「……私がアイドルねぇ」
自宅のベッドに沈み込むように体を仰向けに倒した私は、一枚の紙切れを眺めていた。湿った髪がうなじに張り付くことにちょっとだけ不快感を感じるが今はそれどころじゃない。シャワーで濡れた髪を奇麗に乾かすことを怠るくらいに私は先ほどの出来事について途方もない非現実感を感じていた。
「283プロ……プロデューサー……」
先ほどから指先で弄んでいるそれは紛れもなく名刺であった。アイドルイベントの帰りに突然の夕立に遭遇した私は偶然駆け込んだ軒先で出会った男の人に押し付けられるようにこの名刺を手渡されていた。あの人、アイドル好きなだけかと思っていたけどまさかそんな仕事をしていたなんて。
名刺に書かれた名前を親指で撫でるようになぞると、ふと先ほど男の人と交わした会話が思い浮かんでくる。
『もし君が今の世界からもう一歩踏み出すきっかけが欲しいと思っているのならそこに来てくれ』
踏み出すきっかけかぁ……。
正直今の生活に十分満足はしているつもりだ。地元の福島から東京に出てきて一年が経つ。大学に通いながら大好きなアイドルイベントにも参加して、十分ドルオタライフを満喫しているつもりだ。
「しょーじき、アイドルになる気なんてないんだよねぇ……」
あんな風にちょっと運命の出会い的な感じで声を掛けられても今の私の気分は専らそんな風にはいかない。ずっと憧れていた世界ではある。キラキラしていて眩しくて。そんな世界にもっと近づきたくて、東京の大学を選んだ。だけど、それはあくまでも自分は一人のファンとしてそうありたいと願ったから。そんな私がアイドルになるだなんて正直想像もつかない。明日、断りの電話を入れよう。そうしよう。ベッドの横の机に名刺をほっぽり出す。今日はもう疲れてしまった。まだ部屋の時計は20時を告げる前だというのに私は猛烈な睡魔に襲われていた。
眠りに落ちる直前、部屋に貼ったお気に入りのアイドルのポスターとふと目が合った気がしたのは、多分私が疲れていたせいだろう。
「結華は歌が上手だね!」
気づくとお母さんがこちらに嬉しそうな笑顔を向けながら拍手をしていた。
「うん、私将来アイドルになるんだ!」
年末帰省したばかりなのに妙に懐かしい気分になったのは、きっと今目の前にいるお母さんが随分と若く見えるからだろう。
「結華は明るくて可愛いから、きっと立派なアイドルになるんだろうね」
「えへへ。お父さんやお母さん、みんなを笑顔にするんだ!」
振り向くとこちらも若々しいお父さんの姿が目に入る。
「そうかー!じゃあお父さんもお母さんもしっかり結華のことを応援しなきゃな!よし、アイドルになるためにはアイドルの勉強をしなきゃだな!お父さんと一緒にテレビ見るか!」
「うん!」
ついこないだまで過ごしていた福島の私の実家。そのリビングでお父さんの膝の上でテレビを眺める。そこには画面の向こうでキラキラと輝くアイドルの姿があって……。
「ねえねえ!結華、将来大きくなったらこんなアイドルになるんだ!」
懐かしい夢で目が覚めた。見慣れた天井、見慣れたカーテン、見慣れた掛け時計、見慣れたアイドルグッズ。ここはまごうことなき東京での私の居城である。さっき見たのは昔の夢……。随分とリアルな夢だったなぁ。なんか変な汗かいてるし。
夢なんてすぐに忘れてしまうことが多いのだけれど、どうにも先ほどの夢は鮮明に覚えていてしまう。忘れてしまいたいことほど人ってのは覚えていてしまうものだ。
壁の時計を見てみると時刻は朝七時半を回ったところだった。いつものようにテレビのリモコンを入れて朝のワイドショーを眺める。最新のアイドルの情報を仕入れるのは私にとっては朝ごはんと同じぐらい大切だ。
「あっ、ウサミン……」
画面には自称ウサミン星からやってきた歌って踊れる声優アイドルこと安部菜々ちゃんの姿が映っている。朝の情報番組のエンタメコーナーでインタビューを受けているみたいだ。うーむ、小さい劇場でライブをしていたころから知っているけれどこうしてテレビに頻繁に出てくるようになるとやっぱり嬉しいものだなぁ。子どもが独り立ちしたときの親っていうのはこういう心境なんだろうか。そんな日が私に来るとは到底思えないのだけれど。
『そうなんです!アイドルは小さいころからの憧れで……。「アイドルヒットショー」に出てるアイドルさんがみんなキラキラしていたんです。』
