何もない真っ白な世界に一人のローブ姿の男が佇んでいた。
陽の光は届かず、風が死に、海は干上がり、ただ平坦な砂の大地のみが惑星全土を覆っている。
此処は広大な次元世界の片隅にある、全てが終わった星。
終わる事など、別段珍しい事ではない。それが世界その物であったとしてもだ。
過去に無数に、未来に無限に。世界の滅びとは、終わりとは定めである。
次元世界に進出する術を持つ事で、人は世界も滅ぶ物だったのだと知るようになったのだ。
誰も彼も、何もかもに運命の途切れる瞬間は訪れるのだと。
この男にとって、それが今だった。
まだ終わってなどいない、まだ終わるなんて出来ない。そうやって自分を騙し続けて漸く辿り着いた場所だった。
既に終わりかけていたこの世界に、完膚無きまでの止めを刺す事を代償に。自分が終わらせるべきと定めた全てに決着を付けたのだ。
『満足したかい、ハナタレ小僧』
全てを終え、例え様の無い脱力感に襲われる男の腕から、一つ宝珠が転がり落ちた。
砂の上にポトリと落ちたそれから発せられる電子音声は、酷く無機質で無感情だった。
「ああ、満足だとも。僕が望み、僕が成し遂げ、今この場所に立つに至ったんだ」
『はん、そうかい。そりゃあ良かったな』
風もないのにユラリと、宝珠は揺れる。それは管理世界における魔導師の魔法発動媒体、デバイスであった。
インテリジェント型に分類をされるデバイスには使用者を補助する為のAIが搭載されている。
会話らしい会話をしようともせず、ただ投げやりに機械に音声を鳴らせるだけのAI。しかし男は、それがAIにとって本来の態度でないのを知っていた。
少なくとも、このデバイスがあの人の手にあった時は。
あの人の娘が、あの人の手からこのデバイスを受け取った時は。
あの人の家族、仲間、友達。その最後の一人が天寿をまっとうしたその時は。
自分とこのデバイスだけが残ったあの時は……まだ、こんなに冷たい声を出す奴ではなかったのだ。
『ハイ・ブラスターとハイパーACSの連続同時使用。世界一つとテメェ自身――――クソ野郎どもを始末する対価としては随分と高く付いたんじゃないのか。ええ、ハナタレよぉ?』
「必要な代償だった。これが最善で、これ以上は望めなかった。だから、これが一番正しかった」
『それは誰にとっての正しさだ? 御嬢か? 御袋か? まさかだが、親父なら肯定してくれた、なんて寝言をほざくのか?』
「僕にとってさ。僕は父さんの様に生き、父さんの様に死にたかった。例え姉さんが、終わりの来ない僕に永遠を願ってくれたとしてもだ」
『……御嬢が今際の際まで心配する訳だ。常人ならもうジジイだって歳にもなって、まぁだ親離れの出来ないハナタレのままとはな』
ドサリと、崩れ落ちる様に男は座り込んだ。
呆れた様にチカチカと点滅するデバイスをのろのろと拾い上げ、手の平に乗せてみる。
このデバイスを持って戦い、自分を救ってくれたあの人みたいになりたかった。
でも、あの人と自分は違い過ぎたのだ。何かを失う事を、誰かの痛みを何時も恐れていた臆病なあの人と、自分は同じにはなれなかった。
自分が傷付くことよりも、大切な人が悲しむ事をずっと恐れていたあの人が。何かを守る時だけに放つ全てを灼き尽くすようなあの輝きに、自分では届く事が出来なかった。
「でもさ、仕方ないじゃない。父さんも姉さん居ないこの時代に、まだ世界をどうこうしようって輩と、死に場所探してその辺ウロウロしてる僕がいた。未来永劫守り抜くとか柄じゃないんだよ、僕は神様じゃないんだからね。なら、こうなるのは当然さ」
前時代の英雄たちは去り、平和に浸る英雄無き世界と、時間に置いて行かれる自分だけが残された。
別に命なんか懸けなくとも勝てる相手に違いなかった。死にかけている今だって、その気になれば蘇生する事など容易い事だ。だが、男にとってそうする意味はもう何処にも存在しないのだ。
不機嫌そうに、イライラとでも言いたげに、手の平で揺れるデバイスへ、男は「大体さ」と言葉を続けた。
「みんな、ズルいんだよ。人には生きてとか、死なないでとか言う癖に。自分たちはあっという間に向こう側さ」
『残れる奴は、残ろうとした。ハナタレ一人残して逝ったところでこうなるのは分かってた事だ。だが、それを受け入れなかったのはお前だ』
「言いがかりだよ、それは。終わりが当たり前の物だって、みんな知っていた。それが不変の事実である事を、父さんが逝ったあの時に、僕ら全員が否応なく自覚した。君だってそうだろう」
『……ああ、そうさ。あの親父でさえ死んだんだ。御袋も、御嬢も、何時か死ぬんだと。人間って奴から死を取り上げる事は出来ないのを、俺はあの時初めて本当の意味で知った。だがよ、ハナタレ。俺が言いたいのはそんな事じゃあないんだよ』
