あの感想はあれで完成されてしまっています。
手がつけられません。
得点板が再び沈黙した。
終盤の凄まじい攻防戦に本来なら競技場は盛り上がりを見せるはずだが、現実はその真逆で戸惑いと少しの畏怖が大半を占めている。それは最愛の変化に何処か不気味なものを感じたからだ。
「なんというか……凄いわね、絹旗さん」
「ああ。魔法師というよりはまるで戦場で戦っている兵士だ」
真由美と摩利もその異様さには困惑の表情を浮かべている。
真由美も摩利も、その最愛を知らないのだ。
現在この競技場で今の最愛を知るのはたった三人。
深雪と桐原、そして克人だ。
「七草。以前の絹旗の話を覚えているか。
「ええ、覚えているわ」
あの時という単語に、真由美の目が少しだけ細められた。
「今の絹旗がそれだ」
摩利は質問をしない。
好奇心はあるが、詳細な場面の話をしない以上自分が関われる範囲ではないと分かっているから。
真由美も答えない。
その話はまさしく最愛が惨殺をした時の話。
気軽に話していいような情報でもなければ、現在完全に十文字家によって秘匿されている情報でもある。
だが真由美はそれを聞いて、絹旗最愛という人間に関するピースがカチリとハマった気がした。
普段のようなクールとお茶目の両方の側面を持つ最愛でもなく、秘密を暴かれないよう警戒する最愛とも違う、今の最愛。
考えられる可能性は一つだ。
解離性同一症。
通称、多重人格。
この試合中に何かが琴線に触れてしまい引き起こされたことは想像できる。
問題はそれが何かだ。
もし学校生活内でそのトリガーが引かれてしまった場合、状況次第では最悪の可能性も想定しなければいけない。
例の件のこともあってそれほどの事をやってしまうと思える程、今の最愛は傍らから見ても怖かった。
今も突然愛梨に襲い掛かるかもしれない、と内心では肝を縮ませている。
「……困ったわね」
「同感だ」
最愛について何か分かるかも、と思って出した九校戦で分かったのが、起爆スイッチが何処にあるかも分からない大きな爆弾を抱えていること。
むしろ分からないことが増えることになってしまい、心労で頭痛がしてきたのか真由美はこめかみを抑えるような仕草でため息を吐いた。
追い込み切れない。
その事実が愛梨の気持ちを焦らせていた。
最愛の動きが戻っている。
今まで以上に速くなっている。
しかしそれ以上に、形容し難い圧力が愛梨の気力を奪っていた。
その正体が殺気であることに、愛梨は気づかない。
気づけないからこそ先程のように動くことができない現状が、愛梨の焦りを加速させていった。
八球目が射出されてから二十秒間。
その間に得点板が動くことは無かった。
そして最後の九球目が、ついに射出される。
残りは二十秒。
得点差は二十点。
必ず追いつけると、必ず勝てると思っていたその得点差は、いつの間にか絶望の平行線を辿っていた。
重たい身体も魔法で無理矢理動かしていたからか、想子も底を尽き始めている。
だがそれでも得点に変化が起きないのは、愛梨の絶対に諦めないという執念の為せる業だ。
タイムリミットは刻一刻と迫っている。
不気味な笑みを携えながら今まで以上に正確に、今まで以上に緩急を付けて押し寄せる打球に全てを追いつくも、そこに反撃の糸口は全くない。
時計は無情にも一秒、また一秒と過ぎていき。
競技場内では戸惑いによるざわめきが多くを占める中。
その得点板が点数を動かすことは、二度となかった。
新人戦クラウド・ボール女子決勝戦第一試合。
第一高校絹旗最愛と第三高校一色愛梨の試合は、第一試合からクラウド・ボール史上でも例を見ない乱打戦が繰り広げられた。
第一セット。
お互いがラケットスタイルで始まったこの試合は、序盤に絹旗最愛がその圧倒的力業で優位に運んでいくが六球目からは一色愛梨が持ち前のスピードを生かして巻き返すというこれから先のセットの雰囲気が決まりかけた試合展開だった。
