曹操軍の討伐行は、予定以上の戦果を上げる形で幕を下ろした。朝廷より討伐を命じられていた賊軍はもとより、独断であったとはいえ王平が黄巾を身に付けた件の賊徒達を殲滅したからである。
本隊が相対していた賊軍においては荀彧がその頭脳を思う存分に発揮し、主である曹操を囮に引っ張り出した賊軍を夏候姉妹に背後から奇襲させると言う大胆不敵な策謀によって賊軍を壊滅。さらに敗走する賊軍の退路を追撃部隊を巧みに指揮する事で誘導し、戦を終えた後の王平隊の布陣する地へと向かわせた事によって、当初の予定通り敗走する賊軍を王平隊が殲滅。王平は奇しくも命令違反の罪を問われる必要が無くなったのである。
強行軍と言う初めての試みと、予定外の事態によってどうなる事かと思われた曹操軍の討伐行。それなりに苦労はあったが、何事も無く丸く収まった――と言う訳にはいかなかった……。
「ねぇ、桂花。私が今、何を言おうとしているか分かるかしら?」
「……はい、華琳様」
討伐行からの帰り道。時刻は朝。本拠地である陳留へあと半日もない場所で最後の小休止を取る曹操軍の本陣にて、そのやり取りは交わされていた。
「あらそう。なら当ててみなさい」
「……空腹、ですか」
「正解。私、今とてもお腹が空いているの。これはどうしてかしら?」
口ごもる荀彧を虐めるかのように言う曹操に、傍から見物していた王平は大きくため息を吐いた。ちなみにだが、そのすぐ隣には馬に縄で括りつけられた状態の一刀がいる。なぜそんな状態なのかと言えば、戦が終わった後、緊張の糸が切れた一刀がそのまま気を失ってしまったからだ。男として情けないにも程があるが、王平としては初陣にして最後まで立っていられた事には感心している。最も、それを口に出して言う心算は毛頭無いが。
「はぁ……華琳様の悪い癖が出た」
「もしかしなくても、華琳ってドSだよね」
「どえす?」
「……言い方は悪いかもだけど、人を虐めるのが好きな人の事」
「なるほど、納得だ」
微妙な表情を浮かべながら、王平は未だ言葉攻めを受け続けている荀彧に同情の視線を向ける。
荀彧が曹操に虐められ――もとい、追及を受けている理由。それは討伐行に向かう前に交わされた一つの約束が原因となっている。荀彧が曹操に強行軍を提案した際、当然ながら武将達の間で兵糧の量に関して不足する事態が起こり得るのではないかと、ひと悶着あったのだ。しかし荀彧は己の策ならば問題無いと言い切り、結果として討伐行は被害も少なく素晴らしい結果を出す事となった。
「しかしまぁ、腹減ったな」
「俺はついさっきまで気絶してたからなぁ……でも、やっぱり俺も腹減ったよ」
そう言いながら、空腹に鳴く腹を王平は撫でる。そう、確かに討伐行自体は上手く言った。しかしつい先日の晩、出発前に懸念されていた兵糧不足が発生し、曹操軍は全員朝食を抜く事になってしまったのだ。これには予想以上に兵達の被害が少なかった事と、加えてとある不可抗力があったからである。
「だがまさか、許緒があそこまで大食いだとは、流石に俺も予想できなんだ」
「あれだけの量、お腹のどこに入ってるんだろう。軽く十人前は食べてたはずなのに」
その不可抗力とは、討伐行の後に改めて曹操軍に仕官をしてきた許緒である。なんと許緒、あの小柄な見た目に反して常人十人前の量の飯を平らげる大食いだったのだ。一度だけならともかく、それが帰還するまでの毎日続けば、もとより少ない兵糧はあっという間に減っていき、気がつけば王平が非常用に用意していた糧食をこれまた秘密裏に解放して事なきを得た事態にまでなったのである。
