一話「イスラエル」
次元の狭間の更に辺鄙な領域に、雅貴と七魔将の隠れ蓑があった。暗黒の鉛雲に真紅の稲妻が幾重にも迸る。段々と邪悪なる魔城郭の輪郭が露わになってきた。
世界最強の陰陽術師である雅貴が丹精込めて造り上げたこの領域は、例え最上級の神仏であろうと害せない。
世界最悪のテロリスト達に相応しい拠点である。
最上階、荘厳ながらも薄暗い天守閣にて。
漆黒色の大日本帝国軍の正装を靡かせ、稀代の大陰陽師は邪悪な金眼を細めた。
「ふぅむ……」
「どうしたんだい、雅貴?」
聞く美少女。
ショートに整えられた桃色の髪、薄く焼けた肌、十代ほどに見える可憐な顔立ち。しかし大きく実った乳房は大人の女性顔負けだ。
漆黒の羽で編まれた法衣は神秘的でありながら妖艶である。
彼女は頭の上に生えている漆黒の小翼をパタパタとはためかせていた。
その美貌は天使の様であり、悪魔の様でもある。
元、熾天使の最上位『四大天使』にして天使という種族の超越者。正義の焔を司りながら「とある理由」で堕天した変わり者。無限熱量を司る破滅の戦女神、『堕天使を統べる者』……ウリエル。
この場には雅貴と彼女以外いなかった。
辺りは静寂に包まれている。雅貴は丁度いいと、彼女に悩みの種を明かした。
「世情を少し探ってみたのだが……魔界都市の勢力よりも表世界の勢力の方が目立っているという結果が出た」
「ほぅ……君が望んでいる展開になりそうかい?」
「さぁ、わからんよ。ただ……確実に世界の渾沌化は進んでいる」
雅貴の言葉に、ウリエルは形のいい顎を擦る。
「表世界の勢力ねぇ……今のところ、カトリックとプロテスタント。日本呪術協会、あとは異端審問会くらいかな?」
「そうだな。表世界を代表する勢力といえば、その四組織が挙がる。しかし今、それらの拮抗が崩れ始めている」
「と、言うと?」
「異端審問会が力を付けすぎているのだよ。最近は東洋の大魔神、第六天波旬殿を加えたそうな……となると他の三勢力では手に余る。なにせ波旬殿は我が伴侶、鈴鹿御前こと茜の実の父君だ。東洋を代表する大魔王……ククク。合衆国大統領、カール・マーフィー殿は中々に厄介な男だ。いい部下に恵まれる才能がある」
「へぇ……あのルシファーと手を組んでるあたり、只者ではないと思っていたけど」
「彼の目的は天使病の克服、そしてその利益を人類に齎す事だ。……これは終末論の引き金になりかねないと思うが、貴殿はどう思う? ウリエル殿」
雅貴の問いに、ウリエルは思案する。
「そうだねぇ……元々、天使病は第一終末論「ハルマゲドン」を踏破した際に唯一神が人類にかけた「呪い」だ。唯一神の思惑は兎も角として、この呪いは上手く人類の増長を防いでいる。これが克服されるとなると……厄介だね」
「そう、このまま行くと人類は道を踏み外す。それは俺にとって看過できない」
「人類讃歌を謳う君らしいけど……ならどうするんだい? 関与する?」
ウリエルの提案に、雅貴は首を横に振った。
「いいや、今回の案件……我々が出るまでもない」
「ふむ……一体何が始まると言うんだい?」
「まず、カトリックには最強の聖遺物、聖槍ロンギヌスの適合者がいる。日本呪術協会にも当代の日巫女が控えている。どちらも表世界では最高の戦力だ。しかし、プロテスタントにはこれといった切り札がないのだよ。天使病を駆逐するための組織が、あろう事が一番遅れをとっている」
「なら今回の案件は……」
「新世界聖公教会が「切り札」の覚醒を目論んでいる」
「その最大戦力とやらに当てはあるのかい?」
「貴殿が一番よく知っている筈だ。……イスラエルの末裔だよ」
「……へぇ」
ウリエルはうっすらと灼眼を細めた。
「あの坊やの末裔かい。それは困るだろう……特に異端審問会は」
「貴殿とは因縁深い一族だ。……話を聞かせてはくれまいか?」
「いいよ。たまには昔話に花を咲かせるのも悪くない」
そう言って、ウリエルは遥か太古……神話の時代を思い返した。
