始まった最終第三回戦は、第一回戦と全く同じ様相を呈していた。
両者一歩も引かない撃ち合いながらも、序盤は愛梨が失点をしないように守備偏重で試合を展開している。今後の乱打戦を容易に想像できる始まりには二回戦で収まりかけていたボルテージを最高潮にまで引き上げ、最愛と愛梨の一振り一振りに歓声が飛びかっていた。
一球目、二球目共に一回戦を踏襲するような試合展開。
熱狂渦巻く競技場内で冷静に眺めているのは、一高の首脳陣たちだ。
「吹き返した……というわけでもなさそうだな」
「最初から二回戦は捨てる気でいたようですね。ここまで短期決戦を仕掛けていたため、ここで何かしてくると思わせての長期決戦狙い、ということでしょうか」
摩利の呟きに鈴音が肯定を返すも、それを今までの『答え』というには形容し難い違和感があった。
短期決戦に見せかけた長期決戦。
それだけの策で勝てる程、愛梨は甘くない。
「策があるとするのならそれ以外にもあるのは間違いない。問題はその策が何かが三回戦が始まっている
だが、と続けようとした克人の言葉を真由美が引き継ぐ。
「ここまで来ると策がそもそもなかった、という可能性もあり得るわね」
「そうだ。我々が分からない以上向こうの作戦スタッフも絹旗の策は分からないはずだ」
「つまり一色はそんなあるかも分からない策を気にしながら、策があったらその対応を強いられるということか」
これらは全てが可能性。
つまり等しくあり得る訳で、等しくない場合もある。
そこまで含めて全てが一つの作戦だというのであれば、
「性格が悪いじゃ済まないぞ」
「全く、本戦で戦うことが無くて本当に良かったわ」
背筋を伝う薄ら寒い感触に摩利と真由美が思わず肩を竦めた。
特に真由美は同じクラウド・ボールに出ている競技者として、心の底からそう言っているのが分かる。
四人が話している間も試合は進んでいき、球数は二球から三球へ、三球から四球へと増えていった。
そんな大接戦の模様に競技場のボルテージはマックスまで引き上げられる。
本来であれば、そうなるのが普通だ。
「待て、どういうことだ?」
摩利の呟きは、戸惑いを隠せない競技場の雰囲気を正しく表していた。
激しい乱打戦が行われている。
それは間違いない事実なのだが、お互いが無得点の一歩も引かない激しい乱打戦、と枕詞が付けばどうだろうか。
「おい、どういうことだ?」
「……一色さんが耐えているわね」
「それは見れば分かる。そうじゃない」
「言いたいことは分かるわよ、摩利」
摩利の言いたいことは真由美も理解している。
だがそれを加味しても、そういうしかなかったのだ。
観客も理解はできないが、一回戦で追いつけていなかった打球に必死の形相で食らいついている愛梨に刺激されたのか、競技場内は徐々に三高のムードになってきている。
「既に三回戦目ですから。絹旗さんにも疲れが出ているのでしょう」
「一色もあの打球の返し方にもだいぶ慣れてきたはずだ。最初さえ耐えきれば一色が優位に立つこともできる。何より体力も日頃からスポーツを行っている一色の方が上手だろう」
「そうかしら……打球の速さは全く同じように見えるんだけど……」
策はあるのか、体力は残っているのか、愛梨に勝てるのか。
何を考え、何を思いあの場に立っているのか。
結局、全てはあの場に立ってみないと分からないことだ。
「今俺達にできるのは、絹旗が勝つのを祈ることだけだ」
克人の言葉に、彼女たちはただ頷き見守ることしかできなかった。
五球目が射出されるのを見て、愛梨の表情が猛獣のような笑みに変わった。
ここまで無得点。
それは愛梨が最愛の打球に慣れたとか、最愛が疲れて打球が軽くなったとかでは決してない。
体裁なんて構わずただがむしゃらにしがみついた結果だ。
戸惑いを見せる観客も、数秒後には今までにない大歓声で愛梨を後押しした。
その中から僅かに聞こえてくる実況には、一色選手が優勢とまで言われている。
事実を知らなければ、確かにそうだろう。
だが実際は真逆。
(本当に強いわね、絹旗最愛)
実在した策とその恐ろしさを認めて、愛梨は試合開始前から内心歯噛みしていた。
一回戦と同じ内容で、一回戦とは違い無得点だから優勢。
確かに客観視したらそうかもしれない。
だがそこに、愛梨の過度な疲労は考慮されているのだろうか。
第一回戦。
愛梨は見せられた打球速度から予想して振り抜くことを意識したが、それでもラケットが押されるという感覚を受けたために軸足を意識した打ち方をするしかなかった。
だがその打ち方で対応できるのは壁や天井を使っても二球まで。
三球目からは均衡を崩されながらもなんとか耐え続け、六球目から反撃を開始。
順調に点数差を縮めていったが、それでも最後は『手での自由自在な返球』によって逃げ切りを許してしまった。
一回戦で奇襲を受けたことによりあらゆる可能性の対策を強いられた第二回戦。
序盤から
だからこそここを耐えきれば勝てる可能性が大きくなると考えた愛梨はとにかく攻めの姿勢を崩すことなく、最早意思を持っているかのように軌道を変える打球に食らいつき、結果見事に二回戦をモノにした。
