villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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第二十五章「剣姫伝」
一話「魔剣姫達」


 

 

 超犯罪都市、東区に近い河川敷にて。

 深きものどもが生息する「混沌の湖」まで流れている小川、その道端では妖魔桜が華やかに花弁を散らしていた。自在に枝を揺らして、落ちた花弁は桃色の魔蝶と成りて飛んでいく。

 

 周囲に建っている家屋は格安の貸家だ。表世界から逃げてきた犯罪者や金の無い者達の借り住まいとなっている。

 

 遥か遠くに見える中央区の摩天楼。近未来を彷彿とさせるその光景を、妖魔桜の枝上から眺めている絶世の美女が居た。

 濡れる様な黒髪は腰まで流し、桜の花弁を散らした黒色の浴衣を艶やかに着崩している。

 収まりきらない豊満な乳房を揺らして、彼女は熱い──熱い溜息を吐いた。

 

「はぁ……愛おしや。貴方様に握られたあの時から、私の刻は停まってしまった……」

 

 世界最強の妖刀──紅桜。

 戦国末期に打たれ、今なお数多くの神魔霊獣の血を啜っている生粋の魔剣である。

 彼女は今、黒き鬼神に恋い焦がれていた。

 

「どうすれば良いのですか……? 貴方様の剣になりたい……私はもう、貴方様以外の担い手は考えられないのです……」

 

 豊満な乳房ごと己が身を抱き締める紅桜。

 想えば想うほど焦がれる時間は増えていく。今では一日の殆どを煩悶に費やしていた。

 その暁色の瞳には漆黒の益荒男しか映っていない。

 

「……重傷ですね、紅桜。そんなにあの黒鬼が恋しいですか?」

「…………」

 

 聞き覚えのある幼女の声に、紅桜は静かに視線を落とした。

 妖魔桜の下に、銀髪の美少女が佇んでいた。

 

 膝裏まで伸びたストレートの銀髪。生気を感じさせない蒼穹色の半眼。慎ましい、しかし柔らかそうな肢体を純白のワンピースで着飾っている。

 

 容姿的年齢は十代前半ほど。

 彼女に対して、紅桜は嫌悪の念を隠さず吐き捨てた。

 

「これは……聖王剣と誉れ高い世界最強の聖剣、コールブランド殿ではありませぬか。このような邪悪な魔都に、何故貴女の様な聖具が?」

 

 皮肉たっぷりなその問いに幼女──コールブランドは冷笑を浮かべる。

 可憐な童顔に不釣り合いな、不気味な笑みだった。

 

「元、聖剣ですよ」

「…………!」

 

 紅桜は目を見開く。

 彼女から以前の様な聖なる波動を感じない。むしろ──

 紅桜は口の端を緩める。

 

「聖王剣も堕ちるところまで堕ちましたな……その在り様、最早私共と変わらぬではありませぬか」

「ええ全く。所詮私は剣──斬り、殺めるための道具。担い手が如何に善人であろうと、する事は変わらない」

「貴女が放つ邪悪なオーラ、善人が振るっていれば感じぬ筈のものですが……」

「一々言わせないでくさださい。私は飢えているのですよ。血肉に……ッッ」

 

 邪悪な笑みを零すコールブランド。

 紅桜は親しみを込めた微笑を返した。

 

「失礼しました。……いやはや、世も末ですな。我等の存在理由も極端になってきた」

「全くです。私も手段を選べなくなってきましたよ」

「…………」

 

 紅桜は改めて魔剣に堕ちてしまった聖王剣を見下ろす。その様は──あまりに滑稽だった。

 

 コールブランドは問う。

 

「私は新たな担い手を捜しています。貴女なら心当たりがあるのでは?」

「いいえ、その様な……」

「嘘が下手ですね。────いいでしょう。貴女には一言伝えておきたかったのです」

「……?」

 

 コールブランドは童顔をおぞましい欲情で歪める。

 

「あの益荒男──大和の得物の座、私が頂きます。異論はありませんね?」

「なっ!?」

 

 身を起こした紅桜に、既にコールブランドは背を向けていた。

 

「それでは、また」

「待ちなさい!! この泥棒猫!!」

 

 紅桜は枝上から飛び降り、コールブランドの背を追う。

 大和の得物になる事を賭けた魔剣同士の争いが勃発した瞬間だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の中心地、ドギツいネオンとおぞましい喧騒を抜けたその先に大衆酒場ゲートがある。

 五大犯罪シンジゲートの縄張りに囲まれていながらも独立を貫いている完全安全地帯だ。

 五大犯罪シンジケートの総帥達は「彼」を特別な存在として扱っている。

 

 ネメア。本名をヘラクレス。神話時代から生きる百戦錬磨の豪傑である。

 

 此処は魔界都市のオアシス。命が面白い程吹き飛んでいくこの都市で、唯一気の抜ける場所。

 

