その頃、大衆酒場ゲートでは。
地鳴りと共に溢れ出した狂気と憎悪に、敏感な住民達が反応していた。
かなり近くで神格クラス……それも禍津神が降臨している。
大多数が警戒体勢に入る中、ウェイトレスをしていた黒兎は気付いてしまった。
手を止め、唖然としている。
彼女だからこそわかってしまった。
禍津神の正体か腹違いの兄妹であり……戦っているのは実の父親であると。
同じ血を通わせているからこそ、わかってしまった。
黒兎は急いで厨房前に赴く。
そして店主であるネメアに声をかけた。
「あの、ネメアさん!」
「行くな、黒兎」
「……っ」
「お前は関わらなくていい」
ハッキリと、目を見て言われた。
黒兎は動揺してしまう。
ここまでハッキリ言われるとは思っていなかったからだ。
どうするべきか……悩んでいる黒兎に、先輩ウェイトレスである野ばらが声をかける。
「いいのよ、黒兎。貴女は直接的には関係ないでしょう? 見て見ぬフリをしなさい。店長は貴方を想って言っているのよ」
「…………はい。そう、ですよね……」
黒兎はそれでも納得しきれないでいる。
ネメアは難しい顔をした。
黒兎は、見たこともない腹違いの兄妹に同情しているのだ。
無愛想だか根は優しい子。父親の事をよく知っている分、やるせなのだろう。
しかし、ネメアも譲る気はなかった。
微妙な空気が流れる中、野ばらは助け船を出す。
助け船……というよりは、純粋な疑問だった。
「凄い憎悪ね、肌がピリピリする。……アイツは、大和はそんなに恨まれる事をしたのかしら? 血を分けた子供に対して」
彼女の質問に、ネメアは金色の双眸を細める。
「そうか……お前は憎悪に敏感だからな。でも……だからこそわかるだろう? 大和が『恨まれて当然の行い』を日常的に行っている事を」
「……」
「お前もだ黒兎、わかるよな?」
「……はい、よく知っていますとも」
黒兎は苦虫を噛み潰した様な顔をする。
ネメアはセブンスターを咥えて火を付けた。
そして紫煙を吐き出しながら言う。
「俺も理解しているつもりだ。アイツは英雄じゃない、殺戮者だ。殺し屋なんて稼業を楽しみながらやってる時点で、最低最悪の屑野郎だ」
「「……」」
「でも、俺にとってはかけがえのない親友なんだよ。何度も命を救ってくれた恩人なんだよ。だから──」
ネメアは金色の瞳に冷たい輝きを灯す。
二人は思わず息を呑んだ。
「俺はアイツを肯定するぞ。不快感こそ覚えるが……。俺は酒場の店主だ。英雄だのなんだの呼ばれていたのは昔の話……此処が平和であれば、あとはどうでもいい」
「「……」」
「こういう男なんだよ、俺は。大和ほどではないが、碌でもない人間だ。だから……アイツの生き方に文句を言う資格はない」
ネメアは自嘲しながら続ける。
「それに……アイツは自覚しているんだ。自分がどうしようもない碌でなしだって事を。それでも……アイツは目を背けない。自分がやってきた悪行から決して目を背けない。……アイツは狂っているが、最低限のスジは通しているんだよ」
ネメアの言葉は……重かった。
幼い黒兎には断片的にしか理解できないが、年齢不相応に成熟している野ばらには理解できる。
だからこそ、呟いた。
「やっとわかったわ、アイツが嫌いな理由。……似ているのよ、鬼と」
「……」
「だから『黒鬼』なんて呼ばれているのね」
「……そうだな、その通りだ」
ネメアは灰皿に煙草を押し付け、告げる。
「話が大分逸れたな。兎も角……今回の件には関わるな。見過ごせ」
「「…………」」
「アイツが招いた事だ。アイツでどうにかする」
黒兎と野ばらは視線を合わせると、微妙な面持ちで頷いた。
彼女達はウェイトレスとしての業務を再開する。
ネメアは変わらず厨房前で新聞を読んでいた。
彼は大和という男をよく理解しているからこそ、線引きができていた。
◆◆
「ハハハハ!! いい!! やっぱりいいぜ!! これだよ!! 肯定させるのなんてうんざりなんだ!! 俺の行ないを否定しろ!! 憎悪しろ!!」
翔馬の波涛の如き猛攻を、大和は圧倒的な実力であしらう。
やはり格が違う。
それでも翔馬は諦めなかった。
剥き出しの殺意は視認できるほど濃く、際限の無い憎悪は二振りの神刀に宿り鋭さを増していく。
『──────ッッッッ!!!!!!!』
最早言語にもなっていなかった。
喉が潰れるほどの大咆哮は魔界都市を震わせ、強固な地盤をも歪めてしまう。
大和は口笛を鳴らした。
「へぇ……力だけならEXクラスか? 余程恩恵との相性が良いんだな」
まるでそよ風を浴びるかのように翔馬の猛攻をいなしきると、大和は大太刀を振りかぶって思いきり叩き落とす。
剣術でもなんでもない、ただの振り下ろし。
しかし余波だけで魔界都市が両断された。
高層ビル群を薙ぎ倒し、尚伸びていく衝撃波は邪神群の副首領特製の超高密度多重障壁を削ってようやく止まる。
危うく表世界にまで被害が出てしまうところだった。
翔馬は地に足を付け、力いっぱい大太刀を受け止めている。
そんな彼を見下ろし、大和はあからさまな嘲笑を浮かべた。
「で──その程度か? お前の憎悪は」
