villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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五話「絶体絶命」

 

 

 多勢に無勢とはこの事か──

 西区を魔界に変えた悪鬼羅刹たちは、いよいよ世界を侵略し始めようとしていた。その数、大小合わせて数千万──西区は完全に彼等の根城となっている。大いなる創造主──仮称「魔性千手観音」も顕現していた。

 

 雷光迸り、斬線煌めく。彼等の進軍を止めるどころか押し返さんとしている二名の女たち。

 多勢に無勢……? 侮る事なかれ。刮目せよ。彼女たちこそ鬼の天敵。鬼を刈り取る刃そのもの。鬼神すら滅ぼしてしまう、当代最強の鬼狩りたちである。

 

 魔絃のエレキギターが苛烈に鮮烈に鬼殺しの調べを奏でる。耳に届けばそれで終わり。肌で感じてもまた同様。百を越える妖仏たちがたちどころに爆発四散する。その効果範囲は留まるところを知らず、前線を構築していた軍勢を瞬く間に鏖へ還した。

 

 単身駆け抜けるのは可憐な女子(おなご)。手にした番傘を傾け、真実の刃を晒す。光速の閃きは悪鬼たちを容赦なく斬殺した。まるで蝶の様にその身を宙へと舞わせれば、同じ目線にいる飛翔体を切り捨てる。

 そうしてふわりふわりと、番傘を開いて揺蕩う彼女の眼下で、音殺の魔女がエレキギターを地面に深く突き刺していた。

 

「悪鬼滅殺・諸行無常……『涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)不動明神(アチャラナータ)』」

 

 それは天変地異の召喚。星と共に奏でる破邪顕正の調べ。

 局地的な大地震、割れた地面から高圧電流がスパークし、結果紅炎(プロミネンス)が発生する。太陽フレア並みの大爆発は数千万度の業火をもって妖仏の大群を焼き尽くした。

 

 数千万はいた妖仏たちが滅却される。西区は一変して静寂に包まれた。

 が、諸悪の根源である魔性千手観音は消えていない。その肌には火傷の痕すらなかった。満遍なく星の怒りを浴びた筈なのに、浮かべる表情は実に穏やかである。

 

『憐れ……その程度の力で我らの天敵を名乗るなど、不遜に過ぎる。絶望を知るがいい』

 

 響き渡る声は憎悪に満ちていて……表情との差に違和感を感じてしまう。

 ここでようやっと着地した野ばらは腰を落とし、番傘を携えた。急激な脱力と共に無我の境地に入れば全身の筋肉と霊力を爆発させる。

 

「悪鬼斬殺──不知火の型、鬼神狩り」

 

 放たれたのは巨大過ぎる斬月波。鬼神すら有無を言わさず滅する、今の野ばらが放てる最大火力の攻撃である。西区すらも両断してしまうほど巨大な斬撃波を前に、魔性千手観音は目もくれなかった。鬼神狩りは霧散する。

 

『憐れ……まっこと憐れ。故郷に戻りて我が力、覚醒せり。貴様らが敵う道理などない』

「……鬼がまるで本物の仏様みたいに。滑稽ね」

「本当に」

 

 音殺の魔女は野ばらの皮肉に頷きながらも、一つの結論を導きだす。

 

「妖仏という存在の真実……ここへ来て漸くわかったわ。アレはこの世界に捨てられた名も無き鬼神……この世界には来るべくして来たのよ」

「力を蓄えて、それから故郷を荒らす? とんだ問題児ね、同じ鬼からも見放されるわけだわ」

『遺言は済ませたか?』

 

 魔性千手観音は微笑を崩さず、千ある巨腕の一つを薙ぐ。すると先程魔女が消し飛ばした数千万の妖仏が復活した。超濃度の瘴気で溢れかえり、西区はまたも悪鬼羅刹の独壇場と化す。

 

 この力……最早鬼という概念を越えている。鬼神すらも超えている。一神話に勝るとも劣らない勢力──鬼狩りたちだけでどうにかできるレベルではない。

 妖仏の大軍に囲まれた野ばらと音殺の魔女、しかし彼女たちは動揺していなかった。

 勝てる勝てない……そんな可能性の話を彼女たちはしない。鬼ならば狩る──それのみである。

 

 波涛の如く迫ってくる妖仏たちに、野ばらと魔女はそれぞれの得物を携えた。

 そんな時である。上空から二人の少女が降ってきたのは……。見慣れない制服を着たプラチナブロントの髪の少女は炎の上位魔法を総身に纏う。

 

