大和とアラクネ。
二人は互いに本気で殺意を抱いていた。
ネメアは呆れ顔で二人に呼びかける。
「お前等、そんなところで喧嘩してないでこっちに来い」
「「……フンっ」」
視線を外して歩き始める二人。
そんな彼等に対し、客人達は意図せず一歩引いた。
今の殺気で感じ取ってしまったのだ。
下手に関わったら殺される──と。
命の危機に対し、過剰に反応するのは超犯罪都市の住民の性だ。
命の価値が極めて軽いこの都市において、住民達の生存本能は野生動物をも凌ぐ。
デスシティに悪名轟かす三羽烏が互いに殺気を向けあったのだ。
むしろ、当然の反応と言える。
カウンターまでやって来た二人に対し、ネメアは溜息交じりに問うた。
「お前ら、どうしてそんなに仲が悪いんだ? 昔は恋人同士だったじゃないか」
酒場の空気が凍てついた。
今、一番聞いてはいけない内容だった。
現に、大和とアラクネは苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「ネメア……そりゃぁお前、言っちゃいけねぇ事だぜ」
「嫌な事思い出させないでよ。鳥肌が立ったじゃない……」
二人は顔を真っ青にしていた。
余程精神的ダメージを負ったのだろう。
大和は最早白くなりつつある顔を手で押さえる。
「ハァ……最悪だぜ。過去にこんな淫乱女と付き合ってたなんて」
「それは私のセリフよ、万年発情期のゴリラ野郎。本来なら賠償金を請求してもいいくらいだわ」
「おう、表出ろや糞アマ。その無駄に綺麗な顔ボコボコにしてやる」
「そう、なら幽香ちゃんに予め電話しときなさい。自分は五分後に手頃なサイコロミートになってるって」
「……」
「……」
「ハッハッハ」
「うふふ」
二人は何故か笑った後、強烈な殺気を込めて呟く。
「「殺してやるッ」」
凶悪な形相に変貌した二人に、客人達は恐怖で悲鳴を上げた。
ネメアはすかさず仲裁に入る。
「落ち着け。ここで殺し合いは御法度だ」
「……」
「……」
それでも睨み合いを止めない二人。
ネメアはその短く刈った金髪をかいて、溜息を吐いた。
「ハァ……どうしてお前らはそう、仲が悪いんだ?」
ネメアの問いに、大和とアラクネは互いに人さし指を突きつける。
「この女は顔と身体は最高なんだが……」
「この男はモノとテクは最高なんだけど……」
「「性格が屑すぎる」」
真顔で声まで合わせてくるので、ネメアは何とも言えない声を漏らした。
「いや……お前ら……どっちもどっちだぞ」
至極最もな意見。
客人達もうんうんと頷いた。
大和とアラクネは非難の声を上げた。
自分を援護するようネメアに呼びかける。
「ハァ!? 何言ってんだネメア! お前は俺の味方だよな!?」
「何言ってんの!? ネメアは私の味方に決まってるじゃない!」
「テメェは黙ってろスーパービッ○!」
「あーわかった、わかったわ。完全にプッツンきちゃったわよ私は……マジで細切れにしてあげる!」
「上等だ、ぶっ殺してやるよッ」
臨戦態勢に入る二人。
ネメアはその間に無理やり割って入った。
「そこまでだ。喧嘩なら外でやってくれ……と言いたいところだが。お前ら、自分が呼ばれた理由を思い出してみろ」
「「……」」
「俺の買い物に付き合ってくれるんだろう? 喧嘩なら後にしてくれ」
二人の肩をポンポンと叩き、ネメアはエプロンを脱ぎ始める。
二人は渋々臨戦態勢を解いた。
「ったく、ネメア。買い物なら俺だけ呼べよ。なんでコイツを呼ぶんだ」
「そうよネメア。私達が仲悪いのは知ってるでしょう?」
二人の文句に、ネメアはきょとんと目を丸めた。
次に悪戯っぽく笑う。
まるで子供の様な笑顔だった。
「俺はお前達と仲が悪いわけじゃないからな」
「「……」」
純粋無垢な言葉。
二人は毒気を抜かれたようだった。
「……しゃあねぇなァ」
「仕方ないわね」
三羽烏は、三人揃えば丁度いい塩梅になる。
三人は元々チームだったのだ。
過去、三人揃えば殺せぬ存在はいないと謳われた伝説の組み合わせ。
邪神すら敵対する事を避けた殺戮のプロフェッショナル達。
その団結力は未だ健在。
現在は腐れ縁とも呼べる関係だった。
ネメアはふと、思い出したように大和に言う。
「ああ、そうだ大和」
「なんだよ」
「この前弟子を毒殺した時、お仕置きの内容は後で考えておくって言ったよな?」
「ゲェ……覚えてやがったか。チャラにしてくれよ、反省してっから」
