villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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外伝 世界最強の請負人
外伝始動


 

 

 

 魔界都市の瘴気は重く、濃く、そして生臭い。

 内臓が弱い者なら呼吸をしただけで重い病を患ってしまうだろう。

 

 時間帯は夜、魔界都市が最も栄える刻である。

 

 七色のネオンと喧噪が遠く思える、中央区の裏路地にて。

 見目麗しい美少女が駆けていた。

 無理矢理引き裂かれたであろう上着、そこからこぼれそうな乳房を片手で隠している。

 

 彼女は最低限の羞恥心を残し、懸命に走っていた。

 何者かに追われているのだろう。

 その服装から鑑みるに、何をされそうになったかは想像し難くない。

 

 ここは、あらゆる犯罪がまかり通る魔界都市なのだから。

 

「あぅ!」

 

 曲がり角で何者かとぶつかり、尻餅をついてしまう美少女。

 あわあわと視線を上げれば、次の瞬間忘我の彼方を彷徨った。

 

 長身痩躯の美青年。

 艶黒の長髪に覆われた半顔は天使を彷彿とさせるほど美しい。

 自ら光を放つきめ細かな白肌、伏し目がちの切れ長な目。

 美女と言っても十分通用する。

 

 漆黒色のケープコートには無数の鋲が打ち込んであり、足首まで届くほど長い。

 分厚い靴底のコンバットブーツは履き込まれており、淑やかな光沢を放っていた。

 

 虚無を感じさせる灰色の瞳、優美なラインを描く鼻梁。

 朱を引いた様な紅く薄い唇は、同性であろうとも惹かれてしまう。

 

 埒外の美貌を前に、美少女は思わず陶然としてしまった。

 後を追ってきたチンピラ達も同じように陶然としてしまう。

 

 数十秒もの間を置き、ハッと気を取り直したチンピラ達。その内の一人が凄んでみせるものの、顔は真っ赤だった。

 

「おうおう色男。邪魔すんなよ。俺たちはそこの姉ちゃんと大事な話があんだ……失せろ」

「た、助けて下さい! この人達、私を無理やり……」

 

 駆け寄った少女は間近で見てしまった。

 青年の、神が細工したも同然の美顔を──

 

 立ち尽くす彼女に、青年は全く興味ないのか、そのまま立ち去ろうとする。

 

 しかしその靴先で火花が散った。

 男の手の中で、魔改造された巨大マグナムが硝煙を吐いていた。

 

「無視してんじゃねぇよ、この野郎。……へへへ、綺麗な顔してんじゃねぇの。いいねぇ、さぞかしケツの方も締まりが……グエ!?」

 

 突然、男が苦しみ出した。

 何も無い筈なのに首元を掻きむしっている。

 

「あ、アニキ!! どうしたんでさぁ!?」

 

 周りのチンピラ達が狼狽えはじめる。

 男は一人顔面を蒼白にしている。

 靴先が辛うじて地に触れていた。

 

 まるで、見えない糸にでも吊り上げられているかのような……

 

 口から泡を吹き出し、完全に呼吸困難に陥った男。失神すると同時に地面に倒れこむ。

 

 青年はゆっくりと、他のチンピラ達を見つめた。

 彼らは兄貴分を担ぐと、這々の体で逃げ出す。

 

「お、覚えてやがれー!!」

 

 声はかなり遠くから聞こえてきた。

 ここで漸く自分を取り戻した少女は、距離を置いて礼を言う。

 

「あの……ありがとうこざいます。おかげで助かりました。その、お名前だけでも……っ」

 

 青年は無視して歩きはじめる。

 背に熱い眼差しを向けられるが、何も応えない。

 

「……もうゲートにいる頃か」

 

 腕時計を確認し、独りささやく。

 その声すらも美しい。

 

 長い前髪がふわりと靡く。

 顔立ちは違えど、異性を駄目にする魔性の色香は誰かに似ていた。

 

 その灰色の瞳も、また。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の中心地にある大衆酒場、ゲートは今日も繁盛していた。

 ウェスタン風の粋な店内にはあらりとあらゆる種族が集っている。

 彼等は一様にリラックスしていた。

 

 ここでは物騒な事が何も起こらない。

 そう、何も。

 

 何故なら、世界最強の傭兵がオーナーを務めているからだ。

 

 金髪を刈り上げた偉丈夫、ネメアはセブンスターをふかしながら新聞を読んでいた。

 

「今日は平和な一日だった」と思いつつ、目の前のカウンターに座っている大男を見つめる。

 

 褐色肌の美丈夫。

 大柄ながらも限界まで絞り込まれた、戦闘に於いて最適の肉体。

 白と黒の着物、その上から羽織られた真紅のマント。

 野性的ながらも妖艶な顔立ち。

 

 灰色の三白眼を細めながら彼──大和はラッキーストライクを旨そうに吸っていた。

 

 ネメアは何気なく言う。

 

「珍しいじゃないか、女を連れてないなんて」

「ああ?」

 

 野太くも艶やかな声。

 陶然とする女達がいる中、大和はニッと笑う。

 

「久々に会いてぇ奴がいるんだよ。最近どんな感じかって」

「お前が世話を焼くということは、弟子か?」

「半分正解だな。弟子兼──息子だ」

 

 その発言に、聞き耳を立てていた客人達が驚愕する。

 ある者はグラスを落としてしまった。

 

 静寂に包まれた店内を一瞥し、ネメアはやれやれと肩を竦める。

 

