Villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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二話「殺戮者と調停者」

 

 卓袱台を挟んで、三名の超越者が相対していた。

 副首領ヨグ・ソトースは出された氷水を静かに口に含み、そして妖艶に微笑む。

 

「逢い引きの邪魔をするのも忍びなかったのですが──緊急の案件でして。許していただきたい」

「心配すんな。下らねぇ用件だったらぶっ飛ばすだけだ」

「右に同じく」

 

 笑いながら、それでも不機嫌そうに煙草を吸っている二名。ヨグは苦笑すると、早速依頼内容を話しはじめた。

 

「先日、ティンダロスの王達から宣戦布告を受けましてね。「こちら側」の世界を滅ぼす」と」

「そりゃまた……」

「物騒な話題ね」

「世界滅亡の危機ですよ」

 

 ヨグは笑みを崩さないものの、目が笑っていなかった。

 

 ティンダロスの猟犬──以前、大和が馬鹿なお嬢様を護るために蹂躙した邪神の一種である。

 彼等の正確な呼称は「悪性隔離魔境ティンダロスに生息する怪物」。

 数億年前、最後の終末論「デモンベイン」が起こる前に勃発した「時空間改変事変」。その主犯格である彼等は大和と氷雨を含めた当時の英傑達に時間が存在しない始原の不浄、異常なる角度に封印された。

 

 以降、彼等は「こちら側の世界」への干渉を制限されている。具体的に言えば、こちら側に顕現する際に相応のペナルティを背負う羽目になるのだ。猟犬の中でも最上位種である「王」が以前大和に呆気なくあしらわれた理由がコレである。

 

 今回の案件、普段通りであればたとえ王であろうともA級の殺し屋あたりに任せておけば問題無い。

 しかし、こちら側の時空間を管理しているヨグがわざわざ大和と氷雨の元へ訪れたのだ。相応の事態なのだろう。

 

 ヨグは続ける。

 

「こちら側とあちら側の境界線──即ち封印が解除されました。王複数体と猟犬の大群がこちら側へ向かってきています。今は別次元空間「決戦場」にて足止めしておりますが、何時までもつかわかりません。お二方には至急、これらを排除して頂きたいのです」

「大方わかった。すぐに向かうが、一つだけ聞かせろ。何故封印が解けた?」

 

 大和の疑問に氷雨も頷く。

 こちら側とあちら側を隔てる封印術式は容易に解けるものではない。それこそ、災厄の魔女エリザベスでも無ければ不可能だ。他に候補がいるとすれば──

 

「……いや、いい。何となくわかった」

 

 大和は頭を押さえ呻く。

 

「雅貴と七魔将だな」

「ご明察です」

「雅貴単体でも厄介なのに、北欧の古式魔導に精通してるフェンリルと魔導の始祖の一角である師匠がいるんだ。あの封印を解除するなんざ造作もねぇ」

 

 大和は「あー嫌だ嫌だ」と言いながら立ち上がる。そして首をゴキゴキ鳴らした。

 

「うっし、久々の大仕事だ。ヨグ、報酬はたっぷり貰うぜ」

「勿論です」

 

 頷く彼に、同じく立ち上がった氷雨が問う。

 

「猟犬達を押し留めている決戦場って空間、どれだけ頑丈なの? 私と大和が本気で戦っても大丈夫?」

「ええ、私を含めた複数名の外なる神が対応します。強度は問題ないでしょう」

「ならいいわ。私単体なら兎も角、大和と一緒だったら余波で世界を滅ぼしちゃうかもしれないから。そしたら本末転倒でしょ?」

「仰る通りです。こちらも全身全霊を尽くします」

 

 深々と頭を下げたヨグ。改めて二名を見上げる。

 シガーキスで煙草の火を付け合った二人は、凶悪な笑みを向けてきた。

 

「さぁ、ヨグ。さっさと連れて行け。もう待ちきれねぇ」

「疼いて仕方無いわ。早く戦いたい……血湧き肉躍る闘争が私の生き甲斐なのよ」

 

 その歪んだ笑顔は、まさしく魔人の面目躍如であった。

 ヨグは苦笑しながら頷くと、二名を最終防衛ライン──決戦場へと転移させた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ティンダロスの猟犬一軍は現在、ヨグ・ソトースお手製の特別空間「決戦場」に閉じ込められていた。あちら側への侵攻を邪魔されている。

