前編
分厚い鉛色の入道雲は彼女にとって見慣れた空であり、故郷の空でもあった。
昼間の閑散とした風景も、夜間の騒がしい風景も、見ているだけで心安らぐ。
殺気と狂気、そして怨嗟が常に隣にあって……それが異常だとは思わない。
逆に、ないと不安になってしまう。
人造天使、アルファは立派な魔界都市の住民になっていた。
現在、中央区の大通りにある休憩場で待機している。
今日は待ちに待ったデートの日。アルファは精一杯のおめかしをして来ていた。
ツインテールに結われた薄水色の長髪。白いワンピースを着て麦わら帽子を被った姿はまるで本物の天使の様……
白く柔らかそうな二の腕、華奢な肢体。
薄くリップの塗られた唇は道行く男共を釘付けにする。
魔界都市にはおおよそ似つかわしくない、天使がそこには居た。
たまたま傍を通りかかった厳つい男達が思わず口笛を鳴らす。
彼等の目は獲物を見つけた肉食獣のようにギラギラしていた。
全員、身長190センチを越えており筋骨隆々。それぞれ国籍は違うものの入れ墨やタトゥーを全身に刻みこんでおり、髭やピアスで更に男臭さを増している。
この都市では変哲もない、しかし表世界に出れば勝手に道が出来上がってしまうだろう厳つさだ。
きわめつきは全員、何かしらの武器を身に付けているところ。
魔改造の施された重火器を筆頭に、実戦に特化した数々の得物の携行している。
彼等はとある暴力団の組員、中でも実戦に特化した面々だ。
その内の一人がねこなで声でアルファに声をかけようとする。
「やめろ馬鹿野郎!! 相手を選べ!!」
「す、すいやせん……!」
男共が一瞬で低頭傾首になる。
現れたのは派手な豹柄のスーツを着た男だった。
彼はすぐにアルファに頭を下げる。
「すまねぇ、無知な部下が迷惑をかけた」
「……いいえ、かまいません」
「何かあったら俺のところへ連絡をくれ。……この件、貸しだと思っておく」
「……YES、わかりました」
名刺を受け取ったアルファ。
それを見届けた男は部下達を連れて去っていった。
アルファの姿が小さくなりはじめた頃、部下の一人が謝罪を入れる。
先程、アルファに声をかけた男だ。
「すいやせん兄貴、俺のせいで……」
「おう、反省しろや馬鹿野郎。これでアッチがテメェらの首並べて差し出せなんて言ってみろ、本当にすっからな」
「「「「……っっ」」」」
この男、やると言ったらやる男である。
豹柄スーツの似合う細身の男だが、その正体は半人半魔の怪人。
単身で一個師団を滅ぼせるだけの力を有している。
部下達が顔を青くする中、彼はやれやれと溜め息を吐いた。
「テメェらが魔界都市に来て一年……そろそろ様になってきたと思ったらコレだ。……おいお前、明日中に魔界都市で発行されてる新聞と観光ガイドブック、一通り揃えておけ」
「へい!」
「テメェらまだまだ阿呆だから、俺が一から魔界都市のルールってやつを教えてやる」
「「「「兄貴……!」」」」
野郎共から尊敬の眼差しを向けられ、男は鼻を鳴らした。
一見ぶっきら棒に見えるがこの男、実は世話焼きで数多くの部下から慕われている。
今は暴力団の一幹部に過ぎないが、既に五大犯罪シンジケートから目を付けられているほどのキレ者だった。
彼は煙草を取り出す。
部下から火を着けて貰うと、紫煙を吐き出しながら話しはじめた。
「あのお嬢ちゃんは大和の旦那のお気に入りだ」
「「「「!!」」」」
「馬鹿なテメェらでもわかるだろう、アレは『地雷』だ。『大和の旦那のお気に入りには手を出すべからず』……西区の馬鹿どもでも知ってる暗黙のルールだ」
部下達は沈黙する。
その額には新鮮な脂汗が浮かんでいた。
今現在、大和に関わることすら恐れている組や組織が多い。
そんな中、気に障る事をするなど論外である。
『八天衆』の解散によって世界の情勢が急激に変わりつつ今、その発端である男との関わりを避けるのは至極当然の事。
親しい関係ならばいざ知らず、赤の他人からすれば彼は『人の姿形をした怪物』であり、『意思を持つ天災』だ。
故に、
「大和の旦那を中心とした今の魔界都市の情勢を完璧に把握しておかなきゃなんねぇ。誰よりも先に無知な輩がくたばる、テメェらみてぇなひょっこ共とかな…………わぁったらとっとと今日の仕事済ませるぞ!!」
「「「「押忍!!!!」」」」
返事だけはいいので、男はやれやれと肩を竦めた。
◆◆
「あの人が恐ろしいからですか……私を襲わなかったのは」
アルファは遥か遠くにいる男達の会話を聞いていた。
「私もまだまだですね……あの人がいなければ襲われていたということになります。これでもSSランクなのに」
アルファは半年前から急激な成長を果たし、現在では純エーテルの操作を完璧に習得……上級純粋天使と同等の力を得ていた。
本人の努力の賜物でもあるが、何より想いの強さが関係している。
彼を想えば想うほど強くなれる。
