アニメ化してるんだもの。
ウルカの長の第一子、ハルシュトは同盟先のアルムの村へと向かっていた。
ウルカとは違いアルムの変化は少しずつだ。急な変化は無用な混乱をもたらす。そのため代表が互いに話し合い、次の変化についてすり合わせを慎重に行う必要があった。
今回の話し合いはアルムの村。
ゆえにハルシュトはアルムへと向かっていた。
「時間が空いたらリイリ殿と手合わせでも願おうか」
なんとなく独り言をごちる。
アルムの長の娘、ハルシュトと同じく剣を振るうのが好きな女性リイリのことを思う。
空に花が咲いたあの日以来、リイリのお目付け役ベルナーも変化を少しずつ受け入れ、古き慣習から外れつつある。変わっていくものをリイリが見つけ、変わらないものをベルナーが見つけていくとリイリは豪語していた。
あの二人がいればアルムはこの先発展していくだろう。ウルカも負けていられないとハルシュトは己に活を入れる。
じきにアルムの村の入り口が見えてくる時だった。
見覚えのある者が、いつぞやのように頭を抱えうなだれていた。その尻尾は垂れ切っている。
それは、リイリのお目付け役ベルナーであった。
「ベルナー殿、いかがしたのだ」
「ハ、ハルシュト殿か……」
アルムの番犬ベルナー。
犬族の強い戦士として名を馳せるこの男が取り乱すときはたいていリイリ関連である。
今回もそうだろうな、とあたりはつけてハルシュトは尋ねる。
「リイリ殿と何かあったのか?」
もっとも、たいていはベルナーの早とちりが多いのであまり真剣に聞く気はなかったりする。だってベルナーだし。
それよりもハルシュトは少しだけこの場から離れたくなってきた。己の直感が告げているのだ。面倒くさいことになりそうだ、と。それはベルナーが原因なのか、それともアルムの村が原因なのかわからないが、ウルカに戻りたい衝動に駆られた。
とはいえ代表としての仕事がある以上、アルムの村にはいかなくてはならない。なのでハルシュトはただ面倒ごとが起きないように心の中で祈るだけだった。
「お嬢様は今日もたいそうお美しくあられる。ところでハルシュト殿……、紫の装丁の本を見なかったか?」
「いや? 見てないが……」
「そうか……、もし見つけたら、誰にも言わずに私に渡してくれ……。決して中を見るのは許さんぞ……!」
「あ、ああ……」
ハルシュトは察した。
ベルナーのいう紫の装丁の本。それはベルナーによる「リイリお嬢様の美しい日々を綴る日記」である。言ってしまえばストーカーによるメモ帳である。
以前その日記を記している場面を遭遇したハルシュトとしては、やめればいいのに、という気持ちしかわかない。
「私はもう一度自宅を探しに向かう……。以前は癒術師に拾ってもらったが、誰にも拾われてないだろうな……!」
そう言い残してベルナーは走り去って行った。
残されたハルシュトは、見つけたら気に留めておくか程度しか考えなかった。
それから、アルムで代表としての仕事をハルシュトは行った。
思いのほか早く終わり、どうしたものかと考える。
リイリとの手合わせと最初は考えていたが、ここに来る途中のベルナーの手伝いもありといえばありだ。ベルナーの日記が誰かに渡るのはあまり良くない。特にリイリ本人にベルナーの日記が渡れば、なんともいたたまれない。
「あ、ハルシュト様」
「おや、リイリ殿」
思案している最中に、件のリイリと出会う。
ならば手合わせにするかと思い、言いだそうとしたときだった。
「ハルシュト様なら……、ハルシュト様! お願いがあります!」
「お願い?」
「他の人には……、特にアルムの人には頼めなくて……」
ハルシュトの直感が告げだした。
面倒くさいことになると。それはもう警鐘のように直感が告げている。
しかしリイリの懇願。断りづらい。アルムの人に頼めないというのだ。内容次第では力になるべきだと考えた。
「いったいどういったお願いか、聞かせてくれるか?」
「はい! ……、これなんですけど」
「…………、紫の装丁の本だな」
どこかで見たことのある紫の装丁の本。それがリイリの手にある。
願わくば、ベルナーの日記じゃありませんように。そんなハルシュトの儚い願い。
「これ、ベルナーの物なんです……」
ウルカに帰ればよかった。
ハルシュトは己の直感がやはり正しかったことを実感した。
「そ、そうか……。それで、ベルナー殿の本がいったい何故リイリ殿のもとに?」
「この前、ベルナーと剣の稽古をしてた時にベルナーが落としちゃったの。ベルナーは気づいてなかったみたいで……」
「そ、そうか……」
まだ慌てるような時間じゃない。
リイリがこの本を読んだかどうかはわからないのだ。下手に何かを言って本の中身を確認されるのは不味い。
しかし、もしかしたらすでに中身を確認してしまったかもしれない。それはそれで不味い。なんとか確認したいがどう確認するべきか。
本を睨みながらハルシュトは考える。
