悪鬼、飛車丸の身体能力はずば抜けていた。その筋力は鬼神を優に超え、軍神と渡り合ってみせるほど。
戦闘センスも元来が鬼だからか、途轍もない。
しかし特筆するべきはその瞬間速度。あまりの速さは光速を優に超え無限速に至ってしまう。
あまりに速すぎるため、時間を遡りすらできてしまっていた。0.03秒というほんの僅かな間だが、過去へと遡れる。
飛車丸は停止している野ばらと音殺の魔女を悠然と眺めていた。
そして好きに悪態を吐く。
『忌々しき鬼狩りの郎党ども……さて、どう料理してやろうか』
まずは音殺の魔女へと視線を向ける。
『お前は下劣な手で俺達を封印したな。慈悲はない。絶命しろ』
虹霓色のリストブレードで魔弦のエリキギターごと彼女を切り刻む。
次に野ばらに視線を向けた。
『その矮小な体躯で鬼狩りなどと……笑わせてくれるな。こんな生娘に刈られた同族を想うと、情けなくなる。明らかにただの人間ではないか、一振りで済む』
適当に薙いで、そこから時間の流れを再開させる。
音殺の魔女は魔弦のエリキギターごと全身を切り刻まれた。四肢をズタズタにされ、無惨な姿で倒れ伏す。
野ばらも両断される筈だった。が、辛うじて身を逸らす。それでも完全には避けきれなかった。番傘を持っていた左腕が飛ばされる。
野ばらは額に脂汗を滲ませながらも、すぐに帯で止血を施した。そのまま出血多量で死ぬ筈だったが、動脈を縛って無理矢理止める。
これには飛車丸も驚いた。
『ほぉ……適当ながらも確実に殺せる一撃だった。それを躱してみせるとは……容姿によらず歴戦だな』
「貴方は存外阿呆ね……私より重傷よ?」
『…………ほぉう』
飛車丸は薄ら笑みを浮かべる。
途中まで首が斬られていた。言われるまで全く気付かなかった。
もしも野ばらが万全の状態なら、間違いなく首を落とされていただろう。
飛車丸は傷の修復を済ませると、野ばらに聞く。
『異世界の鬼狩り……さぞや名のある剣士と見た。名乗れ、俺は飛車丸。転輪王ミトラ様の右腕だ』
「鬼に名乗る名など無いわ」
『ふん……気に入ったぞ娘。その覚悟と剣の腕──あと少しで至りそうだな、超人に』
「…………」
『しかし惜しいな、あと一歩だ。それが貴様の敗因だ』
飛車丸は嘲笑う。
ここで、切り刻まれた音殺の魔女が立ち上がった。断たれた肉体を無理矢理修復して野ばらの隣に立つ。
「ごめんなさい……痛恨のミスだわ。まさか首領と副首領が一気に出てくるなんて。貴女だけでも逃げなさい」
「……貴女はどうするの?」
「無理矢理にでも殺すわよ、アイツを。……この命を懸ければ殺せはしなくても致命傷は負わせられる。そうすれば、次に繋がる」
「次?」
野ばらの疑問に、魔女は笑った。
「私の意思を継いでくれる者が必ず現れる。あの悪鬼たちに殺され、惨い仕打ちを受けた者たちから、必ず次の鬼狩りが現れる」
「……」
「私の母も姉もそうだった……だから逃げなさい。貴女は、私が唯一残せそうな希望なのだから」
優しい、されど儚い笑みを向けられ、野ばらは無言になった。
痺れを切らした飛車丸は冷酷に告げる。
『二人同時に殺せば、後の憂いもなくなるわけか……助かったぞ、音殺の』
「逃げなさい、時間を稼ぐから。貴女だけでも──」
『そうはさせぬ』
飛車丸は動く。そうして世界が停止した。
しかし音殺の魔女もこの時間軸にいた。
『まさしく命懸け、か……』
「この子は絶対に護る」
両者対峙する。
音殺の魔女は破壊されたエレキギターを再構築し、魔弦を無理矢理引き直した。
飛車丸も両手から虹霓色のリストブレードを出す。
両者の間に深い沈黙が生まれた。
何もかも停まった空間の中で、静寂を破ったのは予想外の存在──
「下らない……」
飛車丸は反射的に振り返った。音殺の魔女も呆然とする。
誰でもない、野ばらが動いていたのだ。
