villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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四話「もう一つの退魔剣」

 

 

 霞は反射的に半身を下げ、不可視の斬撃を見送った。

 鞘でいなそうとしたが、生存本能が最大限の警鐘を鳴らしたのだ。

 

 受けたら死ぬぞ、と。

 

 その警鐘は正しかった。

 遥か後方にある超高層ビルを両断した斬撃は、人類が受けきれるものでは到底ない。

 

 そもそも、霞は「放たれた斬撃の種類」すらも分からなかった。

 

 その美顔が蒼白に染まる。

 大量の冷や汗が額を濡らしていた。

 

 対して死鏡は妖刀を杖代わりに突き立て、感心した素振りを見せる。

 

「偶然かぁ? 左腕を貰うつもりだったんだが──ああ、成る程。柳生新陰流は退魔剣……俺の剣は妖魔のソレに似てたかぃ」

 

 苦笑する死鏡。

 全くもってその通りだったので、霞の手が震えた。

 

 先程の斬撃は人間技ではなく、妖魔の暴力に酷似していた。

 だから躱す事ができたのだ。

 

 もしも死鏡が殺すつもりで剣を振るっていたら──間違いなく死んでいる。

 

 格が違いすぎる。あまりに隔絶し過ぎている。

 恐怖で一歩退く霞を、死鏡の淡白な左目が射抜いた。

 

「なら今度は殺すつもりで振るうか」

「ッッ」

 

 駄目だ、今度こそ死ぬ。

 霞は覚悟を決め、再度抜刀の姿勢に入る。

 

 その時である、深緑色の浴衣が靡いたのは──

 

 それは、嘗て憧れた背中だった。

 しかし今は幾ら憎んでも憎み足りない、怨めしい背中。

 

 黒髪を短く切った細身の美男は、朗々と言葉を紡ぐ。

 

「この女は俺の獲物──横取りは感心せんぞ、剣客殺し」

 

 聞き慣れた優しい声音は既になく──欲望に塗れた野獣の唸り声が霞の耳朶を打った。

 

 

 ◆◆

 

 

 死鏡はその面を狂喜で歪める。

 

「会いたかったぜぇ……柳生十兵衛平治ぃ」

「俺は会いたくもなかったよ」

「つれねぇこと言うなよ。お前を誘き出すために、わざわざ妹を狙ったんだぜ?」

 

 二名の間に濃密な剣気が迸る。

 平治は霊刀、鈴刃空蝉の柄巻を握った。

 死鏡も体勢を低くする。

 

 一触即発──互いの剣気が爆ぜる刹那、第三者が死鏡を妖刀ごと押し退けた。

 

 現れた巨躯の男の白鞘を受け止めながら、死鏡は怒声を張り上げる。

 

「手前ェ……邪魔すんな鬼神風情がァ!!」

 

 そのまま隣の建造物を破壊し、明後日の方向へ消えていく。

 

 唖然とする平治と霞の前に、漆黒のロングコートを着た優男が現れた。

 黒柄巻の太刀を携えた彼は、眼鏡の奥にある糸目を薄っすらと見開く。

 

「五十嵐組若頭、五十嵐裕樹──訳あって介入させていただきました。我々の狙いはあの剣客殺し……そちらの一件には関わりありません」

 

 ですが──そう言って、裕樹は平治を見据えた。

 その視線には明らかな侮蔑の念が込められている。

 

「本来であれば貴方のような外道畜生、見逃す道理はありません。しかし今回、我々の標的は別にある。そして……」

 

 今度は霞に視線を向ける。

 

「貴方を斬り捨てるのはそこのお嬢さんだ。──それでは、御免」

 

 裕樹は疾風の如く死鏡達の後を追う。

 後に残された二名の間に漂うのは──狂喜と憎悪だった。

 

 片や、満面の笑みで振り返り。

 片や、悲憤を迸るらせ霊刀、薄刃蜻蛉を携える。

 

 兄、平治は口角を半月状に歪めた。

 

「天は俺に味方しているのかもしれない──なぁ、霞」

「──死ね。柳生家の恥晒しめ」

「いいや、死なんよ。今宵はたっぷりとお前を犯す……あの夜の続きだ」

「ッッ」

 

