その日、氷の魔女ヴェロニカは双眼鏡でいつものようにパユを観察、もとい覗き見をしていた。
氷の城での一件以降、もうパユのようになりたいという気持ちはなくなった。が、パユのおっかけはもはや趣味の領域。ヴェロニカにとってこの覗き見は生活に欠かせないものとなってしまっていた。
「おーい、ヴェロニカー?」
パユの美しさに見惚れていると、可愛げのない小間使いの声が聞こえてきた。このまま無視をしてパユの覗き見を続けてもいいが、その場合この小間使いにサボる口実を与えてしまうかもしれない。だから仕方なく反応することにした。
「うるさいね。いったい何の用だい」
「リュビーまで薬の配達に行くんだけど、どの薬をもってけばいいんだ?」
小間使いであるスヴィーの言葉で、薬を準備はしていたが、渡していないことに気が付いた。しかしそれを素直に認めれるヴェロニカではない。氷の魔女がうっかり渡すのを忘れていたなどありえない。
「ふん。どの薬を持っていけばいいか自分でわからないなんてそれでも小間使いかい。その棚の上から三段目、右から四つ目だよ」
「これか。さんきゅー」
ヴェロニカの物言いに、スヴィーは全く気にしない。いつものことなのだ。相変わらずの嘘つきな姿に、スヴィーはむしろ嬉しく思っていることにヴェロニカは気づかない。
「そんじゃまあ、行ってくるよ」
「首輪がないからって、サボるんじゃないよ」
「あいよー」
やる気をあまり感じられないスヴィーの返事。そのことについては、ヴェロニカは気にしない。もし、スヴィーが元気よく返事をしたりなどしたら気味が悪すぎる。
そう思えるくらいにはスヴィーとの付き合いも長い。
見送り、と言っても部屋からは出てないが、とにかく見送りを済ませたヴェロニカは再び双眼鏡でパユを覗こうとした。双眼鏡のレンズにはパユが楽し気に歌いながら踊る姿を映し出していた。
『ららら~♪ なんでもないのうた~♪』
「……」
歌い、踊るパユの姿もやはり美しい。至高の芸術品のようである。
パユのようになるのが怖くなった。
ヴェロニカがパユに言った言葉は嘘ではない。嘘ではないが、やはり嘘を一切つかないパユの純粋な氷の姿は憧れてしまう。焦がれてしまう。
パユのように、【今】しかない存在にはなるのは怖い。だがパユのように、誰にもわずらわされることなく、何かを楽しみたい。
そんな思いを募らせながら、パユの楽しむ姿を眺める。
そしてふと、ヴェロニカは気づいた。気づいてしまった。
今この家には、ヴェロニカしかいない。
いつもはいるスヴィーも今は配達中だ。リュビーまでの配達となれば、戻ってくるのは早くても夕方頃だろう。
つまり、今なら何をしようと、誰にも見られない。誰のことも気にせず、思うがままに行動できる。
もしも人里が近ければそんなことも出来ないだろう。だがこの地はゼルカロの地。数十年前の雪崩で誰も住むことが出来なくなった地だ。そんな場所に訪れる人間もいない。
『ららららら~♪』
「……」
双眼鏡にはパユが楽し気に踊り歌う姿が映されているままだ。
そして、ヴェロニカは魔法など使わず、パユになり切る気持ちで体を動かした。
「……ららら~」
ヴェロニカはパユと同じように歌う。
何年も歌っていなかったので、うまく音程が取れてるとは思えない。しかし、誰もそんなことを気にしない。何故ならここには今、ヴェロニカしかいないのだから。
「こおりのまじょのうた~」
少しアレンジを加えてみた。だんだんとノってくる。少し体を揺らす程度だった動きが、どんどんと大きくなっていった。
歌いながらその場でくるくる回る。ドレスで華を咲かすように。
「ららら~……らぁ!?」
調子よく歌い、踊っていたヴェロニカが驚愕の声をあげ動きを止める。
その理由は──────スヴィーがそこにいたからだった。
「……! ……!!」
「ちょっと忘れ物してさ。取りに来たんだけど……まあ、うまい方なんじゃね? 歌」
ヴェロニカは羞恥から声なき悲鳴をあげる。どこか気まずそうに視線を逸らしながらおざなりに褒めてきた小間使いに、普段の態度を出せないほどの恥ずかしさ。
「~~~っおだまり!! さっさと配達にいってきな!!!」
「りょーかーい」
辛うじて氷の魔女らしく叱責できたが、この小間使いは怯えることなく普段通りの返事だ。
一応、そそくさと出ていったあたり表面上は普段通りだが、慌てて出ていくくらいには氷の魔女の面目は保たれたのではないか。そうヴェロニカは自分に言い聞かせた。
「……まったく、気分が悪くなるね」
ため息交じりに独り言を愚痴る。
先ほどまで、気分だけはパユのようになれていたというのに。あまりの気分の落差にヴェロニカは無意識に歯ぎしりもしてしまう。
気分を変えたい。そう思いながら再び双眼鏡を覗き込んだ。
相も変わらずパユは楽し気に踊っている。
「…………」
無言で周囲を見渡す。誰もいない。
すぐさま窓のカーテンを閉める。そして次に扉へそっと近づき、僅かに開けて部屋の外の様子を見る。誰もいないことを確認したら扉を閉じ、部屋の中央へ。
今度は邪魔者など入らないだろう。もう一度パユと気持ちを重ねて楽しい気分になってみたい。
少し深呼吸。先ほどの羞恥を忘れるように。
「らら───」
「わるい、ソリ持ってくの忘れてたんだよな」
「らクに薬を作りたいねぇ!?」
歌い出しと同時に扉が開かれた。
咄嗟に独り言をしていたかのようにヴェロニカは振る舞った。
大丈夫だ。誤魔化せたはずだ。ヴェロニカは自身に言い聞かせる。
というかそもそも普通はノックをするべきではないだろうか。ましてや氷の魔女のいる部屋だ。この小間使い、図々しいにもほどがあるのでは。
ヴェロニカの胸中がどんどんと、羞恥からイライラに変わっていく。
というかなんでソリを部屋に置いておくのか。普通は小屋だろうが。もしくは自分の部屋だろうが。なんで主である魔女の部屋に置くのだ。
いつの間にか置かれていたソリに一切気づかなかったことは置いておいて、ソリを持っていくスヴィーに早く出ていけと念じるように睨む。
念じた成果があったのか、部屋から出ていこうとするスヴィー。
しかし、スヴィーは少しの悪戯心が芽生えてしまった。
ついつい、余計な一言を言ってしまったのだ。
「帰ったら歌、聞かせてくれねー?」
ニヤニヤしながらこの発言である。
そんなリクエストをヴェロニカが聞くわけがなく
「お、おお……ヴェロニカ? 表情やばいことになってんぞ?」
「誰が歌など歌うもんかい!! 無駄口を叩いてないでさっさとお行き!!」
顔を真っ赤にしながら地団駄を踏んで癇癪を起こした28歳。
スヴィーはやってしまったなぁと心の中で反省。こうなっては数日は不機嫌が続いてしまうのだ。
リュビーからの帰りに何かヴェロニカが気にいるものを探しておかないとな、と思いながら家を飛び出した。