翌日。達也は戸惑いを隠せないでいた。
絹旗からの雰囲気が、見違えるほど変わっていたのだ。それこそ、本当に別人だと思うくらいには。
あまりの変わりように達也も「何か良いことがあったのか?」とつい聞いてしまったが、「そうですね。超最高の気分です」と敵対心などまるでない笑顔で言われてしまったため、何故か焦っている。
一昨日までは、自分を含めた
昨日に何かあったとしか思えない。
また変に警戒させる訳にはいかないので探りは入れないが、念のため師匠に聞いてみるか、と達也は同じく絹旗のあまりの変わりように戸惑っている友人達の輪へと加わった。
◆◆◆
一週間にも及ぶ新入部員勧誘週間の終了で、入学関連のイベントは一段落。絹旗たちのクラスでも実習が本格化した。
入学試験に魔法実技が含まれているため生徒たちは基礎的な魔法スキルを身に付けてはいるのだが、絹旗は完全な付け焼き刃。ほのかと雫の助力により魔法のサイオンの扱いには多少慣れたが、練習し始めたときはほのかと雫が思わず苦笑してしまうくらいには酷かったものだ。
勿論それから比べてマシになったというだけであり、窒素装甲を発動できない状態に陥る危険への対処。そのため魔法の必要性は今のところない。
今日の課題は、基礎単一系魔法の魔法式を制限時間内にコンパイルして発動する、という課題を二人一組になってクリアするのがその内容だ。
制限時間は1000ミリ秒。一人前の魔法師なら500ミリ秒切るのだが、当然二科生にそんな生徒はいるはずもなく。さらにその二科生でも魔法の技能レベルは最低の絹旗がそれを一発でクリアできるわけもなく。授業内でクリアもできず。授業を延長させてそれは昼休みまで及び、現在絹旗、レオ、エリカが絶賛居残り中となっている。
「1024ミリ秒。少しずつ早くなっている。最愛は大丈夫そうだな」
「むぅ……でも私よりレオやエリカの方が超ダメみたいですね。私は超終わらせておきますから、そちらの二人の面倒を見てください」
「ああ。レオ、1060ミリ秒だ」
「よ、容赦ねぇな最愛……それにしても、1秒がこんな遠いなんて知らなかったぜ……」
「バカね、時間は『遠い』とは言わないの。それを言うなら『長い』でしょ」
「エリカちゃん……1052ミリ秒よ」
「あああぁ! 言わないで! せっかくバカで気分転換してたのに!」
「ご、ごめんなさい……」
「ううん、いいのよ美月。どんなに厳しくても、現実は直視しなくちゃいけないものね……」
「超直視してもそれだけでは何も変わりませんけどね」
「厳しいのは現実だけじゃなかった……」
「何言ってるんですかエリカは。私も超現実ですよ。というわけで、課題終わりです」
「ああ、996ミリ秒。合格だ」
「……最愛の意地悪」
「お、超現実見れているじゃないですか。超その通りです。いつも誰かさんと口喧嘩をしては負けなしで、たった今さっき現実逃避していた人から認められる程度には、超意地悪ですよ」
「なぁ達也、あの女が口で負けてるぞ……」
「これは珍しいものを見たな」
そしてそれに付き合っているのが達也と美月だ。絹旗はこの会話の間に終わらせてしまったが、レオとエリカは合格の兆しすら見えない。だがレオもエリカも、ある人物に、それぞれ別の意味で注目していた。
レオは今までの学校生活の中でエリカに口で勝ったことがない。だがそのエリカをして、絹旗には口で勝てないようだ。現に今も、ぐぅの音も出ないと言ったところである。それに驚きを隠せないのは絹旗とエリカを除いた――エリカはそれどころではない――共通認識ではあるが、絹旗以外の全員の共通認識も一つあった。
「なぁ達也。最愛ってあんなに饒舌なんだな」
「ああ、俺も驚きだよ。どちらかと言えば寡黙な方だと思っていたが」
「それになんていうか、かなり明るくなったな」
