当時の右乃助が送られたのは日本、鹿児島の僻地だった。本人は大和から拳骨を貰って以降記憶が無いので、目覚めた瞬間飛び跳ねる。
「ハッハッハ!! まるで野兎だな!! おもしれぇ!!」
呵々大笑が木霊した。
場所は、頑丈な石橋の下だった。傍には小川が流れている。
水のせせらぎが耳に入り、カラリと澄んだ暑さが身を包む。
右乃助……と名乗る事になる青年は、盛大な歯軋りをして目の前の男を睨み付けた。
「ここぁ、どこだ? テメェ、誰だ? アイツは、あのクソ野郎は、どこに行ったッ!!」
「質問が多すぎんだよクソ餓鬼が……ああ、いや、これから俺の弟子になんのか。なぁ? 弟子13号」
「俺の質問に答えろッッ!!」
「そうさなぁ……テメェ、前髪が右に跳ねてるから、名前は
「だから俺の質問に……ッッ!!?」
顔面に神速の飛び膝蹴りが入る。
右乃助は小川に吹っ飛んでいった。
仰向けになって気絶している彼を見て、男はまた笑う。
「ハッハッハ! 今ので首が飛ばねぇか! 中々頑丈な餓鬼だ! ……ふん、大和の野郎、中々いいのを紹介してくれるじゃねぇの」
男は右乃助に託されていた手紙を見る。
そして空いている手で特大の徳利を呷いだ。
彼の名前は
容姿的年齢は四十前半ほど。
落武者の様な中途半端に禿げた頭、男臭い面。
服装は漆黒の道着、腰には荒縄を巻いている。
靴を履いておらず、第一印象は飲んだくれの浪人だった。
彼は無精ひげの生えている顎を擦る。
「コイツなら、もしかしたら示現の奴等に通じるかもしれねぇ……前の弟子たちはみーんな叩っ斬られちまったからな!! カッカッカ!!」
佐久川源二。通称「鬼殺しの源二」。
明治維新以降の、示現流の剣鬼たちが跋扈していた薩摩を修行場にしていた当時の四大魔拳。
空手道の原点、
右乃助の師匠であり、後の彼の人格を構成した人物である。
◆◆
巷で有名な暴力団や犯罪組織も、この地に足を踏み入れようとはしない。
あの五大犯罪シンジケートですら畏れているくらいだ。
そのワケは、那羅柯山脈という地帯そのものにある。
右乃助一行は那羅柯山脈を横断する手前で緊急停車していた。
「あっつつ!」
「動かないでください師匠! 解呪が進みません!」
「全く、無茶して。これじゃあ
右乃助は全身大火傷、左腕を肘から断裂と、重体だった。
特に左腕は無理矢理引き千切ったせいで骨肉の損傷が激しい。
更に傷口から高純度の呪いを吹き込まれているため、早急な治療が必要だった。
現在、香月が右乃助の体内に気を巡らせて解呪を行っている。
パンジーは魔法で全身くまなく治療していた。
右乃助はたまらず悪態を吐く。
「マイクの野郎……やってくれたな。一張羅を台無しにしやがって、予備が無かったらすっぽんぽんだぞ! あの恩知らずめ!」
原型を無くした衣服を破り捨て、溶けたサングラスを投げ捨てる。そうして傷だらけの肉体が露になった。
まだ火傷が治りきっていないため、痛々しい光景である。
アモールはその場にへたり込んだ。
固まった顔のまま、口を開ける。
「ごめんなさい……私が、私が弱いから……」
深紅の瞳が潤む。
堪えきれなかったのだろう、必死に嗚咽を押し殺している。
そんな彼女の頭を、右乃助は乱雑に撫であげた。
「お前はよくやった。……だから泣くな。泣くのは全部終わってからにしろ」
「はい……っ、私は、まだ未熟者ですっ」
至らない自身を恥じながら、アモールは涙を止められない。
