絶え間なく降り注ぐ雨水を霊刀達が弾き返す。
新陰流は妖魔必滅の剣──しかし今は兄妹喧嘩のために用いられていた。
先達も泣いているだろう。
この豪雨は、彼等の涙なのかもしれない。
柳生十兵衛霞もまた、泣いていた。
慕っていた実兄の変貌ぶりに。
彼をもう、身内とは思えないほど憎悪している事に。
柳生十兵衛平治は嗤っていた。
妹が未だ己を兄として見ている事に。
彼女をまた犯せる事に。
互いに人間の反応速度を超えたスピードで得物を振るう。
音速を超えた刃は真空を纏いて必殺剣に至る。
柳生新陰流、紫電。
脳にかかっているリミッターを意図的に解除し、処理速度を飛躍的に向上させる技。
肉体駆動にとてつもない負荷がかかり、無理に動かせば肉は切れ、骨は折れる。
人間ではなく妖魔を斬るための技。
柳生新陰流の原点である。
それ故に、彼等の剣は一般人には目視できない。
降り注いでいる豪雨すらも、彼等の描く斬撃軌道線に侵入できない。
実力は拮抗していた。
当代随一の剣客である平治だが、霞もまた柳生家歴代最高クラスの傑物。
しかし肉体的な面で、霞は平治に大きく劣っていた。
男女の筋力差以前に、平治は妖魔の細胞を体内に移植しているのだ。
その証拠に、彼の顔は醜くく変貌しつつあった。
「妖魔の細胞を体内に入れたのか──ッッ」
拮抗しているのは、霞が憤怒と憎悪で劇的に剣速を上昇させているからだ。
しかし所詮気力が為したもの、徐々に押されはじめる。
劣勢に立たされた霞は己が斬り刻まれるイメージから飛び退いた。
半ば化け物になった平治はその醜い面を歪める。
『流石、俺の愛しき妹──それでこそだ。犯し甲斐がある』
「黙れ、外道畜生が」
豪雨で冷えた体に熱い闘気を循環させる。
まだだ、まだ戦えると霞は自身に言い聞かせた。
しかし両腕は先程の剣撃で痺れ、感覚がなくなっている。
紫電のデメリットによって全身の筋肉、関節が悲鳴を上げていた。
柳生の剣は見敵必殺。
ただでさえ弱い人間が妖魔を斬るためには、短期決戦以外の道は無い。
気勢は衰えずとも、肉体は既に限界だった。
しかし平治は妖魔に変貌した事により、その欠点を克服している。
絶体絶命──
相手は柳生の剣を極めた妖魔。
本来であれば単身で挑むような相手ではない。
しかしやる。やるしかない。
霞は正眼で薄刃蜻蛉を構えた。
丹田に闘気を溜め、一呼吸置く。
乱れた気を整え、最後の一刀に向けて明鏡止水の極致に入る。
妹の実情を誰よりも知る兄は、ガマガエルの様になった唇を歪めた。
『無駄だ茜──俺はお前の出す技を全て知っている。俺も、柳生の剣士だからな』
「その風体で柳生を名乗るな」
霞は消える。
柳生秘伝の歩法は豪雨に紛れ、更に捉えにくくなっている。
が、平治は完璧に捉えていた。
奇声を上げて霊刀を振り下ろす平治。霞の腕を断たんと唸りを上げる。
しかし、要の霊刀が驚くほど呆気なく絡め取られた。
平治は驚愕する。
奪刀術だけではない──霊刀、鈴刃空蝉が自分を見限ったのだ。
柳生家に代々伝わる霊刀は対霊金属、
歴代の退魔剣士達に振られてきたこの霊刀達は、妖魔の類に拒絶反応を起こすようになっていた。
霞は柳生を信じた。平治は柳生を汚した。
その差がここに来て出た。
霞は両刀を携えると、全身全霊を以て最終奥義を放つ。
柳生新陰流・絶技──
八本の斬線が平治を切り裂き、血の花弁を咲かせる。
その背後を通り抜けた霞は、確かな手応えと共に暗黒色の雨雲を仰いだ。
背後から断末魔の叫び声が聞こえてくる。
辛い復讐劇が──終わった。
『なーんちゃって♪』
その鳩尾に鎌刃が突き立てられる。
背後から刺され、霞は振り返る事もできずに倒れ伏した。
致命傷だった。
唐突に、雷鳴が響き渡る。
幾重にも重なった稲光は醜悪な化け物の影を浮き彫りにした。
『驚いたよ、いや本当に驚いた──だが想定の範囲内だった。元々、お前と決着をつける際に霊刀は破壊しようと思っていたんだ』
どちゃり、どちゃりと、足音が聞こえてくる。
最早彼は、人間の原形すら留めていないのだろう。
野獣の唸り声が聞こえてくる。
『死に体のお前でも、犯せばさぞ心地よいのだろう。さぁ──その絶望した面を見せておくれ。俺に最高の快感を味あわせておくれ……ッッ』
霞は応答できなかった。
降り注ぐ豪雨に身体を縫い付けられている。