「俺もそう思うよ。それはそうとレオ、そろそろ終わらせるぞ。レオは照準の設定に時間が掛かりすぎてるんだよ。こういうのは、ピンポイントに座標を絞る必要はないんだ」
「そんなこと言われてもよぉ……」
その全員の認識を代弁するかのように話していた二人だが、彼らは居残りをしているのだ。達也もそれを忘れているわけではなく、その話はこれが終わってから、と言外に告げて授業へと集中させた。
「そしてエリカは起動式を読み込むときにパネルの上で右手と左手を重ねてみてくれ」
「……それだけでいいの?」
「俺も確信があるわけじゃない。だから理由は、上手くいったら説明するよ」
「う、うん……やってみる」
レオの次はエリカへ。疑問は一時おいて、達也に言われたように両手を重ねて起動式を読み込むエリカ。
それを確認した達也は、再びレオの指導に入る。
「1010ミリ秒。エリカちゃん、一気に40も縮めたわよ! 本当に、もう一息!」
「よ、よーし! なんだか、やれる気になってきた!」
「1016。迷うな、レオ。的の位置は分かっているんだ。いちいち目で確認する必要はない」
「わ、分かったぜ。よし、次こそは」
達也のアドバイスによって急速的に成長を始めた二人。絹旗と比べると、やはりサイオンの扱いには慣れているようだ。絹旗は雫の家で練習を重ね、居残りしてようやく合格だ。達也があのアドバイスをもっと早くしていたら、あそこに立っていたのは絹旗だけだったかも知れない。もっとも、達也はその方法を『裏技』と考えており、彼らのためにならないと渋るほど授業専門の対策であることは間違いない。
だがその光景は、絹旗の頬を緩ませるには十分だ。
かつては光を浴びることは許されても、その世界へと行くことは許されなかった。
それが今はどうか。
魔術師はいない。不意打ちで死ぬ危険性も無い。個性豊かなクラスメイト。常に気にかけてくれるほのかと雫。
この世界に来てから手に入れた『光』は、既にあの世界の遥か上を行っている。
まだ光に染まるには抵抗がある。あの世界に戻ったらまた闇に染まることも分かっている。でも今この時だけは、十数年も闇に触れたその休憩ということで、光に染まることを許して欲しい。
ふと思考から戻ってみると、いつの間にか深雪、ほのか、雫がビニール袋を手に下げて来ていた。透けて見える中身を察するに、昼食だろう。
そして他方では、なんとか課題をクリアして歓声を上げているレオとエリカ。深雪も労いの言葉をかけている。
その光景が目の前にある。それだけでも絹旗にとっては十分なものなのだが
「どうしたの、最愛ちゃん? 最愛ちゃんの分もあるから食べよ?」
そこへと手を差し伸ばしてくれる
「せっかくなのですから、ご一緒しませんか?」
「そうですね。お腹が超減っていたところなので、お言葉に甘えます」
「そうしてください。えーっと……最愛と呼んでも良いかしら?」
「是非そうしてください。私も深雪と超呼ばさせていただきますから」
「ええ、よろしくね、最愛」
「超よろしくしてあげますよ」
その仲の良さに達也が珍しく困惑していたが、深雪が「お兄様、女同士の秘密です」と笑顔で言ってしまったがために、さらにそれを加速させてしまったのはご愛嬌と言うべきか。何にせよ達也の忠告を無視する深雪ではない。あまり近づくなと言ったが、深雪は絹旗と裏表の無い笑顔で話している。
ということは、深雪は絹旗のこの変化の理由を知っているということだ。
まさか八雲ではなく深雪が持っていることには驚きだが、家で何があったのか聞いてみるか。そう決めながら、達也も深雪たちが持ってきたサンドイッチを摘まんだ。
横書き+桁が多いので今回は数字表記にしました。
最愛ちゃんの好きなところの一つに、仕事とプライベートの切り替えがしっかりしているところですね。