彼女は淡々と告げる。胸に燻る激情を、吐き出す様に。
「至れないのなら至るわ。それで貴方たちを皆殺しにできるのなら……超人にでも魔人にでもなってやる」
『……ふ、ハハハハ!! 想いで至ったか!! その狂おしいまでの憎悪が遂にお前を覚醒させたのか!!』
「勘違いしないで頂戴」
途端に飛車丸の視界が反転した。次に彼が見たのは、首から鮮血を噴き出す自分の肉体だった。
「もう嫌になったのよ……貴方たちのために何で犠牲にならなきゃならない人たちがいるの? 家族がいる、愛する人がいる。そんな人達がこぞって貴方たちに挑む。そして惨たらしく殺される……もう嫌なのよ。そういうのを見るのも、聞くのも」
呆けている飛車丸の首を妖刀で細切れにする。
憎悪と、それ以上の悲哀で覚醒した野ばらは、ここにきてハッキリと告げた。
「私の代で終わらせる……何もかも」
サイドテールに結われていた黒髪がほどける。
時間軸から戻り、風で揺れ動く艶やかな長髪……暗い夕焼けに照らされる可憐な横顔は、不相応に凛々しかった。
音殺の魔女は思わず見惚れてしまった。
悪鬼を狩り尽くす最強の戦乙女の誕生を、彼女は目にした。
◆◆
野ばらが覚醒する数分前──こちらでも、ある意味異常事態が発生していた。
角行侘はどうやって目の前の姉妹を嬲り殺すか考えていた。簡単に殺すのは面白くない、できる限り苛めたい。
どうすれば殺さずに苦痛を与えられるか……
取り敢えず、釣り道具から考案した鉤爪状の特殊小型機雷を地面に複数植え付ける。
これは特殊貴金属、ミスリル銀でできており、機動すれば対象の足に食らいつき骨肉を蝕む。
鉤爪状なので無理矢理抜くこともできず、ミスリル銀製故に形状変化で様々な苦痛を与えられるという、拷問器具に近い代物だ。
角行咤は豊満な肢体を誇る美少女──マシロが苦痛ですすり泣く顔を思い浮かべ、邪悪な笑みをこぼした。
彼はあえて慇懃に、紳士口調で告げる。
『それでは踊りましょう、お嬢さん方……私では役不足かもしれませんが』
「そうね、アンタじゃ役不足」
クロエは笑う。
何処からともなく雷光が迸り、角行咤の巨大な右半身が消し飛んだ。
角行咤は失った半身を呆然と見つめる。
そしてクロエに向き直った。
彼女は片手に無限熱量の業火を、もう片手に三千世界すら蒸発させる雷光を揺らめかせていた。
あまりの熱量……あれはただの雷火ではない。雷火の見た目をした全く別の破滅的なエネルギーだ。
総てを消滅させ、塵に還す、圧倒的な火力の塊……
クロエはぼやく。
「こんな面倒臭い性格をしている私を愛してくれる存在がいた。アイツは、こんな私を好きだと言ってくれた。そのままで良いと言ってくれた。……だから、もうやめたのよ。馴れない事して、自分を偽るのは」
その力はクロエという存在そのものだった。
炎の様に激情家で、雷の様に苛烈。
それでもクロエは……そんな自分を好きになれた。
覚醒──
彼女は超高熱の火炎と超電圧の稲妻の化身となった。
無限大のエネルギーそのものである。
神仏であろうが不老不死の怪物であろうが、彼女の火力には耐えきれない。燃やし尽くされる。
彼女に睨まれた角行咤は内側から無限熱量で焼き付くされ、断末魔の悲鳴を上げた。
火炙りになって転げ回っている彼を見下ろしつつ、クロエは更に火力を上げる。業火はいよいよ天にまで昇り極大の柱を形成し、迸る雷光は角行咤を構成する物質を一つ一つ丁寧に溶かしていった。
これでも手加減しているのだ。彼女がその気になれば魔界都市のみならず世界が、その上の数多の上位空間が、瞬く間に消し炭になる。
クロエは秘めていた激情を露にした。
「よくもアイツをズタボロにしてくれたわね……!! アイツは負けない、絶対に負けない……でもこの憤りの収拾が付かないのよ!! どうしてくれんの!? アンタになら発散してもいいわよね!! この怒り!!」
