「で、そこの嬢ちゃんが飛び降りようとして、にいちゃんが掴んだけど、筋力足りなくてそのまま二人とも……ってことで、いいんだよな」
簡単な事情、状況説明を終えて、クラインは脳内で纏めた内容を確認してくる。
コクリと首肯、肯定する。
「あ、はい……それで、合ってます」
少女がいなければ、死んでいたのは俺だった。俺が現れなければ、確実に少女は転落死していた。クライン達が助太刀してくれなければ、俺と彼女は助からなかった。
じゃなければしなければの細い運命の末に、俺と彼女は命を繋ぎとめたのだ。
深く俯き、『一歩間違えれば』の未来を想像して、全身に寒気が走る。
俺の様子を見て、クラインは何故かゲシゲシと頭を掻いた後、照れくさげに頰を人差し指で掻き始めた。
「……まぁ、俺もアイツがいなきゃあのまま立ち尽くしてたかもしれねえし……無理もない、つっていいのかわかんねえけど、仕方ないことなんじゃねえかって思う」
アイツとは誰なのかだとか、聞きたいことはあったけれど。
「で、にいちゃんたちはこれからどうすんだ? このままこの街にこもってるか? それとも……」
––––圏外で戦うのか? そんな、言外の問い掛け。
どうするか、なんてものは、実はもう既に決まっている。
冷静になって考えて、やはり自殺はリスクが大きすぎるとわかる。
自殺せず、尚且つこの世界から一刻も早く生還するためには。
微かに震えの残る拳を強く握りしめて、俺は宣言した。
「ゲームクリアを、目指します」
そうだ。それが最適解。
この恐怖は恥じゃない。この道は間違いじゃない。
恐怖は警戒に。なけなし勇気は、強さへの糧になる。
「俺は……悪運の強い、βテスターですから」
わずか千人の枠に滑り込めた俺は、きっと運がいい。
今まで何もかもに恵まれなかったのは、きっとこの世界で戦うためだったのだ。
βテスター、という語句を口にした瞬間、クラインの目はどこか遠くを見つめるようなものになる。
「そっか……お前も」
「?」
お前も、何なのか。
彼の脳裏に映る光景、その感慨が何であるかなど、俺にはわかるはずもなく。
「いや、なんでもねえ。なんでもねえんだが、一つ。頼まれてくんねえか?」
クラインは恩人だ。であれば、恩人の頼みくらいは、聞き入れるのが道理なのではないかと思う。
「……お、俺にできることであれば」
高難度クエストとかでなければ。
「いや、確実性はねえし、できたらでいいんだけどな? ……もし、どっかで『キリト』っつう名前のプレイヤーに会ったら、『お前は自分を責めるな』って、クラインが言ってたって、伝言頼めねえか」
「き、りと……?」
キリト。
その名前には、聞き覚えがあった。
いや、覚えどころではない。明確に、その名前の主と、紡いだ記憶が俺にはある。
キリト。片手直剣使い。LA狙いの、フロントランナー。
そして俺と同じ、βテスター。
このゲームにおいて、同名のプレイヤーは存在し得ない。綴りに違いがあればその限りではないが、キリトという名前は、まず確実にローマ字表記だろう。
つまり、アイツも前線を目指して?
「で、でもキリトは、まだこの街にいるかも」
正式版とβ版では、攻略に挑む心構えがまるで違う。
『死んでも次がある』から、『死んだら終わり』に。
初見殺しなど当たり前で、死にながら経験を積んでいくMMORPGというジャンルでは、致命的な欠落だ。
それを瞬時に受け入れ、行動を始めるなど、容易にできることじゃない。
「いや、アイツは先にいる。今の俺たちじゃあ手が届かねえくらいに、な。でも、だからこその目標だ。まずはここで経験積んで、いつか追いついてやんだ」
口振りからしてクラインたちはβテスターじゃない。けれども、少なくともクラインは、正式版SAOで、キリトに出会っている。
「……伝言、頼まれました。会ったら、伝えておきます」
「ああ。ありがとよ––––もう、行くのか?」
背を向けた俺に、クラインは尋ねる。
振り返らず頷いて、俺は言った。
「はい。本当にありがとうございました」
「そうか。じゃあ……お前もまたな、シラタ」
「……はい。いつか、また」
そうして俺は走り出す。
その先に待つのは、ゲームクリアか、ゲームオーバーか。
今はただ、進み続けるしかなかった。
「……」
この時、黙り込んでいた彼女の視線に気づかなかったのは、大きな誤算だったが。
夕暮れ時を過ぎ、日も沈み始めた頃。
一度めよりも僅かに速くなった足で、俺は《ホルンカの村》目指して駆けていた。
「青イノシシは完全無視……最短ルートで森に戻って、胚珠クエ再開……」
ブツブツと、今後の方針を口に出して整理しながら、俺は背後に意識を傾けた。
––––まだ、いるな。
あの後、はじまりの街を抜けた後すぐに、俺は残りの1スロットを《索敵》スキルで埋めた。
この先はしばらくソロの可能性がある。ホルンカにはもう何人かテスターがいるかもしれないが、それでも数人程度。パーティを組むことになるとも思えない。
自分の身は、自分で守らねばならない。でなければ、死ぬ。
スキル取得後、離れた位置の青イノシシ––––正式名称《フレンジーボア》にも感知のカーソルが立ったのを確認して。
––––十数メートル離れた後ろに、プレイヤーがいることがわかった。
「……はっ……はっ……」
何度も言うようだが、俺の敏捷力は今のアインクラッド内では最速と言って差し支えないポイント全振り状態だ。
どうやらそのプレイヤーの敏捷力は初期値のままであるようで、少しずつ差が開き始めている。
「でも、まだ付いてくる……」
最初は同じ方向を目指しているだけのプレイヤーかと考えた。
そして、確認のために少し走る方向をズラせば––––そいつもまた微調整して追ってきた。つまり、俺を目指して走っている。
プレイヤーキラーという、あまりに物騒なワードが脳裏を掠めたが、かぶりを振って否定した。
このSAOにおいて、プレイヤーを意図的に殺すということは、直接の死因がナーブギアであるとはいえ、間接的に殺人を犯すということになる。
そんな覚悟を持ったプレイヤーが、既に存在しているというのか……?
「でも……これはどうなんだ……?」
時折振り返ると、感知のカーソルがぴょんぴょんと飛び跳ねているように見える。つまるところ––––そのPKer容疑者は何度もコケけているのだ、ドジなことに。
「……もう、一回止まるか」
そんな無様な様をスキル越しに見せられては、毒気が抜けてしまうのも無理はないだろう。
きっとキラーじゃない。そう、根拠もなく考えて、俺は足の動きを止めた。
それに合わせて、背後のカーソルもぴょこんと止まる。
––––あくまで、付いてくる気なのか……。
ならば、こちらにも考えがある。
「っ!」
強く地面を踏み切り俺は逆走––––そのプレイヤーがいる方向へと加速––––した。
「––––ぇっ!」
若い女らしき声が聞こえた。
「まさか……」
より一層速度を上げる。
ステータス補正で加速する足が、そのプレイヤーの元へと進んで、進んで。
「……やっぱり……」
硬直したカーソルとの距離は詰まり、やがて目の前で向き合うことになる。
頭に緑色の逆三角形をおっ立てたそのプレイヤーは、
「……その、何で、追いかけてきたんすか」
「そっ……それは、えっと」
––––投身自殺を図っていた、件の少女だった。