villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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三話「嵐がやってくる」

 

 

 

 深夜、毒蜘蛛はその鋭利な牙を大和の首筋に突き立てた。

 嫉妬心に駆られるがままに肉を噛み締め、熱い血を溢れさせる。

 命の証を吸い上げて、音を立てて舐めとり、また貪り──漸くその激情は治まった。

 

 途端に悲しげな声をあげ、己が傷付けてしまった首筋を舐めあげる。

 

 堪らず彼女──アラクネは謝った。

 

「ごめんなさい……」

「いいんだよ、俺が悪かった」

「ッ」

 

 頭を優しく撫でられ、アラクネはその逞しい胸板に顔を埋めた。

 

 子供幽霊達も寝静まった深夜、暗い部屋の端で座る大和にアラクネは跨がっていた。

 淡い月明かりに照らし出された彼女の顔は、世界最強の暗殺者とはとても思えない弱々しいものだった。

 

 大和は彼女の額にキスを被せ、震えるその唇に己が唇を重ねる。

 血の味がした。

 

 アラクネは涙を零して受け止める。

 長い長いキスを終えて──アラクネは喘ぐように囁いた。

 

「我慢できなくなるの……っ、アンタがあいつ等に取られたと思うと、自分を制御できなくなるッ」

 

 涙目で大和にすがるアラクネ。

 大和はそのか細い身体を抱き締める。

 

「なにも言うな。今夜は……いいや、当分はお前だけを愛してやる」

「ほんと……?」

「ああ、俺は昔からお前に嘘はつかねぇだろう?」

 

 微笑まれ、アラクネも花が咲いた様に微笑んだ。

 

「嬉しい……愛してる、大和……ッ」

「俺もだ、アラクネ」

 

 お前は特別な女だ──その言葉をキスで伝える。

 アラクネは涙を流し、彼の首に両腕を回した。

 

 二人は静かに、されど熱い夜を過ごす。

 さざ波の音すらも聞こえなくなるほどに……

 

 

 ◆◆

 

 

 翌朝早く、大和は符術で雅貴から誘いを受けた。

 温泉に浸かりながら語り合わないか、と。

 断る理由も無いので、大和は旅館の屋上にある露天風呂へと向かった。

 

 赴くと、ちょうど朝陽が地平線から顔を出したところだった。

 大和は既に湯に浸かっている雅貴に話しかける。

 

「俺と語り合いたいって?」

「ああ、貴殿から学ぶことは多い。是非語り合わせてくれ」

「まぁいいぜ、暇だからな」

 

 湯を浴び、汗を洗い流し、大和はゆっくりと湯船に浸かる。

 深いため息を吐く彼に対し、雅貴は苦笑を向けた。

 

「流石の貴殿も、あの女傑達には手を焼くか?」

「まぁな」

「首筋の傷。それに胸板や腕に付いた無数の赤い痣……いやはや、凄まじいな」

「独占欲が強いんだよあいつ等は……ったく」

 

 結った黒髪を解き、リラックスモードに入る大和。

 雅貴はクツクツと喉を鳴らした。

 

「で……何を語らいたい」

「そうさな。では単刀直入に──貴殿はこれからの世、どうなると思う?」

「荒れるだろうな。下手したら四大終末論の時と同じくらいに」

 

 寛ぎながらそう言うので、雅貴は目を丸めた。

 

「根拠は?」

「根拠もなにも、お前等の存在がそうだろうが。他にもソロモン……いいや、今はヒトラーだったか? アイツ、南極大陸を拠点にして色々暗躍してるみてぇだぜ。あとはアレだ、表世界も騒がしくなってきたな。今までにない傾向だ。新しい超越者も増えてきたし、勢力も乱立してる」

 

 大和はゆっくりと朝陽に顔を向ける。

 

「仮初めの平和が終わろうとしている。今まで押さえてたもんが一気に溢れ出ようとしているんだ。……もう誰にも止められねぇ、時代の転換期だ。最悪、表世界と裏世界の境界線が無くなっちまうかもなぁ」

「我々の存在が公に曝されると?」

「そうならねぇよう表世界の勢力が尽力するだろうが……最悪、全世界が魔界都市化だな」

「素晴らしいではないか。俺の望む楽園だ」

「ほざけよ。そんな面倒臭ぇ事態になる前に俺が……まぁ、報酬次第で何とかする」

「クククッ……貴殿は本当にブレないなぁ」

 

 雅貴は面白そうに笑う。

 その後、子供の様な無邪気な面で問うた。

 

「貴殿は何故、勢力を築かない?」

「何だ、やぶから棒に」

「貴殿を慕う者は多い。その気になれば七魔将の女性達は勿論、毒蜘蛛殿、這い寄る渾沌殿、傾世の九尾殿──皆付いてくるだろう。そうなれば俺達もソロモン殿も勝ち目はない。真に畏怖される組織が誕生する」