「術式掌握──魔術装甲・炎王サラマンドラ!!」

 

 紅蓮を纏った拳で地面を殴れば、灼熱の焔が周囲の妖仏を焼き付くす。次に降りてきた儚げな少女は、制服の上からでもわかる豊満な乳房を揺らしながら得体の知れないエネルギーを頭上で圧縮していた。数十メートルほどの巨大な投擲槍を形成すると、前方に放つ。

 

「消滅魔法──断罪の極槍(ハンニバル)

 

 その名の通り、放たれた巨槍は妖仏もろとも射線上にある総てを消滅させる。事象も現象も有機物も無機物も、時空間も、全てだ。動揺している妖仏たちを尻目に、彼女たちは名乗りを上げる。

 

「特務機関所属のエージェント、クロエ。助太刀にきたわ!」

「同じく特務機関所属のエージェント、マシロ。貴女たちを援護します!」

 

 予想外の乱入者に、しかし魔性千手観音は全く動じていない。潰す羽虫が二匹から四匹に増えただけだ。故に憐れむ。その無謀な行いを──

 

『憐れ、憐れなり……』

「さっきから憐れ憐れうるせぇんだよ、本物の仏様にでもなったつもりか?」

 

 剛腕、解放──

 理不尽極まりない「暴力」が魔性千手観音の鼻っぱしらをぶん殴った。

 蚊ほどの小さき者からの一撃だったが、魔性千手観音は今まで浮かべていた微笑ごと叩き潰される。その勢いのまま殴り上げられれば宇宙の彼方へ消えていった。分厚い曇天に特大の風穴があく。

 

 彼は……大和は鼻で笑いながら腰に手を当てた。

 

「こんなもんかよ」

 

 理不尽は、それ以上の理不尽で叩き潰すに限る。

 最強の男、大和。彼が現れれば最早結末など見えきっている。これにて一件落着──

 

 とはいかなかった。何時もならそうだが、今回は違った。妖仏とは、そんな生半可な存在ではなかった。

 

「まだよ……まだ終わってない」

 

 魔女の乾いた声が静かになった戦場に響いた。

 

 

 ◆◆

 

 

「……ん?」

 

 最初に違和感を覚えたのは大和だった。

 渾身とは言わないまでも対象を格殺できる威力の拳打を放った。手応えもあった。

 

 しかし対象は死んでいなかった。それどころか悠々と自分の前に降り立つではないか。

 姿形が一変している。先程まで巨大過ぎる千手観音だったのが、今は常人並みの背丈しかない。フォルムは漆黒の肉体に純金のメタリックな軽鎧。顔は砕けた仏の面、その合間から凶悪な髑髏を覗かせている。

 背中で燃えながら回転している漆黒色の戦輪は、彼の神威の象徴だった。

 

 ……神々しくも禍々しい、邪神の降臨である。

 

 この場の一同が固まる中、大和は平然と拳を握りしめ、先程より強い力でぶん殴った。なんなら同格を殺してしまう一撃だ。

 

 

『我が名はミトラ──転輪王ミトラ。この世界を破滅に齎すもの也』

 

 

 何気なく上げた指先で大和の剛拳に触れる。すると轟音と共に受け止めた。

 

『悪鬼滅殺──皮肉な事に、我らも同じ事を考えている。故に滅びよ、黒き鬼神』

 

 大和の総身から鮮血が迸る。

 目から、耳から、口から、穴という穴から血が溢れでる。尚もおさまらない衝撃は骨肉を削り、神経を断って皮膚を突き破る。

 まるで体内で爆弾でも起爆されているかの様だった。

 グラリと巨体が揺れる。明らかに致命傷だった。

 

 クロエは我に返ると涙目で叫ぶ。

 

「大和ぉっっ!!!!」

 

 我武者羅に駆け寄る。マシロもだ。必死になって駆け付ける。転輪王は彼女たちを見つけると、ふわりとその指先を向けた。

 

 途端に地面が割れる。倒れかけていた大和が寸前のところで踏みとどまったのだ。無理矢理上体を起こして、血濡れた双眸をギラつかせる。

 

「効いたぜ、クソッタレ」

 

 そう言って壊れた拳を振り抜いた。転輪王もまさか反撃されるとは思っていなかったのだろう、もろに顔面に食らってしまい遥か遠くへ吹き飛ばされる。

 スラム街を粉々にしながら離れていく転輪王を見つめながら、大和は再度血を撒き散らした。

 その足元には既に血の池ができている。とてもではないが立っていられる状態ではない。死んでいてもおかしくない。

 