彼女は、雨音で消えてしまうほど小さな声で囁いた。
「ごめんなさい…………大和殿……後は、頼みました…………」
「嫌だね」
聞こえる筈もない声が聞こえてきた。
視線を上げると、大きな下駄と真紅のマントが見えた。
唐突に宙に浮かされる。
力強い腕に抱き締められた霞は、全身を駆け巡る絶大な生命エネルギーに徐々に意識を覚醒させてゆく。
目頭が熱くなる。涙が溢れてくる。
鳩尾の傷も完全に塞がった頃に、彼女は思わず囁いた。
「どうして…………」
「悪ぃな。今回の依頼、キャンセルさせて貰うぜ」
優しく地に下ろされる。
その目に、真紅のマントを靡かせる背中が映った。
「俺は殺し屋だ、通すスジなんて端から持ってねぇ」
だから──そう言って大和は嗤う。
「代わりに我が儘、貫き通させて貰うぜ」
◆◆
豪雨降り頻る中、両者は視線を合わせていた。
『おい、ソレは俺の女だぞ』
「いいや違うね。俺の女だ」
『…………』
「…………」
『死ね』
「テメェが死ね」
柳生十兵衛平治は鎌刃に変形した両腕を振るう。
柳生新陰流、紫電を用いての一撃は如何に彼が妖魔に堕ちた身であっても、洗練された一撃だった。
光速を超えた刃を、しかし大和は大太刀でその身諸共両断する。
平治が縦半分に裂け、上空の雨雲も同じように割れた。
周辺の雨水が全て吹き飛び、斬線は遥か彼方まで伸びていく。
大和はマントを翻した。
有象無象の死に際など興味ない。
溶け落ちる妖魔を背に、大和は霞に歩み寄った。
未だ呆然としている彼女を抱き締め、静かに告げる。
「……すまねぇな」
「…………ッッ」
霞は大粒の涙を流し、首を横に振るう。
「何で貴方が謝るのですか……ッ」
大和の首に手を回し、抱き寄せる。
そして儚くも美しい笑みを浮かべた。
「ありがとうございます……私を、救ってくれて……ッ」
二人の唇が重なる。
切り開かれた曇天から微かに零れた光明が、二名を照らし出した。
◆◆
二人の間に余計な言葉は不要だった。
求めたのは霞からだった。「柳生十兵衛霞」としてではなく、ただの少女として大和を求めた。
誰にも見せた事のない顔で愛の言葉を囁く。
白磁の様な柔肌は薄桃色に染まり、浮かんだ汗を唇と共に吸われる。
歳不相応に実った90センチの乳房を揉みしだかれ、幸せに満ちた喘ぎ声を上げた。
女の顔をする霞を大和は何度も抱いた。
霞はただただ嬌声を上げ続ける事しかできなかった。
しかし、幸せな時間は長く続かない。
霞はこれから正式に「十兵衛」の名を引き継ぎ、柳生家当主となる。
対して大和は世界最強の殺し屋。
決して相容れない間柄だった。
霞の恋は許されないものだった。
魔界都市、中央区の大通りで。
七色のネオンが煌めき、数多の種族が行き交う。
大和は霞の見送りをしていた。
闇タクシーに乗っていけば無事柳生家の領土にたどり着けるだろう。
闇タクシーを背に、しかし霞は泣きそうな顔で大和を見つめていた。
彼女は思わずといった様子で呟く。
「私がもし柳生の剣士でなければ、貴方と──」
そこまで言って、唇を噛み締める。
思わず本音を吐露してしまった彼女に、大和は苦笑を向けた。
「どの道、お前じゃ無理だよ。弱いし。何より──優しすぎる」
「ッッ」
「だから行け、もうこの都市に来るんじゃねぇぞ。……会いたくなったら、俺が会いに行ってやる」
霞は思わず大和に抱きついた。
最後のキスをねだる。腰を下げた大和の首に両腕を回した。
長い長いキスを終えた後──霞は涙を流しながら言う。
「貴方は私と会った時に言いましたよね? 俺はお前の兄貴と同類だって……」
「ああ」
「訂正してください。貴方は私にとって──唯一無二の英雄です」
泣きながら頬を撫でくる少女に、大和は唖然とした。
彼女は踵を返し闇タクシーの元まで赴くと、最後に振り返る。
「本当に、ありがとうございましたっ……またいずれッ」
そのまま、闇タクシーに乗って消えていった。
呆然としていた大和だが、不意に苦笑を零す。
「俺が英雄に見えたか、お前には──」
真紅のマントを翻す。
下駄の音を高らかに鳴らしながら煙草を取り出した。
「──まぁ、たまにはいいか」
自身に対してそう言い聞かせながら、濃い紫煙をくゆらせる。
そうして暗黒のメシアは眩い摩天楼の中へと消えていった。
《完》