大和らを取り囲んだのは猿に似た精霊達だった。
ヴァナラ族。有名どころは風神の化身とされるハヌマーンか……
過去にラーマと共に羅刹族と戦った一族である。
彼等とラーマの子孫である美少女は大和の容貌を確認した瞬間、絶望で顔面を蒼白色にした。
誰でもない、相手はあの暗黒のメシア。
神代の時代より規格外の暴力で恐れられる、闇の英雄王。
ヴァナラ達は咄嗟に武器を納めた。
そして姫君たるラーマに視線で訴える。
大和はつい最近、全神話体系で「接触禁止対象」になった。
北欧、エジプト両神話の和睦の際、その危険性を顕著に表した彼は神話間で禁忌の存在として扱われる様になったのだ。
よほど事がない限り、彼に関わってはいけない。
たとえ会話するだけであっても……
彼は、存在そのものが危険だと判断された。
しかしラーマは眼光で「否」と答える。
つがえた弓矢をそのままに、大和に問うた。
「暗黒のメシア殿とお見受けする。この聖域に如何なるご用か? 返答次第では戦闘も辞さない……」
この啖呵に、周囲のヴァナラ族は目を丸めた。
彼女は聡明で慧眼。現代最高峰の英雄として花開く事を神々から期待されている傑物である。
血迷った訳では無い。
彼女は己が使命を全うしようとしていた。
暗黒のメシアが相手でも、引けない理由がある。
だから震える指先で弓矢をつがえているのだ。
ヴァナラ達は思わず叫ぶ。
「姫様! お逃げください!」
「我々が時間を稼ぎます!」
しかし、ラーマは首を横に振るう。
大和は冷たい殺気を滲ませながらも、淡々と答えた。
「俺はこの森の所有者、九尾の狐「万葉」から羅刹族討滅の依頼を受けた。お前らを害するつもりはない」
その言葉にラーマは大きく息を吐くと、弓をおろし深く頭を下げた。
「こちらの不手際か──どうか許していただきたい」
「……」
「この通りだ」
大和は殺気を滲ませながらも、面白そうに顎を擦った。
「お前がリーダーか」
「如何にも」
「……ふぅむ」
徐々に殺気が霧散していく。
大和は柔らかな笑みを浮かべた。
「いいぜ、許してやるよ」
「!!」
「誰にだって誤解はある、重要なのはその後だ。お前は誠意を見せた。……十分だぜ」
鷹揚に頷く彼に対し、ラーマは胸を撫で下ろす。
しかし別の殺気に顔面を蒼白にした。
大和の腕に抱かれている万葉だ。
彼女は犬歯を剥き出し、呪詛を吐き散らす。
「たかが英雄の子孫風情が、大和様に弓矢を向けた挙げ句に許してくれ──とな? 傲慢傲慢。まさかこのような所で狂おしいほどの殺意を抱くことになるとは……。何様じゃ貴様ら。ここの正式な所有者である妾の前で、ようもそのような振る舞いが出来たものじゃ。……根切りじゃ、今すぐそこに並べい。その素っ首消し飛ばしてくれるわ」
濃密すぎる殺気はラーマ達に明確な死のイメージをもたらした。
嘗て世界中の神仏達を恐れ戦かせた稀代の大化生。
妖魔の女王たるその魔気に、一同は死を覚悟した。
しかしその頭が乱雑に撫でられる。
大和だった。
「そうカッカすんな、許してやれよ」
「……しかし」
「俺が許したんだ」
「…………」
万葉はむすっと頬を膨らませると、そっぽを向く。
「大和様は最近甘い、まったく……」
「ククク、あとでいっぱい慰めてやるからよ」
「ふんっ」
不服そうにしながらも、九本の尾ははち切れんばかりに振られている。
ラーマ達は安堵する。
彼女達は誰でもない、暗黒のメシアに救われたのだ。
◆◆
大和は仕事を終えると万葉と一旦別れ、ヴァナラ族の都キシュキンダーを訪れた。
キシュキンダーは次元の狭間に近い場所にあり、数多の宝石で美しく彩られている。