ふと、右乃助の肩に誰かが抱きついた。
ニーナ・イスラエルだった。
彼女はブラウン色の髪を振り乱し、同じ色の瞳に涙を溜めている。
右乃助に何かを訴えかけていた。
無茶しないで……と。
右乃助は苦笑して、アモールと同じ様に頭を撫でる。
「これが俺の仕事だ。言っただろう? 絶対に護り通すって」
「~っ」
ニーナは右乃助の肩をポカポカ叩く。
か、次には思いきり抱きついた。
右乃助は黙ってその小さな背中を擦ってやる。
優しく、尊い時間が流れていく……
しかし、それを踏み躙る者が現れた。
あろう事が、彼女は「味方」だった。
「あれれ~? らしくないんじゃん、ウノちゃん」
色白の、端整な顔が目の前に現れる。
その瞳には殺意と狂気が渦巻いていた。
撃ち狂いのサーシュ……
右乃助は咄嗟にニーナを下げる。
付添人のクレフも彼女を庇う様に前に出た。
サーシュは可笑しそうに笑う。
「何時もならこんな危ない橋渡らないじゃん? 私の知ってるウノちゃんは臆病だけど冷酷で、自分の分相応を理解してる『魔界都市の住民』の筈なんだけどなぁ~?」
「……」
「最近、ちょっと甘くなった?」
右乃助はサーシュを睨み付ける。
怯えているニーナを庇いながら、クレフもまたサーシュを睨み付けた。
「撃ち狂いのサーシュ……我々天使殺戮士でその名を知らない者はいません。何せ我らが牧師、ジークの仇でありますから」
「んにゃ? 牧師? ジーク? ……んー?」
サーシュは首を傾げていたが、次にはポンと手を叩く。
「ああ! プロテスタントの牧師さんだ! 銀髪で色白の、眼鏡をかけたイケメンくんでしょう! アハハ! 懐かし~! ロンドンの時のだ~!」
「っっ」
「いやぁ~、かっこ良かったよジークくん♪ 万を越える天使病患者に孤軍奮闘! 部下を守るために、教示を守るために……何よりお友達を信頼していたから、ああも派手に「散る」事ができたんでしょうねぇ……キャハハ♪ いい死に様だったわよ♪ あの時は堪らなくてオ○ニーしちゃったから、よく覚えてる♪」
「この…………忌ま忌ましい魔女めがッ」
クレフは眼を血走らせて一歩前に出る。
しかし、右乃助が手で制した。
「よしてくれ、クレフさん。今は内輪揉めしてる場合じゃない。それに……サーシュの言い分もわかるんだ。特に俺についてのな」
「右乃助様、そんな……っ」
クレフに対して、右乃助は苦笑いで誤魔化す。
「気ぃ遣ってもらって悪いな。でも俺は、俺達は、魔界都市の住民なんだよ。自分のためなら平気で他者を殺められる……そんな、人の形をした魔物だ」
「……」
「決して善人じゃない。重要なのは話が通じるか、通じないか……それだけだ」
右乃助は立ち上り、簡易的な魔術で一気に服装を整える。
そして煙草を取り出し、口に咥えた。オイルライターで火を着ける。
「サーシュよぅ、俺は変わったか? 今回はたまたま善人に見えてるだけだぜ?」
「そうかなぁ?」
「報酬は貰った。護りたい理由もキッチリある。それでも不満か?」
「んー、そうねぇ……」
サーシュは後頭部で腕を組む。
「いいんじゃない? ウノちゃんが納得してるならそれで。私は同伴して依頼を終わらせるだけだにゃー♪」
「そうか」
「でもでも~」
ヌルリと右乃助に近寄り、その面を見上げるサーシュ。
「大和様みたいな真似してたら、何時か死んじゃうよ?」
「…………」
