八天衆と魔界都市の月
東京都某区にある孤児院にて。
ここは世界最強の武神集団、八天衆が経営している「ワケありの子供達」を匿う場所だ。
神秘的な要素が薄れつつある現代でも、超常的な力を持つ子供達は生まれてくる。
彼等は俗世に溶け込めない。そういう運命の元にある。
なのであらかじめ八天衆が保護し、一般的な常識とともに力の扱い方を教えるのだ。
一見地味な活動に見えるが、将来的に彼等が世界の敵にならず、且つ何時か訪れるであろう不幸を未然に防ぐ事ができる。
これが、八天衆にできる最善の「先手」だった。
「……」
子供達が寝静まった15時頃。
庭園で一人の青年が難しい表情をしていた。
簡素な服装なのに魅力的に映るのは、元々の素質がいいからだろう。
切り揃えられた黒髪、整った顔立ち。
誰かに似ている灰色の瞳は、流れ行く雲達を虚ろに見つめていた。
彼……翔馬は小さく溜め息を吐く。
(最近、姐さんが元気無いな……)
姐さんとは八天衆の一角、孫悟空の事である。
幼少期より可愛がってもらった翔馬は、彼女の事を実の姉の様に慕っていた。
(俺や子供達の前じゃ気丈に振る舞ってるけど……やっぱり、何かあったんだろうな)
彼女が落ち込む理由として一番考えられるのは──あの褐色肌の大男だった。
「っ」
思わず唇を噛み締める。
あろうことか、彼は実の父親なのだ。
それすら認めたくないのに、大事な姉貴分を悲しませている。
翔馬は憤怒で気が狂いそうになった。
しかし一度大きく息を吐き、落ち着く。
(俺に何ができる。力も無いし、何も知らない。そんな俺に、一体何が……っ)
自分の無力さに絶望を覚えてしまう翔馬。
(俺にもっと力があれば……姐さんも色々話してくれたのかな)
そう思うと、体が勝手に動きはじめる。
もっと力を。昨日より強い力を。
家族を護りたい、ずっと笑顔でいてほしいから……
「力が、必要なんだ……」
翔馬は立ち上がる。
そして師である親父分、帝釈天を捜そうとした。
が、既に目の前にいたので翔馬は驚愕で目を見開く。
帝釈天はやれやれと溜め息を吐いた。
「言いたいことはある。が……俺から言っても無駄な事もある」
「……」
「丁度いい時期だった、呼んでおいて正解だったぜ」
「?」
首を傾げる翔馬に、帝釈天は背を向けながら告げた。
「客人が来てる。お前に会わせたかった奴だ」
「……一体誰が」
「お前の実の兄貴」
「……は?」
呆然とする翔馬。
彼が帝釈天の言葉を理解できるまで、数十秒の時間がかかった。
◆◆
客人用の個室には既に毘沙門天らが待機していた。
帝釈天と彼女の実娘、
「粗茶ですが……」
「ありがとうございます」
淡々と礼を言う冷たい美青年。
漆黒のケープコートを着た彼に恋人の面影を見てしまった世良は、思わずその顔を凝視してしまう。
しかし失礼だと、母に頭を叩かれていた。
帝釈天に連れられてきた翔馬は、美青年を見てギョっと目を丸める。
確かに似ていた。
いいや、自分とは比べ物にならないほど美しい。
だが、瞳の色が同じ灰色だった。
立ち尽くす彼に、美青年は苦笑する。
「立ったまま、というのも居心地が悪いでしょう。なんなら、私も立ち上がりましょうか?」
「あっ、いえ! すみません……!」
翔馬はかしこまり、いそいそと向かい側に着席する。
美青年は雪解けの春を思わせる微笑を浮かべた。
「はじめまして。十六夜と申します。今回は帝釈天さんから「貴方と対話してもらいたい」という依頼を請け負い、参上しました」
「はじめまして、翔馬です」
「……既に伺っていると思いますが、貴方と私は異母兄弟です。しかし気にせず「十六夜」と呼んでいただければ」
「そんな……失礼過ぎます。十六夜さんと呼ばせてください」
翔馬の反応を見て、十六夜は唇を緩めた。
その埒外の美貌は、同性である翔馬をも魅了してしまう。
