渇き
大和は中央区の摩天楼に胡乱な眼差しを向けていた。下駄の音を鳴らして歩き回れば勝手に道が出来あがる。有象無象共から浴びせられる畏怖の視線を敢えて無視して、ぶらりぶらりと歩き続ける。
(渇く……)
肉体の渇きは女で潤せる。魔性の色香のおかげで勝手に美女美少女が寄ってくる。
精神の渇きは酒で潤せる。もしくは親友、かげがえのない女達からの親愛で満たされた。
なら、何故こうも渇くのか──
知っている。大和はこの渇きの正体を知っている。
魂の渇きだ。……魂が求めているのだ。殺戮を、悲鳴を、絶望を。
他者を蹂躙し、怨嗟の悲鳴を浴びる事ではじめてこの渇きは満たされる。
(何時からだろうな……)
こんな事でしか渇きを潤せなくなったのは──遙か昔、神代の時代はここまで酷くなかった。
美女と酒と闘争があれば満足できた。
しかし今は違う──満足できない。
(もっと不幸を、絶望を、血を、殺戮を──)
大和は嘲笑を零した。自分に向けた笑みだった。
そんな時である。心地良い「殺気」を浴びせられたのは──
大和の周囲を取り囲んだ殺し屋、傭兵、賞金稼ぎ。
それぞれ怯えながらも、莫大な報酬金に目が眩んでいる。
中央区の大通りで、盛大な殺し合いが始まろうとしていた。
住民達は距離を取ってから嬉々として観戦を始める。
見れるのだ、魔界都市の名物──大和の殺戮ショーが。
大和は嬉しそうにしていた。まるで子供のように笑っていた。
「丁度、渇いてたところなんだよ」
赤柄巻の大太刀と脇差しを握りしめ、抜き放つ。
「来いよ、俺を殺しに来い。本気で、殺意を込めて──! 俺もテメェ等をぶっ殺してやる!」
灰色の三白眼が、狂気と殺意で燦々と輝いていた。
◆◆
襲撃者達が恐慌状態に陥るのに1分とかからなかった。その間に半数以上が惨殺されたからだ。丁寧に、一名ずつ嬲り殺されている。
ある者は脊髄ごと首を引っこ抜かれ、ある者は顔面を握り潰される。
美女であろうとも心臓を五指で貫かれ、首をねじ切られた。
一名が振りかぶった高周波ブレードはその褐色肌に触れた瞬間に砕け散る。
鋼鉄の塊をバターの様に断てる一品がまるでナマクラだった。
放たれた無数の魔弾は全てキャッチされ、投げ返される。
脳漿と臓物がぶちまけられ、数多くの悲鳴が木霊した。
住民達の楽しそうな笑い声と共に……
戦意を喪失した者達を、大和は執拗に追撃した。一人も逃さない。
男を横一文字に断てば女との距離を一気に詰め、顔面を地面に叩き付ける。何度も、何度も。
頭蓋ごと脳みそを潰せば、残るはあと三名。
体躯の良いオークが奮い立つが、四肢を大太刀で断たれダルマにされた。
その太い喉に刃先が入り、頭蓋から白刃が通り抜ける。脳漿がぶちまけられた。
アンドロイドの機人は凶悪な踵落としによって地面ごと陥没する。
最後に残ったエルフの女傭兵は恐怖のあまり失禁しながらも、何とか生き残ろうと大和に色仕掛けを試みる。
しかし頬をビンタされ、首を三回転させて即死した。
歓声が上がる。野次馬共は口笛を鳴らし、圧倒的な殺戮ショーを讃えていた。
当の大和は、ただただ殺戮の余韻に酔い痴れていた。
そんな彼の前に、戦闘服に身を包んだ初老の男性が現れる。
その拳は確かな鍛錬と実戦によって鋼の如く硬質化していた。
それなりの手練の登場に、大和は暗黒に染まりつつある双眸を細めた。
◆◆
男性は純血の悪魔──それも爵位持ちの上級悪魔だった。
爵位持ちは本来、よっぽどの事が無い限り魔界から出てこないのだが──彼には目的があった。
