villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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第二十二章「氷雨伝」
一話「朧氷雨」


 

 

 魔界都市デスシティ、中央区の南側にある青宮霊園にて。

 ベンチに腰掛けながら無愛想な面を晒している美少女が居た。兎耳の付いた黒のパーカーに眼鏡、そして隣に立て掛けているミスリル銀製の長棒。

 大和の実娘であり最強の妨害屋──黒兎(こくと)である。

 

 彼女は曇天の空を鬱屈げに眺めていた。うねる灰色の入道雲は、彼女の心境をよく表している。

 

(……モヤモヤしますね。心が晴れない)

 

 以前の邪神騒動以降、黒兎にはこういう時間が増えていた。心に重たいモヤがかかっている。それが無償に腹立たしく──しかし解消する術を見つけられない。

 

(何なんですか、コレは……)

 

 自問。普段から冷静沈着……悪く言えば無感情な彼女は、己の内に燻る激情に戸惑っていた。

 

(クソ親父に手加減されていたから……? いいえ、ムカつきますが、本質はソコではない)

 

 では、一体何なのか? 分からず、黒兎は細い両脚を苛立ち気にぶらつかせた。

 そんな彼女に声がかかる。女の声だった。

 

「へぇ、珍しいわね。その歳で自然に気配遮断ができてる……それもかなり高度」

「…………」

 

 自分に声がかけられた事を察し、黒兎は首をかたむける。視線の先には、黒髪を腰まで流した美女がいた。

 

 容姿的年齢は二十代前半ほど。白シャツに黒のスーツ、漆黒のロングコートという出で立ち。白シャツを盛り上げる豊満な胸、括れた腰回り。総じて抜群のプロポーションを誇っている。

 

 そしてブラウン色の双眸──言い得もしない不気味な輝きを灯していた。

 

 咥え煙草をしている彼女は紫煙を吐き出すと、その美麗な眉を顰める。何かに気付いた様だ。

 

「アンタ、アイツの──大和の血縁者でしょ? 雰囲気が昔のアイツにそっくりだもん」

「っっ」

 

 黒兎は莫大な怒気を迸らた。大和と比較される──黒兎にとってそれは侮辱も同然だ。

 しかし謎の美女は鼻で笑う。

 

「何? パパの事嫌い? 悪かったわね、変な事言って。……そうよねぇ、アイツ子育てとかしないもんねぇ」

「…………」

 

 彼女の態度を見て、黒兎は静かに怒気を収める。ミスリル銀の長棒を置いて、そっぽを向いた。

 

「放っておいてください」

「いいじゃない。気になる事もあるし」

 

 そう言って、謎の美女は黒兎の隣に腰掛けた。上手そうに煙草を吸っている彼女に対し、黒兎は怪訝な眼差しを向ける。

 

「誰ですか、貴女は……」

「質問よ」

 

 アンタは「何のために」強くなったの──? 

 

「……ッッ」

 

 黒兎は咄嗟に反論しようとしたが、上手く言葉を出せなかった。

 

「答えられない? やっぱりね……アンタからは「信念」を感じない」

「信念……?」

「そう、信念」

 

 謎の美女は紫煙を吐き出しながら嗤う。

 

「強さが「肉」なら、信念は「骨」よ。幾ら肉が強靱でも、骨がスカスカなら意味が無い」

「ッ」

「アンタからは信念を全く感じない。だから……弱いわねぇ、若いわねぇ」

 

 嘲笑を零した後、謎の美女は立ち去ろうとする。

 黒兎は思わず引きとどめた。

 

「ま、待ってください!!」

「ん?」

 

 振り返った謎の美女に、黒兎は珍しく困惑した表情で問う。

 

「……貴方の言う「信念」というのは、どうすれば見つかりますか?」

「甘えないで。自分で見つけなさい。そういうものよ、「信念」ってのは」

 

 肩を竦める謎の美女に、黒兎は再度問う。

 

「では、お名前だけでも教えてください」

「……」

 

 紫煙を噴かせた後、謎の美女は嗤った。

 

氷雨(ひさめ)。朧氷雨──アンタのパパの幼馴染みよ」

「!!!!」

 