そうして迎えた今朝、朝食を抜いた曹操軍一同は大将である曹操までも例外なく空腹。つまりそれは、出陣前に荀彧が宣言した内容が守られなかったという事になる。ゆえに曹操は荀彧に対して追及を行っていた。
「っていうか、俺も糧食の手配手伝ったんだけど、今回どう考えても足りなかったはずだよな?」
「ん、そうか?」
「桂花にこき使われまくって台帳の確認なんかもしてたんだけど、う~ん……俺の記憶違いかなぁ」
依然馬に括りつけられたまま器用に首を傾げる一刀に、王平は特に顔色も変えずに応える。
「たぶんな。それともなんだ、糧食が勝手に増えたってか? それこそあり得んだろ」
「だよなぁ」
一刀は納得しきれていない感じを残しながらも、糧食の話題はそれきりとなる。王平は今回の件は曹操にだけ話す心算でいるので、話題が途切れて安心する。とは言え、曹操はとっくの昔に気付いていることだろう。それでも追及が無いのは荀彧を気遣っての事か、それとも結果が良ければ全て良しと考えているからなのか。
「あー、俺も一応は覚悟しとくか」
「何の覚悟?」
「いや、こっちの話だ。と言うか一刀、お前その状態で平気なのか」
今更ながらに縄で蓑虫にされている一刀をしげしげと見る王平。対する一刀は困った顔をしてがっくりと項垂れる。
「平気じゃないです。出来れば解いて欲しいです」
真剣な顔で何故か丁寧に言う一刀に王平は苦笑した。
「そうか。まぁ、どうせ城まであと少しだ。そのままの状態でも大丈夫だろ」
「うぉーい!」
「はっはっは、全然問題ないな。しっかり元気だ」
馬上でクネクネと悶える一刀とそれを見て愉快そうに笑う王平。そこに荀彧への追及が終わったのか、満足気な顔をした曹操と何故か頬を赤く染め蕩けた表情している荀彧がやってくる。二人の姿に王平は怪訝な表情を一瞬浮かべたが、すぐにそれを引っ込めると曹操に向けて姿勢を正した。
「荀彧の事はもう良いのですか?」
「ええ。確かに約束を守れなかったのはあるけれど、今回上げた戦功もあるしお仕置きで済ませてあげる事にしたわ」
「なるほど、お仕置きですか。道理で荀彧がそんな顔をしている訳だ」
「ちょっと、そんなってどんな顔よ」
「さぁてな」
蕩けた顔から一転、キッと睨みつけてくる荀彧を王平は軽くいなすと、少しだけ表情を硬くして曹操へと顔を向ける。
「それで、俺の所へ来たのはあの件ですか?」
「アレに関しては今回は私の指示だった事にしてあげる。まあ、元は別の理由だったのでしょうけど、結果的に助けられたのだし」
「寛大な処置に感謝します」
ホッと表情を緩めた王平が曹操に頭を下げる。話の内容についてこれていない一刀と荀彧は揃って首を傾げていたが、詳細を聞いてくる事は無かった。
「ああ、そう言えばもう一つ」
「はい」
そうして王平が安心した矢先、曹操が言いながら荀彧の肩を掴みその体を王平の前へと突き出す。荀彧は今にも泣きそうな表情になっているが、曹操自身は実に楽しそうな顔をしている。目の前の状況に訳が分からず、王平は疑問の目を曹操に向けた。
「桂花からあなたに言いたい事があるそうよ」
「文若が俺に?」
「ええ。さあ、早くなさい」
「うぅ……桂花よ」
「はい?」
「私の真名よ! 華琳様がどうしてもとおっしゃるから、あなたに預けるわ! いい、仕方なくだからね!」
叫ぶようにして半ば自棄気味に言う荀彧に、王平は苦笑を浮かべてそうかと頷いた。
「確かにその真名、預かった。俺の真名は聖だ。姓名とどっちで呼ぶかは好きにしてくれ。俺もそれに合わせる。徐晃ともそうしてるしな」
「あれ、聖って烈華と真名交換してたのか」
「当たり前だろう。あれでもそこそこの付き合いだ。まあ、滅多な事じゃ呼ばないけどな。一刀の方は……いや、華琳様経由か」
