villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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二話「育成」

 

 

 大和と鬼娘が酒場を去った後、朱天とネメアは会話を交えていた。

 

「驚いたぜ、半分博打だったんだがな」

「それだけの才能があの子にあったんだろう。大和は才能のある存在しか弟子に取らない。時間の無駄だと言っていたからな」

 

 それでも、とネメアは付け足す。

 

「アイツの指導力は間違いなく世界一だ。何せ弟子の多くが歴史に名を残している。現存する弟子達も強者だらけだ。……あの子も化けるぞ」

「ハッ、そりゃ楽しみだ」

 

 朱天は嗤いながら豪快に酒を呷る。

 

「アイツ……銀杏(いちょう)は努力家だ。鬼は努力なんてしねぇもんだが……頑張った分は報われるべきだよなァ」

「……」

 

 子分想いな鬼の大将に、ネメアは微笑みを向けた。

 

 

 ◆◆

 

 

 所変わって南区の最南端。

 ここは強力無比な魔獣達が跋扈する現世の魔界。

 デスシティの強者達すら入れば帰ってこれない魔の森林地帯だ。

 

 深淵の森。

 

 SSSクラスの魔獣、神獣が縄張りにしている最上級危険地帯である。

 天候の変化も激しく、植物達も意思を持っているため凶暴極まりない。

 

 しかし神代の時代特有の鉱石や薬草が採取できるため、デスシティの科学者達は懲りずに侵入を試みていた。

 

 大和からすれば、邪魔者が一切介入してこない良質な修業場である。

 

 事前にSSSクラスの森の主達は薙ぎ倒しているため、彼はこの森の生態系の頂点に君臨していた。

 

「……凄い」

 

 修業場を目の当たりにした銀杏は思わず呟く。

 質素ながらも頑強な造りの木小屋に天然温泉。

 岩石から削り出された様々なトレーニング器具に適度な広場。

 そして滝場からなる良質な水源。

 

 完璧な修業場だった。

 

「夜になればそこの崖上からデスシティの摩天楼が見える。かなりの絶景だぜ」

 

 大和は衣服を脱ぎながら告げる。

 

「少し待ってろ、修業着に着替える。それまで準備体操でもしとけ」

「……はい!」

 

 力強く頷く銀杏。

 最高の師に最良の修業場。

 彼女のやる気は最高潮に達していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 どんな修業内容なのか、どんな風に強くなれるのか──

 

 考え巡らせながら肉体を解している銀杏。

 そんな彼女の前に着替えを終えた大和が現れた。

 

「うっし、じゃあ始めるか」

 

 気軽にそう言った彼は、本当にラフな格好をしていた。

 上半身裸の、黒のカンフーズボン。

 その巨躯からは考えられないほど軽やかなジャンプを数回すると、銀杏に向かって笑いかける。

 

(……す、すごい。なんて完璧な肉体っ)

 

 瞬発力と持久力、強靭さと柔軟さを兼ね備えた良質な筋肉のみで形成されている。

 無駄が一切無い。

 八つに割れた腹筋は最早芸術。

 屈強な肩はそのまま骨格の強度を表しており、二メートルを優に超す身長でも抜群の運動能力を発揮できるだろう。

 

 戦士が見れば戦慄を禁じ得ない。

 銀杏もれっきとした戦士であるため、戦慄を覚えていた。

 

(人間は、いいや生物は……ここまで戦う事に特化できるのか……っ)

 

 まさしく戦の申し子。

 破壊、殺戮に特化した肉体は決して才能だけでは造れない。

 効率的かつ過酷な鍛練を幾星霜積んで、漸く完成する──

 

 銀杏はうち震えた。

 熱い視線を向けられ、大和は思わず笑う。

 

「見蕩れちまうのはいいが、程々にな。鍛練を始めるぞ」

「……も、ももも、申し訳ありませんっ!!」

「いいって……じゃあ、最初の鍛練だ」

 

 大和は半身を前に出す。

 ファイティングポーズをとった。

 

「組手だ。お前の力を推し量る。……全力で来い、俺は受けに集中すっから」

「……得物を使っても」

「当たり前だ。遠慮せずにかかってこい」

「……わかりました」

 

 スッと、澄んだ顔立ちになった銀杏は腰に帯びた妖刀を抜く。

 洗礼された動作もさることながら、纏う気が静謐。

 揺らぎが一切無い。

 

 大和は期待以上だと微笑むと、消えた銀杏に呼吸を合わせた。

 

 

 ◆◆

 

 

 全部の力を出させて貰った。

 全力を受け止められた。余すことなく。

 

 それでいて、相手は掠り傷一つ負っていない。

 汗の一つもかいていない。

 

 彼我の実力差を痛感した。

 それ以上に、敬意を覚えた。

 