その展開がひっくり返されたのが、第八球目。
絹旗最愛はラケットと魔法の二刀流という前例のないスタイルで積み重ねた試合展開を破壊し、序盤のリードを保ったまま逃げ切り勝ちをした。
第二セット。
今度は絹旗最愛が魔法を器用に行使して序盤から点数を積み重ねていくという先行逃げ切りの短期決戦を仕掛けたが、球数が重なるにつれて魔法の粗さが目立って行き七球目で逆転、最終的にはダブルスコアで一色愛梨が勝利を収めた。
第二セットが終了した直後には短期決戦に失敗した、と言われていたが、その全容が明らかになったのはこのクラウド・ボールの全過程が終了した頃だった。
第三セット。
第一セット、第二セットと策を仕掛けてきた絹旗最愛の動向に目が向く中、再び両者がラケットスタイルで相まみえたこのセットは、序盤第一セットを踏襲するような試合展開が続いたが、第一セットのように絹旗最愛がラケットと魔法の二刀流を解禁したにも関わらず五球目まで無得点という驚異の粘りを一色愛梨が見せていた。
しかしそこで再び、絹旗最愛の策がさく裂する。
絹旗最愛はラケットを放り投げ、魔法のみで返球を始めたのだ。
この策は絹旗最愛の講じることができる最後の策であったが、第一セット、第二セットと魔法の連続使用による疲労からか勢いに乗ることができず、得点は重ねていながらも一色愛梨が追従していくというこれまでとはまた違った試合展開になった。
しかし、本当の運命の分かれ道は別に用意されていた。
追い上げムード、そして一色愛梨の勝利ムードが漂い始めた八球目。
突如として不気味に嗤い始めた絹旗最愛はそのキレを取り戻し、追い上げムードをバッサリと断ち切った。
流れを完全に断ち切られてしまった一色愛梨は何とかしがみ付いていくが既に力を出し切ってしまっており、そのままタイムアップ。
最終スコア2対1で絹旗最愛が劇的な勝利を飾った。
その内容は九校戦クラウド・ボール史上最も白熱したと言われる試合であるとともに、九校戦史上最も不気味で、最も狡猾な試合と評されるものだった。
「お疲れ、一色」
「水尾先輩……すみません、負けてしまいました」
「一色が謝ることじゃないよ。ただ相手が強かった」
三高の控室で愛梨は熱を持ち少し赤みを帯びている右腕にアイシングを押し付けながら、その敗北に悔しさを滲ませていた。
クラウド・ボールが始まる前は自分が勝つと、絶対に負ける気がしないと思っていたのにも関わらず、全力を出し切ってもなお届かない相手がいたのだ。
そして何より、最初から最後まで最愛の手の平の上だったような感触。
その事実が普通の敗北以上に愛梨のプライドを傷つけた。
「相手の揺さぶり方が上手かったね。BS魔法の隠し方も、それを出すタイミングも、心理戦の仕掛け方も、その全てが一色のペースをかき乱していた」
「それでも最後、八球目までは付いていけていました」
「八球目……あれは何と言うか、凄く不気味だったね」
水尾が同じ感想を抱いていたことに内心ホッといつつ、愛梨は今まで感じたことのなかった形容し難い感覚を思い出して少しだけ身震いした。
「不気味というか、怖かったです。心臓を鷲掴みにされているような変な感覚で、そこから足が鉛のように重くなってしまって」
「魔法、ではないだろうね。競技場の雰囲気からしても、気圧されたって言った方がまだしっくりと来る」
競技場全体が最愛によって掌握されていた。
そう言っても良い程に、競技場の温度差は凄まじいものがあったのだ。
「本当に自分が不甲斐ないです。三高のエースと呼ばれて、新人戦の枠に収まらないと皆から持ち上げられて、私は負けないと豪語して、結果は完敗」
口に出せば出す程、悔しさが滲み出てくる。
悔しさは自責の念となって、愛梨へと重く圧し掛かっていた。
それほどまでに最愛に負けたという事実が愛梨にとっては大きい出来事だったのだ。
パンッ!
