死屍累々、
まるで地獄の様な光景がアルファの眼前に広がっていた。
彼女は自然と思い至る。
これは夢の中……それも、愛しい人の心象風景だと。
アルファは先程まで彼と甘い時間を過ごしていた。
魔界都市の奇天烈な料理に変なリアクションをしたり、カジノでイカサマ紛いの反則技をしたりと……本当に楽しい時間を過ごしていた。
だからこそ確信できる。
今見せられている光景は彼の心象風景だと。
でなければ、こんなにも怒りを覚えることはない。
ドス黒い空に燦然と輝く、漆黒の太陽。
ソレは大きく、手を伸ばせば届きそうな錯覚さえ覚える。
地平線を埋め尽くしているのは那由多を越える亡者の群れ。
皆一様に怨嗟の呻き声を上げて「あるところ」に手を伸ばしている。
小高い崖上の瓦解した玉座の上に、彼は立っていた。
真紅のマントを靡かせ、胡乱な表情で空を見つめている。
よくよく見れば、強力無比な呪詛や死の概念がその身を呑み込もうとしていた。
「……っっ」
アルファは思わず駆け寄ろうとする。
やめてほしい……! 私の最愛の人に触れないでほしい!
「何で……!」
アルファは純粋に疑問を抱く。
何故そこまで彼を恨む? 世界を何度も救った功績を忘れたのか?
「ふざけるな……!! ふざけるな!! ふざけるなッッ!!」
救って貰っておいて、平和を与えて貰っておいて、呪うのか? 彼の事を。
「お前達は、何もしてないだろう! 何も為していないだろう! なのに理想だけ押し付けて……!!」
アルファは叫ぶ。
「救って貰うのが当たり前なのか!! 平和な日常を送れるのが当たり前なのか!! ……ふざけるんじゃないッッ!! その「当たり前」がどれほど尊いものなのか、考えた事はあるのか!! 何も知らない癖に!! それなのに彼を、英雄を貶すのか!! ……~~~~ッッ!!!! 」
アルファは吠えた。
怒髪天となり、まるで別人の様に叫び散らす。
「彼が気に入らないなら自分達が英雄になればいい!! 自分達で世界を救えばいい!! それができないからって、貶め穢して……!!」
アルファは憎悪のあまり顔を歪める。
「お前達なんて大嫌いだッッ!! みんなみんな、死んでしまえ!! 人類も神々も一度滅びてしまえばいいんだッッ!! ……なんで、どうしてッッ」
世界を何度も救った偉業は、無かった事になっている。
何故なら彼は『英雄に相応しくない性格と行いをしているから』。
「……認めてなるものか。お前達の基準で『彼』を計られてなるものか。なんだったら世界を滅ぼしてでも彼を認めさせてや…………る…………」
アルファは固まった。
呪詛の言霊は途切れてしまう。
何故なら、大和の顔を見てしまったからだ。
壊れた玉座の上に座り、彼は亡者達を睥睨していた。
嘲笑いながらも……受け入れている。
全ての負の念を、当然の如く浴びている。
「なんでですか……なんでッ」
誰でもない、貴方が認めてしまっているのですか。
何で……
「……アルファ。おい、アルファ」
「!!」
「大丈夫か? うなされてたぞ」
全く、世話の焼ける……
そう言って大和はアルファの髪を撫でた。
彼女は思い出す。
遊び疲れて寝てしまったことを。
普段慣れない事をしてしまったから……
彼に甘えて、膝枕をして貰って、そのまま眠ってしまったのだ。
そして今……目が覚めた。
起き上がると、黄昏を背に彼は微笑んでいた。
曇天に沈む暗い夕焼けは魔界都市ならではの光景であり、今いる公園のベンチからもよく見える。
冷たい風が頬を撫でた。夜が近付けばまだ寒い時期だ。
熱い滴が頬を流れた。
彼の顔を見ているだけで、止らなくなる。
「マスタぁぁ……」
泣きながら抱きついてくるアルファを、大和は無言で抱き寄せた。
嗚咽で揺れている背中を優しく撫でてやる。
アルファはしばらくの間、大和の厚い胸板に顔を埋めていた。
そして何か決意したのだろう……顔を上げる。
天使を彷彿とさせる童顔には、悲哀と疑問の色が見てとれた。
「マスター……英雄とは、何ですか?」
◆◆
「……英雄か?」
「はい、教えてください。……貴方が想う英雄の形を、教えてください」
アルファの瞳には今も一杯の涙が溜まっている。
頬を撫でれば零れてしまいそうだ。
大和は彼女の想いに気付いていた。
彼女の激情の発端を理解していた。
適当にはぐらかせば、言い返されるだろう。
そのまま道を逸れてしまうだろう。
だから大和は、ありのまま想っている事を彼女に伝えた。
「英雄っていうのは、自分のためじゃなく誰かのために戦う奴を指す言葉だ」