「ありえねぇよ」

「何故そう言いきれる? 貴殿であれば本当に……」

「アイツ等は、独りぼっちの俺に惚れたんだろう?」

「……!!」

「だから俺が例え組織を作ったとしても、誰も集まらねぇよ。てか、そもそもだ」

 

 俺が嫌だ。大和はそう断言する。

 

「組織なんて面倒臭ぇ……所属するのも嫌だね。俺は、そーゆーしがらみが大嫌いなんだよ」

「…………」

「だから、お前が言ってる「もしも」はありえねぇ。絶対にだ」

「……クククッ、ハッハッハッハッハ!!!!」

 

 雅貴は爆笑した。大爆笑である。

 

「そうかそうか、そうだな!! これは貴殿のみならず、貴殿を愛する女性達にも無礼な質問だったな!! いや失礼!!」

 

 非礼を詫びると、雅貴は心底嬉しそうに告げた。

 

「貴殿と語らうのは誠面白い。目から鱗がどんどん落ちていくよ」

「おだてすぎだ」

「いいや、貴殿との語らいは百の黄金にも勝る。……ううむ? 前にも似たような事を言ったか?」

「さぁな」

「クククッ。ああそうさな……貴殿の在り方は、まるで万華鏡だ」

 

 雅貴はじっと大和を見つめだす。

 

「貴殿を愚者と謗るのか、賢者として敬うのか。殺し屋として恐れるのか、英雄と讃えるのか。怪物と恐れるのか、益荒男として愛するのか──その者の性別や種族、価値観によって抱くイメージが変わってくる。……フフフ、どれが本物の貴殿なのかな」

 

 雅貴は面白そうに顎を擦り、そうして首を横に振るう。

 

「いいや違うな……全て貴殿なのだ。愚劣で思慮深く、殺戮者でありながら英傑。怪物にして男の理想像……全て間違っていない。全て正解だ」

「…………」

「いやはや、実に面白い男だよ。貴殿は」

 

 雅貴から純粋な瞳を向けられて、大和はそっぽを向いた。

 

「……あんま、俺を『そういう』目で見るな。こそばゆい」

「……フフフッ、すまない。少し熱くなってしまった」

 

 二人して肩を竦め、昇ってきた朝陽を拝む。

 ふと、雅貴が唐突に言った。

 

「なぁ大和殿、弟子をとる気はないか? 今なら陰陽風水をかじったそれなりに優秀な男が」

「断る」

「フハハ!! 一刀両断されてしまった!!」

「ったく……」

 

 呆れながらも、大和は可笑しそうに笑っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 午前中、湘南の浜辺の前で。

 大和は雅貴と七魔将に別れを告げていた。

 

「アラクネと幽香は先に帰らせた。色々面倒だからな」

 

 その言葉にウリエル、フェンリル、バロールがほくそ笑む。余程アラクネの事が嫌いなのだろう。

 大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「あと正宗、幽香達の友達になってくれてサンキューな」

「……フン、貴様に礼を言われる筋合いは無いわい」

 

 鼻を鳴らしてそっぽを向く正宗に対し、七魔将全員がニヤニヤと笑みを向ける。

 大和と雅貴にも向けられたので、正宗はわざとらしく咳き込んだ。

 その耳は真っ赤だった。

 

「クククッ……そんじゃ、またなお前ら。依頼があれば言えよ。報酬次第で受けてやる」

 

 踵を返して去っていく大和。

 その背に、雅貴は最後の問いを投げかけた。

 

「大和殿!」

「?」

 

 振り返った大和に、雅貴は稚気を含んだ「らしい」笑みを向けた。

 

「これから訪れる激動の時代、貴殿はどう生きる!」

「……」

 

 大和は一拍置くと、無邪気な子供の様な笑みを零す。

 

「今までと変わらねぇよ。俺は俺の人生を全力で楽しむ……それだけだ」

「……フフフ、そうか。ではまたな!」

「おう」

 

 互いに背を向け離れていく。

 大和の背が遠くなった頃に、ウリエルは雅貴に問うた。

 

「ねぇ雅貴、どうだったの? 大和の勧誘は。まぁ失敗したのはわかってるけど」

「無理だよウリエル殿。彼は誰にも従わないし、群れない。孤高の益荒男だ。……貴殿等も、そんな彼に惚れたのだろう?」

 

 ウリエルとフェンリル、バロールは目を丸めた。

 そして艶然と笑う。

 

「その通りだよ♪」

「雅貴コイツめ……わかっているではないか」

「クククッ、一皮剥けたか?」

 

「ハッハッハ!! いや楽しかったぞ!! かけがえのない思い出になった!!」

 

 笑いながら歩を進めていく雅貴。その背に続く七魔将。

 彼等の行く先には蒼穹の青空と、天頂にまで昇る入道雲が待っていた。

 

 夏の一時が終わり──そうして嵐がやってくる。

 世界を巻き込むほどの『嵐』が、間を置かずして。

 デスシティも表世界も巻き込んだ、盛大な死のパーティーが始まろうとしていた。

 

 

 

《完》

 

 


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