 ここまで違うものかと──

 

 鬼同士の戦いとは全く違う。

 力で捩じ伏せられるのではなく、負けを認めさせられた──

 

 初めての体験に、銀杏は震えていた。

 

 現在、晴天を眼前に大の字に倒れている。

 肺が新鮮な酸素を求めて躍動していた。

 視界がチカチカと明滅する中、大和の声が何処からともなく聞こえてくる。

 

「予想以上だったぜ。中々やるじゃねぇの」

 

 不意に浮遊感に襲われる。

 抱き起こされたのだ。巨大な手が背を支えてくれている。

 

 大和は木造りの杯を差し出した。

 澄んだ水が入っていた。

 

「飲んで一旦落ち着け」

「……ッッ」

 

 銀杏は短く頭を下げると、すぐさま杯を受けとる。

 そして水をがぶ飲みした。

 五臓六腑に染み渡る。遅延していた血行が元通りになる。

 

 大きく息を吐いた彼女は、まず礼を言った。

 

「ありがとう、ございますっ」

「気にすんな」

 

 大和はもう大丈夫だろうと手を離し、銀杏の眼前で胡座をかく。

 そして告げた。

 

「さっきも言ったが、予想以上だぜ。よく鍛練を積んでるな。筋肉も柔らかく骨格も形成されてる。関節の強度も問題ねぇ。種族が鬼だからって慢心してねぇのがよくわかった」

 

 誉められ、銀杏の顔に熱が溜まる。

 彼が、世界最強の武術家が、自身の努力を認めてくれたのだ。

 何よりも嬉しかった。

 

 しかし同時に不安を覚える。

 銀杏はわかっていた。自分に明確な欠点があることを──

 

「ただ……戦闘スタイルがな。鬼ならではの戦闘センスに任せた喧嘩闘法。ありゃあ、お前には合ってねぇ。喧嘩闘法ってのは下地に圧倒的な膂力があって初めて成り立つもんだ。お前にはソレがねぇ」

「~ッッ」

 

 わかっていた。

 しかし、認めたくなかった。

 自分は鬼だから、誇り高き戦闘種族だから。

 どうしてもその戦い方に拘りたかったのだ。

 

 大和は泣きそうになっている銀杏の濡羽色の髪を優しく撫で上げる。

 

「そんな事、お前が一番よくわかってるよなぁ……」

「っ」

「辛い選択だが、選べ。矜持を取るか強さを取るか」

「…………」

 

 ここに来た以上、ある程度の覚悟は決まっていた。

 そして今、完全に決意した。

 

「私は……強さを取ります」

 

 確固とした意思を以て告げられ、大和は力強く頷いた。

 

 

 ◆◆

 

 

「ならその決意に応えてやらなきゃ、師匠なんて名乗れねぇよな」

 

 大和は立ち上がると、銀杏から距離をとる。

 そして自然体の構えをとった。

 

「そのままでいい、だがよく見ておけ。お前なら理解できる。今からする俺の動きを徹底的に観察し、模倣しろ」

 

 大和は俗に言うシャドーボクシングを始める。

 しかし拳打だけでは無い。蹴りや肘撃。更には正拳突きや震脚を用いた寸勁も織り混ぜる。

 

 ボクシング、空手、ムエタイ、中国拳法に総合格闘技。コマンドサンボにシラット。

 更に今は無き古式暗殺術など──

 

 多種多様な格闘技が不思議と調和し、繰り出されていく。

 武芸百般の大和ならではの、天衣無縫なスタイルだった。

 

「……!!」

 

 最初こそ疑問に思っていた銀杏だが、ある事に気付く。

 そして戦慄した。

 

 大和の肉体の操作方法が尋常では無いのだ。

 巧すぎる。

 

 あらゆる格闘技を極めているという事は、とどのつまりあらゆる格闘技に於ける下地が出来上がっているという事。

 

 繰り出される拳打、蹴撃はどれも全身の筋肉を余すことなく用いられている。

 そのおかげで本来の数倍……いいや数十倍の威力になっていた。

 

 パンチは腕の力だけで打つものではない。

 キックもまた然り。

 全身を用いて放つもの。

 

 演舞を終えた大和は、見惚れている銀杏に告げた。

 

「わかったか? 肉体の完全連動による身体能力の強化。いわゆる『操身方』だ。己の肉体を完全に掌握し、扱う。高等技術だが、お前なら……」

 

 そこまで言って、大和は銀杏が未だ惚けている事に気付いた。

 苦笑しながら彼女の頭を叩く。

 

「大丈夫か?」

「は、はいっ! 大丈夫です!! やってみます!!」

 

 少し天然な弟子に、大和はやれやれと肩を竦めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 しかしながら、大和は技術修得について全く心配していなかった。

