酒場の空気が重くなる。
鉛が纏わり付くかの様な感覚に、客人達は総じて眉を顰めた。
殺気──
静まり返る店内に、疾風の爽やかな声が響き渡る。
「真剣勝負を申し込みます。……受けてくださいますか?」
「やだ♪」
場の空気が凍り付いた。
大和はシッシと煩わしそうに手を振る。
「依頼をキャンセルしな。今なら見逃してやる」
「できませんね」
「……二度は言わねぇぞ?」
「私も、二度は言いません」
「…………ハァァ」
大和は心底面倒臭そうに溜息を吐いた。
その後、鬱屈げに言う。
「わーったよ……それでも、この場で殺し合いってのは止めようや。ネメアの奴がブチ切れる」
大和の視線の先には──額に青筋を立てているネメアがいた。
尋常じゃ無い怒気を放っている。
あまりの圧力に、客人達が悲鳴を上げた。
酒場の緊迫感が一層高まる。
一色触発の空気の中、疾風は苦笑した。
「私の標的はあなた一人です。外に出ましょう、周囲の方達には迷惑をかけたくない」
「……」
疾風からの提案。
大和はネメアを見る。
ネメアは強い眼差しで店外を指した。
大和は肩を竦めると、手前に置いてあったラムを掲げる。
「一本くらい飲ませてくれや」
「殺し合いの前に酒を飲む? 冗談はやめてください、師匠」
「テメェ程度の雑魚、酔ってても殺せる」
「ッ」
唇を噛み締める疾風。
大和はケラケラと笑った。
「テメェも飲めよ、最後くらい師匠に気ぃ遣えや」
「…………」
大和からグラスを投げ渡され、疾風は無表情でキャッチする。
「……では、水を一杯だけ」
「おう♪」
大和は笑顔で頷くと、ラムを豪快にラッパ飲みした。
疾風はグラスに冷水を注ぎ、口に含もうとする。
しかし──
「…………」
グラスに唇を付けず、手を止める。
グラスの淵を指でなぞり、鼻を近付けた。
疾風は呟く。
「……毒、ですね」
「ありゃ、バレちまったか」
大和は舌を出す。
開き直ったのだろう、疾風に対し毒を吐いた。
「アー面倒臭ェ、マジで面倒臭ェ。おとなしく死んどけよクソッタレ」
「~っ」
師のあまりの言い様に、疾風の顔が歪んだ。
「貴方は……仮にも真剣勝負を挑んだ相手を、毒殺するんですかッ」
「殺しに真剣も糞もあるか、馬鹿が」
「……ッッ」
同じ武術家でも、ここまで主張が違うものか──
疾風は歯ぎしりした。
「やはり貴方は武人では無い。武術家では、無い」
肩を震わせている疾風に、大和は嘲笑する。
「俺が武術家を名乗らねぇ理由はな、テメェみてぇな信念だけが一丁前の雑魚に絡まれたくねぇからだ」
「……」
「楽に金を稼げて、邪魔な奴を手っ取り早くぶっ殺せる「技術」。それが俺の武術だ」
「ッッ」
一人の武術家として、今の言葉は看過できるものではなかった。
疾風は思わず構えそうになる。
それを手で制し、大和は立ち上がった。
「行こうぜ、外に」
「……」
歩き始める大和。
疾風は険しい表情のまま、その背に続いた。
◆◆
酒場を出ると、騒がしい夜景が二人の眼前に広がった。
大和は立ち止まり、懐からラッキーストライク(煙草)を取り出す。
火を点けると、背後にいる疾風に告げた。
「お前に武術の基礎を叩き込んだ後、俺ぁ言わなかったか? 何事も程々にしろって」
「……」
「殺しも、女も、酒も、博打も、ハマり過ぎると命を落す事になる。……この助言、俺なりに気を遣ったつもりなんだがなァ」
振り返る大和。
疾風は頭を下げた。
「武術の基礎を教えて頂いた御恩、忘れた事はありません。……ですが、お覚悟を」
腰に帯びた太刀に手を伸ばす疾風。
「……ったく、真剣勝負なんざ挑まずに、とっとと殺しにくればよかったのによォ」
大和は苦笑した。
「──だからテメェは馬鹿なんだ」
その言葉を耳にした瞬間、疾風は地面に崩れ落ちる。
思い通りに動かない肉体に、疾風自身が驚愕していた。
「何が、起こって……ゴフッッ」
その口から溢れ出たのは、濁った血。
疾風は血に混じるニオイを嗅ぎ分けると、その碧眼を見開いた。
「毒……ッ、何故……寸前で回避した筈ッ、それが、グボッッ」
再度吐血する。
胸を抑え激痛に耐える彼の前に、大和は屈んだ。
「お前、最近アラクネの奴と寝たろ?」
「!!」
「アイツぁ毒素の塊みてぇな女でな。普段は毒の分泌を抑えて、誰とでも楽しめるようにしてるんだ」