「口でならなんとでも言える。お前にはキッチリ反省してもらうつもりだ」
この前の弟子を殺した案件──
大和は彼を酒場で毒殺しようとした。
最終的に未遂で終わったものの、ネメアの怒りは激しかった。
お仕置きの内容は既に決まっているようだ。
ネメアは腰に手を当てる。
「買い物に行く間、この店を守る奴がいなくなる。だから、信頼できる奴を準備した」
「?」
大和は首を傾げた。
ネメアの意図が読めなかったのだ。
「それと俺のお仕置き、何の関係があるんだよ?」
「すぐにわかるさ────ニャル」
「待ってましたァァァァァ!!!!」
名前を呼ばれ、颯爽登場した褐色肌の美女。
異空間をぶち抜き現れた出鱈目さもさることながら、アラクネに勝るとも劣らぬその美貌。
銀髪赤目。ライダースーツに包まれた肢体はまさしく極上の女体。
童顔ながらも、その美貌は国を傾けられる。
彼女は先端のアホ毛をフリフリ揺らしながら、格好よくポーズを決めた。
「這いよる混沌! ニャルさん、ただいま参上! ネメア! 約束は守ってくれるよね!?」
褐色肌の美女、ニャルの問いにネメアは鷹揚に頷いた。
「ああ。俺がいない間、店番を頼む。そしたら三日間、大和を好きにしていい」
「やったぁ!! 大丈夫だよネメア! 僕がいれば百人力さ! 全身全霊でこの店を守ってあげるよ!」
きゃっきゃと騒ぐニャル。
ネメアはそんな彼女を指さし、大和に告げた。
「というわけだ。お仕置きはコレな」
「…………」
大和は硬直した。
その間、実に7秒。
この間に客人達は我先にと店外へ逃走していた。
右之助と死織も、血相を変えて飛び出していく。
店内は阿鼻叫喚の大パニックになっていた。
当たり前である。
ニャルの素性を知っていれば逃げない筈はない。
何せ彼女は、デスシティでも特に畏怖される種族──邪神。
その代表格なのだから。
ナイアルラトホテップ。
またの名をニャルラトホテプ。
『這い寄る渾沌』
『無貌の神』
『闇をさまようもの』
『大いなる使者』
邪神の中でも別格の力を誇る『外なる神』の一柱。
中でも最も著名で、最も慕われている邪神。
クトゥルフ神話が誇る最強最悪のトリックスターである。
「ハァァ!!!?」
正気に戻った大和は大声を上げた。
ニャルはというと、体をクネクネくねらせている。
可愛いが、どちらかというと不気味だった。
「フフフっ、そう照れないでよ大和っ。大丈夫だよ。僕、大和の事なら何でも知ってるから。大和の望む事、全部してあげられるよッ」
自分で言っていて恥ずかしかったのだろう。
ニャルは最後に「きゃっ」と頬を朱に染めた。
国も傾けられそうな超絶美女にここまで言われるとは、男冥利に尽きる。
しかし彼女の正体を知っている大和にとって、男冥利も糞もなかった。
彼はネメアに猛抗議する。
「ネメア! お仕置きの内容にしちゃキツすぎないか!?」
「キツくないとお仕置きにならないだろう?」
「ぬおおッ」
真顔で告げるネメアに、大和は頭を抱える。
相当嫌なようだ。
「……?」
そんな彼の腹に、ニャルが抱きついた。
彼女は瞳を潤ませながら大和を見上げている。
「ねぇ大和……僕のこと、そんなに嫌い?」
「……」
「構って貰えないのは別にいいんだけど……たまには、構って欲しいな……っ」
何時ものハイテンションはどこへいったのか──
自慢のアホ毛もしおれている。
微かに震えるその肩を見て、大和は諦めたように三白眼を閉じた。
「……わーったよ」
苦笑いし、ニャルの頭をくしゃりと撫でる。
ニャルは徐々に笑顔を浮かべ、最後は満面の笑みで大和に抱きついた。
「やったー!! 大和ォ!! だいダイ大好き愛してる!! 全次元全位相で一番愛してる!! んちゅー♪」
ニャルはジャンプして大和の頬にキスする。
その後、勢いよくカウンター席に飛び移った。
「よっしゃー!! 元気百倍やる気千倍!! 今ならクトゥグアの奴にだって勝てるよ!! 安心してねネメア!! 今の僕はスーパーナイアちゃんレベル3だから!!」
ハイテンションでポーズを決めるニャル。
何時も通りの彼女だった。
ネメアは苦笑しつつ頷く。
「ああ、任せた」
「なるべく早く帰ってきてね!! お酒とかおつまみなら出せるけど、流石に料理は出せないから!!」
アホ毛をびっちんびっちん振っているニャル。
アラクネがネメアに聞いた。
「ねぇ、大丈夫なの? お客さん全員逃げちゃったじゃない」
「別にいいさ。今日のノルマは達成してる」