「ええ、そうよ。聖もこれからは一刀に倣って真名で呼び合うようにしたら?」
「善処はします」
即答する王平に、曹操は相変わらずねと苦笑を浮かべた。
「それはそうと、許緒はどこの配属に?」
「季衣には私の親衛隊を率いてもらう事にしたわ。季衣!」
「はーい!」
曹操の呼ぶ声に元気な返事を返しながら許緒が。王平達の方へと走ってくる。改めてみるその姿は、やはり糧食不足の原因となった大食いには見えない。不思議なものだと思う王平。すると何かを思い出したのか、許緒の方から王平へと近づいてきた。
「そう言えば、王平様とはまだ真名を交換してなかったですよね。ボクは季衣って言います。これからよろしくお願いします」
「ああ。俺の真名は聖だ。親衛隊と言えば華琳様を守る大事な役目だ。存分に励めよ」
「はい!」
許緒は王平にぺこりと頭を下げた後、今度は一刀の方へと駆け寄って行き何やら楽しそうに話し始める。一刀が兄ちゃんと呼ばれるほど随分と仲の良さ気な二人に、王平はふっと笑みを浮かべた。
「一刀もなかなか隅に置けんませんな」
「あら、羨ましいの?」
「そうですな。隊に戻ったら静音に慰めてもらうとします。さて、邪魔にならないうちに、俺はこれにて失礼」
「城に戻ったら、蔵から引っ張り出した量の報告を忘れないように」
「御意」
踵を返し王平はその場を後にする。直後に背後でドサリと何かが落ちた音がしたが、特に気にせず王平は殿を受け持っている自分の隊の方へと足を向ける。途中、隊列の位置的に徐晃隊を通り過ぎる際、偶然にも本陣に向け王平とは逆方向に行こうとする徐晃と王平の目が合った。
「おう、
言い終わる前に突き出された徐晃の拳を王平はしっかりと受け止める。忌々しそうに舌打ちをしながら、徐晃は王平の手を振り払うようにして手を引いた。
「大分良くなったが、俺を抜くにはまだまだ甘いな」
「相変わらず受け手だけは厭味な程に達者な奴だな、
本気で打ち抜く心算であったのか、赤くなった手を摩りながら徐晃はさも不愉快そうな顔をする。そんな徐晃を見て王平はニヤリと口元に笑みを浮かべる。
「経験の差だ。悔しかったら精進しろよ小娘」
「ほざいていろ。今にその頸、私が刎ね飛ばしてやる。覚悟しておけ」
「さて、何時の事になるのやら」
射殺さんばかりの視線を受けながら茶化す様に言う王平。相変わらずの王平の態度に徐晃はふんっと鼻を鳴らすと、肩を怒らせながらずんずんと本陣の方へと歩いて行った。
「ったく、殺す気で打ち込みに来やがって。加減くらいしろっての」
徐晃が立ち去ったのを確認しながら王平はそう呟くと、徐晃の拳骨を受け止めた自分の右手に目をやる。王平の掌も徐晃の拳と同じように、拳を受け止めたせいで赤くなっている。先程は何時になるのやらなどと徐晃に言い放った王平だが、その時がやってくるのは案外遠くないのかもしれない。と言っても、徐晃が王平の同僚である限りそんな事はまずあり得ないので、王平としては単純に同僚兼年齢的後輩が自分よりも高みに登りつつある事を嬉しく思っている。
少しでも気を抜けば、自分などあっという間に追い抜かされてしまうだろう。徐晃だけではない、新入りである許緒にだってそうである。年長者の意地をつくづく刺激してくれる年下の同僚達を思い、王平は自然と楽しそうな笑みを口元に浮かべた。
「お疲れ様です、王平将軍。何か良い事でもありましたか?」
隊に戻った王平を迎えた楊鳳がそう言って微笑みを浮かべる。王平はああと頷きながら、次いで少し困った様な顔をして笑った。
「新しい風がウチに吹き込み始めてるのを実感してな。これは俺も、うかうかしてはいられんな」