 驚愕する黒兎。魔界都市でも彼女の名前は取り分け有名である。

 調停者──特異点の亜種であり、世界の拮抗を「物理的に」整える存在。

 超越者の中でも別格とされている大和、ネメア、エルザベスと肩を並べられる、規格外の中の規格外。

 

 世界最強の異能力者──氷雨。

 

 唖然とする黒兎を置いて、氷雨は去っていく。

 周囲を漂う甘ったるい紫煙の香りは、彼女が愛する銘柄、ピースの匂いだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 氷雨には幼馴染みがいる。唯一心を開き、唯一尊敬している存在が──

 彼は無二の親友であり、永遠の好敵手(ライバル)である。

 

 そんな幼馴染みの気配を辿りながら、氷雨は魔界都市を散策していた。

「相変わらずこの都市は」と紫煙を噴かせながら苦笑している。

 

 サイバネとオカルトが混じり合い、暴力と欲望で穢れている魔界都市デスシティ。しかし、氷雨にとっては安住の地だった。彼女もまた暴力を是とする魔人なのだ。

 

 暫く歩いていると、幼馴染みがいるであろう場所へと辿り付く。魔界都市でも有名な魔導図書館だった。世界中のありとあらゆる歴史が書物として保管されている、最重要地帯の一つである。敷地面積は東京ドーム三つ分ほど。表世界を含めても最大の図書館だ。

 

 広大な書館内を進んでいくと、並列している個室の廊下から濃い気配を感じた。

 氷雨は悪巧みを思い付いたのだろう、悪戯っぽく嗤うと陰陽術の一種、隠行で気配を極限まで薄める。大和を脅かそうとしているのだ。

 

 氷雨は世界最強の異能力者だが、同レベルの魔導を習得している。本職ではないものの、仙術や禁術などのマイナーな術式にも精通していた。

 

 彼女は異能力を用いずとも世界最強クラスである。武術と魔導を我流ながら極めており、集団戦ではあの大和を越える戦闘力を誇っていた。

 

 そしてそのキツイ性格から、神魔霊獣のみならず邪神からも恐れられている。あのナイアですら対話を避けるほどだ。

 特に聖書に記されている悪魔勢力は一度冥界ごと滅ぼされかけた事があり、唯一神以上に彼女の事を畏れている。

 

 そんな彼女は 、悪どい笑みを浮かべながら個室の鍵を解錠し部屋の中へと侵入する。

 濃い紫煙の香りが鼻孔をくすぐった。薄暗い部屋の中、まず見えたのは──大き過ぎる背中だった。

 

 横になり、書物を読み耽っているその背中はあまり大きく──あまりに寂しかった。鮮やかな真紅のマントが血色に見える。

 勇士の背が汚れていた。幾多の憎悪と哀しみによって──

 

 氷雨は表情を歪ませると、隠行を解除し、囁きかける。

 

「久々ね、大和……」

「……氷雨か」

 

 大和は振り返らない。氷雨は思わず呟いた。

 

「また寂しくなってるわよ、アンタの背中…………馬鹿じゃないの」

 

 抽象的なその言葉に、大和は何も答えなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 会話は無かった。無くてもいい。そういう関係だった。

 氷雨は大和の背中にもたれかかり、紫煙をくゆらせている。

 無言の時間が過ぎていく。

 ふと、氷雨が告げた。

 

「アンタの娘に会ったわよ。眼鏡をかけた、兎みたいなチンチクリン」

「……ああ、黒兎か。エリザベスとの餓鬼だ」

「へぇ、どうりで」

 

 氷雨は納得した様に頷く。

 

「実力と精神性が噛み合ってなかったわ。アレは何時か壊れるわよ」

「知るかよ、テメェで選んだ道だ」

「…………」

 

 氷雨は吸い殻を灰皿で潰すと、もう一本煙草を取り出し魔術で点火する。そして苦笑した。

 

「アンタの子供の頃にそっくりだった」

「あんな不細工じゃねぇよ」

「そう? 私と初めて会った時はあんな感じだったわ」

 

 今度は大和が黙る。ラッキーストライクを深く吸い、溜息と共に吐き出した。

 

「昔話をしに来たのか?」

「違うわよ。でも、たまには過去を振り返るのもいいじゃない」

「必要ねぇ。過去は過去だ」

「それでも、アンタと出会って私の人生は変わった」

「…………」

「当時、私は平民だったけどアンタは王子様だった。……初めての友達、初めてのライバル。……そして、初めて好きになった男」

 

