一話「偽りの楽園」
広がる蒼穹にたなびく白い雲。
穏やかな風は撫でる様に辺りに吹いていた。
サファイアの様な青色をたたえるサンゴ礁、それらを見下ろす小高い丘。
絵になる風景とはまさにこの事だ。
ここはカリブ地域にあるとある小国。
穏やかな気候と多様な特産品、そして平和な国風で知る人ぞ知る宗教国家である。
此度はこの一見平和に見える島国で物語が紡がれる。
この世界に真の平和などありはしない。
あるのは仮初めの、上っ面のみの平和であることを思い知ることになるだろう。
◆◆
街のメインストリートは賑やかで、土産物屋が所狭しと並んでいた。
どの店も観光客で溢れ、非常に活気に満ちている。
店からの呼び込みの声も明るく、すれ違う住民もにこやかに挨拶を交わしていた。
そんな彼らが一様に息をのむ。
まるで天使の様な──否、堕天使の様な美人姉妹が現れたからだ。
亜麻色の短髪と長髪を揺らす彼女達は、世にも珍しいオッドアイ。
短髪で右目が青色の美女は殺伐とした雰囲気を漂わせている。
服装は純白のロングコートに黒革の手袋、漆黒の厚底ブーツ。左腕には真紅の逆十字の腕章を巻いている。
長髪の左目が青色の美女は逆に淑やかな雰囲気を纏っていた。
くるぶしまである漆黒のロングドレスに同色のケープ、ピンヒールのロングブーツがスラリとした美脚を強調している。
好奇の視線を向けてくる住民たちに短髪の妹、クイン・ギネヴィアは鬱陶しそうに舌打ちする。
溢れ出た殺気に住民たちは慌てて視線をそらした。
戦闘経験のない一般人ですら感じ取れる、明確な殺意。
姉であるジュリア・ギネヴィアが短気な妹を宥める。
「駄目よ、クイン。彼らは関係ない」
「……わからないわよ、お姉様。こんな胡散臭い国の住民だもの。後ろめたい事がある筈」
「決め付けはよくないわ。そも、私達が優先すべきは揺るがない「証拠」を手にいれる事。だから無駄な注目を集めては駄目……わかるわよね? クイン」
「……わかってる」
頷きつつも不貞腐れる妹に微笑を向け、ジュリアは歩を進める。
「まずは歩きましょう。夜になるまでに目ぼしいポイントを見つけておかないと」
「OK」
カツカツと足音を鳴らし、去っていく姉妹達。
彼女達は天使殺戮士。
プロテスタントが誇る対天使病の切り札である。
彼女達の来訪したということは即ち、この国が天使病に関わっているということだ。
楽園の滅亡は刻一刻と迫っていた。
◆◆
メインストリートを抜けて広場までやってきた姉妹。
まるで鮫の様に「血」の臭いを嗅ぎとったクインは、眉間に大きな皺を寄せた。
肌で感じとれる。
おぞましい色香を持った魔人が近くにいる事を……
事実、「彼」は近くまでやってきていた。
喧騒を裂いて現れた褐色肌の美丈夫。
両脇にこの国特有のシスター達を侍らせている。
大層な美少女達であり、修道服はシースルーさながらの際どい造りをしている。
魅惑的な肢体が浮き彫りになっていた。
彼女達は揃って陶然としていた。
謙虚な信徒である筈の彼女達に女の顔をさせているのは、カジュアルな服装に身を包んだ褐色肌の美丈夫。
額にかけたサングラスが陽光を反射する。
暗い輝きを灯す双眸が、天使殺戮士の姉妹達を見つけた。
「おおっと、バカンス中に面倒な手合いに出会っちまったな」
「嘘付くんじゃねぇよ、殺し屋。アンタも同じような理由で来たんだろう?」
「さぁな」
とぼける美丈夫、大和にクイン・ギネヴィアは額にビキビキと青筋を立てた。
◆◆
「所構わず気持ち悪ぃオーラばら撒くんじゃねぇよ……吐き気がする」
「何だ、疼いちまったのか? 今夜泊まるホテルの番号でも教えてやろうか?」
「……」
「……」
無表情になったクインの右腕がブレる。
刹那、大和の背後にあった遺跡群に斬線が奔った。
突然の爆音、そして上がる土煙に住民たちは動揺する。
騒がしくなる広場前で、二人は変わらず睨みあっていた。
クインは苦虫を噛み潰した様な表情をしており、大和は飄々と笑っている。
両者の間に一体何が起こったのか……
それは傍にいたジュリアにしかわからなかった。
キレたクインが咄嗟に放った光速の鎌刃を大和が視線誘導で回避したのだ。
正確に脳漿をぶちまける筈だった斬撃は僅かな、しかし鋭い殺気に感化されてあらぬ方向へと飛んでいった。
唯我独尊流・木の型『樹海』
戦闘に於ける殺気運用術。
相手の五感を乱し、時に幻覚に類似したものを見せる。
大和はクインの一撃を視線だけで無効化したのだ。
怒鳴り散らそうとする彼女の前に、ジュリアが割って入る。
「双方、おやめなさい。この場で争っても何も意味はないわ」
「お姉様退いて。ソイツ挽肉にする」
「血気盛んな嬢ちゃんだ。イイ声で鳴いてくれそうだな」
「野郎ォ……!!」
「クイン。私の言うことを聞きなさい」
「…………」
「己が使命を思い出しなさい」
「……チッ」
盛大に舌打ちし、クインは大和に背を向ける。
「命拾いしたな、糞野郎」
「クックック」
可笑しそうに嗤う大和。
彼は口パクで「ある事」を姉妹に伝えた。
「「!!」」
驚愕する姉妹。
大和は未だ惚けているシスター達を連れて去っていった。
その背を忌々しげに見つめながら、クインは呟く。
「大聖堂の地下で「クスリ」が造られてる、だぁ?」
姉のジュリアもまた、怪訝そうに大和の背を見つめていた。
「……貴方は、既に知っているのね。この楽園の真相を」