「ッ」
大和は不気味に唇を歪める。
「でもな、アイツと交わると少なからず毒素を体内に宿す事になる。その毒素は普段無害なんだが──俺が開発した秘蔵の毒を使うと、反応して致死性の猛毒に変わる」
「!!?」
「匂いを嗅がせるだけでいいんだ。スゲェだろ?」
自慢げに笑った大和は立ち上がり、紫煙を吐き出す。
「もって10秒ってところだ……あばよ馬鹿弟子。今度は地獄の鬼相手に「武術家ごっこ」を楽しんでこい」
「く、ァ……ああァッッッッ!!!!」
疾風は最後の力を振り絞った。
渾身の抜刀術を放つ。
満身創痍。しかし全身全霊。
あらん限りの闘気を込めた、渾身の斬撃。
しかし、斬撃は虚しくも大和の横を掠めただけたった。
背後の高層ビルが何棟も両断される。
大和は微動だにしなかった。
ただ、嗤っていた。
「さっさと死ね」
嘲笑。
それを最後に、疾風は絶命した。
死に絶えた肉袋を一瞥し、大和は煙草を吸う。
紫煙をくゆらせた後、スマホで「ある一団」に電話をかけた。
『ほいほい幽香だぜ! どうした大和……ってうおお!!? 目の前のビルが両断されたァ!!?』
「死体を一体買い取ってくれ。それなりに腕の立つ武術家だ。そのビルも、ソイツが斬り倒した」
『マジでか!! 状態は!?』
「毒素が回ってる。が、しっかり毒抜きすりゃあ問題無い。四肢欠損も無しだ」
『最高じゃんか!! 何処だ!? 今すぐ行く!!』
「ゲートの前だ。目印で俺の大太刀を突き立てて置く。早めに頼むぜ」
『おうさ! 買い取り手を探すから、報酬の受け渡しは後日改めてな!』
「はいよ。じゃーな」
通話を止めると、大和は煙草をポイ捨てする。
次に疾風の得物と財布を頂戴した。
財布の中身を確認すれば、がっくり肩を落とす。
「しけてやがる……まぁ、コレ売ったらそれなりの額になるか」
大和は疾風の得物を手の中で弄ぶ。
その後、己の得物である大太刀を抜き放ち、死体の前に突き立てた。
赤柄巻の大太刀は大和の主力武器として有名だ。
コレを刺しておけば、余程の馬鹿じゃない限り横取りしようとはしない。
現に、おこぼれを頂戴しようとしていた輩が舌打ち交じりに去って行く。
大和は肩を竦めた。
「酔いも覚めちまった……飲み直しだな」
踵を返す大和。
感傷もなければ、後悔もない──
大和は弟子を殺した事に対して、微塵の感慨も抱いていなかった。
殺す必要があったから殺した。
大和にとって、ソレは十分過ぎる理由だった。
武人と殺し屋。
殺すという事柄に於いて、殺し屋である大和のほうが何枚も上手だった。
腕前も、心構えも──
「さっきの女達、まだいるかなぁ」
下駄をカランカラン鳴らしながらゲートへ戻っていく大和。
すると、店の前に金髪の偉丈夫が立っていた。
ネメアである。
彼は眉間にこれでもかというほど皺を寄せていた。
「話がある。店の中に来い」
「…………アー、ちょっと急用思い出したわ。帰る」
「逃がさん」
回れ右をした大和の首根っこをネメアは掴み取る。
そのまま店内へ引きずっていった。
「オイ、待てよネメア。何でそんなに怒ってんだ?」
「店内で毒を使っただろう」
「被害は出なかったじゃねぇの」
「そういう問題じゃない。いいから来い。今夜は説教だ」
「ちょ、待てって、オイ……なぁネメア、この引きずり方やめてくんね? なんかアホっぽい」
「丁度いいだろう、このド阿呆が」
世界最強の殺し屋が問答無用で引きずられていく。
その光景は中々にシュールだった。
◆◆
時間帯は深夜。
東京都の某区、とある豪邸にて。
彼岸花が舞い散る。
その花びらは生臭く、至る所にこびり付いていた。
此処はとある政治家の私有地。
現在、襲撃を受けている。
護衛、家族使用人、等しく皆殺しにされていた。
「……そんな、何故ッ、何故……ッッ」
黒髪を綺麗に整えた壮年の男性。
彼は顔面を蒼白に染め上げていた。
逃げて、逃げて、最後に自分の私室にたどり着いた。
その頬に付着した血が、彼の眼前で起こった惨劇を物語っている。
男性は総身を抱きしめながら、何故この様な事が起こったのか──必死に考えていた。
唐突に、スマホの着信音が鳴り響く。
男性は飛び跳ねそうになりながらも、画面を確認した。
映し出された名前を見るや否や──表情を歪ませる。
悲哀と憤怒、両方の感情を込めて、男性は応答した。