『……ッッッッッ』
歯を噛み潰す音が響き渡る。
翔馬は渾身の力を込めて押し返そうとするが、ビクともしない。
相手は片手なのにも関わらず、だ。
大和は屈んで翔馬と同じ目線になる。
力が殆ど入らない姿勢になっても状況は変わらない。
大和は片手、それも手首の力だけで翔馬を押さえ込んでいる。
彼は翔馬の、憎悪に狂った瞳を見つめながら言った。
「カーリーから恩恵を授かってその程度なのか? だとしたら拍子抜けだな」
翔馬は一瞬、感情を忘れた。
体が勝手に動く。
感性が麻痺し、最適な行動ができる。
それは、感性が麻痺するほどの憎悪を抱いたともいえた。
現に遅れて爆発した翔馬の怒りは、大和のテンプルにハイキックを入れるに至る。
これ以上ない最高のタイミングだった。
中央区に爆風が吹き抜ける。
住民が、車両が、建造物が、まるで紙吹雪のように飛んでいく。
魔界都市を震撼させた一撃は、たとえ百戦練磨の武神であろうとも食らえばタダでは済まない。
しかし大和は……ケロリとしていた。
◆◆
魔界都市を崩壊寸前まで追い込んだ親子喧嘩は、しかし残酷な世界の真実を露呈する結果となった。
「想いの強さ」と「力の強さ」は関係ない。
幾ら激しい憎悪を抱こうとも、ソレに正統性があろうとも、実行できる力が無ければ意味はない。
想いの分だけ強くなれるのなら、この世界は強者で溢れ返っている。
想いは所詮想い。
現実には全く影響を及ぼさない。
現実にするには「力」が必要だ。
暴力、権力、財力、発言力、統率力、知力、など……
「力」は「想い」を現実にする方法。
中には力に溺れる存在もいるが、それもまた肯定される。
この世界は強者にはとことん甘く、弱者にはとことん残酷にできているから。
自由とは、つまり弱肉強食。
あらゆる「想い」が肯定される天道至高天の世界観は、その内容に比例する「力」が求められる。
そして絶対強者と呼ばれる者達は、その力に比例した強大な想いを抱いている。
「想い」と「力」は表裏一体でありながら、全く別ものなのだ。
大和は生まれ持った才能も、日頃の鍛練の量も、背負った宿命も、他者とは別次元だった。
故に、今回の親子喧嘩は傍観者達の予想通りの結果に終わった。
満身創痍の翔馬の腹を踏んでいる大和。
翔馬は何回も挑んだ。
その度に憎悪を膨らませ、成長した。
しかし……及ばなかった。
あまりに隔絶した力量差に理性を取り戻しつつある翔馬に、大和は笑いかける。
あくまで嘲りを込めて。
「その憎悪にいくら正統性があろうとも、お前の憤怒に皆が共感してくれようとも……力が無ければ果たせねぇぜ、復讐は」
『…………ッッッッ』
「勧善懲悪、なんて子供向けのヒーロー番組だけの話だ。現実を直視しろ……今のお前じゃ復讐を果たせねぇ」
大和は踏みつけている翔馬の首元に大太刀を突き立てる。
そして冷酷無慙に告げた。
「出直せ、糞餓鬼。地獄に送ってやるから冥界の奴等にでも修行をつけて貰えよ。……最も、俺にビビって憎悪を忘れるような腰抜けじゃなければの話だがな」
大和は容赦なく翔馬の首をはね飛ばす。
彼は抗わなかった。
いいや……今は『その時』でないと割り切ったのだ。
翔馬は最期にありったけの呪詛を吐く。
「死んでもお前を許さない……確実に殺してやる。ありとあらゆる苦痛をもって殺してやる……ッッ」
「……」
「覚悟しておけ。俺は何度でも冥界から這い上がり、お前を殺しに来る。何度でも、何度でもだ……!!」
「ククク、楽しみにしておくぜ。その度にぶっ殺して冥界に叩き落としてやるよ」
「…………よく覚えておけ、俺の名は
「忘れない内に出てこいよ」
翔馬は大和を睨み付けたまま、冥界の魔の手によって沈んでいった。
最期まで薄れなかった憎悪……
大和は彼の将来に期待しつつ、踵を返した。
こうして、救いようのない親子同士の殺し合いは幕を引いたのである。
◆◆
完全に崩壊した中央区の大通り。
しかし数分と経たない内に邪神群の誰かが元に戻すだろう。
何せここは邪神王の無聊を慰める闇の揺り篭だから……
「……」
瓦礫を跨いで歩いている大和の先に、世にも稀な美青年がいた。
大和とはまた違う、美の極致の体現者である。
漆黒色のケープコートには無数の鋲が打ち込まれてあり、足首まで届くほど長い。
分厚い靴底のコンバットブーツは履き込まれており、淑やかな光沢を放っていた。
虚無を感じさせる灰色の瞳。優美なラインを描く鼻梁。
朱を引いた様な紅く薄い唇は同性であろうとも惹かれてしまう。
その美しさ……まるで漆黒の堕天使。
魔界都市の月こと世界最強の請負人──十六夜。
彼は親子同士の殺し合いを最後まで見ていた。
彼もまた、大和の血を引く者だから。
大和は肩を竦めて十六夜の横を通り過ぎる。
十六夜は冷たい声音で囁いた。
「貴方の事を知らなければ、勘違いするところでした」
「そうかよ」
大和はカランカランと下駄を鳴らしながら去っていく。
「…………」
十六夜は何も言えなかった。
元に戻りつつある厚い曇天を見上げ、目を瞑る。
渦巻いている鉛曇は、十六夜の心境をよく表していた。
《完》