莫大なエネルギーの奔流に呑まれ、角行咤は自己修復だけで手一杯になっていた。口もあけられない。生命活動を維持するだけで限界なのである。力の源である魔素や邪気も蒸発している。このままでは反撃もままならない。
焼き殺される。
角行咤は決死の思いで地面に潜った。
一時撤退である。深く深く潜り炎熱から逃れると、即時肉体を修復しはじめる。
そして戦々恐々とした。
(何ですかアレは……魔法とかそういうレベルではない。人の形をした極大の雷火……こちらの世界観に合わせた計測ではいってSランク、私よりも格下だったのに)
角行咤は焦燥するも、肉体の再構築、武装の再装着を済ませる。
そして一計を案じた。
(ここは飛車と合流し、戦況を立て直しましょう。もしもの事があればミトラ様に進言して一時撤退も……)
そう考えていると、自分を護り隠していた地殻が根こそぎ削られた。
地中深くから現れた角行咤は、震えながら頭上を見上げる。
「駄目ですよ、逃げるなんて。……私に何かするつもりだったんでしょう? なら最後までしないと……できないなら仕方ありません。消えていただきます」
微笑んでいる黒髪の天使、マシロ。
彼女が纏う得体の知れないエネルギーは姉と同様、物理現象を超越したナニカだった。
彼女もまた、覚醒した超越者……
「消えて欲しいんです。お姉ちゃんと大和さんを含めた大切なものを害する諸々は……その根源に至るまで。難しい事を言っていますか? 私は」
『……っ』
角行咤は絶望で顔を歪める。
咄嗟に射程無制限のレーザーライフル、超高精度ホーミングミサイルポッド、魔法式のプラズマキャノンを掃射した。
妖仏特有の術式で強化しているため、この世界ごと数多の上位空間を焼き尽くす事ができる。
しかし届かない。マシロの前で全て「消滅」してしまう。
クロエが雷火の化身ならば、彼女は消滅の化身だった。
マシロは姉に言う。
「駄目、お姉ちゃん……私、許せない。どうしても許せないの。目の前の鬼さんが」
「いいのよマシロ、我慢しなくて。……一緒にやっつけちゃしましょう」
「……うんっ」
コクリと頷くマシロ。
そうして二人して角行咤へ視線を落とした。
角行咤はプライドも何もかなぐり捨てて媚びようとするも、姉妹たちは決して彼を許さなかった。
「炎熱・極致──
「消滅・極致──
無限熱量の業火と消滅の概念、その極致を一身に受け、角行咤は消滅した。
その邪悪な魂も溶かされ滅ぼされた。
◆◆
遥か太古、神話の時代。
ミトラという鬼神は同族に捨てられた。理由は鬼神として相応しくない力を持っていたから。
個の力が重視される鬼の一族にとって、他者から簒奪した力で強化されていくミトラは一族の面汚しだった。
故に捨てられた。次元の狭間の奥深くに。封印もされず、ただただ捨てられた。当時の鬼神の王、温羅はミトラを庇いもしなかった。
抗いたくば抗え、復讐したければ勝手にしろ──
彼は、ミトラの存在など眼中に無かった。
ミトラは誓った。幾星霜、幾億年の年月が経とうとも、必ずや一族に復讐すると。死をも生温い絶望を味あわせてやると。
深く深く、魂にまで刻んだ。
それから現代──幾億年と経過した。
数多の部下が出来た。信頼できる右腕と左腕が傍にいた。自分も力を付けた。
今こそは──と意気込んだ暁にコレだ。
鬼神王、温羅は目の前の黒鬼などと呼ばれる人間に敗れて封印されている。現存する鬼神も当時とは比べ物にならないほど弱体化していた。唯一、鬼神と名乗れるのは酒呑童子こと朱天とその配下くらいだろう……
憤りは限界に達した。
潰し甲斐がない。当時、あれほど自由に悪辣に暴れまわっていたではないか。東洋にその者たちありと謳われた最強無敵の魔軍勢は一体何処にいった?