頭上で輝く擬似的な日輪は炎神アグニの権能。
故に別次元でありながら昼夜の概念が存在している。
大和はキシュキンダーの王城に「恩人」として招待されていた。
最も、歓迎しているのはラーマだけでありヴァナラ族や聖仙達は激しく警戒しているが……
彼らは有事の際すぐに対応できるよう身体を強張らせていた。
インドの名産品で作られた美食、霊薬ソーマを混ぜて製造された美酒。
それらが全て台無しになっている。
踊り子の天女達も怯えているので、主催者であるラーマは頭を抱えた。
「私以外は全員出ていけ。無礼にも程がある」
「なりません! 姫様!」
「このような化け物と二人きりなど!」
「黙れ、この恥知らずどもめ。今お前達は私の顔に泥を塗りたくっているのだぞ」
激情を露わにしたラーマに、臣下達は何も言えなくなる。
「こちらの不手際を寛容に許していただき、尚且つ聖域で暴れ回っていた羅刹族を瞬く間に討滅していただいた。だと言うのに貴様らは……「怪物」だ「魔人」だなどと……それが恩人に対する態度か!! 恥を知れ!!」
「しかし姫様!」
「この男は本当に危険なのです!」
「私に同じことを二度言わせるつもりか!!」
「「「「……」」」」
「出ていけ。追って処分を言い渡す」
臣下達は納得できないと言った表情をしつつも、広間を後にした。
彼等の気配が消えたことを確認したラーマは、大和の元まで赴き片膝をつく。
「臣下達の無礼、どうか許していただきたい。まさかあそこまで露骨な態度をされるとは思ってもいなかった」
心からの謝罪に対して、大和はヒラヒラと手を振るう。
まるで気にしていない様子だった。
「いいんだよ、俺に対する神仏や精霊の態度なんてあんなもんだろ」
むしろ──そう言って大和はラーマの薔薇色の瞳を覗く。
「お前の対応の方が違和感あってなぁ……何か目論みでもあんのか?」
「恩人に対する当然の対応をしたまで。貴方が怪物であろうが魔人であろうが、私達の恩人には変わりない」
「クククッ……そういうところは爺ちゃんそっくりなのな」
「!! ……私が孫である事をご存知だったか」
「雰囲気がな、当時のアイツにそっくりだった。……そうか、お前は孫なのか」
温和な笑みを浮かべる大和。
ラーマは頬を朱に染めると、キョロキョロと周囲を見渡しはじめた。
そうして誰もいないことを確認すると、思い切って告げる。
「そ、その、大和殿!」
「ん? どした」
「もしよろしければ、あの……!」
ラーマは慌てた様子で異次元の収納ボックスに手を突っ込むと、あるものを取り出す。
それは……色紙とサインペンだった。
「私、幼少の頃より貴方のファンなのです! もしよろしければ、サインをください!!」
色紙を押し出され、大和は目をまん丸にした。
ラーマの行動を予測できなかったのだ。
何故なら表面上は友好的でも、内心嫌われていると思い込んでいたからである。
ラーマは薔薇色の瞳を潤ませ、大和を見上げた。
◆◆
サインを貰ったラーマは飛び跳ねそうな勢いで喜んでいた。
「ありがとうございます! 本当に嬉しいです! 一生の宝物にします!」
「…………」
当の大和は微妙な表情をしていた。
納得できないと言った面持ちだ。
「……お前ほどの女王が、何故俺を好きになる? わからねぇな」
彼女は徳のある女王だ。間違いなる正義に属するだろう。
己とは対極の存在の筈──。
大和の疑問に対して、ラーマは顔を真っ赤にしながら両指を絡める。
「確かにキシュキンダーの女王として、貴方を認める訳にはいきません。ですが一人の女として、貴方に恋い焦がれるのはいけない事でしょうか……?」
