柳生「十兵衛」霞は淡々と語り始めた。
鈴の音の様な声に憎悪を滲ませて──
「柳生十兵衛平治──いいえ、あの者は十兵衛でも無ければ、柳生家の者でもない。人斬りの妄念に取り憑かれた妖魔です」
大和はフムと顎を擦りながら問う。
「柳生十兵衛って名は本家で最も腕の立つ退魔剣士が継ぐ名だった筈だ。てぇことは」
「私以外の継げる者が全員斬り殺されたため、やむを得ず継ぎました」
「……」
色々事情があるらしい。
大和は続きを促した。霞は頷き、話を再開する。
「兄──平治は当代随一の退魔剣士でした。本家の嫡男として生まれた彼は心技体ともに完璧でした。分家の者達も含め、柳生家は彼に絶大な信頼を置いていました。私も、素晴らしい兄だとお慕いしていました」
しかし三日前の夜──奴はとうとう我慢できなくなったのです。
そう言う霞の瞳が憎悪で彩られた。
「誰も気付かなかった。気付けなかった。奴が人を斬りたいと切に願っていたイカレである事を」
本家、分家に限らず柳生家の腕の立つ剣士は全員斬殺された。
女子供が無事だったのは、単に斬り甲斐がなかったからである。
「現に私は犯されました。組伏せられ、純潔を散らされました。その時の痛みを……何より奴の言った言葉を忘れられません」
──お前は絶対に犯してやりたかった。剣士としても一目置いていたが、それ以上に女として魅力的だった。
「その時、悟ったのです。兄は妖魔に取り憑かれたのではなく、初めから妖魔だったのだと──。私達はずっと騙されていたのです」
でなければ、畜生の如き笑みで妹を犯したりはしない。
快感に震えながら、何度も犯したりはしない──と。
そこまで言ってその時の事を思い出したのだろう──霞の美顔が青褪めた。
しかし話を聞いていた大和は、あくどい笑みを浮かべていた。
何かよからぬ事でも思い付いたのだろう。
ネメアが止める前に、彼は切り出した。
「可哀想になぁ……ハジメテが痛いなんて最悪だったろうに。兄貴もとんだ変態だな。近親相姦でそこまで興奮できるなんざ、筋金入りだ」
「…………」
霞は思わず大和を睨んだ。侮蔑を込めた眼差し──しかし大和は構わず続ける。
「何だ? 慰めて欲しかったのか? お生憎様、その程度の悲劇じゃ酒の肴にもならねぇ」
「……」
「で、だ。依頼は受けるが、報酬の内容を指定させて貰うぜ。──三日間、俺の女になれ」
「大和」
思わずネメアが諌める。しかし大和は邪悪な笑みを浮かべた。
「コイツには身をもって知って貰うのさ。今から雇う殺し屋は、憎っくき兄と同類のクソ野郎だって事をな」
「……!」
驚く霞に大和は向き直る。
「お前がやろうとしてるのはそういう事だ。それが認められねぇなら他を当たりな。どーぞどーぞ、他にも一杯いるぜ。俺と同格の外道畜生がな」
「…………」
「この都市はそーゆー場所だ。お前の兄貴にとって最高に居心地が良い場所だ。──それすらわからねぇなら、帰って恋人でも作って慰めて貰えばいい。その容姿だ、男なんてホイホイ釣れるだろ」
「大和、それ以上はやめろ」
ネメアが怒気を滲ませるが、大和は鼻で笑った。
「考えてみろよネメア。普通、一人で来るか? この都市の事情を知っていて、女が一人で」
「……」
「もう覚悟が決まってんだよ、コイツは。だから俺を頼ってきた。コイツ自身、一番わかってるんだ。俺が兄貴と似たようなクソ野郎だって」
「……」
「なりふりかまってられねぇんだろ?」
霞に視線を向ける大和。
彼女の瞳には様々な激情が宿っているが──熱はなかった。
ありたいていに言えば死んでいるのだ、魂が。
恐らく兄に犯されたその時点で、魂が腐ってしまったのだろう。
今大和の目の前にいるのは、悲憤だけで駆動している人形だった。
故に面白い。そそられる。
子供のように笑う大和に対して、霞はコクリと頷いた。
「わかりました。その条件、呑みましょう。しかし──傷物の女を求めるなんて、貴方も相当な物好きですね」
「ああ、物好きさ。だから今からたっぷりと教えてやる──本物の快感ってやつを」
「……っ」
その頬が微かに朱に染まったのを見て、大和は口の端を歪めた。
ネメアは頭を抱えるも、それ以上は何も言わなかった。
口出しする必要はない。
大和は彼女を救う。
いいや、大和にしか救えないのだ。
彼はこういった手合いの者を救い慣れている。
彼にその気がなくても、結果として彼女は救われる。
暗黒のメシアの異名は伊達ではなかった。
◆◆
忘我の彼方を彷徨った。霞は何も考えることができなかった。
快感の虜になるとはこの事を言うのだろう。
自身の筋肉が柔らかくなっていく感覚──剣士から女に変えらていくその過程に、霞は酔っていた。
喘ぎ、果て──それを繰り返すこと三日間。
霞は漸く解放された。
甘い快感が余韻として残る中、一糸纏わぬ姿でベッドに横になっている。
その歳不相応の豊満な乳房に埋もれながら、大和は小さく寝息を立てていた。
「…………」
霞は不意に熱い想いを抱く。しかしすぐに冷ました。
彼からそっと離れ、紺袴を履く。着物を整えると、愛刀を携えて部屋から出ようとした。
しかし一度戻り、大和の頬を撫でる。
その顔は、愛しき異性に向けるものだった。
「ありがとうございます……こんな私を愛してくれて。生きる意味を教えてくれて。……でも、ごめんなさい」
そう言って踵を返した。その頬には一筋の涙が流れていた。
彼女が去った事を確認し、大和は起き上がる。
彼は心底といった風に溜め息を吐いた。
「馬鹿な女……ったく」
不機嫌そうに煙草を咥える。
すると、枕元に置いてあったスマホが鳴り響いた。
着信である。宛先人は──
「へぇ、珍しい」
大和は驚きながらも応答した。
「もしもし」
『お久しぶりです、大和さん。今お時間空いてますか? 大事な話がありまして──できれば直接会ってお話がしたいのです』
「……いいぜ。だがどうした? お前が──五大犯罪シンジケートの一角、五十嵐組の若頭が慌てるほどの事態なのか? ええ、裕樹よぅ」
宛先人──
『ええ、緊急の案件です。件の柳生の辻切りも一枚噛んでおりまして──大和さんにも関わりがある内容かと』
「耳が早いな。お前もソイツ狙いか?」
『いいえ、柳生の辻切りを狙っている「ある奴」に用があります。「剣客殺し」と言えばわかりますか?』
「成る程……今どこにいる」
『大衆酒場ゲートです。恋次を側に置いているので、すぐにわかるかと』
「わかった。すぐ行く」
電話を切ると、大和はやれやれと溜め息を吐いた。
そうして煙草を咥え、火を点ける。
「柳生家に五十嵐組──お次は「剣客殺し」、天下五剣の
大和は煙草を吹かしながら何時になく真面目な表情になると、一張羅に身を包み始めた。