二回戦を勝利で飾り、その短期決戦の策を潰したという自負があった愛梨は最愛の方を一瞥して———固まった。
策を打ち破られ、短期決戦も失敗。
このままで敗北濃厚だという場面なはずなのに、愛梨の目に映った最愛の顔は笑っていた。
そして改めて我に返って見た愛梨は、そこで初めて最愛の策の全容を理解したのだ。
第一回戦の最後、そして第二回戦開始直後に行われた二つの奇襲は勿論のこと、短期決戦を仕掛けていると愛梨が思うその全ての流れが、ただの布石に過ぎなかった。
気が付くことすらも許されなかったのだ。
あそこまで頑なに魔法を使うのには何か理由があると、まだ何かあるに違いないと、勝手に思い込んだ。
そして気が付いた時にはもう、全てが後手に回っていた。
一番深刻な問題は身体面に限らないありとあらゆる疲労の蓄積。
愛梨に知る由も無いが、あの真由美がガス欠を起こす心配をして短期決戦を挑む程の打球をあらゆる可能性に考慮しながら常に受け続けていたのだ。
特にラケットが持って行かれる程の重い打球はしっかりと振り切らなければ甘い球になって返ってしまうため相対的に腕の疲労が凄まじく、休憩時間にアイシングで熱を抑えても雀の涙程度の効果しか望めなかった。
さらに二回戦では圧縮空気弾による四方八方への打球と隙間に入れられるラケットによる打球という緩急も疲労の蓄積が大きい理由の一つ。
二回戦の序盤で最愛が仕掛けたことにより短期決戦だと思わせ、最後まで結局気の抜ける場面がなかったのも一つ。
そこまで魔法を行使してなお戦える最愛の想子量の多さが一つ。
一つ、また一つと原因を数え始めれば、結局全てが原因として当てはまってしまう。
愛梨は体裁を捨てているのではなく、気が付いたら捨てなければどうしようもない程にまで追い詰められていたのだ。
それでも負けられない理由が、愛梨にはある。
一の家系でトップ、つまり十師族の一員となるため。
三高の九校戦女子エースとして。
そして何よりも、雫にスピードシューティングに惜敗し期待に応えられなかったと失意の底にいる親友、
———絶対に負けられない。
そんな強い意志を見た最愛は、この試合何度目かの驚いたような表情を浮かべた。
最愛としてもここまで粘られるのは完全に想定外のこと。
希望的観測の中ではあるが、棄権してくれないかなと思っていたほどだ。
何より驚かされるのは、師補十八家一色家の令嬢という肩書には見合わない胆力。
そこに自分と似たような何かを、最愛は感じた。
(絶対に引けないという超強い意志を感じますね。ああいう人間が一番厄介です)
本当ならこんな大観衆の前で見せたくはない。
だが自分の能力がBS魔法で通るなら、絶対に勝ってみせると意気込んでしまったのなら、持てる最大限を以て勝利を手に入れたい。
だから最愛はその五球目を一つの指標にした。
壁に天井とあらゆる手段でなんとか失点を防ぎながら愛梨から放たれた五球目。
それを最愛は、左手を翳すだけで対応してみせた。
(それも取りますか! 超面白いです!)
完全に虚を突いたはずの一球は、得点に繋がることはなかった。
切れかかっているはずの集中力を意地で保ち、動かないはずの身体を自己加速術式で強引に動かす。
本来なら危険なプレイであるそれを、愛梨はゾーンとも呼べる状態で強引に成立させたのだ。
六球目からは最愛が全力で振り切れない。
つまりここからは最愛と愛梨の根性比べだ。
どちらが力尽きるのが先か、その勝負。
———そんな勝負を、最愛が挑むはずがない。
何処かのシスコンがこれから言いそうな言葉を思い浮かべながら、最愛は不敵に笑った。
ついに得点板に、0以外の点数が表示されたのだ。
どよめく会場に、一瞬動きを止めてしまった愛梨。
その光景を見ていた誰もが何をしたのか理解できなかっただろう。
それは極限まで集中していた愛梨ですら、一瞬その集中を切らしてしまう程の出来事。
しかし可能性としてはあり得た、必殺にして最愛の
(ラケットを捨てた……やっぱりその魔法は両手で使えたのね)
そして愛梨にとっても予想通り。
だがそこまで予想できていても失点を重ねている理由は、そこから放たれる緩急のある打球は予想以上に厄介だったからだ。
ただ翳すだけ。
たったそれだけの工程で、正確無比な打球が緩急を伴って押し寄せてくる。
しかもラケットという足枷を失ったからか一回戦で最大限の力を発揮できる限界だったはずの五球ですら難なく返してくるのだから悪夢でしかない。
だがその中でも愛梨の中でたった一つだけ光明が差していた。
たった一つだけだが、スポーツというジャンルにおいてはとても大きな光明であり、自身がとっくに限界を迎えているそれ。
一回戦とは異なり、最愛の動きにキレが無くなってきているのだ。
愛梨としては二回戦であまり動かなかったとはいえ、ここまでやれることがそもそも異常なのだが。
(想子が切れた? それとも体力切れ? ……どっちでも良いわ。あれだけの魔法をずっとマルチ・キャストで発動しているんだから、向こうも当然疲れている。それだけ分かれば十分よ!)