十六夜(いざよい)か」

「おうさ。最近請負人なんて仕事しだしたから、調子を聞きたくてよ。まぁ、上手くいってんだろうが……」

「心配無いだろう、あの子に関しては」

「そうさな、何せアイツは──」

 

 俺と氷雨の息子だからな。

 そう言った瞬間、店内はパニック状態となった。

 

 世界最強の殺し屋であり武術家、暗黒のメシアこと大和と『調停者』の異名を持つ世界最強の異能力者、文明の破壊者としても知られる女傑、氷雨との息子。

 

 彼の名前は十六夜。

 世界最強の請負人であり、世界最強の両親を持つ生まれながらの超越者である。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和はグラスにブラックラムを注ぎながら、上機嫌に笑った。

 

「戦闘技術の基本は俺が、異能術式の扱い方は氷雨が教えた。あとはアラクネから鋼糸術の秘奥を、天道からは勁力の発露を、それぞれ伝授されてる。同世代じゃ敵なしだな。……まぁ、若い世代を含めればユリウスがいるが」

「邪神群の皇子、まだ若いとはいえ邪神の超越者と比べてやるな。いや……、比べられる十六夜も十六夜なのか?」

「戦闘技術、経験を抜かしたら七魔将や八天衆に比肩するからな」

 

 大和は嬉しそうだった。

 自慢の息子の話をしている父親そのものであり、ネメアは思わず微笑んでしまう。

 同時に、他の子供達にもそれくらい愛情を持ってやれればと苦笑を浮かべた。

 

 大和は、不意にあくどい笑みを浮かべる。

 

「今度ユリウスと一緒に仕事させるか、面白そうだ」

「……相性は良くないだろう。二人とも本質が全く異なる」

「だからこそだ、面白いことになる」

「……はぁ」

 

 ネメアは呆れて溜め息を吐く。

 すると、丁度良く現れた。

 

 ウェスタンドアを開けて、件の青年が入ってくる。

 客人──特に女達は、そのあまりの美貌に固まってしまった。

 大和とは違う、しかし極限に位置する美──

 

 例えるならそう、月だ。

 魔界都市に無い筈の月。

 

 客人達は彼──十六夜の一挙一動から目を離せないでいた。

 大和の横に腰かけた彼はその冷たい美顔をふわりと緩める。

 

「お久しぶりです、父上。ネメアさんも」

「おう」

「久しぶりだな、何か飲むか?」

「では、ホットミルクを」

「わかった」

 

 厨房へ入っていったネメアの背を見送り、大和は喉を鳴らす。

 

「可愛い注文じゃねぇの。酒飲まないのか?」

「あまり。酔って手先が狂ってしまったら本末転倒ですから」

「真面目すぎんだよ」

「貴方が適当なだけです」

「何をぅ?」

「フフ」

 

 微かに、されど面白そうに笑う十六夜。

 その笑顔の破壊力は凄まじく、店内の女達は揃って熱い溜め息を吐いた。

 

 大和は紫煙を吐き出しながら聞く。

 

「最近どうだ?」

「ええ、ようやく安定してきましたよ。最初は依頼を貰えなくて苦労しました」

「最初なんてそんなもんだろ」

「貴方の悪名が中々にネックでしてね。信頼を勝ち取るまで時間がかかった」

「クハハ! そうか! そりゃまた! それぁ俺の餓鬼として生まれた宿命だ! 諦めろ!」

「ええ、諦めていますとも」

 

 大和はゲラゲラ笑いながら、それでも十六夜を褒める。

 

「噂は聞いてるぜ、神仏や精霊からも仕事を請け負ってるんだってな。俺の身内でそこまで交遊関係を広げられたのは、お前が初めてだ」

「信頼は努力で勝ち得ることができます。信頼は……ね」

「そうさな。……ま、程々に頑張れよ」

「ありがとうございます」

 

 そうこうしている内にネメアが戻ってくる。

 渡されたホットミルクを口に含みながら、十六夜は話し始めた。

 

「直近の依頼を帝釈天さんからいただきました。……話を聞けば、身内に貴方の息子がいるらしいじゃないですか」

「あ? んー? ……ああ、いたな確かに。名前は知らねぇけど」

 

 全く無関心の大和に、十六夜は告げる。

 

「私にとっては実の弟です。……少し世話を焼くことくらい、構いませんよね?」

「勝手にしろ」

「では、そうさせて貰います」

 

 テーブルにぴったりの勘定を置き、十六夜は去っていく。

 漆黒のゲープコートを靡かせるその背を、大和は面白そうに見つめていた。

 

「……ククク、あの帝釈天を信用させるか。とてもじゃないが、俺と氷雨の息子とは思えねぇな」

「確かにな。礼儀正しく、真面目で、女に溺れない。かと言って戦闘狂でもないし……」

 

 ネメアはふむと顎を擦る。

 

「突然変異かもな」

「違いねぇ! ハッハッハ!」

 

 大和の爆笑が木霊した。

 

 確かに性質は全く異なる。

 しかし母親からは類稀なる美貌と異能力を。

 父親からは戦闘センスと決して揺れない精神力を。

 確かに受け継いでいる。

 

 十六夜──彼が紡ぐ物語は違う角度から見た『世界の光景』である。

 大和の息子として、しかし全く別の性質を持つ者として、この世界を見つめていく。

 

 これから始まるのは暗黒のメシアの影で繰り広げられる、もう一つの短編である。

 

 

 


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