 妖精、魔族、妖魔、獣人、蟲人、宇宙人、仙人──あらゆる種族の者達が此処に集まってくる。

 この店の雰囲気は唯一無二のものだ。荒御霊でも邪神でも崩すことは叶わない。

 

 あの暗黒のメシアもこの店を贔屓していた。

 ゲートに何かあればネメアだけではない、彼も動く。

 暗黒のメシアと勇者王、人類を代表する二名の大英傑にわざわざ喧嘩を売る輩など存在しない。

 いたとしても、すぐにこの世から消えてしまう。

 

 金髪の偉丈夫、ネメアは何時通り厨房前でセブンスターを噴かしていた。

 無愛想ながらも根はお人好しな彼は魔界都市でもまっとうな部類の人間である。

 

 対してカウンター席で座っている暗黒の美丈夫──大和。

 依頼とあれば女子供でも容赦無く殺める外道でありながら、圧倒的な暴力で世界を救い続けている闇の救世主である。

 

 彼はエルフの美女軍団に囲まれながら酒を飲んでいた。

 エルフ達はそれぞれ官能的な台詞を吐きながら彼を誘っている。

 

 その灰色の三白眼が一人のエルフに向けられた。彼女は表情を蕩けさせるとキスをねだる。

 大和はその薄桃色の唇に太い指先を這わせたかと思えば、ラムの入ったグラスに口付けした。

 エルフは頬を膨らませ、彼の腕を揺する。

 

 しかし微動だにしない。限界まで鍛え抜かれた褐色肌の肉体は世界最強の剛力を誇る。邪神すらねじ伏せてしまうその逞しさを感じて、彼女は思わず赤面した。

 

 その結われた黒髪をゆっくりと梳く者。真紅のマントに染み付いた芳香に陶酔する者。抱き寄せられ、その強大な存在感に惚ける者まで──

 

 淫乱な雌猫達を適当に可愛がりつつ、大和はネメアに問いかけた。

 

「そういえば、あのチンチクリンがこの店で働きはじめたんだって?」

「……ああ、ちょっかい出すなよ」

「何処だ? 何処にいる?」

 

 キョロキョロと店内を見渡し始める大和。

 すると、端っこの方で注文を受けている美少女ウェイトレスを見つけた。

 

 結われた金髪と眼鏡が特徴的な少女。

 元・世界最強の妨害屋、黒兎──大和の実娘である。

 

 両者は視線を合わせると、互いに中指を立て、親指を下に向けた。

 大和は可笑しそうに笑い、黒兎は苦虫を噛み潰した様な顔をしている。

 

 その筋金入りの仲の悪さに、ネメアは何とも言えない表情をした。

 大和と黒兎の相性は最悪だ。しかしネメアとはすこぶる仲が良い。

 この微妙な関係は、ネメア自身ではどうする事もできなかった。

 

 大和は拗ね始めたエルフ達を可愛がりつつ、酒盛りを再開する。

 彼はこの後、彼女達と一夜を明かす予定だった。

 

 しかしそうは問屋がおろさない。

 今宵、新たな厄介事が彼の元に訪れた。

 

 勢いよくウェスタンドアが開かれる。銀髪の美少女と妖艶な美女が入ってきた。

 二名の類稀なる美貌に目を丸める客人が多い中、数名は彼女達の正体に気付き唖然とする。

 

 その中には大和も含まれていた。

 小走りで駆け寄ってくる彼女達に苦い顔を向けている。

 

 二名の内、銀髪の少女が大和に鬼気迫る表情で告げた。

 

「世界最強の殺し屋──大和。貴方には是非、私の担い手になって貰いたいのです」

「このッ……大和様、この様な堕ちた聖剣の言葉に惑わされぬよう!」

「ハン、妖刀がほざきますね……」

「なにぃ……!」

 

 睨み合いを始める二名。

「聖王剣コールブランド」と「妖魔刀・紅桜」に、大和は心底面倒臭そうな視線を向けていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和はやれやれと肩を竦めながら周囲のエルフ達を退かせる。エルフ達はコールブランドと紅桜を恨めしそうに睨みながらも離れていった。

 

 大和はテーブルに寄りかかり、ギザ歯を覗かせる。

 その笑みには若干の嘲りが込められていた。

 

「俺の得物になりたいって? お前等に務まるのか? 俺の得物が」

 

 その言葉に銀髪の美少女、コールブランドが強く頷いてみせる。

 

「できますとも。古今東西、あらゆる英雄の手で振るわれてきたのです。貴方の要望にも必ず応えられます」

「ハッ、ひよっこ共に振るわれて調子に乗ってるみてぇだな。……でもまぁ、調子に乗るだけの性能があるのも確かだ」

 

 聖王剣コールブランド。

 精霊の最上位種、星霊達が鍛え上げた至高の聖剣。あらゆる聖剣の原点であり頂点である。

 その性能は振るえば万の敵勢を薙ぎ払い、持ち主に破格の恩恵をもたらすという。

 