 最後尾で佇んでいる巨躯の魔犬達──王らはアイコンタクトで意思疎通を始めた。

 

 自分達が力を合わせれば、この空間を破壊できる。あちら側の通路を切り開ける、と。

 

 一般的な猟犬であろうとも、誓約が無ければ中級神仏──多次元宇宙を軽く消し飛ばせる戦闘力を誇るのだ。その王達となれば言わずもがな。超多次元宇宙、その上位空間である三千世界も容易く破壊できる。

 

 この決戦場は三千世界を数百個用いた空間だ。故に王達が力を合わせれば──

 

 しかし、異変は唐突に起こる。宇宙空間に似た上空に亀裂が奔り、合間から何かが落下してきたのだ。

 

 王らは唸り声を上げる。警戒心と、それ以上の敵愾心を剥き出しにした。配下の猟犬達もである。

 何せ、「彼等」は自分達を異常なる角度へと追いやった忌まわしき人間達だから。

 

 派手に着地した二名は、莫大過ぎる闘気とオーラを解放する。その有無を言わさぬ圧力に大多数の猟犬達が竦んだ。

 

 無理もない。二名は殺戮者と調停者──―超越者でも更に別格の存在である。

 

 二人の強大過ぎる力は瞬く間に決戦場に亀裂を奔らせた。が、ヨグを含めた外なる神達が外部から空間を補強する。

 

 さぁ、舞台は整った────

 

「ショータイムの始まりだ」

「楽しませて頂戴。その命を以てして」

 

 大和と氷雨は背中を合わせると、それぞれの得物を手中に収める。

 蹂躙劇の幕開けだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 氷雨の得物は柄も鍔も無い白銀色の長刀だった。茎は晒のような細長い白布で覆われている。

 

 無銘・氷華──氷雨が異世界で手に入れた名も無き最上級大業物。埒外の斬れ味を誇りながら決して刃毀れせず、決して折れない至上の名刀である。

 

 大和は薄ら笑みを浮かべている彼女に問うた。

 

「どうするよ氷雨……暴れるか?」

「勿論、久々のイイ獲物だもの。全部欲しい」

「そうかい。俺は楽な方がいい、裏方に回るぜ」

「勝手になさい」

 

 得物を納め、存在感ごと姿を消す大和。氷雨はやれやれと肩を竦めた。

 

「ったく、アイツは……」

 

 懐まで入ってきた猟犬達を一瞬で斬り伏せ、氷雨は片手に絶大な魔力を溜め込んだ。

 刹那に術式を構築、本来であれば魔導師でも詠唱を要求される最上級魔導を発現する。

 

 圧倒的純度で練られた魔力を熱エネルギーに変換、前方に照射する無限熱量の破壊光線──

 

万象焼き尽くす光の奔流(サテライト・レイ)

 

 放たれた極太ビームは数百億から成る軍勢を両断した。光速の数万倍の速度……時間という概念すら超越して行動できる猟犬達が、避ける暇すら無く呑み込まれていく。

 

 流石に王達は避けたが、それでも牽制の一撃には十分過ぎた。

 

 氷雨は再度術式を構築。今度は炎熱系最上位魔導「終焉の業火(レーヴァテイン)」を展開し、無銘・氷華に術式付与(エンチャント)する。

 

 神魔必滅の炎剣を振り上げた彼女を、無限速に至った王達が噛み千切ろうとした。本来であれば超越者でも知覚できない最上位の速度域にいる彼等を、しかし氷雨はきっちりと認識している。

 だが対応しない。敢えて無視する。氷雨の肉体に牙が触れる寸前、王らの頭蓋が弓矢によってぶち抜かれた。

 

 大和の放った強弓である。最上位の不老不死の権能を誇る王らが消滅しかけるほどの闘気が練り込まれていた。

 

 ソレらが間を置かずに飛来してくるので、王等は堪らず逃亡する。

 

 王達は追撃を加える事もできず、逃げるだけで精一杯だった。

 しかし、逃げつつも全知全能の権能を用いて空間全域を捜索している。

 だが、大和の存在を認識できない。

 

 唯我独尊流、明鏡止水。

 

 隠行の極地。森羅万象、世界そのものと一体化する事で自身の存在を限りなく薄める武術の深奥、その一端。

 その効果は視覚的なものに留まらず体臭・体重・体温・触感など大和の存在に関する全てに及ぶ。

 この状態の大和は「見えない」のではなく「認識できない」。

 

