テントを出ていくプロデューサーの背中を見送ると私はイベントステージ脇の小さな控室で見えないはずの天を仰いだ。
テントの中はさっきから降り出した雨が五月蠅いくらいに音を立てている。
さっき言った言葉。
どうしてそんな言葉が私の口から出てきたのか分からない。でも、心の底ではこの一週間ずっと理想と現実のギャップに悩んでいたからそれが勢いづいてしまっただけなんだと思う。
もちろん自分の実力や立場ぐらい弁えているつもりだ。私が理想と現実のギャップなんて表現したことは別に初めてのイベントがキラキラとしたステージで歌ったり踊ったりっていうことじゃなかったとか私のことを見てくれるお客さんがちっともいないとかそういうことじゃない。
きっと私はまだ心のどっかでアイドルというものをどこか遠くに見ているんだ。
こがたんは可愛い。でも何よりも自分はトップアイドルになるんだっていう信念を感じる。自信たっぷりで、明るくて、スタイルも抜群だ。ドジっ子なところもあるけれどそれを自分の武器の一部としてしっかり振舞っている。
ひおりんはかっこいい。クールなように見えて心の中には熱いものを秘めている。誰よりもストイックでレッスンも人一倍打ち込んでるみたいだ。年下だってのにその向上心はとても眩しい。
じゃあ、私は?
アイドル三峰結華には何があるんだろう。
たった十日。それだけなのにみんなからはそれだけのものが伝わってくる。私には一体何ができるんだろう。私は一体何になれるんだろう。
くしゃり、と何かが落ちる音がした。見ると先ほどまでの台本が床に落ちている。
「汚しちゃだめだな、拾わなきゃ……」
季節は春だというのに冷え付いたテントの中で私の独り言だけが寂しく響く。もう使わないだろうことに手を伸ばした途中で気づきながらもやりかけたことを途中で投げ出したくない身としては拾わないのも納得がいかない。
誰もいないことをいいことにもう使わないということに何となく腹が立ち、勢いよくそれを机の上にほっぽりだす。
奇麗に音を立ててスライドしていったそれは水分を含んでくたくたになったその身を無残に広げていた。
「……あ」
そんな無様な台本を一瞥したときに目に入った。真っ赤な線。
台本いっぱいに引かれたそれが目に入る。初めての仕事、初めてのステージ、初めての、アイドル。ページを埋め尽くすように引かれたそれがなんか惨めに見えて私の頬にはいつの間にか小さな雨が流れていた。
どんだけ星に手を伸ばしても、届かないってこういうことなんだな。
雨でぐっしょりと濡れたスーツの重みすら感じる余裕もない程にそこにいた人物に俺は全ての感覚を奪われていた。
「……なんで、……どうしてここに……?」
彼女は笑う。事務所で、移動中の車内の中で、ライブハウスの控室で、そしてステージの上で魅せるその表情で、ただ笑った。
「何言ってるんですか。ここはウサミン星ですよ?菜々の地元です!」
「はは、確かにそうだな」
違う、聞きたいのはそういうことじゃなくて。
「たまたまオフだったんでお買い物に来てたんですよ」
「そ、そうか。ウサミン星人でもショッピングモールで買い物するんだな」
そういうことを俺は言いたいんじゃない。
「まぁ、地元じゃどこかの誰かさんのおかげで少しは有名になりましたから、多少の都合はつくってものです。渋谷とか新宿とか人の多いところは流石にうろつけませんけどね。それよりも」
踏切の対岸ほどあった彼女との距離が縮まっていく。
「ナナ、あなたにかけて欲しい言葉があるんですけど!」
気づけば手を伸ばせば届く距離。二年間逃げ続けてきた距離はあっという間に詰められてしまった。もちろん彼女の言って欲しい言葉ぐらいわかっている。だけど、それを口にしてしまったらまた改めて現実を突きつけられてしまう。そんな怖さがあった。
「見てましたよ。三峰結華ちゃんでしたっけ。初々しいですね。ナナにもあんな頃があったんだと思うとちょっと感慨深いものを感じます。あの頃はあなたと二人いろんなところに行きました。体を張った仕事もやりましたし、悔しい思いも沢山しました」
そうだ、確かにあの頃は忙しかった。けど充実した毎日を送っていた気がする。いろんなところに営業に行って、頭を下げて、CDを手売りして。それも全て菜々をトップアイドルにするために。
「今のプロデューサーさんは他の娘の面倒で手一杯です。あなたがいなくなってから大変でしたよ。お仕事の現場には一人で行くことが増えましたし、ちょっとした相談を聞いてもらう機会も減りました。まぁ、お仕事を取ってきてくださるだけでも十分ありがたいんですけどね。おかげさまで私は今トップアイドルです。あなたと目指した場所に、私はいます」
