villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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三話「風雲急」

 

 

 大衆酒場ゲートは何時になく緊迫感に包まれていた。

 理由はテーブル席に座っている厳つい巨漢と、和風の給仕服を着た少女。

 

 片や刈り上げた黒髪とサングラス、額に生えた二本の角が特徴的な偉丈夫。

 五十嵐組の幹部兼若頭補佐役。元、東洋の大鬼神──大嶽丸(おおたけまる)こと恋次(れんじ)

 

 片や、可憐な容姿からは想像も付かない鋭い剣気を放っている美少女。

 大正モダン──鬼が最も盛んに活動した時代に「最強の鬼狩り」と謳われた退魔剣士、野ばら。

 

 デスシティの住民達は大きな危機感を抱いていた。

 

 何せ二名は仇敵とも呼べる間柄。

 以前の雅貴復活の際に起こした大喧嘩は中央区を半壊させている。

 

 客人達はここが大衆酒場ゲートであるとはいえ、戦々恐々としていた。

 

 そんな中、至って平静に煙草を吹かしているネメアに新人ウェイトレス──元・最強の妨害屋、黒兎が問う。

 

「ネメアさん、大丈夫でしょうか? 野ばら先輩の殺気──かなり濃いです」

「まぁ、二人の間柄を考えれば……な。野ばらはここで店員をしながらも未だ鬼狩りを続けている。恋次は本来討伐対象だ。……様子を見ておこう」

「わかりました」

 

 黒兎はコクリと頷くと、絶賛睨み合っている二名に視線を戻した。

 野ばらは殺気を迸らせながらも、恋次の前に注文の品を置く。

 

「……日本茶よ」

「……ありがとう」

「…………」

「…………」

 

 空気が重たい。二人の間に流れる剣呑な雰囲気が酒場全体を包み込んでいた。

 

 ここでふと、恋次の横に座っていた美男が苦笑する。

 

 漆黒のスーツにロングコートという出で立ち。歳はまだ二十代前半ほど。しかし纏う雰囲気は歴戦の勇士のソレ。

 細身ながらも鍛え抜かれた肉体。適度に伸ばされた黒髪。糸目が精悍な顔立ちを柔らかくしている。

 眼鏡もまた彼の威風を和らげるアクセントになっていた。

 総じて温和な青年に見えなくもない。

 

 五十嵐組若頭──五十嵐裕樹(いがらし・ゆうき)

 組長の実子であり、血統実力戦績共に申し分無い次期組長候補。

 五十嵐組の№2だ。

 

 彼は野ばらに柔らかい語気で告げた。

 

「あまりウチの組員を刺激しないで貰いたいです──鬼狩りの野ばら殿」

「…………」

 

 野ばらは裕樹に冷徹な眼差しを向ける。

 殺意も伴ったその眼光を、裕樹は真正面から受け止めた。

 

「私は鬼狩りの久世家と面識があります。貴女は久世家の現総帥と同年代だそうで……。彼は貴女を尊敬していて、今でも熱心に勧誘しているそうではないですか。──何故こんなところでウェイトレスなどしておられるのです?」

「貴方に話す義理はないわ」

「これは失敬──いやなに、ネメアさんも困っているのでは、と思いましてね。たとえ鬼だとしても、客人に殺気を向けるような娘、営業妨害もいいところだ。……ウェイトレスより本職に戻られたほうがいいのでは?」

「…………」

 

 嫌味たっぷりなその言葉を、野ばらはバッサリと斬り捨てた。

 

「言いたいことがあるならハッキリいいなさい、聞くに耐えないわ」

「ウチの組員に、俺の家族に、易々と殺気を向けるんじゃねぇ……女子供でも容赦しねぇぞ」

 

 優男の仮面を剥がし、莫大な怒気を迸しらせる裕樹。

 忘れてはいけない、彼は極道なのだ。デスシティで最強の一角に数えられる犯罪組織の若頭なのだ。

 

 額に特大の青筋を浮かべる裕樹に対して、野ばらもまた眉間に深い皺を寄せる。

 

「貴方の家族だろうが何だろうが関係ない。鬼は斬る──貴方の隣にいる鬼も、何時か必ず斬り伏せるわ」

「上等だクソガキ、調子乗りやがって……恋次さんを斬ろうとした瞬間に俺がテメェを叩っ斬ってやる」

「できるの? 貴方に?」

「……アア゛? 試してみるか? 表出ろよ」

「いいわよ、その代わり腕の一本程度じゃ済まさないから」

 

 立ち上がった裕樹を恋次が押さえる。

 臨戦態勢に入った野ばらはネメアが押さえた。

 

「若、どうか冷静に……」

「野ばら、一旦落ち着け。相手は客人だ」

「「…………」」

 

 二名は殺意を隠さず睨み合う。

 

「命拾いしたなクソガキ……二人に感謝しろよ」

「店長の顔を立てただけよ。貴方こそ調子に乗らないで」

 

 片や、幼少期から全幅の信頼を寄せる男を一度は死の淵に追いやった女。

 片や、改心したとは言え鬼神を「家族」と宣う男。

 