 つまり王等は大和を認識できないのだ。全知全能の権能で辛うじてその存在を記憶に留めておく事はできるが、油断すれば忘れてしまう。

 

 不意打ち気味に放たれる弓矢に神経を極限まですり減らされる。

 

 大和に注意が向かえばもう一名の規格外──氷雨への警戒が薄まる。

 

 氷雨は数百億からなる軍勢に突撃し、神魔必滅の炎剣を振り回していた。生まれた余波だけで百万単位の猟犬が溶解していく。何とか近付こうにも、氷雨の理外の闘法に付いていけない。

 

 その戦い方は自然体でありながら優美、それでいて野性的。まるで舞でも踊っているかの様に炎剣を振り回している。

 

 武術では無いが、極めて戦術的な闘法。

 

 大和の武術が「殺戮、破壊のために徹底的に合理化された術理」であるのに対し、氷雨の闘法は「化外が磨く筈も無い技を磨いたが故の術理」だった。

 

 王達の意識が氷雨に向いた瞬間、待ってましたとばかりに彼女は両手で別々の術式を編み込む。

 最上位の冷凍系魔導「凍てつく世界(コキュートス)」と、同威力を誇る仙術「摩訶鉢特摩(まはかどま)」。

 

 それらを足元に押し当て、決戦場全域を「凍結」させた。同時にオリジナルの状態異常魔導を発動する。

 

 過負荷(アブノーマル)

 

 冷凍系魔導の補助技。全ての事象概念にマイナスの効果を付与する。 発動条件は気温が氷点下を下回っている事。 範囲は氷点下を下回っている空間全域。

 

 この補助魔導の凶悪性を、猟犬達はその身をもって味わう事になる。まるであちら側の「誓約」を受けたかの如く、力の大半を封じられてしまったのだ。

 

 過不可が行き渡った事を確認した氷雨は更に陰陽道の基本術技、不動金縛りで猟犬全員を拘束する。本来であれば容易に解ける拘束を、しかし弱体化した今では解けない。

 

 氷雨は嗤って天高くに跳躍した。

 

「大和!! 一掃よ!!」

「おうさ」

 

 大和は既に待機していた。薙刀を携え、力を蓄えている。この世で最も強靱な筋肉繊維を一本一本限界まで引き絞り、全ての関節を駆動域限界まで捻り込む。

 それらを一瞬で終わらせると、唯我独尊流の陽の型、天中殺と同質量の闘気を刀身に圧縮した。

 

 強制終焉、幕引きの一撃の亜種──眼前数多を問答無用で「消滅」させる超広範囲攻撃。

 

「天中殺」二式──「天地薙ぎ」

 

 放たれた一撃は遍く総ての猟犬達を消し飛ばした。余波だけで決戦場が崩壊しかけるが、外部にいるヨグ達が即時修正する。

 

 残ったのは瀕死の王数匹のみ。上空から降りてきた氷雨は周囲を見渡し、やれやれと肩を竦める。

 

「殆ど消滅しちゃったわね。情けない」

「まだ残ってるぜ。手早く決めるぞ」

「ええ」

 

 氷雨は無銘・氷華に魔導で「絶対切断」の概念を込め、大和は薙刀を虚空に放り投げる。

 そうして超速再生中の王等に狙いを定め、それぞれ必殺の一撃を見舞った。

 

「神剣・経津主神(ふつぬしかみ)

魔剣投擲(ゲイ・ボルグ)

 

 片や、刀剣の神の名を冠する切断の絶対概念。片や、自身の誇る最強の遠距離攻撃、魔導武術混同の因果逆転、必殺必滅の魔槍。

 

 その威力たるや、王等を消し飛ばすだけに留まらず決戦場を突き抜け、世界そのもの──三千世界を無限数内包した森羅万象そのもの、三千大山世界にまで及んでしまうほどだ。

 

 それでもヨグ達、外なる神のおかげで被害は最小限に収まった。氷雨と大和は同時に拳を掲げ、コツンと合わせる。

 

「流石ね、私のライバル」

「流石だ、俺の幼馴染み」

 

 互いにニヤリと笑うと、肩を叩き合って笑い合う。その横顔は実に無邪気だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 仮宿に戻った氷雨は大和の懐にすっぽりと収まっていた。曰く「特等席」らしい。