「慢心してたら吹き飛ばされるかもですね」
「上手く言ったつもりか?」
「事実を述べましたが何か」
さらりと述べる楊鳳に、王平は苦笑して応える。最近さらに顕著になってきた口達者な所は愛嬌と言う奴だろう。
「まあ、確かに間違っちゃいない。慢心せずして何が将か! なんて言えるほど俺に余裕は無いな。油断してたら吹き飛ぶどころか真っ二つだ」
「比喩でも何でもなく、実際それが出来る方達がいますからね。恐らくですが、挽き肉な末路もこれからは追加されるのでは?」
「もう追加済みだ。真名も交換してきた。ちなみにその挽き肉担当は親衛隊に配属だそうだ」
「なるほど、許緒は――いえ、許緒将軍は既に仕官済みですか。しかし親衛隊とは……また随分と要職に抜擢されたようですね」
その言葉は暗に許緒が親衛隊を率いるに値するのか、という楊鳳の懸念を遠回しに表したものなのだろう。それを理解しながら、王平はそうだなと真面目な顔で楊鳳の言葉に頷いた。
「まあ正直な所、許緒がどこまでやれるのか俺には分からん。とりあえず、許緒の未熟な所は親衛隊の奴らが補佐してくれるだろ。親衛隊はウチの精鋭達が所属してる部隊だしな」
「また随分と楽観的ですね。親衛隊は曹操様を守る最後の盾ですよ?」
「それこそ俺達が相手に抜かせなければ良いだけの話だ。だが、そうだな……確か、親衛隊にはウチの隊から出向した奴が何人かいたな。時々様子を知らせるようそいつらに頼んでおくか」
かつて己の隊から出世していった部下達の顔を王平は思い浮かべる。親衛隊だけでなく、王平隊からの各部隊への出向者はそれなりに多い。実働部隊としての経験の豊富さを、各部隊の育成に生かすためである。それゆえ、王平の人脈はかなり広いと言っても良い。今回の戦で王平が糧食を秘密裏に持ち出せたのもその恩恵である。
「何はともあれ、これでウチの人手不足も多少はマシになる。恐らくだが、これからウチは更に忙しくなるだろうからな」
「そうなのですか?」
「ああ、確実にな」
自領の問題ならばまだしも、今回の戦は他領で起きた問題。朝廷からの勅命で仕方なくとは言え、それに関わった曹操軍には否応無しにこれからも更なる問題が降りかかる事だろう。大陸各地で暴動が頻発する今この時ならば尚更だ。そんな遠くない未来に身震いしつつ、加えてすぐにやってくるだろう山積みの問題を想像し、王平は辟易とした表情を浮かべた。
「城に戻ったら部隊の再編。戦死した兵の遺族への対応。戦功をあげた兵への報償。糧食の件で華琳様への報告。うはっ、やる事が山積みだな」
なすべき仕事を脳裏に並べ、王平が指折り数えながらぼやく。楊鳳に手伝ってもらう事を前提に考えても、全てを終わらせるにはかなりの時間を要するだろう事は容易に想像できる。休む暇もないとはこの事かと、王平は大きくため息を吐く。意気消沈する王平を見た楊鳳が、仕方がないとばかりに苦笑を浮かべた。
「仕事に取り掛かる前に、まずは英気を養わなければいけませんね。食事、帰ったらご一緒します」
「ああ、そうだな。正直、今も空腹でぶっ倒れそうだ」
言うや否や、王平の腹がぐぅぅと唸りを上げる。つられた様に楊鳳の腹からもくぅぅと可愛らしい音が響く。城を目前に顔を真っ赤にする楊鳳に、王平はくつくつと笑い声を上げた。
原作で言う所の第一章終了でござい。次回は拠点フェイズっぽい話を入れたいなぁ、なんて。現代知識系のネタが使いにくいから、結構苦戦するかもです。というか、本編の時点で既に苦戦中……。転生属性持ちって凄く便利だったのねと痛感。
それでは、次回も宜しくお願いします。感想、ご指摘など心よりお待ちしております。