 決して相容れない間柄だった。

 

 ネメアと恋次がやれやれと溜め息を吐いていると、漸く大和が登場する。

 

 彼は何時もとは違う店内の雰囲気と、何よりその中心にいる四名を見て、嫌そうに眉根をひそめた。

 

「……これ以上の面倒事は嫌だぜ俺ぁ」

 

 彼の登場によって、漸く話が纏まりそうだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は裕樹に促されテーブル席につく。裕樹はまず、深く頭を下げた。

 

「見苦しいところをお見せしました」

「別にいいぜ。そうだよなぁ、鬼狩りのチンチクリンがいりゃぁ喧嘩にもなるわな」

 

 苦笑しながら野ばらに視線を投げる大和。野ばらは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 

「で──東洋の大鬼神も今や極道か。わからねぇもんだな」

「──以前の雅貴様との一件は大変お騒がせしました。ここで詫びを」

「何で詫びる? アレはテメェらの喧嘩だった。俺は首を突っ込んだだけだ」

「……」

「周囲の被害なんざ周囲でどうにかする。結果的にテメェは雅貴を止めた。それで十分だろ」

「……」

 

 無言で再度頭を下げた恋次に適当に手を振り、大和は改めて裕樹に向き直る。

 

「で──今回の一件についてだが、お前らの立ち位置はどんな感じだ? 説明願うぜ」

「はい、まず柳生一族の件からおさらいさせていただきます。今から一週間前、柳生一族の退魔剣士がのきなみ惨殺されました。犯人は柳生十兵衛平治──柳生家の次期当主だった男です」

「妹から聞いたぜ。近親相姦で興奮する変態野郎だってな」

「被害はかなり深刻な様で、極一部を除いてこの事件を知る者はいません」

「そりゃ、退魔御三家の一角の戦力が激減したんだ。情報隠蔽するわな。なら、何でお前らがソレを知ってる?」

「あちらが頼ってきたのです。戦力を貸して欲しいと」

「成る程」

「この事件の深刻性は今後にあります。表世界で調子に乗る輩が必ず現れる。それを潰す暴力が必要です。故に柳生家は他の退魔の家系のみならず、我々を頼ってきた」

 

 大和はあくどい笑みを浮かべる。

 

「総理大臣──努ちゃんを頼らない辺り、柳生家も中々やるな」

「現、総理大臣は悪名高き御仁ですからね。歴史ある退魔組織──日本呪術協会との仲も最悪だと聞いております」

「アイツはかなりのキレものだぜ? 少なくとも古いしきたりに拘ってる骨董品共より何倍も日本のために尽力してる。──まぁいい、話を戻そう」

「はい」

 

 裕樹は頷くと、本題に入る。

 

「我々は今回の事件の主犯、柳生十兵衛平治を狙っている「剣客殺し」死鏡仁三郎(しかがみ・じんざぶろう)に用があります」

「死鏡か──アイツの事だ。狙ってる理由は単純にソイツが剣客だからだろう?」

「はい、その通りです」

「何でお前らはアイツを狙う。アイツは天下五剣、世界最強の剣士の一角だぜ。死ぬつもりか?」

「──ケジメ、つけさせないといけないんですよ」

 

 裕樹は糸目をうっすら開く。

 その双眸には凄まじい憎悪の念が煮え滾っていた。

 大和は三白眼を細める。

 

「組員をやられたか」

「ええ、三名──大事な仲間であり、家族でした。あのクソ野郎の素っ首をアイツ等の墓前に捧げないと、俺達も、アイツ等の家族も、報われないんです」

「……義理堅いこって」

 

 大和は興味がないとばかりに肩を竦めると、裕樹の瞳を再度覗いた。

 

「お前らは死鏡に用がある、だから手を出すな──そういう事か?」

「はい。お望みとあらば別枠で報酬も準備します」

「…………」

 

 大和は暫く裕樹の瞳を見つめていた。

 決して視線を逸らさない裕樹に対して、不意に笑みを零す。

 

「安心しろや。俺はこの一件、柳生家の尻拭いをするだけだ。死鏡はテメェらでどうにかしろ」

「ありがとうございます。報酬は」

「いらねぇよ。そもそも動かねぇんだし」

 

 頬杖を突く大和に、裕樹は思わず問うた。

 

「よろしいのですか? 柳生の娘が巻き込まれるかもしれませんよ?」

「覚悟の上だろ、アイツも」

「……」

「だから俺を頼らなかった。自分で刀を持った。──今回、俺は何もしねぇよ」

「……わかりました。では我々も筋を通しましょう」

 

 裕樹は立ち上り、大和に告げる。

 

「剣客殺しと柳生の兄妹──できる限り離してみせます。今回の一件、それぞれ決着をつけましょう。……それでは、失礼します」

 

 深く頭を下げた後、恋次を連れて去っていく。

 大和は面倒臭そうに溜め息を吐いた。

 

「かたっ苦しいねぇ、極道ってのは」

 

 そんな彼の前に洋酒が置かれた。ネメアだった。

 

「ソイツを飲むのか? 飲むなら本当に関わらないつもりなんだろうが……」

「あたぼうよ」

 