 互いに転身。次の瞬間には霊刀を削り合わせる。

 遅れてやってきた衝撃波は周囲の雨水ごと建造物を吹き飛ばした。

 

 

 ◆◆

 

 

 予想外の乱入者。

 憤慨していた死鏡だが、妖刀から伝わってくる確かな力量に思わず笑みをこぼす。

 己を建物ごと潰している大男に吠えた。

 

「兄ちゃん……鬼の癖に剣術の基礎ができてるじゃねぇか! 嬉しいねぇ!」

 

 恋次の白鞘を無理矢理押し返す。

 瓦礫を地面ごと粉砕し、鬼の膂力を真っ向から受け止めてみせた。

 

「!!」

 

 恋次は驚愕する。

 あろうことか、目の前の男は左足だけで鬼の剛力と張り合っているのだ。

 

 技術ではない、剣技でもない。

 単純な筋力──

 

 こと膂力に関して、恋次は神仏すらも越えている。

 しかし、鍔迫り合いは拮抗していた。

 互いに次手を読み合い、斬撃予測線を潰し合う。

 

 恋次は咄嗟に後退した。

 死鏡の見せた斬撃予測線が不可解なほど捩れ曲がったからだ。

 

 死鏡は妖刀を隣の建物に突き立て、嬉しそうに笑う。

 

「今のを読むかぃ……いいねぇ、剣客してるねぇ。思わぬ掘り出しもんだ」

「……」

 

 恋次は眉根を顰める。

 立っているのもやっとな風体。その右半身は間違いなく死んでいる。

 

 一体何処からそんな力が沸いてくるのか──不可解でならなかった。

 

 ここで裕樹が合流する。

 死鏡をその視界に収めた瞬間、莫大な怒気を迸らせた。

 

「死鏡ィ……テメェは殺す。その素っ首、アイツ等の墓前に捧げねぇとこの癇癪はおさまらねェ」

 

 まるで鬼の様な呻き声と共に黒柄巻の太刀を抜き放ち、右肩に担ぐ。

 

 死鏡にも劣らない独特な構え──相手を一刀両断する気勢が滲み出ている。

 

 剣客殺しとして幾多の剣客を殺めてきた死鏡が、思わず唸った。

 

「担肩刀勢──神道系か? いいや倭刀術? しかしその筋肉の付き方──異常だな。対人剣術じゃねぇ。となると……ああ、わかった。タイ捨流か」

 

 裕樹は漆黒の闘気を漲らせる事で応答する。

 

 タイ捨流──柳生新陰流と起源を同じくする退魔剣。

 開祖である丸目長恵(まるめながよし)は当時最強の退魔剣士だった上泉信綱から新陰流の皆伝を授かると、故郷の九州に帰国。独自の退魔剣を編み出した。

 

 当時の九州地方は鬼の一派、土蜘蛛一族の齎す被害が深刻だったため、長恵は新陰流を更に実戦的な総合武術に改良。

 

 一刀両断、袈裟懸けを極意としながらも蹴りを中心とした打撃、関節技。更には独特の歩法と暗器術、金的などの反則技──

 

 屈強な土蜘蛛一族を鏖殺するために編み出された退魔剣ならぬ、退魔総合武術。

 それがタイ捨流だ。

 

 皆伝を授かる難度と柳生新陰流の圧力から、近年になって後継者は途絶えた筈。

 しかし裕樹は表世界の型のみのタイ捨流ではなく、本物のタイ捨流を修めていた。

 

 死鏡にはわかる。だからこそ狂喜の笑みを零した。

 

「いいねぇ、すげぇいい……!! 最高だ!! まさか本物のタイ捨流を拝める日が来ようとはなァ!! 柳生の次期当主なんざ霞んじまうぜ!! 俺は、テメェ等と斬り合いたい!!」

 

 禍々しい紫苑色の闘気を迸らせる死鏡に対し、裕樹は嫌悪の念を隠さず吐き捨てる。

 

「なら存分に浴びて死ねよ──首以外は挽き肉にしてやる」

「若、俺も共に戦います」

「ええ恋次さん……背中は預けました!」

 