 駆け寄ってくる姉妹たちを大和は手で制した。その手もまたボロボロで、骨が剥き出ている。

 

「来るな」

「「っっ」」

「あのクソッタレは俺がぶっ殺す。……だから、他の奴等を頼んだ」

「大和さん……でも、その状態は……っ」

 

 泣いているマシロ。その肩を抱き寄せたのは誰でもない、クロエだった。彼女もまた泣いているが、覚悟を決めた面持ちで言う。

 

「任せときなさい、大和。他は私たちでどうにかするから」

「お姉ちゃん……」

「だから、あの糞野郎をぶっ殺してきなさい!! アンタが負けるなんてあり得ないんだから!!」

 

 大和は振り返らず、口元を微かに緩めた。次に鬼狩りのコンビに言う。

 

「鬼狩りの……残りは頼んだ」

「任せなさい。鬼は一匹残らず駆逐する」

「言ってきなさいな、大和さん。……鬼の名を関する、強い人」

 

 大和は跳躍する。

 彼は宣言通り、敵の親玉とケリを付けにいった。

 

 

 ◆◆

 

 

 数千万もの妖仏が一斉に念仏を唱え始めた。

 よくよく聞けば念仏の様に聞こえる怨嗟の言霊である。それを数千万単位で一気に唱えられたものだから、クロエとマシロは耐えきれず耳を塞いだ。

 野ばらと音殺の魔女は動じず、妖仏たちの次の行動を伺っている。これが攻撃的な言霊ならば即時対処するのだが、そうではなかった。

 

 何かを呼び寄せている……? 

 

 音殺の魔女が懸念する。西区で合奏の様に紡がれている負の念仏は他の区にまで轟き渡る。いよいよもってデスシティの「規格外たち」が不快に思い始めた頃、それは一気に止まった。

 たちどころに妖仏たちが瓦解し霊魂となる。数千万もの魂が濃密な邪気と妖気と絡み合い、一つになっていく。

 デスシティ特有の瘴気も吸い込んで、現れたのは……二つの強大な魂だった。

 

『……こうして故郷に戻れたのも何かの縁だな、角行』

『そうですね、飛車。……我ら妖仏の宿願、ここに叶ったり。しかしまだ、邪魔者がいますね』

 

 溢れ出た規格外のプレッシャー。二つの霊魂から放たれる圧力は妖魔のカテゴリーを逸脱している。最早魔神の領域だ。

 

 音殺の魔女は苦々しげに呟く。

 

飛車丸(ひしゃまる)角行咤(かくぎょうた)……何故貴方たちが……数百年前に封印した筈なのに」

『ところが、だ。現存していた全ての同胞がその魂を引き換えに封印を解いてくれたのだよ』

『我が創造主の宿願を果たすために、彼等は命を差し出してくれたのです。……これに応えずして、妖仏の副首領は名乗れないでしょう』

『俺達は覚悟と、想いを背負っている』

『まずは鬼という鬼を滅ぼしましょう。次にこの世界を我らのものにしましょう。それで漸く、我らの怨恨は晴らされる』

 

 その言葉自体が高純度の呪詛の塊だった。生半可な者なら聞いただけで精神崩壊を起こしてしまうだろう。当の鬼神たちはそんな事気にもとめず、相談しはじめた。

 

『どうする、角行。器のほうは』

『貴方は例の素体を用いなさい。同調率は最高でしょう。あとは最低限の改良を施せば……貴方は全力で戦える』

『ありかたい。ならお前は……』

『この世界で奮闘した同胞の亡骸を全て吸収しましょう。その他の余った魂も……塵も積もれば山となります』

『そうか、なら』

『蹂躙開始ですね』

 

 彼等が溜め込んでいた絶望が、慟哭が、憎悪が、悔恨が、殺意が──具現化する。

 

 角行咤と名乗る存在は残骸と化した同胞たちを全て吸収した。途轍もない瘴気が迸る。もろもろ全てを凝縮して現れたのは……左右対象の異形なる鬼神だった。

 

 右半身が肥大化しており、強大な筋力と重装備で固められている。禍々しい巨爪は恐らく最新式の高周波電磁ブレード製。肩には射程無制限のレーザーライフル、超高精度ホーミングミサイルポッド、魔法式プラズマキャノンなどが装備されている。左半身はシャープで最低限の装備しかしていないが、前腕部にオーバーテクノロジーのコンピューターガントレットが装着されていた。