『「アイドルヒットショー」って20年ぐらい前の番組ですよね?菜々さんその時は……』
『あああ違うんです違うんですっ!!ウサミン星では10年前ぐらいに再放送しててっ!』
相変わらず剥がれに剥がれまくっているキャラを今日も笑顔で演じているウサミンが私は大好きだ。
それにしても、小さいころからの憧れかぁ……。
ふと、先ほどの夢の内容が蘇ってくる。あれは、脳が勝手に作り上げた幻想なんかじゃなくて、私の過去の記憶だ。
私だって小さいころはアイドルに憧れていた。テレビの中でキラキラ輝く彼女たちが大好きで、彼女たちみたいになりたかった。だけど、いつしか現実を見るようになってアイドルを目指すなんて到底無理だと諦めてしまっていた。でも、その姿に憧れる気持ちだけはずっと残っていて、だから今こうしてアイドルオタクとして彼女たちを応援している。
『それでは最後に、テレビの前のファンの皆さんに何か一言お願いします』
『はい!私、いろんな人からこうしてアイドルになるのは無理だって言われてきました。いつまで夢に縋りつくんだって。でも、今こうして新しく皆さんに新曲を宣伝できることが私はとても嬉しいですっ!夢はいつか叶うんだって。でも、今回の新曲はまだまだ菜々の夢の通過点にすぎませんっ!ウサミンパワー全開でトップアイドルに上り詰めるまで、菜々頑張っちゃいます!』
『ありがとうございました!そんな歌って踊れる声優アイドル安部菜々さんの新曲は―』
うわっちゃあ……流石にタイムリー過ぎませんかねぇこれ。思わずテレビの電源を切ってしまった。寝起きの時とは違う変な汗が背中を伝っていくのを感じる。
夢はいつか叶うかぁ……。その言葉は今も私に有効なのかな。
そんな私の背中を押すように目に付いたのは昨日寝る前に机の上にほっぽり出した一枚の紙切れだった。
きっかけ……。きっかけ……。このチャンスを逃したらもう二度と訪れないかもしれない。ウサミンだって、最初の一歩を踏み出したときはこんな気持ちだったはずだ。
私は名刺に書かれている住所をスマートフォンの地図アプリに素早く入力すると自宅から事務所までの経路を調べる。ちょっと遠いけど知ったこっちゃない。ウサミン星も電車で一時間だ。
こうして気持ちを切り替えてみるとワクワクとドキドキが止まらない。あれは中学生の時だった。初めて大好きなアイドルのライブに行った時も同じような気持ちだった気がする。
三峰結華、19歳。今日からアイドルになります!
「以上が一週間前の朝の出来事になりますっ」
「いや、流石にそこまで語れとは言ってねぇよ」
平日の昼下がり、大学が早く終わったからと事務所で時間を潰している三峰の熱い(?)語りを右から左に受け流しながらキーボードをリズムよく打ち付けていく。
「ねぇねぇ、もっといいリアクション無いの~!?三峰プロデューサーに構ってもらえなくて寂しいなぁ」
「お生憎とお前は暇でも俺は仕事中なんだよ」
「担当アイドルのご機嫌取りもプロデューサーの仕事なんじゃないの?」
「その担当アイドルがご機嫌になれるように仕事してんだからしょうがないだろう」
三峰がうちの事務所に所属となって1週間が過ぎた。最初は芸能事務所の雰囲気に何やら緊張していたようだが、元々所属アイドルも裏方のスタッフも少ない事務所だったため人懐こい性格の三峰はすぐに馴染んだみたいだ。
昨日は恋鐘と二人で仲良く喋っていたのを目にしている。年齢が同じってのは仲良くなるきっかけとしてこれほどハードルが低いものも無いのかもしれない。
そういえば一昨日は灯織をひおりんだなんて呼んで怒らせていたっけな。まぁ、人との距離感を掴むのが苦手な灯織のことだからそんな態度になっていたんだろうけれど。内心喜んでることに俺は気づいているし、なんなら三峰もその後普通に仲良さそうにしていたから照れ隠しで怒っていたことにちゃんと気づいているんだと思う。あいつのそういう人間観察力っていうのかな、そういうところが長けているのは一種の才能だ。
俺は……そういうの苦手だな。
「急に黙ってどうしたのさ」
「いや、お前はすごいなって考えてた」
「おっ?三峰の隠れた才能にPタンも気づいちゃった?」
「そういうところは減点対象だな。Pタンってのも仕事の場ではよせよ」