 裕樹は弾丸の様に飛び跳ねる。

 放たれた必殺の袈裟懸けを、死鏡は突き立てていた建物ごと両断せんと妖刀を唸らせた。

 

 すかさず恋次が唐竹割りで一閃。二名の白刃が死鏡の妖刀に食い込む。

 

 死鏡は本当に楽しそうに嗤っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の大通りで血鮮斬風が吹き荒れる。

 住民達は巻き込まれ、建造物もろとも細切れにされた。

 

「天下五剣と五十嵐組だァ!! 逃げろォ!!!!」

 

 叫び声は瞬く間に伝播し、住民達を恐慌状態に陥れる。

 縄張り争いを繰り広げていたヤクザ達は装甲車を捨てて逃げ惑い、腕利きの傭兵や殺し屋達は振り返らず現場を離れる。

 

 上空を滑空していたワイバーン達も悲鳴を上げて明後日の方向へ飛んでいった。

 

 交通機関は完全停止。皆車両を捨てさっている。

 闇バス、闇タクシーの運転手も速やかに乗客達を避難させていた。

 

 阿鼻叫喚の大パニックの中、たまたま闇バスの運転手を任されていた死織は苦渋に満ちた表情で振り返る。

 

「洒落になりませんね……下手すれば中央区が瓦礫の山になりますよ」

 

 実際に、遠くの現場は地形が変動していた。

 余波がこちらまで伝わってくる。隣に立っていた街頭が鎌鼬によって両断された。

 

 天下五剣と五十嵐組の喧嘩は、大惨事になりかけている。

 

 頭上の巨大スクリーンから流れる緊急速報を聞き流しながら、死織は乗客達の避難を優先した。

 

 

 ◆◆

 

 

 大通りに並ぶ車両を吹き飛ばしながら、恋次は駆けていた。

 横にぴったりと付いている死鏡に剛剣を振り回している。

 

 圧倒的膂力から繰り出される斬撃は全てが一撃必殺だ。牽制の一撃であろうが相手を確殺してみせる。

 現に走りながら腕力だけで白鞘を振るっているが、その威力は全く落ちていない。

 

 鬼神に人間の剣技の常識は当て嵌まらない。

 

 しかし更に輪をかけて規格外なのが剣客殺し、死鏡仁三郎(しかがみ・じんざぶろう)

 彼は五体不満足でありながら恋次を追走し、あろうことかその剛剣を真っ向から弾き返していた。

 

 まずは移動方法──前面にのめり込んでわざと転けている。そうして生まれた回転力を更に勢い付かせ、高速移動しているのだ。

 

 死鏡は虚空を廻っていた。

 

 極め付けは恋次の剣を弾き返しているその力。

 恋次は両手で剣を振るっているが、死鏡は左手だけで振るっている。

 

 単純な膂力は間違いなく恋次の方が上。しかも死鏡は半身不随というハンデを背負っている。

 

 純粋な力量差──世界最強の剣客五名、天下五剣。その一角を担う死鏡の剣技は最早絶域に達している。

 

 あらゆるハンデもその圧倒的な剣技で有耶無耶にしてしまう。

 あの大和ですら、元・天下五剣の吹雪款月(ふぶき・かんげつ)に剣技のみで追い詰められたのだ。

 

 たかが棒振り。されど棒振り。

 

 こと剣技に於いて、天下五剣達は真の世界最強を誇っている。

 大和ですら彼等と剣で争うのを避ける。が、恋次「達」は違う。剣技で挑む。

 

 何故なら、彼等もまた剣客だからだ。

 剣に己の矜持を懸ける男達だからだ。

 

 それが、その事実が、死鏡を何よりも喜ばせる。

 

「最高だぜお前らぁ! クハハッ! ここまで昂ったのは何時以来だろうなァ!!」

 

 まとわりつく恋次を逆胴で弾き飛ばす。

 

 生まれた斬撃破は高層ビル群を一文字に両断した。

 しかし、漆黒の光明差す。傾く超高層ビルを駆け上がり飛翔したのは、裕樹──

 

 そのまま降下し、落下重力を余すことなく乗せた唐竹割りを放つ。

 余波だけで中央区が両断された。受け止めた死鏡の顔が歪む。

 

