、少女って歳では決してないが本人の公式サイトでは少女。は目をキラキラと輝かせながらこちらに熱いまなざしを飛ばしてくる。
「……良かったんじゃないか」
「それだけですか!?」
「他に何を言えって言うんだよ」
ふと、さきほどまでわちゃわちゃと元気よく身振り手振りをしていた菜々がおとなしくなる。
「見ていてくれましたか、菜々の……生き様」
ふと、上目遣いの彼女と視線が交差する。
少し照れくさそうで、それでいてしっかりと芯の通った彼女らしい目だ。
「見えたよ。お前の生き様」
「……そうですか。ちゃんと届いていたのなら何よりです」
「お前なぁ。あんな大舞台をまるで俺だけの為なんかに……」
「あー、それは自惚れです~」
菜々の手が俺の額へと伸びる。
「何するんだよ」
「いやぁ~どこかの誰かさんがアイドルのライブをまるで自分の為のように言ってたものだったので~」
「……言い方をだなぁ」
「……あなたも今は菜々のファンなんでしょう?ファンの為に頑張るのはトップアイドルの義務ですっ」
「……っ」
菜々の言葉は、俺たちの別れの言葉でもある。
「あの時あなたはプロデューサーではなく、もうファンとしてしか寄り添えない。そう最後に言い残して去っていってしまいました」
「昔話は止そうぜ」
「菜々は、今の話をしていますよ」
「どういうことだよ」
「あなたと一緒に歩いてきた時間は、今も菜々に残っているということです。あの振り付けも、あの曲の歌い方も、あのキメポーズも、全部二人で作り上げていったものだから。だからあなたはさっき見えたって言ってくれた」
彼女の人生とまでは言えないが、彼女が346で歩んできた道のりの中には確かに俺が居た。アイドル安部菜々の3年間は俺と共にあった。
「あなたが居なくなってしまっても、そこにいた時間までは消えては無くならない。あなたのやってきたことはアイドル安部菜々の中に、確かに今も生きているということを覚えておいてください」
「…………今も、お前の中に俺は居るのか?」
色々な思いが頭の中をぐるぐると巡っていく。それが俺の思考を邪魔してか、絞り出した声はまるで泣き出す前の子どものように震えていた。
「あなたと歩いてきた道のりは、無駄なんかじゃありません。自信を持ってください。あなたのプロデュースは、確かに私に魔法をかけてくれました」
俺の心を最後まで塞ぎ止めていた堤防が、その言葉で静かに決壊を遂げた。
瞳から流れる水が机の上に落ちていくのを気にもせず、俺はただ菜々のどこか暖かい目をひたすらに見つめているのみだった。
「さて、それでは菜々は時間なので!なんでも売れっ子アイドルですからね!」
「……ああ、悪かったな」
「気にしないでください。大の男の人が泣き出すのなんて初めて見ましたから」
「……忘れてくれると嬉しい」
「それは私の約束を聞いてくれたらにしましょう」
結局菜々は俺の目が乾くまでただ静かに傍に居てくれた。
傍から見たら週刊誌案件だろう。アイドルを目の前にして感極まったヤバいファンか、別れ話をグダグダと撤回してほしい情けない男にしか見えないのだから。
「約束ってなんだ?」
「W.I.N.G。その決勝の審査員に選ばれました」
「……まじか」
W.I.N.G決勝、その審査員は後日発表ということでまだ俺たちプロデューサーにも明かされていなかった情報だが……。これも今の菜々の活躍を見てってところなんだろうか。
「まずは一つ、待っていますよ」
その時見た菜々は、あの雨の日、空からのスポットライトを目いっぱいに浴びながら笑いかけるあの時と同じ表情をしていた。
「結華ちゃんと一緒に、ここまで上がってきてください」
「結華と……?」
唐突に菜々の口から結華の名前が出てきたもんだから俺は驚く。
そういえばライブ前に会話をしたって言ってたな。それに、俺に出会う前に菜々はステージ上の結華を見ていたことを思い出す。
「あの子には、今のあなたが生きています。だから見せてください。今のあなたと歩いてきたアイドルを。あなたがそこにいる理由を」
俺が、そこにいる理由……?
「あなたの今の担当アイドルと、私は同じステージに立ちたい。それが約束です」
それだけ言い残すと菜々は食堂の出口の方へと颯爽と去っていった。去り際の菜々がやたらとかっこよく見えるのは最近テレビでよく口にしている整骨院のおかげか、それとも彼女の生き様ゆえか。
その背中が、俺の折れかけていた心に再び火を灯していった。
まずは一つ、シンデレラが待っている階段を登ろう。結華の出場するW.I.N.G予選のステージまで、後1週間を切ろうとしている。だが、出来ることはあるはずだ。
俺は菜々に、俺と結華の生き様を見せなきゃならない。
ということでお読みいただきありがとうございました。
今回はとあるところからちょこっと言葉等を引用、改変させていただいた箇所があります。私の大好きな言葉なのでここでお礼を言わせていただきます。
今回も誤字脱字等気を付けてはおりますがもし見かけた方がいらっしゃいましたらご指摘いただけると幸いです。
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