実際はそんなこともないのだが、一般的に見た最愛は一回戦、三回戦で自己加速術式とBS魔法のマルチ・キャストを常時発動しており、二回戦ではそこに圧縮空気弾のマルチ・キャストとパラレル・キャスト、三回戦では追加でBS魔法のマルチ・キャストを併用で行っている。
言葉通りなら想子量は魔法師の中でも間違いなくトップクラスの実力。
最愛の自己申告によって想子量が少ないと分かっている者ですらそう思ってしまえる程の戦い方をしているのが、今の最愛だ。
自己加速術式で無理矢理動かすだけでは緩急についていけない愛梨は失点を重ね、しかし愛梨の睨んだ通り体力の底に見上げられている最愛も表情は硬い。
六球目、七球目と増えていくにつれて失点を重ねているのは愛梨。
その差は段々と広がっていながらも愛梨は意地で失点の速度を一定に保っており、しかも最愛も失点を許し始めた。
最愛の予想以上に愛梨の執念が凄まじく、そして予想以上に最愛の消耗が大きいのだ。
(それでも返球が正確無比なあたり魔法の練度が異常な程高いわね。ここまで練度の高い魔法は『
一種の化け物。
だがそれを超えなければ、愛梨の悲願は夢のまた夢の話だ。
だからこそ愛梨は引けない。
家のために、友人のために———。
そんな傲慢な考えで勝てる程、最愛は甘くない。
まずは自分のために。
(ただ目の前にあるボールを———叩き切る!)
その瞬間、音が消えた。
時が止まったような静寂が訪れた訳でもない。
ただ大きすぎて、一瞬聞こえない程にまで音が爆発したのだ。
爆発を起こした張本人である愛梨は笑みを溢し、最愛は完全に虚を突かれたのか思わず手を止めてしまった。
その最愛の行動に、お互いの表情は更に対を歩む。
隙を見逃すまいと猛攻を繰り出す愛梨と、この試合で初めて焦りを浮かべた最愛。
ここに来ての攻守交代を誰が予想しただろうか。
八球目。
体力の限界を迎えた最愛はラケットというハンデを捨ててもなお追いつけない。
得点差は大きく開いて24点だが、今の愛梨の前にはそんな得点などあってないようなものだと最愛自身が理解している。
意地で耐え抜いた愛梨に代わって、今度は最愛が意地で耐え抜く番だが……。
得点を詰められていくたび顔に影を落とし始める最愛は、ふと愛梨の顔を見て、そのまま固まった。
その眼に映るのは、勝ちを確信して笑みを浮かべている愛梨の表情だ。
浮かべた笑みは強敵に勝てたことに対する嬉しさか、全ての策に対応し結果的に上回ったという愉悦か、友人にその威を示すことができた安堵か。
一瞬できた謎の間に違和感を覚えながらも、隙を逃さないとばかりに猛追する。
しかし、そんな愛梨の勢いは早々に衰えた。
「何笑ってンだァ?」
「え?」
正確には、衰えさせられたというべきか。
目の前の少女からそんなドスの利いた言葉が出てくるなんて、誰もが聞き間違いを疑うだろう。
しかしこの大歓声の中、最愛の呟くような声は正確に愛梨の耳へと届いていた。
「まさかその程度で私に勝てるとか超寝ぼけたこと思ってンじゃねェだろうなァ!」
聞き間違いではない。
その食い殺さんと言わんばかりの表情を携え、殺気を伴いながら確かにそう言っている。
しかし問題は
(動きが……戻っている!)
急に得点板の動きが平行線になったのだ。
その事実に先程の笑みは何処へやら、愛梨の頬に疲労によるものとは別の汗が流れた。
そんなに簡単に勝ったとは言わせないと、何よりも最愛がそう言っている。
つまりこの勝負は———
「残念ながらここからが本番だァ。覚悟しやがれ超クソ野郎」
突如として変わった雰囲気に、競技場の熱は戸惑いと共に急激に冷めていった。
問題等があれば修正します。
全部書こうとしたけど区切ったほうが良いかなって。
書き方も変わったと思います。