 大和は苦笑しつつもそのままにしていた。

 氷雨は上機嫌そうに呟く。

 

「あーあ、今回は異能を使う必要も無かったわね……やっぱアンタがいると歯応えなくなるわ」

「何だ? 不満か?」

「ええ、だからたっぷり私を甘やかしなさい」

「へいへい」

 

 大和は氷雨の頭を撫で回す。

 氷雨は気持ちよさそうに目を細めていた。

 

 すると、あちら側の封印を終えたヨグ・ソトースが現れる。彼は丁寧に正座すると、その場で深くお辞儀した。

 

「ありがとうございます。おかげで助かりました。報酬は大和様の口座に直接振り込ませていただきます。氷雨様は──」

「私はいらないわ。お金が欲しくてやったワケじゃないし」

「そうですか」

 

 ヨグは頷くと、改めて二名に向き直る。そして提案した。

 

「お二方……よろしければ邪神群に所属しませんか? お二人方の戦力は何よりも得がたい。何不自由無い生活を約束いたしますよ。どうでしょう?」

「「…………」」

 

 ヨグの勧誘に二名は目を丸める。その後笑った。

 

「勘弁してくれやヨグ、返答なんざわかりきってるだろ?」

「私達は誰にも従わない。……無駄よ」

「そうですか、残念です。本当に……」

 

 ヨグは心底といった様子で囁いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 早朝。黒兎は自室のベッドの上で目を覚ました。重たい瞼をゆっくり開ける。

 夢を見た。憎悪している両親の背中を見上げる夢を──

 

 蒼穹の空の下、佇む二名。

 真紅のマントを靡かせる大きすぎる背中と、赤みがかった長髪を揺らすドレス姿の背中。

 

 世界最強の武術家と世界最強の魔導師。

 超越者でありながら人類最終試練だった、アダムとイブ。

 

 黒兎は二名の事を憎悪していた。

 だが、やはりその背中は大きかった。

 積み上げてきた歴史が違う。彼等は真の意味で「英雄」だった。

 

 二名の背中には追い付けない。しかし、もう追い付く必要も無い。故に背を向ける。

 

 反対側には金髪の偉丈夫が佇んでいた。

 彼は、両親とは別の道を歩んでいた。

 

 世界に絶望し、それでも歩み続ける等身大の人間の道──

 

 黒兎は一度振り返るが、すぐに向き直り、金髪の偉丈夫の元へと向かった。

 自分が往くべき道はあちら側ではない。こちら側だと──

 

 

 誰でもない、黒兎自身がそう決めたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 大衆酒場ゲートにて。常連客達は世にも珍しい光景に目を丸めていた。あの大和が、一人の女性を甘やかしているのだ。

 大和は基本、女性に甘くない。抱く事はあっても、甘やかす事は稀。

 

 しかし今はどうだ、まるで父親の様な笑みを浮かべている。

 氷雨は大和からチョコレートケーキを貰い、その美顔を緩めていた。

 

「美味しい美味しい♪ やっぱネメアは料理上手いわねぇ」

「どーも。しかし久々だな、氷雨。今まで何処に行っていた?」

「異世界に強者を捜しにね。でも全然駄目だったわ。まだコッチの中堅クラスの方がマシよ」

「こっちの世界観と比べてやるな」

 

 ネメアは肩を竦めつつも楽しそうにしている。

 大和とネメア──魔界都市を代表する二名の超越者と対等に語り合える彼女の真相はすぐ広まる。

 

 客人達は愕然とした。彼女があの調停者──世界を物理的に整える使命を帯びた世界最強の異能力者。

 

 超越者でも、大和達と同年代の者達はレベルが違う。

 四大終末論を始めとした数多の世界滅亡の危機を乗り越えてきた百戦錬磨の強者達──その戦闘力は特異点の中でも最上位に位置し、単身で複数の神話を滅ぼす事も可能だという。

 

 その超越者でも規格外とされる三名が楽しそうに談笑しているのだ。貴重な光景である。

 

 氷雨は周囲から向けられる好奇と畏怖の視線を敢えて無視していた。

 ふと、大和がナプキンを取る。氷雨は察し笑顔で顔を突き出した。大和は彼女の口角に付いていたクリームを拭きとる。

 

「お嬢様め」

「私は平民出よ。アンタは王子様でしょ? 元だけど」

「ハン」

 