何かが破裂するような音が、控室に響いた。
愛梨は驚いたように音の発生源に目を向けると、そこには思いっきり手を叩いたとのだと分かる水尾の両手が耳元に置かれていた。
反省ばかりしても仕方が無いと、切り替えを促す音だ。
「ほら一色。あんたがそんなんでどうするの。まだ完全に負けた訳じゃない。絹旗さんも疲れているのは間違いないし、その疲れている状態でも十分強敵だよ。でも第三セットまで持つかと言われたら、流石に持たない」
「……そうですね」
「でも一色は少しだけ休む時間がある。里美さんも強敵とはいえ、絹旗さんと試合した後ならそれなりに疲れているはず。まだ一色にも勝機はあるよ」
まだやれると、まだ優勝することはできると激を飛ばす水尾に、愛梨もその顔を上げる。
水尾の言う通り、優勝は厳しくなったがまだ負けている訳では無い。
休む時間が少しでもあれば体力の回復はできる。
元々運動ができる愛梨にとって体力が少し戻るだけでも勝率は大幅に変わってくるのだ。
何とか沈んだ気持ちから決起した愛梨。
だからそのアナウンスが聞こえてきたときは、何を言っているのか一瞬理解できなかった。
『クラウド・ボール女子決勝戦第二試合は、第一高校の絹旗最愛選手の棄権により同じく第一高校の里美スバル選手の不戦勝とします。よって第三試合の時間を繰り上げて開始致しますので、関係者の方は第三試合の準備を宜しくお願い致します』
最愛が棄権した。
愛梨以上に魔法を行使しており、その愛梨ですら全く想子が残っていないのだから当然と言えば当然かもしれない。
「……おかしい」
その呟きは、そこに違和感を覚えたため。
最愛は第三セットの終わりまで愛梨以上の動きを見せていた。
愛梨以上に体力が残っているのは間違いようの無い事実であり、試合を放棄するには早計としか言いようがない。
「……思ったよりも体力が残っていなかったみたいだね。二人とも一高だし、変に試合をして里美さんの体力を減らさないようにするという一高本部の———」
「そうじゃないです水尾先輩」
「え?」
だからその違和感の原因が分かった時には、驚愕を通り越して恐怖を感じる程だった。
「絹旗最愛の目的は私に勝つことじゃなくて、最初から最後まで私に優勝させないためだったんです」
「え? どういうこと?」
水尾の理解が追い付かないのも当然だろう。
だがそれが理由ならば、不自然だった第二セットも合点がいく。
「絹旗最愛が優勝するのを目的としているなら、第二セットも最初からBS魔法を使っているはずです」
「でもそれは短期決戦に見せかけた長期決戦を仕掛けるための布石でしょ?」
「私もそうだと思っていました。でもその短期決戦、本当なら絹旗最愛は可能だったはずです」
「可能だった? 本当なら絹旗さんは第二セットで一色に勝てたってこと?」
これは実際に最愛と試合をしなければ気が付かないことだ。
何かが見え隠れしていながらも、一向に正体を見せることがない違和感。
その全てが、この棄権で一つの線として繋がったのだ。
「マルチ・キャストもパラレル・キャストも使えるなら、両手打ちはその時から使えたはずです。体力が残っていたら九球まで撃ち合えるという事実がある以上、一時的に第三セットよりも得点差の開いていた第二セットで使えば決着はついていました。でもあえて短期決戦で決着を付けなかった。私の体力を限界まで削るために」
「———まさか!」
水尾も愛梨と同じ結論に至ったのか、驚愕に目を見開いた。
「その作戦通り、私は見ての通り想子も使い果たしている状態です。私は絹旗最愛に負けているため、たとえ里美スバルに勝てたとしても全員が一勝一敗。全員が優勝でもポイント山分けでも、決勝戦に二人参加している一高の一人勝ちです」
「でも待って。それなら一色にストレート勝ちすれば余力を残したまま里美さんと戦えるはず。絹旗さんが優勝した方が一高としては確実性がありそうな気がするけど」
「そこまでの理由は分かりません。里美スバルとの相性の問題なのかそれともそれ以外の問題なのか。もしくは里美スバルの体力を減らしたくなかったのかもしれません。そこについては憶測でしかありませんが、ただ一つ確実に言えるのは私の体力を奪うため意図的に長期戦を仕掛けていた、ということです」
本来ならばあり得ない。
だがここまで策を講じてきた最愛ならば、あり得ると思えてしまうような話だ。
「……もし今言ったことが全て事実だとして、一色はこれを一高本部が考えた作戦だと思う?」
「思いません。絹旗最愛が全て独断で行ったことだと思います」
「そうだよね……」
愛梨は立ち上がり、次の試合の準備をする。
棄権が確定した以上、ルール通り時間は繰り上げられて次の試合が行われる。
大会側に重大なミスが無い限り、そこに例外はない。
「でもここまで来た以上、諦める訳にも行きません。できる限りのことはやります」
「一色……」
控室から出ていく愛梨の後ろ姿には覇気が感じられなかった。
口では勇ましいことを言っていたが、現実は無常だ。
その後ろ姿を見送りながら、水尾は拳を強く握りしめた。
前々から話していた一次創作ですが、ついに投稿を始めました。
ハーメルン様でも投稿をしていますので、興味がある方は是非一読の程を宜しくお願いします。
https://syosetu.org/novel/272461/
宣伝は今回だけですので、どうかご容赦ください。
最愛の出場する競技は終わってしまったので、最愛の試合に関する別支点を交えつつ九校戦編は終わりに向かう予定です。
まあ競技以外でも色々って感じです。