「流石、帝釈天さんと毘沙門天さんの息子さんだ。何処に出しても恥ずかしくない、立派なお子さんです」
「そうだろう? 自慢の息子だ」
「馬鹿っ、親父……!」
顔を真っ赤にする翔馬に、十六夜は口元に手を当てた。
そして翔馬に流し目を向ける。
「これは確かに心配だ……こんな子が「こちら側」に堕ちてくると思うと、やるせない。実の弟なら尚更です」
「十六夜……うちの馬鹿息子の悩みを聞いてやってくれ。俺や毘沙門天からは言えねぇ事が沢山あるんだ。でもお前なら……本当の事を教えられる。頼む、この通りだ」
帝釈天、そして背後に控えていた毘沙門天が深く頭を下げる。
翔馬と世良が驚く中、十六夜は真面目な表情で頷いた。
「承りました。この子の将来のために、一肌脱ぎましょう」
「ありがとう……!」
「恩に着る」
十六夜は翔馬の瞳を覗く。
同じ色の瞳なのに、映しているものは全く別物に見えた。
しかし全く怖くない。
翔馬は既に彼を信頼していた。
両親がここまで信頼する相手だ、疑う余地などない。
十六夜は立ち上り告げる。
「あそこの、庭園で話しましょう。聞かれたくないこともあるでしょうし」
「……お願いしますッ」
決意に満ちた表情で、翔馬は十六夜の背に付いていく。
二人が部屋を出ていった後、世良は心配そうに言った。
「大丈夫かな、翔馬……」
「安心しろ。十六夜は信頼できる男だ。あのクソ野郎とは違う」
「全くだ。翔馬には彼の在り方、参考にして貰いたい」
「そんなに凄い人なんだ……!」
窓ガラスの先で話し合う二人を見つめる世良。
改めて見ると、確かに兄弟の面影があった。
◆◆
緊張感を持って隣に座っている翔馬を、十六夜は優しい瞳で見つめていた。
「表世界の住民になりたいと、そう思ったことはありませんか?」
「……」
「君は表世界に住んでいるだけだ。その血筋が、力が、君に「平凡な生活」を許さない。遅かれ早かれこちら側に関わる事になるでしょう。それを嘆いた事はありませんか?」
「あります」
即答だった。
翔馬は眉間に皺を寄せる。
「普通がよかった。普通でよかった。家族がいて、平和に暮らせればそれでよかった」
「……」
「でも仕方ないんです。コレは生まれ持った力だから。向き合うしかない。でも、どう向き合えばいいのか……わからないんです」
本心を吐露した翔馬に、十六夜はゆっくりと目を閉じる。
「ありがとうございます、素直に答えてくれて」
「いえ……」
十六夜は次に、重い問いを投げかけた。
「では翔馬くん……貴方にとって、暴力とは何ですか?」
それは、人の本質を明かす問い。
十六夜は、翔馬の返答次第では心を鬼にするつもりでいた。
◆◆
「暴力は……暴力です」
翔馬は悩みながらも、確固とした意思を以て答える。
「原始的な力、権力や財力の前に世界を支配していたシンプルな「力」……ただそれだけです」
「欲しくはないのですか? 強大な暴力が」
「欲しくはありません、でも必要なんです。……おかしいですかね?」
「いいえ、続けてください」
翔馬は戸惑いながらも続ける。
「暴力に頼りたくはありません。でも相手が暴力を行使してきた時……暴力でしか対応できない時がある。俺は……手遅れになるくらいだったら、迷わず暴力を振るう覚悟があります」
「……」
「大切な者を護るための最後の選択肢、ただの力……それが俺にとっての暴力です」
「成る程」
やはり親子ですね……その言葉を十六夜は飲み込んだ。
己も、父親も、暴力を「都合の良い力」としか見ていない。
十六夜はふぅと息を吐く。
「安心しました。翔馬くんは暴力の事をよく理解している」
「いえ……普通ですよ、こんなの」
「普通じゃない輩が多いんです。……特に貴方達に暴力を振るうような輩は」
「……!」
「だから、もしも敵対者が現れた時は一切容赦しないでください。女子供、老人であっても、迷わず殺してください」
「それは……!」