頭を鈍器で殴られたかのようだった。心臓をナイフで抉られたかのようだった。それだけ、彼女の言葉が自分には突き刺さった。
俺が諦めて、彼女が諦めなかった場所に、今安部菜々は立っている。
「ごめん、俺は灰被りに魔法をかける魔法使いになれなかった」
「それでもナナはシンデレラになれました。ガラスの靴も、奇麗なドレスも、魔法使いと一緒に一生懸命材料をかき集めたおかげで出来たものだと私は信じています」
「でも、俺は逃げたんだぞ!」
俺のおかげ、その言葉が妙に腹立たしかった。俺は彼女をシンデレラにはできなかった。自分の実力のなさ、自分の運のなさ、その全てが情けなくて俺は彼女の前から姿を消した。
「それについてはナナも許してあげません。ナナはあなたといちばんになりたかった。アイドルの世界は戦場です。敵前逃亡なんてもってのほかですよ!」
頬を膨らませた菜々がこちらを見ている。これは菜々が本心から怒っていない時の怒り方だ。あの頃と同じ仕草をするんだな。
「でもあなたはまだこの世界から完全に逃げ切ったわけじゃないんだって、今日アイドルと一緒にいるあなたを見かけて嬉しく思いました」
「ただ、未練がましいだけだ。俺は、ただアイドルという世界に憧れて、縋り続けてるだけだ」
灰被りに魔法をかける魔法使いに憧れているだけの、いつまでも星を見上げて羨ましがってる小さな子どもと一緒だ。
「それでも、それでもあなたはここにいます。あの日私と初めて会った日、あなたがかけてくれた言葉を私は忘れません」
「そんなもん若さゆえの過ちってことで忘れてくれたりはしないよな。正直あんな恥ずかしいこと言うなんて二度とごめんだ。もう前を向くきっかけも薄れてるし、もう一度なんて立ち上がる気力はない。また菜々の前から離れた時みたいに三峰の前から俺は逃げるんだ」
そうだ、あの日三峰に会った時に抱いた俺の想いはきっと気まぐれかなんかだったんだ。俺にもう一度アイドルと一緒に走る気力も体力もない。実力だって元からなかったんだ。
「プロデューサーさん」
菜々が俺を呼ぶ。先ほどまでの言葉よりも何倍もその言葉が鋭く響いた。
「菜々は全力で走りました。あなたと目指した場所へ。あなたに見つけて欲しくて。あなたと目指した場所はこんなにも素敵な場所なんだって、伝えたくて」
小さな体から精一杯の両手を広げて菜々は空を仰ぐ。
「菜々は待っていますよ」
雨はまだ止まない。
「いちばんの場所で、キラキラした星になって」
厚く覆われた雲から薄っすらと光が差し込む。
「だから、早く追いかけてきてくださいね」
あたりを穿つ雨音は客席から鳴りやまない歓声のようで、差し込んできた光は彼女を照らすスポットライト。
田舎のショッピングモールの駐車場の隅っこ。それでもそこは、いま彼女のステージだった。
かけられたのは少しの言葉。なのにどうして俺はこんなに心を震わされるのか。目の前に広がるのは俺が憧れ続けたキラキラの世界。
「っ、うあぁ……」
声にならない声が零れる。あまりにも奇麗で、あまりにも愛おしくて、あまりにもキラキラした姿が、目に焼き付いて離れない。俺はまだ、菜々に近づけるんだろうか。
「久しぶりに会ったのにあの頃と同じ背中をしていたのでびっくりしちゃいました。だから思わず声をかけちゃいましたよ。ナナはナナだけのアイドルになりました。だからあなたもあなただけのアイドルと一緒に歩いてきてくださいね」
背中を向けて菜々が去っていく。その背中にどうしても俺は問いかけたいことがあった。歳に似合わないキャラで、体もそろそろしんどいだろうに無茶をして、それでも笑顔を忘れない彼女に。
「菜々、最後に教えてくれ!」
「まだ、菜々って呼んでくれるんですね」
俺から離れていく足が止まる。
「あなたがナナの担当になって、菜々って呼んでくれるまでに4か月必要でしたけど。あの時も、こんな雨でした」
言われて思い出す。俺が初めて彼女を名前で呼んだ日のことを。それは俺が彼女をトップアイドルにしたいと、強く思った日のことだ。
「ナナがナナである限り、私はアイドルなんです。あなたと作り上げてきたウサミン星人を演じている限り、私はアイドルでいられるんです。アイドルっていうのは、私にとっての全てなんです。生き様なんです。それではっ!」
アイドル安部菜々は、俺だけの前でも、確かにアイドルだった。
行かなきゃな、俺も。進まなきゃな、前に。ただこの瞬間だけは、今の担当の元に。
「菜々っ!シンデレラガール、おめでとうっ!!」
言えなかった言葉も、ちゃんと言えた。
泥が跳ねるが知ったこっちゃない。スーツも、髪も、爪先も、全身をずぶ濡れにしながら雨の中を走り抜ける。
「結華っ!!」
押し込めていた衝動が口から飛び出す。
「うわぁ!びっくりしたっ!」