「……」
「他者を助けるっていうのは、できそうでできないもんだ。それも自分のためじゃなくてソイツを想って、自分を犠牲にしてまで」
「っ」
「そんな高潔な魂を持った奴を、英雄と呼ぶ」
大和は驚いているアルファの髪を指ですく。
「力があるから、偉業を成したから、世界を救ったから……だから英雄じゃねぇんだ」
大和はアルファの小さな手をとり、自分の胸板に添える。
「大事なのはココだ。……間違えるな、アルファ」
「……っっ」
「俺は俺のために世界を救っている。だから俺は……『世界を救える力を持つ』だけの、ただの殺し屋なんだよ」
優しい、されど悲しい笑みを浮かべる大和。
アルファは……ポロポロと涙をこぼした。
みるみる内に表情を崩してゆき、最後には泣きじゃくりながら謝る。
「すいませんマスター…………私はっ」
「気にすんな」
素っ気ない言葉にも慈愛が満ちていて……
アルファは大泣きする事しかできなかった。
◆◆
「落ち着いたか?」
「……YESっ、御迷惑を、おかけ、しましたっ」
まだ震えているアルファを見て、大和は三白眼を細める。
彼は冷たい声音で告げた。
「……今なら、まだやりなおせる」
「……?」
「俺との関係を断ち切って、表世界に逃げれば……お前は歪まずにいられる」
「!?」
「お前がそれを望むなら、俺は何も言わねぇ。華仙の奴にも言わせねぇ。だから……」
「嫌ですっっ!!!!」
アルファは叫び、大和の背中に両手を回した。
足も絡めて、決して離れたくないと意思表示する。
「貴方と一緒にいられないなら死を選びます!! 貴方が傍にいない……そんな、そんな辛いことはありませんっ!!」
「……」
「お願いですっ、傍にいさせてください……それ以上は望みません。だから……っ」
必死になっているアルファ、その細い顎を大和は指で掬い上げる。
驚いている彼女に、大和は何時ものらしい笑みを浮かべた。
「なら俺の女でいろ、アルファ。お前の心も魂も、俺が歪めてやる」
端からすれば傲慢不遜に聞こえるその言葉は……アルファにとっては救いの言葉だった。
彼女は泣きながら、何度も頷く。
「はい……はいっ。私を歪めてください、マスター……貴方だけの形に、歪めてください……っ」
アルファは大和の首に両手を回して、自ら唇を重ねる。
夕陽が静かに沈んでいく。
夜がやってくる……甘い甘い、夜が。
◆◆
数日後、大和は新たな仮宿で羽を伸ばしていた。
荷解きが終わったので、昼間っから酒を楽しんでいる。
ブラックラムを嗜んでいると、不意にスマホが鳴った。
気だるそうに画面を覗いて、「成る程」と頷き応対する。
「どうした華仙」
『どうしたって……理由なんてわかりきってるでしょう?』
「さぁな」
とぼける大和に、華仙は電話越しに溜め息をはいた。
『アルファの件についてなんだけど……まず貴方、何時から魔法を使えるようになったのかしら? たった数日であそこまで成長するなんて、言葉だけじゃあり得ないわ』
「おあいにく樣、女を誑かすのは十八番なんだよ」
『伊達に八桁の愛人を持ってないって事?』
「そーゆーこって」
『……その割には妙に面倒見がいいじゃない。聞いたわよ、惚気話。随分と甘やかしたのね』
「なんだ、ジェラシーか? らしくねぇ」
『……明後日から二日間、空いてる? あの子には内緒で』
「空いてるけどよ……てか、そんな事のために電話よこしたのか?」
『あら、悪いかしら?』
「勘弁してくれよ」
呆れている大和の声を聞いて、華仙はクスクスと笑う。
『半分冗談よ』
「半分ってなんだよ」
『嫉妬してるのはホント。でも……本題は別よ』
「アルファの調子か」
『ええ……良過ぎるの』
電話越しにでもわかる。
あの華仙が、世界最高の科学者が、戦慄しているのだ。
『純エーテルの操作性が格段に上昇している。何より親和性が別次元よ……これじゃあまるで』
「熾天使みたい、ってか?」
『ええ、それも……』
「超越者クラスか? ともなれば四大熾天使と同格……ハッ、スゲェじゃねぇの華仙。聖書の神でも4体しか造れなかった最高傑作だぜ」
『素直に喜べないわ。こんなに強くなるなんて想定外よ』
「いいじゃねぇか、研究が捗るだろう? 俺が首輪かけておいてやっから安心しろ」
『……信じていいのね?』
「任せておけ、だからお前もきっちり仕事終わらせとけよ。時間空けといてやっから」
『……フフフ、なら頑張らないといけないわね♡』
「おう。じゃ、またな」
『ええ、また……』
《完》