封印された? 目の前の餓鬼に? やるせない。やるせないやるせない許せない。
まずはこの餓鬼を血祭りに上げ、五臓六腑をここ魔界都市にバラまいてやろう。後に鬼神王、温羅の封印を解き、惨たらしく殺してやろう──
そう、ここは通過点に過ぎないのだ。
「オイ、どこ見てんだよ。俺を見ろ」
ミトラの眼前に何度目かわからぬ剛拳が迫る。しかし届きはしない。あらゆる衝撃──いわゆる物理攻撃は、ミトラには通用しない。
そうミトラは願い続けたのだ。幾億年と、尽きぬ憎悪を権能に注いできたのだ。
鬼神を、鬼神王を殺すために。
彼等と同じく暴力に頼っている目の前の人間に、到底覆せる想いではない。
ミトラは自信を持って言えた。
『無駄な事を……我も暇ではないのだ。はよう自滅しろ、人間』
「つれねぇ事言うなよ……こんな気分久々なんだ」
『……?』
「久々に、本気で潰せるオモチャに会った」
『っ』
ミトラは思わず腕を薙ぐ。気色悪さを感じたのだ。
当の人間は奥歯まで剥き出た頬でそれを受け止める。
突風が西区のスラム街を粉々にした。
大和は、笑ったままだった。
「はじめてだな、手ぇ出したのは」
『気色悪いぞ、人間』
「その人間如きに何時まで時間潰されてんだよ、さっさと終わらせろよ。自信あんだろう?」
大和は両手を広げる。
辛うじて立っている様にしか見えない。全身血まみれ、肉は剥がれ骨は飛び出て、内臓も機能停止している筈なのに……
何故、この死に体から悪寒を感じる?
そもそも、何故倒れない? コイツは一体、何発本気の拳を自分自身で受けたのだ?
思わず表情に出してしまうミトラに対して、大和は嫌みったらしい笑みを向ける。
「肉が裂けて骨が砕けて神経がイカれて内臓が潰れて……だからどうしたんだよ。そんなんで俺は死なねぇよ」
『……っ』
「舐めんじゃねぇ。俺は世界最強の男だぞ。テメェの攻撃で自滅するほどヤワじゃねぇ……そんでもって、名前も知らねぇ鬼神もどきに負けるほど弱くもねぇ」
『鬼神……もどき。今、貴様はそう言ったな?』
「ああ、言ったぜ。鬼神もどき」
ミトラは拳を振り抜いた。衝撃が魔界都市を揺るがす。跳ね上がった大和の顎に更にアッパーを重ねれば、曇天に風穴が空いた。ミトラは怒髪天になりながら大和を殴り続ける。
『貴様に、貴様に我等の何がわかる、人間がァァァァッッ!!!! その減らず口を二度と叩けぬ様、徹底的に……!!!!』
「うるせぇぞ……こんの屑鉄がァ!!!! 調子こくのも大概にしやがれ!!!!」
大和の蹴りがミトラの側頭部を穿つ。ミトラは無駄だと鼻で笑ったが……直後奔った衝撃に硬直した。
立て続けに大和の渾身のアッパーが顎に入る。ミトラの顔が砕け散った。
「俺から見たらテメェらは屑鉄なんだよ!! それが嫌だったら俺に膝でも付かせてみせろや!!」
ぶん殴る。殴り殴り殴り殴り、殴る。
純粋に規格外に埒外に、極めて理不尽な暴力に曝され、ミトラの全身を覆っていた装甲が砕け散った。
彼はよろめきながら、動揺のままに吠える。
『何故ぇ……何故だァ!!!! 我が権能は貴様の様な暴力しか振るえぬ輩に絶対的な優位を保てる筈!! それがァ!!!!』
「優位に立ってるぜ、お前が勝手に追い詰められてるだけだ」
『っっ』
「軽いんだよ」
大和が振るった拳を、ミトラは両手で受け止める。
全身の装甲が儚い音を立てて崩れ去るも、ミトラは必死に耐えていた。
大和はミトラの顔を両手で掴むと、膝を組ませて首を引き抜く体勢をとる。
「数億年間の想い? 笑わせんな。想いは所詮想いだ。……お前は俺を苦しませられても、勝てはしねぇ。絶対にだ」
『や、やめ……っ!!』
大和は無理矢理ミトラの首を引き千切る。断末魔の悲鳴が木霊した。
手の内にある苦悶に満ちたミトラの首を一瞥し、無造作に投げ捨てる。
そしてやれやれと肩を竦めた。
「鬼神もどきが、手こずらせやがって……」
ボロボロだった肉体は瞬く間に修復する。
たちまち全快になった大和は、呆れ混じりにこの場を去っていった。