 氷雨は振り返り、大和の背中に触れる。そして爪を立てた。

 

「……誰もアンタの事を認めてくれないのね。もう誰も、アンタを「英雄」と呼ばないのね」

「…………」

 

 大和は何も答えない。

 氷雨は悲しそうに、悔しそうに告げた。

 

「アンタは誰に対しても「対等」を求めてる。誰よりも努力し、誰よりも多大な功績を打ち立てたアンタは自分自身に絶対の自負を持つ誇り高き勇士よ。なのに……誰もそれを理解しようとしない」

 

 唇を噛み締める氷雨。大和の背中に立てられた爪が鋭さを増した。

 大和は低い声音で告げる。

 

「認められたいワケじゃねぇ……勘違いすんな。有象無象の評価なんざ、どうでもいいんだよ」

 

 その言葉に、氷雨は首を横にふるう。

 

「アンタはそれでいいのかもしれない。でも、私は嫌なのよ……悔しいのよ」

 

 氷雨の想いを感じ取った大和。

 彼は煙草を灰皿で潰しながら、静かに答えた。

 

「有象無象から評価されるよりも、お前から評価された方がいい」

「っ」

「それで十分だよ、俺は」

「~~~~ッ」

 

 氷雨は表情を蕩けさせると、大和の肩を揺する。

 

「……ねぇ、こっち向いてよ」

「あ?」

 

 振り返った大和の唇に、氷雨の唇が重なった。

 強引な口付け。氷雨は彼の首に両手を回して離さない。

 静かに舌を絡ませ合う事数分、氷雨は漸く大和を開放した。

 

「……思った。アンタはそのままで良い。有象無象はアンタの魅力に気付かなくていい。評価されるのも癪よ」

 

 氷雨に頬を撫でられ、大和はまるで猫の様に三白眼を細めた。

 

 氷雨は床に手を当てる。すると大和の仮宿に場所が入れ替わった。魔導の一種だ。

 ブラウン色の瞳を潤めている彼女に対して、大和は薄く笑いかける。

 

「氷雨」

「大和……」

 

 そのまま抱き合い、再度唇を重ね合う。

 この後、二人は激しく愛し合った。氷雨の喘ぎ声は高らかに、官能的に、部屋の外にまで響き渡った。

 

 氷雨は大和を慰める様に何度も求め、そして何度も果てていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 青宮霊園の噴水場の前で。黒兎は蹲り、黙々と考えていた。

 

(信念とは、一体何なのでしょう……)

 

 黒兎にはわからなかった。信念に何の意味があるのか?

 ソレが果たして戦闘力に繋がるのか──

 

 あらゆるものを利用して勝てばいい。勝たなければ意味が無い。

 黒兎はそういう持論を持っていた。

 

(……しかし、あの腐れ親父の信念は間違いなく強さに繋がってる。あんなに無茶苦茶なのに)

 

 ご都合主義に頼りたくない。自分の力で物事を成したい。だから闘気以外の全ての力を捨てた。

 

 黒兎には到底できない所行だった。そんな事をすれば確実に弱くなる。しかし大和は強い。有無を言わさないほどに──彼は世界最強クラスの中でも別格だった。

 

(何故? 考えれば考えるほど理解できない。才能? 努力? 経験値? ……わからない)

 

 それでも、一つだけわかることがある。大和に勝てないこと。

 戦闘力や経験値以前の問題である、最初から勝てる気がしないのだ。

 

 ……単純に、人間の「質」で負けている気がする。精神性で負けている気がする。

 

 そう思った黒兎はパーカーを目一杯被った。

 

(……不快です。凄まじく不快です。何故負けるのですか、何故あんな男に……)

 

 奥歯を噛み締めながら、それでも黒兎は考え続ける。

 何故、勝てるイメージが湧かないのか? やはり信念なのか? 

 ここでふと、彼女は冷静になった。

 

(そもそも、何で私は腐れ親父と競おうとしているのでしょう?)

 

 疑問が生まれ、更なる疑問が生まれる。

 

(あれ? 何で私は妨害屋なんて職業をしているのでしょう?)