 剣士なら一度は欲する最強の聖剣だ。

 しかし大和はそんなもの求めていない。

 

「俺の武器に対する価値観は知ってるだろ?」

「……」

 

 そう、コールブランドは知っている。

 ありとあらゆる聖剣魔剣が彼に袖にされた事を。

 

「俺は武具に能力なんて求めてねぇ。そんなもの、邪魔でしかねぇんだよ。俺にとって武具は手足の延長。よく斬れて、よく突けて、壊れなかったらそれでいい。……意思があるなんて以ての外だ」

 

 その言い分は、彼が能力や恩恵を必要としないほど強いからだ。

 何より、その強さを支える信念がある。

 

 例外として魔導式鏖殺戦車スカアハがあるが、彼女は大和から武具としてではなく相棒として扱われているため例外だ。

 

 しかし、コールブランドはこの例外を上手く利用しようとしていた。

 大和の裾を掴み申し出る。

 

「貴方の武具に対する価値観は知っています。しかしそれは「武具」に限った話ですよね? 「相棒」であるなら話は別な筈です。……貴方は例外を保有してる」

「スカアハの事か?」

「そうです。貴方と彼女の関係は「武具と担い手」という間柄を超えている。私や──遺憾ながら、横にいる紅桜も、貴方と「そういう関係」を築きたいと思っています」

「へぇ……そうなのか? 紅桜」

 

 紅桜は先に言われた事が気に食わなかったのだろう、唇を尖らせるも大和に見つめられ正直に頷く。

 大和はクツクツと喉を鳴らした。

 

「そうだな、俺にとって「武具」は消耗品だ。しかし「相棒」ともなれば話は違う」

 

 でもな──そう言って大和はコールブランドを抱きかかえた。

 彼女は難なく宙に浮き、大和の腹の上に収まる。

 

「お前らに俺の相棒が務まるのか?」

「…………ッ」

 

 言外に馬鹿にされ、コールブランドは大和を睨み上げた。

 大和は彼女の小さな手を取り、自分の胸板に這わせる。

 

「俺の相棒になるって事は、俺の要望に完璧に応えられるって事だ」

「……!!」

 

 コールブランドは驚愕する。

 掌から伝わる大和の肉体の「質感」──

 超越者でも、ただの超越者ではない。破壊と殺戮に特化した「戦闘に於ける超越者」。

 

 筋肉、骨格、関節強度。コレらが元から人間ではなく、鬼や悪魔に酷似している。

 ソレらを合理性の元、徹底的に鍛え抜いている。

 肉体が別物に変質するまで──

 

 何億年もかけて進化し続けているのだろう。たった一代で。

 より強い、戦闘に特化した存在へと。

 

 それがどれほどな出鱈目な事なのか──理解できるからこそ、コールブランドは怖じ気づいた。

 こんな規格外の肉体に振るわれて、果たして原型を保っていられるだろうか? 

 

 腹の上で戦慄しているコールブランドに対して、大和は敢えて優しい声音で告げる。

 

「数億年間、俺が満足に振るえる武具は一つとして無かった。宝具でも神器でもだ。軽く振っただけで壊れちまう。当時、西側で最高の腕を誇っていた鍛冶神ヘパイストスが拵えてくれた大剣も、強敵との戦いで一発で駄目になっちまった」

 

 震えるコールブランドの頬を撫で、桜の蕾の様な唇を太い指で撫でる。

 

「相棒になる以前に、「武具」として機能してくれるかどうか──お前は耐えられるのか? 俺の全力に」

 

 妖艶な笑みで挑発され、コールブランドは唇を引き結ぶ。

 そして否と応え、笑みと共に邪悪な魔力を解放した。

 

「望むところです。壊せるものなら壊してみてください。私を余すことなく使い切ってみてください……ッ」

「……」

 

 腹の上で狂気を迸らせる元・聖王剣を見下ろし、大和は面白そうに口角を歪めた。

 

「……いいねぇ。なら試してやる」

 

 大和はコールブランドを抱きかかえ立ち上がる。

 呆然と立ち尽くしている紅桜も抱き寄せ、店の外に足先を向けた。

 

 彼は首だけ振り返り、ネメアに告げる。

 

「店の外で少し素振りするぜ。いいよな?」

「構わんが、こっちに被害を出すなよ」

「わーってるって」

 

 笑って店を出て行く大和。

 周囲の客人達は唖然としていたが、我に返った瞬間店を飛び出て行く。

 

 彼等は見たくて堪らないのだ。大和の素振りを。

 

 武術家の基本中の基本──素振り。

 世界最強の武術家の素振りを見れる機会など滅多に無い。

 武術家でない者達すらも店を出て行く。

 

 ネメアは煙草を灰皿に押し込め、新聞を読み始めた。

 彼は見飽きているのだろう。

 

 店内は、邪神が訪れた時の様に静かになっていた。

 


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