 大地を文字通り断った斬撃は、人類の域を遥かに越えていた。

 

 超越者レベルの斬撃に瞠目する死鏡に対し、裕樹は怒濤の猛攻を仕掛ける。

 

 彼は、この刹那に全身全霊を懸けていた。

 

 宙に佇んだまま渾身渾絶の斬撃を幾百も繰り出す。

 その全てを捌ききる死鏡だが、明らかに押されていた。

 その肩に、腕に、刀傷が奔る。

 

 どちらも一歩も引かない。が、押しているのは明らかに裕樹だ。

 

 全てに於いて死鏡に劣る裕樹が何故優勢なのか──それは、彼が未だ空中に佇んでいる事に起因している。

 

 裕樹は最初の唐竹割りを敢えて受けさせ、死鏡の奇っ怪な斬撃を固定。自分の剣域に引きずり込んだのだ。

 

 全てが一撃必殺の剣撃だからこそ、受け止められれば余波で「宙に浮ける」。優位なポジションを維持できる。

 

 タイ捨流・奥義──迦楼羅剣。

 

 屈強な土蜘蛛一族を有無を言わさず圧殺するタイ捨流最大奥義である。

 

 更に裕樹は瞬間瞬間に全身の闘気を爆発させ、斬撃の威力を底上げしていた。

 

 タイ捨流・秘技──鬼殺し。

 

 鬼神であろうが一刀の元に沈めるタイ捨流の基礎にして深奥。

 総ての刀技にこの技を組み込む事こそ、タイ捨流免許皆伝の条件だった。

 

 裕樹は吠えた。修羅と成った。

 命を燃やし尽くす勢いで太刀を振るい続ける。

 

 ここで決める──その意気が全身から迸っていた。

 流石の死鏡も押される。

 その総髪が靡き、額から後頭部にまで斬線が奔った。

 

 裕樹は止まらない。確実に息の根を止めるために必殺の剣を放つ。

 

 しかし死鏡は嗤っていた。

 彼は嬉しそうに、しかし残念そうに告げる。

 

「ここ数年で一番まともな剣客だった。素直に感心するぜ、人間の癖によくそこまで至った……だがな、相手を間違えるんじゃねぇ。俺は天下五剣──世界最強の剣客だぞ」

 

 鮮血飛び散る。

 瓦解した高層ビルから漸く出てこれた恋次は眼前の惨状に思わず叫んだ。

 

「若ァ!!!!」

 

 裕樹は膝を付いていた。

 その右肩から先は、隣に転がっている。

 

 死鏡はその白眼で裕樹を見下ろしていた。

 

「惜しかったが──やっぱり格が違うなァ」

「~~ッッッッ」

 

 裕樹は唇を噛み、右肩を強く握り締めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 要の右腕を丸ごと持っていかれた。もう満足に太刀を振るえない。

 

「ッッ」

 

 それでも裕樹は残った左手で太刀を握り締める。

 異常に疼く右肩を闘気で無理矢理黙らせる。

 

 そんな彼の眼前に巌の如き背中が現れた。

 恋次である。

 

「若、お引きください。俺が時間を稼ぎます」

「そんなの、できるわけ……ッ」

 

 裕樹の否応なしに剣撃の応酬が始まる。

 恋次がいなければ今ごろ肉塊に成り果てていた。

 自分が足を引っ張っている──その事実に裕樹は激情を隠しきれない。

 

 恋次は冷静にブチ切れていた。

 眉間に特大の青筋が立っている。

 息子のように想う青年を傷つけられた。

 何より、彼を守りきれなかった自身の不甲斐なさに憤りを爆発させている。

 

 しかし激昂すればするほど刃は鋭さを増していく。

 

 恋次の力の源は怒りだった。

 以前は幼馴染み、鈴鹿御前を斬られた時に飛躍的な進化を遂げた。

 

 今もそうである。

 凄まじい勢いで剣技が研ぎ澄まされていっている。

 死鏡は驚愕を隠しきれないでいた。

 

「ハハッ、すげぇなぁオイ! 力が増すのはわかるが、剣の鋭さが増すってのはどういう理屈だぃ!」

 