ゆらり、ゆらり、と。デバイスは不機嫌に揺れている。
思い返せば、自分が死に場所を探す様になってから、コイツはずっとこんな調子だった。
常にあの人と共にあり、あの人亡き後はその娘と共に在った。他の人たちのデバイスがそうであったように、こいつも自らの主人を見送った後は、自分でその機能を停止する物だと思っていた。
だが、コイツは今ここにいる。時間に置いて行かれ、最も大切な人からの形見を託す相手もいない自分の所から、どれだけ言っても離れようとはしなかった。
『二代仕えたマスターに先立たれ、最期は馬鹿なクソガキに付き合って消える哀れな俺に何か言う事はないのか? ええ、ハナタレよぉ』
「……ははっ」
つい、笑ってしまった。余りにも馬鹿馬鹿しかったからだ。
結局似た者同士だったのだ。どちらも死ぬべき時に死に損ない、でも先に見切りを付けた男にデバイスは腹を立てていた。
砂の大地に座り込み、空を見上げれば世界の終わりは間近に迫っていた。
元々こうなる様にするために、この世界を選んだのだ。既に崩壊寸前の無人世界に敵を封じ込め、あの人の切り札であったハイパーACSと、一度はあの人を魔導師として終わらせた禁断のハイ・ブラスターシステムを敢えて使用し、諸共敵を屠り去った。
いかに自分が不死であろうとも、こうも消耗した上で一つの世界の崩壊に巻き込まれれば、流石に消滅は免れない。なんならそのまま虚数空間にでも落ちてやれば、より確実な物になるだろう。
割れる大地に寝転び、裂ける空を見上げれば、いよいよ終わりが来るのを待つだけだ。
『本当に良いのか、ハナタレ』
「くどいなあ。死ぬのだって簡単じゃないんだよ、僕は。何百年に一回とかじゃ済まないタイミングだったんだからね、これ」
『やりたかった事とか、思い残した事とか、何でも良い。無かったのか?』
自分と似た物同士には違いなくとも、それでもコイツはあの人の相棒だった。
目の前で死に行く自分に、最後まで納得できないでいる。でも、もう良いのだ。
自分の人生は、あまりに満たされ過ぎていた。尊敬する憧れの人と、その人の事が好きな優しい人たちに囲まれて、本来なら得る事が出来ない筈の幸福な時間をこれでもかという程過ごしたのだから。
だから思い残す事など、何一つ有りは―――――
「ああ……そう、いえば……」
『何だ、言ってみろよハナタレ小僧。冥土の土産くらいにはならぁね』
無機質で、無感動に、でも期待を隠しきれない様に手の中でデバイスが震えた。
言ってしまうのは、大分シャクに感じる。でも一度思ってしまったそれを、口にしないのはもどかしくて。
「……もしもを、何度も考えたよ。父さんが、もっと早くに魔法と出会えたら……もっと早くに、母さんと出会えてたらってね……」
『そいつは……』
「闇の書事件の被害者でなく、現地協力者として関われていれば。母さんと出会ったのがミッドチルダではなく……藤堂尊が高町なのはと出会ったのが、海鳴市だったなら。きっと、何もかも違ったんだ。僕らが父さんの死に感じた理不尽は、別の意味に変わったんだ。高町なのはなら、それが出来たんだ」
空が、崩れ落ちて来た。大地は隆起し体を打ち上げる。
もう少しだ。もうほんの、後少しで来ない筈だった終わりが来る。
『……なら、見に行けばいいじゃねぇか。出来るんだろ? お前ならよ』
「もう、許してくれよ……僕が決めて、今こうして終わろうとしてる。流石にもう、疲れたよ……」
『……そうか。仕方ねえなあ」
「ふふ、悪いね……」
もう少し…………もう少しで―――――
『でもよ、俺……見てぇよぉ、ハナタレェ……親父がさ、もっかい御袋と、御嬢と笑ってよォ……愛想のねえクソガキ拾ってきて、そんでまたよォ……』
「よせって……お前……」
『姉御とか旦那とか、居て……フェイトとかはやてとか、皆まだ若くて、元気でよォ……』
「死ぬ、っつってん、だろ……ク、ソ野郎……」
―――――終わるんだ。終わらない地獄を生きる筈だった自分は、幸福なまま最期を……
『親父が、あの親父がだぜ……? 海鳴にいたら、何か変わっただろ……? 何か一つだけでも……例えばよ……例えばだけどよォ……なあハナタレェ……』
「……テ、メェ……マジで、覚えとけ、よ……ドグサレ、野郎……ッ!」
この瞬間、次元世界において。名も無き管理外世界が一つ消えた。
英雄亡き世に現れた脅威が去った事に人々は感謝し、世界のために戦った名も知らぬ誰かを称えた。
しかしこの時、この時間の中から、一人の名も無き魔法使いが消失した事を、人々は知らなかった。