 何故なら彼女は、武に於いて天稟を誇っているから。

 

 最初こそぎこちなかったものの、徐々に操身方を修得している。

 恐るべき速度だ。観察眼も抜群に優れているのだろう。

 

 開始十分と経たず、彼女は己の肉体を完璧に掌握していた。

 しかしまだ自覚できていない様なので、大和は助言を出す。

 

「銀杏、もうそろそろ大丈夫だ」

「え? ……もういいのですか?」

「演舞だけじゃ実感沸かないだろう。そこにある巨岩、あれを片手で持ち上げてみろ」

「あれを片手で、ですか……」

 

 大和が指したのは20メートルを越える岩石だった。

 トレーニング器具の一つなのだろう。

 以前の銀杏なら両手でも持ち上がらない重量だ。

 

「あと、妖力練るのも禁止な」

「えええっ!?」

「俺を信じろ、必ずできる」

「……っ」

 

 妖力は鬼の膂力の源。

 それを封じられては、銀杏でなくとも他の鬼達でも持ち上がるかどうか……

 少なくとも、同年代の者達では不可能だ。

 

 銀杏は半信半疑で巨岩の下に片手を滑り込ませる。

 そして先程体得した操身法を用いた。

 

 すると──

 

「……あれ?」

 

 ひょいと持ち上がった。二十メートルの巨岩がだ。

 まるで重さを感じないので、銀杏は思わず大和に振り返る。

 大和は笑っていた。

 

「な? 出来ただろう?」

「……~ッッ」

 

 銀杏は嬉しさの余り破顔する。

 試しに地面に下ろし腕力だけで押してみると、ビクともしない。

 しかし操身法を用いて再度押してみると動く。地面を削って動く。

 

 銀杏は嬉しくなって跳びはねた。

 そんな彼女の頭を大和はポンポンと撫でる。

 

「どうだ? スゲェだろ」

「はい!! 凄いです!!」

 

 銀杏は思わず大和に抱き付いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 その後、操身法を身体に染み込ませる訓練を淡々とこなしていると、何時の間にか夜になっていた。

 

 夢中になって鍛練していた銀杏は、ふと天を仰ぐ。

 満点の星空が煌めいていた。長大な天の川が流れている。

 

「気づかなかったか? ここ深淵の森はデスシティとは全く違う空間でな。神代の時代の夜空が残ってんだよ」

 

 大和は崖上まで銀杏を案内する。

 そこから見える景色に、銀杏は思わず感嘆の声を上げた。

 

「……綺麗っ」

 

 遥か遠くに見える摩天楼は、デスシティの中央区。

 都市の様相からは考えられないほど、ここからの景色は綺麗だった。

 

「いい眺めだろう?」

「はい……っ」

「俺は暫く眺めてるから、先に温泉に入ってこい。湯には疲労回復の効果がある。明日もガッツリ行くからな」

「……わかりました!! では、お先に失礼します!!」

 

 銀杏は駆けていく。

 その後ろ姿を、大和は温かな笑みで見送った。

 

 

 ◆◆

 

 

 銀杏は服装一式を妖術で清潔にし、芳香水をまぶす。

 

 そして裸一貫となり、写し鑑の前に立った。

 肩まで伸ばした濡羽色の髪に深緑色の双眸。

 顔立ちは幼さが残っているが、人外の中でも美女の部類に入るだろう。

 そして女らしい肉体──染み一つない白磁の如き肌に大きく実った95センチの乳房、括れた腰回りにいい塩梅で肉の付いた臀部。

 

 この容姿だけで何度求愛された事か──

 朱天がいなければ今頃傷物にされている。

 

 少し前まで、この女々しい体が嫌いだった。

 しかし今は別。この体でも十分な力が発揮できると証明された。

 

 鼻唄を歌いながら体を洗い、汗を落とし、湯船に浸かる。

 大和の言った通り、湯には疲労回復の効果があるのだろう。

 全身から疲れが取れていく感覚を覚えた。

 

「……私は、幸運です。あんな素晴らしい師匠に出会うことができて」

 

 まさか一日でここまで強くなれるとは思ってもいなかった。

 望外の嬉しさに顔が緩む。

 

「噂で聞いていたよりもずっと優しい人でしたし、何よりも……」

 

 妖艶で、逞しい。

 ハンサムな顔立ちと鍛え抜かれた肉体を思い出し、銀杏は口を湯船に付けた。

 その顔は真っ赤だった。

 

(ズルいです……あんな男らしいのは反則ですっ。人外の女の敵ですっ)

 

 本能で雄の優劣を判断する人外の女達にとって、大和ほど魅力的な男はいなかった。

 

 銀杏は煩悩退散、煩悩退散とぶくぶぐ泡を立てていた。

 


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