 筋骨隆々ながらも何処か知的で、しかしそれ以上に悪意を感じさせる、妖仏の副首領の肩書きに見合った怪物である。

 

 もう一方、飛車丸は「最高の同調率を誇る素体」なるものを呼び出す。それを見て野ばらが目を見開いた。首から上がなくなっているが間違いない、以前大和が撲殺した肥前の鬼神「宿儺」の死体である。何処からそんなものを取り寄せたのか……あえて聞くまい。今の妖仏の力をもってすれば封印された鬼神の亡き骸を呼び寄せるなど造作もない。

 

 宿儺の肉体をベースに必要部位を数多の妖仏で加工、強化していく。ギチギチと骨肉を改造する音を響かせなから、飛車丸は依り代へと憑依した。そうして最悪の鬼神が降臨する。

 元々の枯れた細身は肥大化し、良質な筋肉繊維で覆われる。肌色は漆黒、胸や腕には妖仏特有の強化術式の紋様が描かれている。髪の毛は獅子を彷彿とさせる金色。額に鋭利な2本の角。

 

 飛車丸は魂と肉体が完璧に合致した事を悟ると、堪らず溜め息を吐いた。

 

『あァ……いいぞ……今までで最高の肉体だ。力が溢れでる』

 

 両腕から虹霓色のリストブレードを取り出し、野ばらたちでも視認できない速度で振るう。中央区に建っていた全ての高層ビルが綺麗に切断された。その断面はまるで最初からそうであったかのようで……リストブレードの凶悪な切れ味を物語っている。

 

 飛車丸は最高の依り代に酔いしれつつ、相方に聞く。

 

『角行。目の前に四人、女子がいる。二人一組、片や我らが怨敵鬼狩りだ』

『では私は関係ない姉妹の方をいただきましょう。とても魅力的な力をお持ちのようだ……鬼狩りは頼みましたよ、飛車』

『任せとけ、これ以上ないほど惨たらしく殺してやる』

 

 思わず身構える四名。

 クロエは目の前の化け物たちの力を大まかに計測した。両方とも推定ランクSS……魔神の中でも上位、表世界のみならず神話の世界でも十分通用する存在である。

 

 この事件の危険性は最早デスシティのみに留まらないレベルだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 矛盾という言葉がある。最強の矛と無敵の盾、決着は付かず。理屈として二つの事柄の辻褄が合わない事を指す言葉。

 

(一度は重症、二度目は致命傷。我が「権能」を直接受けた。如何にアレと言えど……いいや、アレだからこそ、耐えられるものではない。自身の攻撃を二度も体内で爆発させられたのだぞ)

 

 転輪王の権能は究極の同族殺し。それは大和たち武術家にも当てはまる……筈だった。

 

『不可思議。我が権能は衝撃の支配……ありとあらゆる衝撃を掌握する。衝撃とは即ち力の解放……暴力の化身である貴様に勝ち目はない』

「成る程な……俺たちみてぇな暴力バカに特化した力だと。あらゆる異能権能を無効化する闘気も、憎悪から端を成す『想いの具現化』には敵わねぇと」

『……』

「ククククっ、ハハハハハ!! いいじゃねぇかおもしれぇ!! 所詮闘気なんてそんなもんか!! 」

 

 目の前の男は明らかに瀕死だった。

 全身から血を吹き出し、至るところから骨が剥き出ている。両手など見る影もない。

 しかし何故か、その佇まいは堂々としていた。死に体からは想像できないほど活力に溢れている。

 浮かべる笑みに怒りはあるが、妖艶で……まるでこの状況を楽しんでいるかの様。

 

 転輪王ミトラは耐え難い不快感を覚えた。『こういう奴等』を苦しめるために編み出した力の筈だ。暴力そのものを否定し、嘲笑うために練り上げた力の筈だ。

 転輪王は平静を装いつつ、告げる。

 

『二度言う。貴様では我には勝てぬ──最早限界であろう? 貴様は、貴様自身の力に耐えられぬ』

「俺の限界は俺で決める」

『…………』

「ククク、いい顔するじゃねぇか……決めたぜ、テメェは真っ向から叩き潰す」

 

 大和は笑顔で殴りかかる。

 転輪王には彼の考えが理解できなかった。ただ確かな事は、無性に腹が立つ事。転輪王は彼の存在そのものを否定してやろうと思った。

 


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