「貴方ですか……貴方なのですか──
『ハッハッハ、まだ生きているとは……存外しぶといじゃないか。でも大丈夫だよ、もうすぐ死ねるから』
歴戦の相撲取りの如き巨漢は、電話越しに分厚い唇を歪めた。
内閣総理大臣、
彼の声音は明るく、しかし男性には酷く冷淡に聞こえた。
「何故ですか!! 何故、この様な惨い仕打ちをッ!!」
『君が喧嘩を売ってきたんだろう?』
「それでも妻子は、使用人達は、関係無かった……ッッ」
『君が選択した未来だ。君の配慮無き行動が、彼女達を殺したのだよ』
無慈悲な言葉。
男性は唇を噛み締め、血を滲ませる。
「大黒谷ィ……ッッ、お前は、お前という奴はッ!!!!」
『君は良き政治家だった。しかしね──良過ぎたのだよ』
「……何を、言って」
『この世界がどれだけの「闇」を抱えているか──君なら理解しているだろう?』
「ッ」
男性は息を飲む。
彼は、その「闇」を駆逐せんがために暗躍していた。
自らの手を汚してまで、「闇」と戦おうとしていた。
その結果、現在の惨状が在るのだ。
まるで弱みを突かれたかように、男性は二の句を出せなかった。
『世界中のあらゆる「闇」が詰め込まれた場所、デスシティ。君は此処を嫌悪し、排除しようと目論んだ。……困るんだよ。あそこは世界にとって、必要不可欠な場所なんだ』
『あんなッ、悪という悪が集った場所が!! 世界にとって必要不可欠!!? 認めない!! 断じて!!」
男性は正義感が強い。
だからこそ認められなかった。
国が、政府が、あのような都市を黙認している事実を──
しかし、大黒谷は冷酷に告げる。
『現実から目を逸らさないで欲しい。考えてみてくれたまえ。何故、我々の世界が平穏無事なのかを』
「……」
『人外の過半数がデスシティに移住してくれたおかげで、人類は搾取される側ではなく、する側に立てている。何より、日夜齎される莫大な利潤が世界経済を支えているのだよ。このパイプが切れてしまえば、困るのは我々だけではない。文字通り、世界が傾く』
「貴方が!! よりによって貴方が!! 犯罪都市を肯定するのか!!? 何とも思わないのか!! あの矛盾の坩堝を!! 仮にも政治家だろうッ!!」
『……ふぅ』
電話越しに、大黒谷の溜息が響き渡った。
そのため息には、深い落胆が込められていた。
『もう時間が無い、この際はっきりと言っておこう。政治家は人間だ。そして、人間は綺麗であろうとしても獣の如き欲を隠し切れない。この欲を否定するのは、人間という種族を否定する事と同じだ』
「何が言いたい……ッ」
『人間の上に立っているのは、人間なのだよ。神でも英雄でも無い、ただの人間だ。……私は人間の善性も、悪性も、尊いものだと思っている』
────君は、あまりにも正し過ぎた。人間は、世界は、君の様に正しく無い。
その言葉を最後に、男性の首が跳んだ。
首を失った胴体。そこから間欠泉の様に鮮血が迸る。
男性の首を刈ったのは、暗殺者だった。
漆黒のマスクを被った不気味な存在。
彼は床に落ちたスマホを手に取った。
「任務、完了致しました」
『御苦労。死体を処理した後、戻ってきなさい。後始末はこちらでする』
「かしこまりました」
頷き、闇に消える暗殺者。
総理大臣直轄の暗殺部隊は、全員デスシティの住民だ。
表世界の住民が敵う道理は、万に一つもない。
そして、そんな彼らの総力を以てしても努には傷一つ負わせられない。
大黒谷努。真名を
信濃国小県郡大石村出身の元・大相撲力士。
四股名は「
史上最強と名高い相撲取りだ。
彼は数十年前、世界最強の拳法家四名に与えられる「四大魔拳」の称号を返上し、日本の総理大臣になった。
愛国者である彼は最強の称号よりも母国の安寧を優先したのだ。
この後、強力な情報操作によってこの事件は闇に葬られた。
まるで、何も無かったかのように……
世界は何時だって不条理だ。
正義の味方が勝つのはお伽噺の中だけ。
都合の良い英雄など、何処にも存在しない。
善悪のバランスは常に拮抗している。
表世界が平和であればある程、デスシティの闇は濃く深くなる。
森羅万象。陰陽の理。
光と影のバランスは、常に保たれている。
誰でも無い、表世界の権力者、その頂点に君臨する者達によって──
世界は、どこまでも残酷だった。
《完》