 大和は迷うことなく栓をあける。

 そしてグラスにゆっくりと中身を注ぎ始めた。

 

「どっちも俺が関わることを望んでねぇ。俺も、面倒事に巻き込まれるのは御免だ。つまり今夜はここで一夜を明かす、オーケー?」

「勝手にしろ」

 

 一人楽しそうに酒盛りを始める大和を一瞥し、ネメアは厨房へと戻っていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 雨も小降りになってきたが、柳生十兵衛霞は真紅の番傘を差したままだった。

 小綺麗な足袋で水の浸った大通りを進んでいく。

 

 すれ違った住民達は彼女から「自分達とは違う雰囲気」を感じ取るも、声をかけはしなかった。

 腰に帯びられた刀と、何より静謐な剣気に当てられたからだ。

 

 触らぬ神に祟りなし──皆素通りしていく。

 

 霞は小さな溜め息を吐くと、頭上でうねりを上げている鉛色の入道雲を仰いだ。

 

 常に剣気を張っていないと何時襲われるかわからない──しかし、今はこの環境がありがたかった。

 内に滾る憎悪と悲憤を誤魔化せるからだ。

 

(あの男が近くにいる──霊刀が鳴いている)

 

 腰に帯びている刀は柳生家に代々伝わる退魔刀──その片割れ。

 薄刃蜻蛉(うすばかげろう)──柳生家当主を支える腹心が携えるべき刀だ。

 

 もう一つの霊刀──鈴刃空蝉(すずはうつせみ)は次期当主だった男が盗んでいった。

 

 何故薄刃蜻蛉も盗んでいかなかったのか……霞は察していた。

 あの男は待ちわびている。

 再開を願っている。

 

 もう一度犯したいのだろう、この身体を。

 あの忌まわしき宵の刻の様に、何度も──

 

「ッッ」

 

 犯された時の絶望と激痛が、胸に燻る憎悪をより一層焚き付ける。

 許すまじ、死すべしと、霞の四肢を勝手に先へと進ませる。

 

 しかしふと、漆黒の美丈夫の笑みを思い出した。

 優しくこの身を抱き締め、愛を囁いてくれた。

 何度も何度も愛してくれた。

 忘れかけていた人の温もりを、思い出させてくれた。

 

 彼の悪名は知っている。

 神代の時代から生きる殺戮者──闇の英雄。

 それでも、霞は思ってしまった。

 

 彼の女でいたいと──

 

「──ッ」

 

 許されざる恋。

 そう胸に言い聞かせ、霞は強く唇を噛み締める。

 

 彼も本気ではない。自分が本気になりかけているだけ──

 

 霞は真紅の番傘を地に捨て、冷たい雨に打たれた。

 火照った顔を冷ます様に。

 自分の使命を思い出す様に。

 

 雨に濡れる儚き退魔剣士に、声がかけられた。

 その声音には、恋人にかける様な優しさが込められていた。

 

「風邪──引いちまうぜ、お嬢ちゃん」

「…………」

 

 声がした方へ、ゆっくりと振り返る霞。

 視線の先には五体不満足の老いぼれが立っていた。

 

 羽織られた純白のコートが靡く。

 その右半身は完全に死んでいた。

 右腕は肘から先が無く、右足は膝から下が棒状の義足。右目は深い刀傷で完全に潰れている。

 

 肩下まで伸びる総髪は生気の抜けた白。辛うじて前髪の一房だけが黒色を残している。

 左目も白濁しており、見えているか定かではない。

 

 枯れ木の様な長身痩躯、黒いタートルネックのシャツに細身のパンツ。

 

 風が吹けば飛んでしまいそうなほど弱々しい、初老の男性だった。

 

「ッ」

 

 霞は思わず顔をしかめる。

 あまりに痛々しい風貌──この魔界都市で生きていけるとは到底思えない。

 思わず近寄ろうとしたその足が、止まる。

 

 彼が杖代わりにしている刀から、尋常ではない妖気を感じ取ったからだ。

 

 彼は咳き込みながら笑みを零す。

 自嘲の笑みだった。

 

「いけねぇ……お嬢ちゃんがあんまりにも似てたから、つい声をかけちまった。……いけねぇなぁ、本当に」

 

 その背後で高速モノレールが通過していく。

 白髪が風圧で靡き、尖った耳が露わになった。

 

 人間ではない──改めて気配を探れば、尋常ではない剣客である事も判明した。

 

 兄などとは比べ物にならない。

 あの大和ですら、純粋な剣技では彼に勝てるかどうか──

 

 戦慄している霞に対して、老いぼれは咳き込みながら名乗る。

 

「俺は死鏡仁三郎(しかがみ・じんざぶろう)……お嬢ちゃんに恨みはねぇが、柳生の次期当主を引きずり出すためだ。その身柄、いただくぜェ……」

 

 杖代わりしていた妖刀の鞘を口に咥える。

 異様な構え──霞は咄嗟に抜刀の姿勢を取ったが、それより速く死鏡の斬閃が煌めいた。

 

 事態は風雲急を告げていた。

 


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