「あの人は線引きができてる。殺す時は殺すし、犯す時は犯す。でも、ウノちゃんはどうかにゃー?」
シッシッシ♪ と笑いながら離れていく。
クレフは終始苦い顔をしていた。
ニーナは心配そうに右乃助を見上げている。
右乃助は紫煙を吐きながら囁いた。
「いいんだよ、中途半端で……それが俺の選んだ生き方だから」
そんな時である。操縦室から不機嫌そうな声が聞こえてきたのは。
「喧嘩は終わったか? ったく、こんな時ぐらい仲良くやれや」
「すまねぇな参碁、もう大丈夫だ」
「くれぐれも頼むぜ。こっから先は、マジの魔界なんだからよ」
参碁はゆっくりと魔道機関車を駆動させる。
遂に入るのだ。デスシティでも三ヶ所しかない「特別指定危険地帯」……
◆◆
そこは鬱蒼とした樹木に覆われた、ドス黒い森林地帯だった。
樹木たちは捩れた枝を伸ばし、絡まったツタはまるで首吊り縄の様に揺れ動いている。
しかし何故だろうか……広大な原生林、その合間から視線を感じるのは。
触れれば質感を伴う濃霧……否、濃密過ぎる瘴気。
常人なら吸ったたけで肺が壊死してしまう陰の気だ。
アモールの眼が赤光を放つ。鋭い犬歯が剥き出しになる。
彼女の体内に流れている吸血鬼の血が反応しているのだ。
華月とパンジーは眼を固く閉じ、精神統一を行っていた。
サーシュはどこ吹く風。
あまりの気によろめいてしまうニーナを、クレフが支える。
元々の白い顔が、今や蒼白色だ。
クレフの額にも冷汗の珠が浮かんでいる。
「こんなにも禍々しいものか……」
右之助はシャツの袖を捲り上げる。
逞しい腕の表面には鳥肌が立っていた。
毛穴の一つ一つから侵入してこようとする瘴気を打ち払う様に、右之助は青色の闘気を解放する。
質の高い生命エネルギーは闇を駆逐する光の属性も兼ね備えている。
車内の淀んだ空気が浄化されていく。
那羅柯山脈に入った途端の洗礼がこれだった。
那羅柯山脈──別名「煉獄」。
此処は成れの果て達の無聊を慰める闇の揺り篭。
この世とあの世の狭間。
どの時代にも英雄偉人は存在する。
彼等は愛する家族を、友を、異性を護るために力を手に入れた。
中には見ず知らずの民のために覚醒した者もいた。
彼等は至ったのだ、超越者に。
愛や勇気を携えて。
種族の枠組みを超えて、超常的な存在に成った。
しかし、強大過ぎる力の代償はあまりにも大きかった。
愛していた家族や友から見放され、
護っていた民から畏れられ、
最終的には世界から拒絶された。
誰かを想い、戦った者の最期は、あまりにも悲惨だった。
彼等は全てを憎み闇に堕ちた。超常的な力のみを残して、怪異に変化したのだ。
そんな彼等が住む場所こそ、那羅柯山脈。
此処はかつての英雄達の安息場。超越者「だった」怪異が住まう、闇の
「超越者になったら幸せになれる? ……むしろ逆だ。その殆どが悲惨な最期を遂げている。強大な力を手に入れた代償は、途轍もなく大きいものだ」
右乃助の言葉が響き渡る。
「高潔な勇者も、慈愛に満ちた英雄も、関係ねぇ。……いいや、むしろそういう奴等が道を踏み外しちまう」
超越者になれる条件は二つ。
天賦の才能と揺ぎない個我だ。
俺はこうだ、私はこうだ。
こうでありたい、こうであろう。
そう強く想う事で至れる。
しかし、個我が揺らいでしまうと途端に力を制御できなくなる。
俺はどうしたかった? 私はどうしたかった?
何がしたかった? 何をしたかった?