彼女は腕を振って興奮気味に語りはじめる。
「羅刹族すら捩じ伏せる圧倒的な武力! あらゆる学問、歴史に通じる教養! そして天上天下唯我独尊を成す不屈不当の精神力! 全てに於いて尊敬しております!!」
何より──そう言ってラーマは両手で顔を覆う。
「時折浮かべる優しい笑みが、その……大好きでっ」
自分で言っていて恥ずかしくなったのだろう、イヤイヤと悶えている。
「……ククク、ハハハっ」
大和は思わず笑ってしまった。
変に勘ぐっていた自分が馬鹿らしいと、自嘲の笑みをこぼしたのだ。
「いいぜ、くだらねぇ理由より何百倍もいい。好きって感情に立場も種族も関係ねぇもんな」
大和は妖艶な笑みを浮かべる。
「こんなイイ女の想いに気付けねぇなんざ、俺もまだまだだぜ」
そのまま手招きする。
「おいで」
「……っ」
「可愛がってやる」
ラーマはおどおどしながも、ゆっくりと大和へ近寄る。
大和は彼女をふわりと抱き締めると、優しい声音で聞いた。
「名前は?」
「クシャナと……申します」
「そうか、いい名前だ」
大和は彼女の紅蓮色の髪を撫でる。
結い紐をほどき、ハラリと落ちたそれらを指ですく。
クシャナは蕩けた瞳で大和を見上げた。
「お前のような女王に好かれるなんて、男冥利に尽きる」
「ああっ……大和様っ♡」
クシャナは嬉しそうに瞳を潤ませていた。
戦士らしくも張りのある女体が小刻みに震えている。
大和とクシャナの唇が触れ合う刹那……騒がしい足音が聞こえてくる。
クシャナは名残惜しそうにしながらも身を離した。
大和はやれやれと肩を竦める。
同時にヴァナラ族の戦士が入ってきた。
クシャナは様々な感情を押し殺して、女王として振る舞う。
「命令を無視して現れたと言うことは、それ相応の事態があったということでいいのか?」
「ハっ、緊急事態でございます!!」
「わかった。報告しろ」
ヴァナラ族の戦士はその精悍な面を絶望色に染めた。
「羅刹王ラーヴァナが復活しました! 現在、数十億からなる軍勢を率いて天界に進行しています! 天地のバランスが崩れ、世界が崩壊するのも時間の問題かと……!」
あまりの内容に絶句するクシャナ。
大和もまた、事の重大性を理解していた。
◆◆
宴会の間にヴァナラ族と聖仙達が集った。
女王クシャナは臣下の一人に聞く。
「現状は? 我らが大いなる神々はどうしている」
「現在、全戦力を用いて応戦しています。偉大なる三神も前線に出ているとのこと……」
「そうか……偉大なる三神様が動いているのか」
インド神話の頂点に君臨している三神一体の神達。
破壊神シヴァ。維持神ヴィシュヌ。創造神ブラフマー。
彼等が動いているのなら、ひとまず安心だ。
しかし敵対勢力も侮れない。
羅刹族は神格を保有する妖魔──魔神だ。
他の魔族達とは比べ物にならない。
その王と配下である魔神達が復活したというのだから、クシャナは不安を拭いきれなかった。
「八天衆……最強の武神様方は動いているのか?」
「無論、出動しています。しかしながら……」
言葉を濁らす臣下に、クシャナは苛立ちを覚える。
「早急に述べろ、時は一刻を争う」
「はっ、失礼しました! 邪仙、
「何だと!?」
「戦況は不利──羅刹王の権能で神々の力が無効化されています。その権能を纏った軍勢は、神々にとって天敵です……!」
「なんということだ……っ」
クシャナは唇を噛み締める。
今すぐにでも神々の救援に向かいたいところだが、自分達が行っても足手まといにしかならない。
何もできない──
その事実がクシャナと臣下達を悲嘆に暮れさせた。
しかし、ただ一人──