 

 理由を忘れてしまった。彼女は目に見えて狼狽する。

 これでは信念以前の問題だ。必死に過去の記憶を探りはじめる。

 

 まずは何故、妨害屋になったのか──

 

(そう、そう、私は強くなりたかったんです。腐れ親父よりも強く……では、何故?)

 

 わからない。

 そう、わからないのだ。黒兎は唖然とする。

 

 自身の存在を定義できない。今の自分に対して疑問しか抱けない。

 

 黒兎は深い絶望を覚える。

 しかし 、同時にある情景が思い浮かんだ。

 それは、かけがえのない記憶。

 

『幸せになる権利は誰にだってある。大丈夫だ、世界はお前を拒んだりしない』

『黒兎、俺はお前の本当の父親じゃない。……だが、お前を育ててやる事はできる』

『それが魔闘技法だ。……お前の身を守る術だ。決して悪用するんじゃないぞ』

『困った時は何時でも来い。お前は俺の弟子であり……娘の様な存在だ』

 

 

「…………っっ」

 

 

 黒兎はポロポロと涙を零し始めた。

 金髪の偉丈夫の穏和な笑み。そして頭を撫でられた時の確かな温もり。

 

 彼のおかげで生きていこうと思えた。このクソッタレな世界に、希望を見出せた。

 

「…………私は馬鹿ですッ。今更になって、思い出したッ」

 

 誰でも無い、ネメアのために強くなろうと思ったのだ。あの笑みをずっと傍で見ていたいから。

 

 

 黒兎は自分自身の情けなさに、静かに涙を流した。

 

 

 ◆◆

 

 

 日は昇り、翌日。

 氷雨は大和を膝枕していた。咥え煙草を噴かしながら穏やかな笑みを浮かべている。

 

「油断し過ぎ」

 

 その言葉に、大和は柔らかく微笑み返した。

 

「お前のそんな優しい表情も、滅多に見れねぇな」

「……フン、お互い様ね」

 

 氷雨は煙草を灰皿で潰すと、リラックスしている大和に囁きかける。

 

「まるで飼い猫みたい……いいえ、普段の獰猛さから言ったら虎かしら?」

「懐く相手は考えてる。お前は特別だ」

「フフフ」

 

 氷雨に頬を撫でられ、大和はゴロゴロと喉を鳴らす。

 まさしく大型の猫科動物。骨格もソレに近いので、余計にそう見えてしまう。

 

 誰にも媚びず、屈しない孤高の益荒男。

 普段絶対に見せないその緩みきった表情を見て、氷雨は蕩けた笑みを零した。

 

「私の膝枕はアンタだけのものよ。存分に甘えなさい」

「そうさせて貰う」

 

 氷雨は普段絶対に見せない優しい顔で彼を慈しみ続けた。

 自覚無きその傷心を癒やす様に──

 

(大丈夫よ大和……例え世界の全てがアンタに敵対しても、私だけは味方だから)

 

 幼馴染みとして、好敵手として、愛する異性として。氷雨は大和の事を心底愛していた。

 無二の親愛を受け、大和は心地良さそうに三白眼を細めている。

 

 甘い時間が過ぎていく。二人だけの、甘い時間が──

 

 しかし、唐突にインターホンが鳴り響く。

 大和は眉根を顰めた。

 

「誰だ、こんな朝っぱらから」

「無視したら?」

「いいや、この気配……」

「……ああ、成程。面倒事ね」

 

 氷雨の表情が険しくなる。玄関扉の奥に佇む存在がそれほどまでに強大だったのだ。

 大和は玄関まで向かい、扉を開ける。

 

「何の用だ? 副首領殿」

 

 眼前で煌びやかな金髪が靡く。絶世の美女と見紛うばかりの長身痩躯の美男が佇んでいた。

 彼はその場で優雅に一礼する。

 

「御機嫌よう。朝早くからの訪問、申し訳ない。お二方にこなして頂きたい依頼があるのです。……大和様、氷雨様」

 

 魔界都市で最も畏れられる勢力、邪神群。その副首領。

 

「門にして鍵」「全にして一、一にして全なる者」「原初の言葉の外的表れ」「外なる知性」「混沌の媒介」

 

 時空間そのものである外なる神──ヨグ・ソトース。

 彼の突然の来訪に、大和も氷雨も表情を険しくした。

 


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