 鼻で笑いながらも、怒りはしない。

 本来、その話題はタブーの筈なのだが──二名の間には他とは違う絆があるのだろう。

 

 満足した氷雨は懐からピースを取り出し、一服し始める。そして唐突に苦笑した。

 

「大和、アンタ本当にモテるわねぇ……私があんま独占すると暴れ出しそうな女が何人かいるわ」

「………………」

 

 大和は振り返る。背後のテーブル席に銀髪の童顔美女と毒蛾を連想させる美女が居た。ナイアとアラクネである。

 

 二名とも満面の笑みを浮かべていた。その額には青筋が立っているが……。

 大和は肩を竦めて立ち上がる。

 

「氷雨、また今度な。何時でも遊びに来い」

「ええ、また今度ね」

 

 互いに軽く手を振る。

 大和の両腕が早速ナイアとアラクネにロックされた。大和は苦笑しながらも甘い声音で囁く。

 

「そう嫉妬すんなよ、今日はたっぷり可愛がってやるから」

「ほんと? 約束だよ大和?」

「期待していいのね?」

「ああ、だからそんな慌てんな」

 

 二つの凶悪な華を両手に携え、大和は大衆酒場を後にした。

 ウェスタンドアの奥に消えて行った彼の背を、氷雨は胡乱な瞳で見つめている。

 ネメアが聞いた。

 

「いいのか?」

「いいのよ、私は基本一人が好きだし。たまに愛し合うくらいが丁度良いのよ」

 

 それに──私は大和にとって唯一無二の存在だからね。

 そう言って舌を出す氷雨に、ネメアはやれやれと肩を竦めた。

 

「ネメア。アンタも人の事は言えないわよ」

「どういう事だ?」

「あれ」

 

 氷雨はウェスタンドアの方を指す。そこには黒のパーカーを着た眼鏡美少女──黒兎が立っていた。彼女は緊迫した面持ちでネメアの元へやって来た。

 

 

 ◆◆

 

 

 黒兎はカウンターの前で立ち止まると、ネメアと視線を合わせた。その灰色の双眸が潤んでいるので、ネメアは眉根を顰める。

 

「どうした黒兎、何かあったか?」

 

 素早く出てきて、黒兎の頭をパーカー越しに撫でる。

 その自然体な優しさに黒兎は更に瞳を潤めると、改めて自分の「信念」を理解した。

 

 彼女は頬をほんのり朱に染めて、ネメアに告げる。

 

「ネメアさん……私は貴方の事が好きです。義理の父親としてでは無く、一人の異性として──お慕いしています」

 

 酒場が静寂に包まれた。皆、驚愕のあまり硬直しているのだ。

 あの黒兎が、世界最強の妨害屋が、大和の実娘が、ネメアに告白した。

 ネメアも目を丸めている。

 

 黒兎は真っ赤な顔で続けた。

 

「でも、私はまだ子供です。それ以前に、貴方に相応しい女性ではない。だから……貴方に相応しい女性になりたい。貴方の傍にいられる様な女性になりたい」

 

 黒兎は誠心誠意、頭を下げる。

 

「お願いしますネメアさん──私をこのお店で働かせてください。精一杯働きます」

「……」

 

 ネメアは暫くすると、膝を付き黒兎の頬を撫でる。

 顔を上げた黒兎は彼の浮かべる穏やかな笑みに思わず見惚れてしまった。

 

「……すまない。お前の愛にはまだ応えられない。だが──もしもお前が大人になっても俺を想い続けてくれるのなら、その時はもう一度聞かせてくれ。俺も、誠心誠意返事をする」

「はい……」

「雇用の件だが、何時かそう言ってくれると信じて、枠を一つ取っておいたんだ。……歓迎する。これからもよろしくな、黒兎」

「……はい、ネメアさんッ」

 

 ポロポロと涙を流し、黒兎はネメアに抱き付いた。怖かったのだ。断られたらどうしよう──と。

 恐怖から解放された少女は年相応の反応を見せた。

 ネメアは彼女の背を優しく擦っている。

 

 その一部始終をカウンター席で見ていた氷雨は、紫煙を噴かしながら微笑んだ。

 

「大和──アンタの娘は、私達と違う道を歩むみたいよ。楽しみね」

 

 遊ぶ様にくゆらせた紫煙は、店内に甘いバニラの香りを充満させた。

 ソレは氷雨の愛飲する銘柄、ピースの香りだった。

 

 

《完》

 

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