「……!!」
そう。ただ一人、救援に向かえる存在がいる。
彼は笑いながら告げる。
「困ってるみてぇだな。本来なら無視してデスシティに帰るところだか……俺はお前を気に入った、クシャナ。正当な報酬さえ払えば、依頼を受けてやる」
四大終末論を踏破せし世界最強の英雄。
その片割れである暗黒のメシア──大和は灰色の三白眼を細めた。
◆◆
いち早く反応したのはヴァナラ族だった。
大和に敵意を剥き出して叫ぶ。
「貴様! 姫様に何を求めるつもりだ!!」
「低俗な魔人め! 姫様を穢そうものなら我らが黙って」
「喚くなッ!!!!」
怒髪天となったクシャナの叫び声に、臣下達は口をつぐむ。
クシャナは我を忘れそうになりながらも、あくまで冷静に大和に告げる。
「大和殿……貴方の武が必要です。私が払えるものなら何でも払いましょう。どうか……我らの世界をお救いくださいっ」
片膝をつき、深く頭を垂れるクシャナ。
ヴァナラ族らは納得できない様子で唇を噛み締めていた。
大和はやれやれと肩を竦めると、唐突に歩き始める。
「宴会だからと呼ばれて来てみれば、罵声を浴びせられ、敵意を向けられる。普段の俺ならその場で皆殺しにしてるところだ」
「……っ」
大和は設けられていた一席に胡座を描くと、金色の杯を掲げる。
「だがなぁ……せっかくもてなされたんだ。酒の一杯でも気持ちよく飲みてぇじゃねぇの。……美味い酒とイイ女がいる。後は、わかるな?」
クシャナは無言で立ちあがると、王位の象徴である金色の羽織を脱ぎ捨てた。
紅蓮色の髪を腰まで下ろし、ただの女となる。
そうして大和の横につき、酒瓶を手に持った。
「お付き合いいたしましょう」
「ありがとうよ」
クシャナはゆっくりと杯に酒を注ぐ。
大和はそれを静かに呷った。
ヴァナラ族は唖然とした。
二人だけ、別の空間にいるようだった。
ただ酒を飲んでいるだけなのに、絵画のように見えてしまう。
淑やかに酒をつぎ足すクシャナ。
大和は美味そうに酒を飲み干すと、立ち上がった。
「さぁて、最高のもてなしをして貰った。お前達の王女は本当にイイ女だ。あまり困らせるなよ?」
通り抜けていく大和に、臣下達は何も言えなかった。
クシャナは大和の背を見つめ、温かい言葉をかける。
「いってらっしゃいませ。また……お供をさせてください」
大和は無言で手をあげ、その場を後にした。
◆◆
廊下を歩いていると、狐耳の美少女が壁に寄りかかっていた。
万葉である。
彼女は大和の前に立ち塞がると、頬をムスーっと膨らませた。
「甘ったるい! どうしたのじゃ大和様!! あんな無礼者ども、皆殺しにすればよかったんじゃ!! この国も滅ぼして、ラーマの孫は犯して侍らせれば良かったんじゃ!!」
妖魔としての本性をあらわにしている彼女に、大和は苦笑をこぼす。
「何でだかなぁ……普段はそうするんだろうが、今回はそんな気分じゃなかったんだ」
「気分の問題かえ!?」
「そうさ。……ったく、そうカッカすんなよ。これが終われば一週間はお前の男でいてやる」
「まことかえ!!?」
「ああ」
「くふふーっ♪ ならば特別に許してやろう。あ奴らは大和様の気紛れに感謝すべきじゃて♪」
大和の手に抱きつき、九尾をぶんぶんと振り回す万葉。
大和は穏やかに笑うと、反転して獰猛な笑みを浮かべた。
「さぁて……相手は羅刹王とその配下数十億、更に七魔将だ。相手に不足はねぇ。──久々にマジでやるか」
迸る戦気。
真紅の闘気を滲ませて、大和は王城を後にした。
これより、近年類を見ない最大規模の戦争が始まる。
その勝敗を決めるのは誰でもない、暗黒のメシアだった。