二人の会話に聞いていたニャルが、ハイハイと手を挙げる。
「大丈夫だよ! 友達呼ぶからさ! クトゥルフちゃんと深きものども、シュブ=ニグラスちゃん! あとは妹も!」
想像を絶するメンバーを連ねてみせるニャル。
ネメアは若干引きながらも頷いてみせた。
「ま、好きにしてくれ。うちはルールさえ守ってくれれば誰でも歓迎だ。だが……深きものどもの魚臭さだけは注意してくれ」
「わかった! 迷惑にならないようにしてって言っておく!」
「ありがとう。じゃ、頼んだ」
「うん!!」
ネメアは踵を返す。
その隣に面白可笑しそうに笑うアラクネと、何とも言えない表情の大和が続いた。
ふと、大和はニャルに振り返る。
盛大な投げキッスを送られた。
大和は頭をかいた後、何時も通りの妖艶な笑みを返す。
「はぅぅッ!」
ニャルの乙女心が打ち抜かれた。
そのまま床へと崩れ落ちる。
「……でへへ~っ♪ 頑張らなきゃ~♪ そしたら大和と……でへへ~っ♡♡」
緩みきった笑顔。
アホ毛はハート型に変わっている。
こうしていると、這い寄る渾沌も恋する乙女にしか見えなかった。
◆◆
店外へ出た三人。
デスシティの三羽烏が揃って歩くと、勝手に道ができあがる。
大和は黒髪をかき上げつつ、煙草に火を点ける。
そしてネメアに聞いた。
「で、何を買うんだよネメア。食材とかか?」
「いいや、今回は日用品や服を買いたい。店に飾れるモノがあれば尚いいな」
「ふぅん」
「お前らはセンスいいから、頼りにしてる」
ネメアの発言に、アラクネは嬉しそうに笑う。
「任せなさいな。色々アドバイスしてあげるから、一緒に選びましょう♪」
腕に絡みついてきたアラクネに、ネメアは苦笑する。
大和は美味そうに煙草を吸っていた。
「……」
唐突に、大和は立ち止まる。
背後に振り返ると、雑踏の中から視線と殺意を感じとった。
彼は二人に背を向けたまま告げる。
「お前ら、先に行っとけ。ちょいと野暮用ができた」
「「……」」
ネメアもアラクネも察していた。
ネメアは大和に聞く。
「手伝わなくて大丈夫か?」
「ああ」
「……そうか、なら俺たちは先に行くぞ」
ネメアは歩き始める。
対してアラクネは、大和に満面の笑みを向けた。
中指を立てながら。
「そのまま死んじゃなさい、バーカ」
「テメェが死ね」
互いに中指を立て合う。
アラクネは「あっかんべー」と舌を出すと、ネメアの後を追って行った。
二人はそのまま雑踏を割いていく。
彼等がいなくなった頃には、大和は四方八方を囲まれていた。
人間を中心にエルフ、オーク、虫人、幽霊、サイボーグ。
種族は様々だが、その身に染み付いている血の臭いが彼等の職業を教えてくれる。
大和は同業者達を一望した後、ギザ歯を剥きだした。
「テメェらも懲りねぇなぁ、いくら殺しても湧いてきやがる……誰に依頼されたんだ? 富豪か? 政治家か? それとも……ただの八つ当たりか?」
殺し屋達は答えない。
無言で得物を構える。
大和も返答など期待していなかった。
「そうそう……」
大和は顎をさする。
「今から買い物だってのに、手持ちの金が少なかったんだ。これくらいの人数なら、小遣い稼ぎに丁度いい」
嗤い、得物である赤柄巻の大太刀に手を添える。
殺し屋達は何も言わない。
激情を押し殺し、大和に襲いかかる。
大和は口の端を歪めて、大太刀を抜刀した。
──狂乱の都市、デスシティ。
此処は冒涜的な神々すら受け入れる矛盾の坩堝。
悪による悪のための、悪の世界。
この中で、一際暗い輝きを放つ男が一人。
大和。
人間でありながら神を超える容姿と腕力を誇るイレギュラー。
そして、その類稀なる才能を己のためだけに用いる俗物。
血の臭いと雄の香りを撒き散らすこの男は、これから先多くの存在を殺めていくだろう。
多くの女を虜にしていくだろう。
「楽しかっただろう? 死のダンスは」
物言わぬ屍達に囲まれ、大和は結った黒髪をかき上げた。
灰色の三白眼を細め、ギザ歯を覗かせる。
「俺は楽しかったぜ。殺しも、女も、酒も、博打も──楽しんだ者勝ちだ」
大和は誰よりも人生を楽しんでいる。
だからこそ、その笑みは魔界都市の住民を虜にしてやまない。
かの這い寄る混沌も夢中になっていた。
物語はまだ終わらない。
大和に殺しの依頼が届く限り。
魔界都市が在る限り。
物語は永遠に続いていく。
さぁ、堕ちよう──
これは、暴力と淫蕩に酔い痴れる反英雄譚。
《完》