「覚悟があると、先程言いましたよね?」
翔馬の瞳が揺れた。
覚悟はできている。そう言ったが、相手が女子供だとすると……揺らいでしまう。
そんな翔馬の肩に手が置かれた。
ビクッと震える彼を安心させるように、十六夜は囁く。
「意地悪な事を言ってしまいましたね。覚悟は今、しなくてもいい。まずは力を付けなさい」
大丈夫。
そう言って十六夜は微笑む。
「貴方の周りには強い方が沢山いる。だから焦らなくていい。今はまだ甘える時です」
君なら、何時かきっと素晴らしい男性になれる。
その優しい心を、どうか失わないでほしい。
そう言って、十六夜は翔馬の頭を撫でた。
「……っっ」
翔馬は涙を流した。
帝釈天から同じような事を言われても、慰めにしか聞こえなかっただろう。
自分も護らなければいけない。
家族の盾になれなければいけない。
そんな無茶な責任感を……十六夜がほぐしてくれた。
翔馬は俯き、大粒の涙をこぼす。
「ありがとう……兄さんっ」
その呼び方に十六夜は目を丸めたが、最後には嬉しそうに微笑んだ。
◆◆
翔馬は急いで涙を拭うと、恥ずかしそうに縮こまった。
「すいません、十六夜さん……感極まって、そのっ」
「兄さんでかまいませんよ。私も、可愛い弟ができて嬉しい」
「……なら、兄さんって呼ばせてください!」
翔馬は無邪気な笑顔を浮かべる。
その後、十六夜に孤児院の様子を聞かれて嬉しそうに語り始めた。
子供たちの様子。帝釈天夫婦の痴話喧嘩、などなど。
ありきたりな、しかし翔馬にとってかけがえのない日常。
十六夜が微笑みながら聞いてくれるので、翔馬は嬉しくなって語り続けた。
彼の笑顔を横目で見ながら、十六夜は想う。
(……ありがとう。貴方みたいな子がいるおかげで、私は魔界都市に戻ることができる。その笑顔を、護りたいと思える)
デスシティは矛盾の坩堝だ。
犠牲者の殆どが自業自得……とはいえ、中には巻き込まれ悲劇に見舞われる存在がいる。
十六夜は、それがどうしても許せなかった。
(屑同士が殺し合うのは構わない。因果応報を辿る者達に同情の余地などない。しかし……心優しい存在が巻き込まれるのは、我慢ならない)
故に、十六夜は魔界都市に滞在しているのだ。
少しでも多くそういった存在を助けたいから。
(翔馬くん……君のその笑顔を護れるのなら、私は万の外道を殺められる。だからどうか……道を踏み外さないでくださいね)
言葉にしない。
ただ翔馬の頭を撫でる。
首を傾げながらも気持ち良さそうに受け止める弟に、十六夜は表情を和らげた。
賞賛などいらない。
賛辞など必要ない。
ただ、己の信念を貫き通すのみ。
外道滅ぶべし──
父親とは違う。
しかしその在り方は、もう一人の闇の英雄だった。
◆◆
十六夜は立ち上り、翔馬に礼を言う。
「今日はありがとうございます。お話に付き合っていただき」
「そんな……! 俺の方こそ、何て言ったらいいか!」
翔馬は立ち上り、深々と頭を下げる。
十六夜は微笑んだ後、彼に背を向けた。
「いいえ、私も沢山教わりましたよ」
「?」
「こちらの話です。私はもう一人の方と話をしてきます」
「……誰と」
「孫悟空さんです」
「!!」
翔馬は目を丸めると、複雑そうな顔をする。
彼は思わず聞いた。
「俺達の本当の親父についてですか?」
「……ええ」
振り返る事なく肯定した十六夜に、翔馬は声を絞り出す。
「……俺が関わっちゃいけない事は察してます。でも、コレだけは教えてくださいっ」
翔馬は激情を押し殺し、告げる。
「俺達の父親は……もう姐さんを愛していないのですか……?」
翔馬は、コレだけは知りたいと思っていた。
十六夜はゆっくりと首を横に振るう。
「いいえ……今でも愛していますよ」
「!!」
「ただ、頑固な性格でして……その事を悟空さんにお伝えしたかったのです」
「……そう、ですか」
翔馬は依然、複雑な面持ちのままだった。