勢いよくテントの入り口を開いた俺にびっくりしたのか先ほどまで座っていた椅子を勢いよく倒しながら三峰は、結華は飛び上がった。
「ずぶ濡れじゃんPタン……」
「今はそんなんどうだっていいんだ」
自分が濡れていることも気にせず彼女の手を取りテントの外へと連れだす。
「ちょ、雨降ってるって!」
「そんなん今は問題じゃねぇ!お前がアイドルに対してどう思ってるかなんて知らねぇ。他の奴と比べてどうだとか、自分に何ができるかだとか、そんなん気にする必要はない」
雨音に負けないように俺は叫ぶ。
「方向性で悩んだら俺が相談に乗ってやる。不安な仕事なら俺がどこにだってついて言ってやる。俺がお前をキラキラの世界に連れてってやる!だからっ!」
俺はまた進めるだろうか。ただひたすらに、あの頃の時と同じように。がむしゃらに。
「俺と一緒に一番を目指そう!」
フラッシュバックするのは直前に見たシンデレラガール。
「俺に、お前をプロデュースさせてくれ!」
それをお前の生き様で上書きさせてくれ。
いきなり飛び込んできて何を言い出すかと思えば雨の中で一番を目指そうなんて、この人は初めて出会った時から強引なんだから。そんな人に心を動かされちゃった私も私か。
泣きそうな顔でテントから出ていったと思えば、スカイダイビング前の輿水幸子ちゃんみたいな顔で戻ってきてさ。
「もう、いきなり強引だな、Pタンは。私は誰かみたいになったり、何かになったりなんてできそうにない。私は事務所の子たちやステージの上の子たちみたいにキラキラしたものになれる自信なんかないよ……」
それでも目の前のプロデューサーは私の心を離さない。
「何かになる必要なんてない。自分を貫き通せばいつか辿り着ける」
「そんなこと……」
「できる」
できっこない。そう言おうとした私の言葉が遮られる。
「アイドルは生き様。まぁ、とある人の受け売りなんだけどな。その人が歩んできて、その人が目指して、その人が辿り着いて、そうしてキラキラしているものがアイドルなんだ。だから、お前はお前が目指したいキラキラを目指せばいい。そこが結華のアイドルという世界だ」
私が目指して辿り着く場所……他でもない私が。
「……なれるかな、私が」
「してみせるさ、俺が」
真剣な目でこちらを見つめてくる二つの目とふと目が合が合う。この人は、本気で私と一番を目指そうとしてくれてる。
「……なれるかな、一番に」
「してみせる、一番に」
暖かい声だった。力強く背中を押してくれるような。私が倒れないように、支えてくれるような。そんな、声だった。
ふと普段見せない表情に見つめられて気恥ずかしさから私は可笑しさを覚えてしまう。
「っ、ふふっ、さっきのPタン、まるで告白してるみたいだったよ」
「ばかやろう、俺も思い出して恥ずかしくなってきたじゃねぇか」
雨は未だに降り止まない。でも、今はこの雨が不思議と心地いい。五月蠅いくらいの雨音は私が諦めないことを認めてくれるかのような世界からの祝福の拍手に聞こえた。
そんな空の雲の切れ間。遥か遠くに差し込む光に目を奪われ、私の視線は空へと伸びる。真っ暗な空から降る一筋の光。時間的にはもう沈みゆく夕日の最後の瞬間。あんな風に差し込む光をどんなふうに表現したっけ。
「Pタン、あの光何て言うんだっけ」
「ん?」
私が指さした先を追いかけるようにプロデューサーも視線を動かす。
「あー、何て言うんだっけか」
「もう、使えないなぁ」
「お前も似たようなもんだろうがっ!あっ」
私の頭をわしゃわしゃと崩す手がふと止まる。
「どったのPタン」
「見てみろ結華」
ふと名前を呼ばれてドキッとする。ってかさっきから三峰じゃなくなってるし……。急に名前呼びにするのってズルいよね。
そんなことはさておき同じように空を見上げる。夕日は沈み、光は消えたけれどそんな雲の切れ間は少しだけその大きさを広げ、そこから小さくはるか遠くに、だけど力強く光り輝く星が見えた。
「おー、金星だ」
「多分一番星だな」
「キラキラだね」
「キラキラだな」
あんな風に私もキラキラ出来るかな。みんなの近くで、誰よりも最初に見つけてもらえるような、そんな光に、そんな星に。
私らしく、三峰らしく輝いてやろう。
ということで最新話でした。
これからPタンと三峰が前に進んでいくお話、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
いつも通り誤字脱字等気を付けてはおりますがもし見かけた方がいらっしゃいましたらご指摘いただけるとさいわいです。
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次回もよろしくお願いいたします。