◆◆
神代の時代はある意味単純な時代だった。
男は強く、逞しくあれ。女は美しく、艶やかであれ。
神々に敬意を払い、自然と共に生き、摂理に則る。
人間は森羅万象の一部に過ぎなかった。頭が少しいいだけの、数ある生態系の一つでしかなかった。
当時の人間にとって、神々に祈りを捧げる事は至極当然だった。
元より他種族より非力な身。神々の恩恵なくして生きていけるほど、当時は平和ではなかった。
男は軍神や魔神に、女は美や好運の女神に、それぞれ祈りを捧げ、恩恵を授かっていた。
恩恵はそのままステータスに繋がった。その者の価値が決まると言っても過言ではない。
恩恵が大きいほど男は強く、女は美しくなる……故に人々は神々への祈りを欠かさない。
如何に寵愛という名の恩恵を授かれるか……当時の人間はそれだけを考えていた。
多くの神々は、そんな人間たちを嘲笑っていた。
まるで餌にたかる犬畜生だと──
神々の傲慢と人間の強欲が交じり合った混沌の時代──それが、神代の時代の最初期である。
この価値観を崩していったのは、当時の超越者たちだった。
東洋の大王朝の第一皇子として生まれながらも家出し、生来持った圧倒的な暴力で神魔霊獣を打ちのめしていった闇の英雄王。
奴隷剣闘士として活躍する内に神々を魅了し、その寵愛を一身に授かる事となった光の英雄王。
代表的な両雄だが、他にも活躍した超越者がいた。
その一人がイスラエル──またの名をヤコブ。
イスラエルの民、すなわちユダヤ人の始祖であり、当時熾天使だったウリエルを破壊寸前まで追いやった格闘技の超越者である。
◆◆
「彼は、そう……オブラートに言えば、大和みたいな子だった」
「ほぅ、それはそれは……随分と破天荒な御人だったのだな」
「若い頃はね。それはもう暴れん坊で、困ったちゃんだった……しまいには実の兄に見捨てられ、唯一神の怒りを買うほどにはね」
これには雅貴も目を丸める。ウリエルは苦笑した。
「性格はアレだったけど、人類の可能性を切り開いた偉大な超越者だよ。当時、まだ熾天使だった僕は彼に一度完敗している」
「それでも、
「偶然だよ」
ウリエルは自嘲した。
「唯一神は彼に「イスラエル」の称号を与えると共に、人類に対して危機感を抱くようになった……それが後に第一終末論「ハルマゲドン」に繋がるんだ」
「……凄まじい御人だな。ウリエル殿を単身で撃破するどころか、かの唯一神に危機感を抱かせるとは」
「相当強かったよ。もしも存命だったら四大魔拳に名を連ねていただろう。神速のフットワークに無限射程のフリッカージャブ、おまけに一撃必殺の右ストレートと……近代ボクシングが健康体操に見えるくらいの、拳闘術の達人だった」
「それでも……死んでしまわれたのだろう?」
雅貴の言葉に、ウリエルは紅色の瞳を潤ませる。
何か思う事があったのだろう。
「そうだよ、最期は人間としてね……。彼は英雄にも怪物にもならなかった。一人の人間として、子孫に見守られながら息を引きとった。その生涯は、とても清々しいものだったよ」
ウリエルの横顔は美しく、同時に儚げだった。
「超越者になれば幸せになるとは限らない……むしろ逆。世界の法則すらねじ曲げられる力を持った結果どうなるのか……君ならわかるだろう? 雅貴」
「ああ、わかるとも」
「強大過ぎる力は災いの種になる。そして畏怖の対象となる……あの子はそれがわかっていたから、人として生を終えたんだろうね」
ウリエルは思い浮かべる。最愛の想い人であり、超越者の最果てにいる暗黒のメシアを……
雅貴もまた、同じ事を考えていた。
「……難儀なものだな」
「……そうだね」
二人は揃って感傷に浸る。
今から始まるのは、当代イスラエルの覚醒を巡る物語。
天使殺戮士の原点「イスラエル」の覚醒……これを快く思わない輩は多い。
真世界聖公教会は、当代イスラエルの護衛役として「ある用心棒」を雇った。
今回の物語は『殺す物語』ではなく、『護る物語』である。