自身の存在に疑問を覚えてしまったら最期、超越者は超越者でなくなる。
ただの化物になってしまう。
だから那羅柯山脈には元英雄や勇者が集っているのだ。
彼等の存在理由は他者にあって、その他者に裏切られてしまったから。
長生きしている超越者は、存在意義を自己に置いている者が多い。
典型的なのが大和だ。
「本来なら超越者になんて成るべきじゃねぇんだ。でも此処にいる奴等は……なるしかなかった」
哀愁の念が漂う。
右乃助が超越者にならない理由がこれだった。
「ニーナ……お前はそれでも、超越者になりたいのか?」
「……っ」
ニーナは首を強く横に振るう。
次に右乃助を見つめた。
右乃助は彼女の想いを悟り、苦笑する。
「そうか……なりたくないけど、なるしかねぇんだよな」
右乃助はニーナの頭を撫でる。
慈しみを込めて。
「お前は強くて、優しいな……俺とは大違いだ」
「……っ」
ニーナは顔を俯ける。
右乃助はそっと手を離すと、車窓に視線を移した。
「渓谷か……完全に領地に入ったな。早速見られてる」
低速走行している魔道機関車に横並びになっている巨大百足……カチカチと足の関節を鳴らしている。
とんでもない大きさだ。まだ尾の先が見えない。
次に映ったのは巨大な女の顔だった。見惚れるほど美しいが、同じ顔が周囲に何十個も貼り付いている。
皆一様にケタケタと笑っていた。
これが巨大百足の顔面である。
他にも下半身しかないドラゴン、全身が腐っている巨人、鬼の顔が付いた車輪など……様々だ。
百鬼夜行という言葉が相応しい。
彼等こそ那羅柯山脈の住民……元英雄たちである。
右乃助は顔を青くしながらも、強く告げた。
「畏れるな、呑み込まれるぞ。平常心を保て」
各々、必死に平常心を保つ。
ニーナはクレフの足に抱きつき、目をつむっていた。
右乃助は濃くなっていく瘴気を祓う様に車内に青色の闘気を巡らせる。
そんな時である。異物を発見したのは。
「!!?」
右乃助は車内にある食器棚を思いきり開ける。
皿の横に莫大な魔力が込めれている指輪が転がっていた。
「この指輪は……そうか! そういう事か!」
右乃助は己の浅はかさに舌打ちする。
よくよく考えればわかる事だった。
何故、マイク達が魔道機関車を襲撃できたのか……
魔道機関車の線路沿いには東区と北区の頭領が超高密度多重障壁を展開している。
東区の頭領といえば万葉、北区の頭領といえば無月。
妖魔王に世界最強の呪術師と、EXランクでも上位に君臨している規格外達だ。
そんな二人が展開している結界を、マイク達「程度」が破れる筈がない。
しかし、この指輪があれば可能だ。
ソロモンの指輪の一つ、第一滅式「ゲーティア」。
有象無象一切合切を破壊する、ソロモンの象徴的な術式である。
コレは模造品だろうが、それでも十分過ぎる。
ソロモンはルプトゥラ・ギャングにこういった物をいくつか渡しているのだろう。
全ては、イスラエル覚醒の可能性を潰すために……
もしもこの指輪の力が解放されれば、タダでは済まない。
魔道機関車は消滅し、那羅柯山脈の地形が変わる。
それはなんとしても防がねばならない。
右乃助は考えるも、それを許さないとばかりに指輪が輝きはじめた。
「ヤベェ!!」
右乃助は指輪を掴み、車窓を空けて外に飛び出る。
「師匠!?」
「右乃助さんッ!!」
車両の上に着地した右乃助は指輪を右手で握りしめた。
「さっきの交戦中に「見えざる手」で仕込みやがったか……マイクの野郎、やるじゃねぇか」
苦笑いを浮かべると、右拳にありったけの闘気を込める。
残り僅かの三羽烏から貰った加護も注ぎこんだ。
「派手な花火になっちまうが、しゃあねぇ!!」
右乃助は右手首を手刀で切断し、上空に思いきりぶん投げる。
数秒後、暗雲立ち込める空に特大の光輝か迸った。
次元断裂を起こしてしまうほどの大爆発。その威力は筆舌に尽くしがたく、余波だけで魔道機関車が傾いてしまう。
右乃助のありったけの闘気と加護を全て注ぎ込んでもコレなのだ。何の抑えもなかったらひとたまりもなかった。
「師匠!! なんて無茶を!!」
「右乃助さん! もう、加護が……っ!」
香月とアモールが駆け付けるも、既に事は終わっていた。
……いいや。始まったと言ったほうがいい。
「お前ら……今すぐ車両に戻れ。まだ間に合う」
右乃助は唸る。
完全に包囲されていた。
誰に? この土地の住民たちにだ。
妖魔達から埒外の圧力を向けられる。
右乃助は手遅れだと悟り、二人を庇うように抱き寄せた。
絶体絶命だった。