「三峰だってその辺は流石にわきまえてるよ。三峰の溢れる才能でPタンの評価はうなぎのぼりになっちゃったり~?」
「うちの事務所は減点方式だから下がることはあっても上がることはないんだよ」
「なんか理不尽っ!!」
ポカポカと痛くない程度に俺の左肩を殴りつけてくる三峰を他所に俺は明日以降のスケジュールを確認するためにスマホを開く。
「そういえば三峰、トークは得意か?」
「いやまぁ、苦手ではないほうだけど……」
「そうか、それならよかった。三峰にぴったりの仕事があるんだ」
「なになに!?いきなりお仕事できるんですかぁ!」
「まぁ、ショッピングモールのちょっとしたイベントの司会なんだけどな。最初は恋鐘にと思ったんだけどラジオの収録と被っちゃっててなぁ」
肩越しに三峰の様子を伺うと何やらうんうんと唸っている。
「なんだ、自信ないのか?」
少し嫌味っぽく振ってみる。
「ご冗談を。自称福島のお喋りマシーンって言われていた三峰だよ。高校でもそりゃぶいぶい言わせていたものだよっ!」
そこに物怖じした様子など一切感じられない元気な返事が聞こえてくる。さすが、俺がスカウトしたアイドルだ。なんてね。
「ぶーぶー言われていたの間違いじゃないのか?」
「それじゃあただのブーイングだよ!」
ついでに言うが自称じゃダメだろう。まぁ、正直この仕事に関しては大して心配はしていない。ここ一週間で分かったことだが三峰は本当によく喋る。はづきちゃんとも、なんならたまに顔を出す社長とすら仲良さそうに会話をしているのをよく見かけている。
「ちなみに何喋ればいいの?」
「まぁ、簡単に言うと物産展のイベントステージの司会だな」
「まじすか!?自慢じゃないけど三峰の高校時代の地理と公民の成績2だよ」
俺よりもいいじゃないか。なんて言葉は俺のプライドの為に心に閉まっておく。滑り止めの私立に受かったから別にいいんだよ。
「台本があるから心配しなくていい。まぁ、実際自分のところの商品をアピールにくる人たち相手に話題を振ったりするだけだからそんな詳しくなくてもなんとかなるさ」
それに、今回仕事を振ってくれたのは昔から懇意にしてもらっている広報さんだ。まぁ、最初の仕事だしあまり気負わずにやってほしい。
「仕事は三日後。大学は確か休みだったよな。詳細は後でまたメールするからちゃんと確認しとけよ」
「はーい!じゃあちょっとだけ勉強しとくね」
「偏った知識と間違った知識だけは身に着けるなよ」
「あいあいさー!」
こうして我が担当アイドルの初仕事が決まったのである。大きなステージなどでは決してないけれど、今はこうしてきちんと一歩ずつアイドルとして前に進んでいってほしい。
ふと、机の上に置かれた小さなカレンダーに目が行く。懐かしいな。確かあいつと初めて仕事をしたのもこの日だった。
「あ、ウサミンだ!」
三峰の声につられて先ほどから点けっぱなしだったテレビの方を振り向く。
『あああ違うんです違うんです!ウサミン星では16歳から飲酒おっけーなんです!』
そこには地方の酒蔵を訪れてインタビューと酒蔵見学をしているウサミン星人の姿があった。ウサミン星はヨーロッパにでもあるのか。それにしても頑張ってるな、菜々。それと、ごめんな。
「Pタン、ウサミン嫌い?」
気づけばこちらを心配そうに覗き込む三峰の顔があった。もしかして俺、なんか不味い顔でもしてたんだろうか。
「そんな顔してたか?」
「うんにゃー。何となく?」
三峰の言葉にほっと胸をなでおろす。どうやらそこまではバレてはいないらしい。相変わらずよく見てる奴だ。
「そうか、ウサミンは大好きだぞ」
「じゃー三峰の気のせいか」
「そうだな」
大好きに決まっている。だってウサミンは俺の一番だったアイドルだから―。
ということで2話でした。
シャニマスと謳っておきながら他事務所のアイドルががっつり絡んでいく展開になると思いますが、そこも含めてこのお話を楽しんでいただければ幸いです。
今回も誤字脱字等気を付けてはおりますがもし気づいた方がいらっしゃいましたらご指摘いただけると幸いです。
また、併せてご感想や評価等頂けると泣いて喜びますのでもしお手が空いているようでしたらそちらもよろしくお願いいたします。
それでは次のお話もできるだけ早く投稿できるように頑張りますのでお願いいたします!