本の背には「リイリお嬢様の色鮮やかな日々を綴る。Vol.64」とあった。
中身を確認しなくてもこれ絶対アウトだ。
「……リイリ殿、その……。ベルナー殿はリイリ殿のことを大切に思ってるからであって、ストーカーなどではない……、と思う」
こんな馬鹿らしいことで、折角変わりゆくはずのアルムで妙な空気になられては困る。せめてもとベルナーのフォローをいれることにした。
「うん……。ベルナーだもんね」
「ああ、ベルナー殿だからな」
ベルナーの常日頃の過保護さが、今回ばかりはいい方向に働いたのか、まあベルナーだし、という謎の納得で済んだ。
「でも、これをアルムの人に見られるのは不味いと思うの。だからといって私がベルナーに渡すと……、さすがに気まずいかなって」
「そうだな……。それで私に頼んだのか」
「はい……」
「わかった。私に任せてくれ」
「ありがとうございます!」
リイリの垂れた耳を見て放っておけるわけがなく、ハルシュトは快諾した。
すでにベルナーがこういう日記をつけているというのは事前に知っていたことだし、ベルナー自身もハルシュトにはバレていることを知っているのだ。ある意味これ以上ない人選である。
そうと決まればと、ベルナーの元へ向かおうとして足が止まった。
またも直感が告げているのだ。面倒くさいことになる、と。
これまでのハルシュトの人生を支えてきた直感。
本を渡すのは日を改めたほうがいいと告げている。
そして考える。この日記帳は別に急ぎ渡す必要はない。
ハルシュトは一度、ウルカに帰ることにした。
それから、何日経ってもなお、直感が面倒くさいことになると告げていた。
これはもう、ベルナーが面倒くさいからなのでは? という疑惑が芽生えるほどだった。
何日もこんな本を持っているわけにもいかない。そろそろ覚悟を決めなくてはならない。
そんな時、ハルシュトの部屋に人が訪れた。
「姉さん、これからアルムの村に行くんだけど姉さんも来る?」
ハルシュトの弟スティトである。
あれから隠れることをやめて、少しばかり社交的になったスティトだ。最近ではアルムの村にこうして遊びに行くことが増えた。正確には、対人関係の練習も含まれているが。
「あ、ああ。そうだな……」
スティトの対人関係の練習。
花火を作るようになってから、行商人のジャモに外の国を見てみないかと誘われているからその練習にアルムへ向かう。今まで人から隠れていたスティトのための練習だ。
外の国ではいろんな者がいるだろう。
心優しい者もいれば、そう。面倒くさい輩も。
これも練習になるのではないか? そんな悪魔の囁きが、ハルシュトを惑わす。
紫の本をベルナーに渡す。そのお使いをスティトに頼むのはどうだろうか。
スティトはベルナーのリイリ偏愛ぶりを知っている。日記については知らないだろうが。
まぁそこはベルナーだし、と納得するだろう。
「私はやめておくよ。まだやらねばならないことがあるからな。それより、ついでに頼みたいことがあるんだが」
「なに?」
これはスティトの対人関係の練習のため。
そう、練習のため。ひいてはスティトのため。
ハルシュトは己にそう言い聞かせ、紫のあの本をスティトに渡した。ちなみに紙のカバーをかけてタイトルは見えないようにしている。
「以前、この本を拾ってな。ベルナー殿のなんだが、渡しといてもらえるだろうか」
「ん。わかった」
「た、頼んだ」
「? わかったよ」
こんな姉をどうか許してくれ。そんなことを思いながら、ハルシュトはスティトを見送った。
でももうスティトも18歳なんだし、これくらいいいよね。そんなことも思いながら。
「ベルナーさん、これ」
「ん? これは……、これは!?」
「ベルナーさんのだよね?」
「あ、ああ! ところで読んだか!? いや、カバーを掛けたということは、私の物だとわかったということは……、中身を見たな!?」
「え。え……? た、たぶん?」
「まあ……、ハルシュト殿の弟ならば、まだいいか」
「えっと、俺、もう行っていい?」
「ああ、礼を言う。その前に、中を見た感想はどうだったろうか」
「え? いや、俺は見てな───」
「ちゃんとお嬢様の可憐な様子、美しいしぐさ、すべてを十二分に書けていただろうか。私の稚拙な文章で、たとえ文の中であろうとお嬢様の魅力を引きだせていなければと思うと……」
「あの……?」
「しかしそう考えるとハルシュト殿の弟に見つけてもらえたのは幸運だな。お前もリイリお嬢様の魅力については知っているだろう。不埒な真似はさせないが、魅力について共に語ろうではないか」
「え? え?」
「共に語らう同士というのは良いものだな。さ、今日は俺の家に来るといい」
「あ、あの───」
「せっかくだ。リイリお嬢様の麗しき日々を1巻から共に語るか!」
スティトがウルカに帰ってきたのは、3日後のことだった。
ハルシュト様のファンの方へ。ごめんなさい。
あとベルナーのファンの方へ。本当にごめんなさい。