そう、全ては彼のために……
(貴方の隣に立ちたい。その背中を護りたい。その心を癒してあげたい……だから私は成長しています。なのに……)
アルファは視線を下げる。
そこには捨てられた新聞があった。
魔界都市の新聞、その見出しを飾るのは誰でもない、想い人の顔写真である。
「『暗黒のメシア、八天衆を解散させる。世界の守護神すら彼を止められない』……ですか」
都合のいい内容だ。
この新聞以外も例に漏れず、アルファの機嫌を損ねるものばかり……
「誰も、知ろうとは思わないのですね。あの人の本質を」
アルファは足元の新聞を踏みにじり、そして蹴り飛ばした。
可憐な容姿からは想像もできない、野蛮な行為だった。
「確かに短所は沢山あります。でも……何で長所を見ようとしないんですか。何で、短所だけで彼の人柄を判断するのですか」
本当は誰よりも優しい人なのに……
アルファはそう呟くと、突風で飛びそうになった麦わら帽子を押さえた。
そんな時である。
中央区が騒がしくなりはじめたのは……
遠くから聞こえてくる悲鳴と怒声、そして地鳴りの豪音。
どんどん近寄ってきている。高層ビル群がドミノ倒しの要領で傾き、土煙が天高くへと舞い上がる。
道路も割れ、いよいよ立っているのが辛くなってきた頃……「彼」が現れた。
「おーうアルファ! まだ一時間前だぞ! 暇ならデートはじめようぜ!」
朗らかに笑いながら魔導式カスタムハーレーを乗りこなしている褐色肌の美丈夫。
彼こそアルファの想い人。
生きる意味を教えてくれた最愛の男性。
「……マスター!!」
アルファは固い表情を崩し、大きく手を振った。
◆◆
大和はアルファを抱えて後部座席に乗せると、爆走しはじめる。
アルファは首を傾げた。
何故、彼は「巨大な土煙」に追われているのだろう?
振り返ると、答えがわかった。
「成る程……追われているのですね。バケモノから」
「ハッハッハ! バケモノだぁ? ただのデケェ蛇だろう!」
「NO、マスター。御存知でしょうがアレは龍王の一角、怪龍王『ヨルムンガンド』の眷属です」
土煙を破って現れたのは巨大過ぎる怪蛇だった。
300メートルはあろう身体をうねらせて追走してきている。
その巨体から生み出される運動エネルギーは規格外の一言に尽き、大通りはもう滅茶苦茶……
数多の車両が住民もろとも吹き飛ばされていた。
アルファは迫りくる怪蛇の顔をゆっくりと見上げながら問う。
「マスター、何故逃走しているのですか? 貴方ならこの程度の存在、一刀両断できるでしょう」
「その場のノリ!」
「……YES、全てはマスターの意のままに」
「おう! てか住んでたアパートが押し潰されちまってよぉ! 今夜どっかで泊まろうぜ!」
「あっ、えっ、その……はいっ、嬉しいですマスター!」
アルファは興奮のあまり大和の背中に抱きつく。
真紅のマントから男の薫りと香水の匂いがした。
大和は魔導式カスタムハーレー、スカアハを天高くへ飛翔させる。
そして振り向き様に抜刀一閃、怪蛇の首を落とした。
「ほんとはもうちょい追いかけっこを楽しみたかったんだが……すまねぇな蛇!」
反省も後悔もない。
命のやり取りを心から楽しみ、一方的に喜怒哀楽を押し付ける。
周囲の被害などなんのその……
それが大和という男であり、彼が恐れられる所以だ。
「何処か行きたいところはあるか、アルファ! 中央区は午後には元通りになるだろうから、北区らへんで遊ぶか!」
「マスターに全てお任せします……私は、マスターと一緒にいれれば幸せですので♡」
「カッカッカッ! 任せとけ! エスコートしてやる!」
アルファは頬を赤く染める。
そして後ろに振り返り……フッと冷たい笑みを浮かべた。
まるで、今死んだ全ての存在を嘲笑うかの様に……
実際に、アルファは思っていた。
大和を楽しませるために命を差し出せと。本気で。
…………彼女は、静かに怒っていた。
大和に対する世間の対応に。
憎悪と、それ以上の疑問を覚えていた。
◆◆
一方、大和は全く「逆」の事を考えていた。
(……成る程、華仙からのメールの内容がようやくわかったぜ)
先ほど届いた一通のメール……
『アルファが最近おかしい、目を覚ましてやってくれ』
最初は意味がわからなかったが、アルファに会って、目を合わせてからわかった。
(悪い傾向だ。魔界都市の瘴気に浸りすぎてる……あとは『恋する乙女は盲目になる』ってやつか。……ダブルパンチだなぁオイ)
大和はやれやれと肩を竦めた。
(教える事は教えるぜ、華仙。ただ教えるだけだ。目ぇ覚ますかはコイツ次第……コイツがこのままでいたいってんなら、俺はそれ以上何も言わねぇ。お前にも言わせねぇ。何故なら……)
俺はコイツの意思を尊重する。
俺が俺の意思を何よりも優先する様に……
大和は険しい面のままスカアハを走らせる。
背中にいるアルファには、その表情が見えなかった。