実の父親の事を認められないのだろう。
十六夜は内心思う。
(貴方にも何時か、わかる時がきますよ……父上はこの腐った世界に必要不可欠な悪であると)
十六夜は一度も振り返る事なく、庭園を後にした。
◆◆
孫悟空は孤児院の屋上で煙草を吹かしていた。
子供たちの迷惑にならないようにと普段は吸っていないのだか、最近喫煙の回数が多くなっていた。
ふわりと、悟空のいる屋上に青年が上がってきた。
十六夜だ。彼はどんな方法を用いたのか、一階から舞うように飛んできたのだ。
悟空は紫煙を吹かしながら笑う。
「わりぃな、盗み聞きするつもりはなかったんだけどよ」
黄金色の長髪が靡く。
今時のパンクな服装をしている彼女は、容姿的には10代半ばほどの美少女だ。
喫煙している姿は犯罪的だが、どこか様になっていた。
髪と同じ色の瞳は、気怠げに十六夜の事を見つめている。
不意に、彼に想い人の影を重ねてしまった悟空。
逃げるように視線を外した彼女に、十六夜は敢えて告げる。
「……父上と同じ銘柄ですね。ラッキーストライク」
「っ」
悟空は十六夜を睨み付けた。
「失せろよ。お前には感謝してる、可愛い弟分が世話になった。だが俺は関係ねぇだろ……なんだ、蔑みにきたのか?」
皮肉な笑みを浮かべる彼女に、十六夜はあくまで淡々と答える。
「ただのお節介ですよ。……貴方は義理とはいえ、お姉さんだ。父上との今の関係を見ていると、忍びない」
「余計なお世話だってんだよ……!」
悟空は歯軋りし、激情を露わにした。
しかし十六夜は動じず続ける。
「ある日ね、酔った父上が私に聞いてきたんですよ。「悟空の奴は元気にしてるか」って」
「……嘘だ。俺は兄貴に見限られて」
「愚痴ってましたよ。馬鹿な妹分だって」
「…………」
黙った悟空に、十六夜は話した。
「やんちゃな癖に寂しがり屋で、義に厚い癖に怖がりで。奔放な癖に甘えん坊で。……信念と恋心の間で、揺れ動いてる」
『中途半端な奴だよ、アイツは。会った時からそうだった。……でもな、優しい奴なんだよ。誰かのために、本気で怒ることができる』
『八天衆だから俺と敵対しなきゃいけないって……本気でそう思っていやがる。……馬鹿だよ、妹として会いに来たら、何時でも可愛がってやるのに……ほんと、馬鹿』
寂しそうに言ったのでよく覚えている。
そう、十六夜は言った。
「…………っっ」
悟空は涙を流した。
ポロポロと大粒の雫を流し続ける。
十六夜はそれ以上何も言わず、背を向けた。
「……すまねぇ、本当にすまねぇ……っ。ありがとう、伝えてくれて……っ」
「…………」
十六夜は何も言わず、屋上を舞い降りた。
悟空は嗚咽を漏らし、ただ泣き続けていた。
◆◆
下には既に帝釈天がいた。
わかっていた十六夜は素直に謝る。
「申し訳ありません……それでも、伝えなければならないと思ったので」
「いいや……こっちこそすまねぇ。俺からは何も言えなかった」
彼もわかっていたのだろう。
悟空が大和を想い続けていることを……
「やっぱり悟空は……アイツがいなきゃ駄目なんだな」
自分に言い聞かせるように言う帝釈天。
一瞬唇を噛み締めるが、次には気さくに笑ってみせた。
「今夜は飯でも食ってけよ、毘沙門天が腕を振るってる。……世良も、お前と話がしたいって」
「いえ、遠慮しておきます」
十六夜は帝釈天の横を通りすぎた。
「私に、貴方たちの温かい食卓に混ざる権利などありません。……今日は帰らせていただきます」
振り返った帝釈天は、どうしようもない感情を誤魔化すために愛想笑いを浮かべた。
「ありがとうな……アイツらを、救ってくれて」
その言葉は本心からくるものだった。
しかし十六夜は何も答えない。
一人帰路につく。
彼の行く先には美しい月が浮かんでいた。
漆黒のトレンチコートを靡かせ、十六夜は帝釈天の視界から消えていった。
《完》