 それでも楽しそうに妖刀を振るう。

 白刃を潰し合う事によって生まれた衝撃波は周囲の瓦礫を更に彼方へ吹き飛ばした。

 

 大通りだった場所に嘗ての面影はない。

 

 恋次は崩壊した大地を斬り上げ、抉り飛ばす。

 散弾の如く群がる石礫や鉄屑を、死鏡は滅多切りで無効化した。

 

 しかしほんの少し隙が生まれる。

 それを恋次は見逃さない。

 一瞬で距離を詰めると、不随の右半身に渾身の逆袈裟を放った。

 

 撹乱し、隙をついて弱点を狙う。

 理に叶った闘法だ。

 怒りながらも冷静沈着な恋次だからこそ出せた、起死回生の一太刀──

 

 しかし、忘れてはいけない。

 死鏡は、天下五剣は常に理屈を越えてくる剣客なのだ。

 

「的確な判断、かつ完璧なタイミングだ。鬼の兄ちゃんもイイ剣客だなぁ……俺じゃなかったら斬られてたぜ。俺じゃなかったら、な」

 

 死鏡は恋次の逆袈裟を棒切れの如き義足に食い込ませていた。

 

 あまりに予想外な防御方法に瞠目する恋次。

 死鏡は白鞘を踏み台にし、がら空きになった裕樹に向かって飛んでいった。

 

「先ずは一人ぃ……いただこうかぁ!!」

「若ッ!!」

「ッッ」

 

 裕樹は必死に構えようとするも、失血多量で目眩を起こす。

 そんな彼に死鏡は容赦なく妖刀を振るう。

 

 咄嗟に恋次が飛び込み、身を挺して裕樹を守ろうとした。

 

「恋次さんッッ!!!!」

 

 裕樹の悲痛な叫び声が木霊する。

 しかしそれを打ち消したのは、金属同士が潰れ合う破砕音だった。

 

 恋次の眼前で艶やかな黒髪が舞う。

 彼女は仕込み傘から銀光一閃、死鏡の斬撃を完璧に無効化してみせたのだ。

 

 菊紋様のハイカラな浴衣が靡く。

 

 恋次は驚愕のあまり目を丸めた。

 そして思わず囁く。

 

「なんでテメェが……野ばら」

 

 史上最強の鬼狩りと謳われた少女は、振り返らずに告げた。

 

「勘違いしないで……貴方は私が斬るの。こんな有象無象にくれてやるほど、貴方の首は安くないわ」

 

 鬼狩り──野ばらは鋭い眼光で死鏡を睨み付けた。

 

 

 ◆◆

 

 

 雨が勢いを増した。視界が悪くなる中で、野ばらの濃い剣気が雨水を弾き返す。

 

 死鏡は闘気を霧散させ、どしゃ降りの雨の中を立ち尽くしていた。

 頬に貼り付く髪をそのままに、野ばらに告げる。

 

「鬼狩りの野ばら……話は聞いてるぜ。めっぽう強い剣客なんだってな」

「…………」

 

 応答しない野ばらを一瞥し、死鏡は膝を付いている裕樹に視線を落とす。

 そうして独りごちた。

 

「剣客の斬り合いはその場限りだ。次はねぇ……だからこそ燃える。斬った後の何とも言えない空しさを、俺は愛している」

 

 そのまま恋次に視線を向け、最終的には三名を視界におさめる。

 

「何時以来かな……斬るのが惜しいと思ったのは。クククッ……」

 

 死鏡は妖刀を掲げる。

 すると意思を持つかの様に鞘が飛んできて刀身を納めた。

 彼は踵を返す。

 

「次会う時を楽しみにしてるぜ。もっと剣の腕、磨いておけよ……五十嵐の兄ちゃんも、今治療すれば間に合う筈だ」

 

 右半身を引き摺って、死鏡は豪雨の向こう側に消えていく。

 悔しさのあまり男泣きする裕樹を、恋次が抱きしめた。

 

 死鏡の気配が完全に消えた事を悟った野ばらは、静かに仕込み刀を納める。

 

 決着は付かず──

 

 しかしもう片方──柳生の兄妹の闘いは、今宵終わる。

 彼等はこの豪雨の中で、互いの命を削り合っていた。

 


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