自分がどれほど強いのか、超犯罪都市でどれだけ通用するのか──試しに来たのだ。
彼は鍛錬と戦闘に余念が無いストイックな悪魔だった。火山で1000年修行する事もあれば、見知らぬ異世界に赴き魔王や神々を討滅する事もあった。
大和は面白そうに顎を擦る。
「へぇ……こりゃ中々。A級上位──いいやそれ以上か。爵位持ちの上級悪魔と見たぜ」
「言葉を交えずにそこまで見抜くか、暗黒のメシア。最早名乗らずとも良いな」
両の拳を構える上級悪魔。ボクシングにも似たファイティングポーズは幾多の実戦によって洗練されていた。
その身から溢れ出す魔力は間違いなく爵位持ちの悪魔のソレ。
周囲の喧騒達が戦慄する。A級上位──鬼神や精霊王クラスの登場である。空気が張り詰める。
しかし大和は本当に楽しそうに笑っていた。
両手を広げ、攻撃を誘う。
「来いよ。それなりに鍛錬してるんだろ? その力、見せてくれ」
「…………」
上級悪魔はしかし、冷静だった。
彼我の実力差を十分に理解している。
何せ大和は自身が幼少期の頃に悪魔王サタンと互角に殴り合った、正真正銘の規格外だから。
経験が違う。積んできた歴史が違う。
勝てる筈もない勝負に──しかし上級悪魔は高揚していた。
もう十分生きた。戦場で死ぬなら微塵も後悔は無い。強敵に殺されるならば本望。
上級悪魔は戦意と共に魔力を迸らせ、転身。大和との距離を一気に縮める。
光速に至り、時間の束縛すら振り切ったステップインに物理法則は付いていけない。
放つは必殺の剛拳。全身の筋肉、関節を捻り上げて放つ至高の右ストレート。
しかし大和は首を傾けるだけで避けてしまう。
しかし上級悪魔は動揺しない。瞬時に身体を逆方向に捻り、その反動を全て乗せたリバーブローを放つ。
肝臓打ち。どんな猛者でも悶え苦しむ一撃必殺の拳打。
「単純なんだよ、ド阿呆」
落胆の声が響き渡った。
次の瞬間、上級悪魔は宙を舞っていた。遅れて顔面を貫く埒外の衝撃に危うく意識を飛ばしかける。
何をされたのか──上級悪魔は必死に意識を保ちながら確認した。
大和は右肘を振り抜いていた。
カウンター。これ以上無いタイミングで迎撃されたのだ。
やはり格が違う──上級悪魔は嗤った。
1ナノ秒に満たない攻防が終わり、漸く「時間」が追い付いてくる。
遅れてやってきた衝撃波に喧騒達は吹き飛ばされていった。
倒れ伏している上級悪魔の前に大和は屈む。そしてクツクツと喉を鳴らした。
「脇が甘ぇ、引き出しが少ない。まだまだ実戦不足……だがセンスは良い」
「!!」
「暇潰しに付き合ってくれた礼だ、今回は見逃してやるよ。次はもっと強くなっておけ」
その言葉に、上級悪魔はフッと表情を崩した。
「どちらが悪魔かわからぬな……まさしく怪物。しかし礼を言う。次の機会を与えてくれた事に。また再び相見える時まで、更なる鍛錬を積んでおく。さらばだ」
上級悪魔は青白い炎に包まれ消えていく。魔界に帰ったのだ。
それを見送った大和は立ち上がる。
不意に苦笑を零した。
「悪魔に怪物呼ばわりされるたぁ……いよいよって感じだな」
そうして、ぶらりぶらりと歩き始める。
その背中を追う者はいない。隣に寄り添う者もいない。
孤高の怪物は慢性的な渇きを癒やしつつ、今日も生きていく。
憎悪を向けられ、嫌悪されても、己の矜持──という名のエゴを貫き通す。
このクソッタレな世界で、死のダンスを踊り続けるのだ。
何時か野垂れ死ぬ、その時まで──
《完》