数分後。
大和と斬魔は裏区に赴こうとしていた。
裏区は中央区と対を成す真逆の世界である。
悪逆、淫売、麻薬、汚染──
デスシティの濃厚な
厳重なバリケード、有刺鉄線の壁を超え、大和達は裏区に続く小道を進んでいく。
しかし、小道には既に裏側の空気が滲んでいた。
怪しい屋台が両脇にズラリと並んでいる。
経営しているのは薬剤師という名の麻薬売人達。
薬品の内容は肉体強化薬、精神覚醒剤、媚薬、各種毒薬。
他にも密輸&魔改造が施された銃器。スタンガン、応急キット、催眠スプレーなど──
曰く付きには事欠かない。
行き交う者達は厚化粧の情婦、刀剣を携えたヤクザ、妖物。
何より、臭い。
数多の劇薬と血、オイル、そして愛液が混じり合った──悪臭。
慣れない者が嗅げば嘔吐してしまう。
女の喘ぎ声と断末魔が、同時に聞こえてきた。
「ひでぇな。スラム街が天国に見える」
囁く斬魔。
彼は前を歩く褐色肌の美丈夫に聞いた。
「それで──大和、俺はこれからどうすればいい?」
「あ?」
大和は振り返ると、斬魔の背負っている黒金の棺桶を見つめる。
「そうさな、まずはお前の背負ってる棺桶の中にいる奴を紹介して貰おうか」
「そうくるか」
苦笑する斬魔。
隠すつもりはないのだろう。
「オーケー、紹介する」
斬魔は棺桶を地面に下ろす。
ズドンと重厚な音を鳴らして直立する棺桶。
その中から、白薔薇と一緒に類稀な美女が現れた。
「全く……ロクに休眠できなかったわ。相方もそうだけど、この都市は色々と酷いわね」
苦言を漏らす美女。
その肌は、舞い散る純白の花弁よりも白かった。
瞳は水晶玉の様で、唇の色素は極端に薄い。
服装は濃紺色のロングコートに漆黒のブーツ。
首に巻かれた水色のスカーフが靡く。
耳元で輝く逆十字のイヤリングは儚ささえ感じさせた。
しかし、ロングコートの上からでもわかる肢体は妙に生々しい。
周囲がざわめきだす。
ただでさえ、大和と斬魔は悪目立ちするのだ。
そこにもう一名、稀有な美女が加わったとなれば──
魔界都市とは言え、ここまでの「美」を誇る者達が集うのは稀。
故に、周囲は騒然としていた。
当の美女は野次馬達を一瞥すると、大和に振り返る。
そして、青白い唇を動かした。
「はじめまして。キミが今回、私達の補佐をしてくれる殺し屋ね?」
「~♪ こりゃまた、大層な別嬪さんだ」
口笛を吹く大和に対し、美女は淡々と告げた。
「私の名前はえりあ。後ろの馬鹿の補佐役を務めているの。よろしくね」
◆◆
野次馬達が集う中、大和は意味深な流し目をふり撒いた。
途端に、野次馬達は蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。
大和は、別に威嚇したわけでは無い。
この都市において、大和という存在はそれ程までに恐れられているのだ。
「さて、煩い奴等もいなくなったし……」
大和は改めて、青き美女──えりあに向き直る。
そして、そのきめ細やかな指を手に取った。
「どうだい? この任務が終わった後、俺と甘い一時を過ごすってのは……天国へ連れてってやるぜ?」
美女であれば誰でも口説く。
それが大和という男だ。
タチが悪いことに、それを成せるだけの美貌を大和は持っている。
何より、その言葉に嘘偽りが全く無い。
実際に満足させているのだ。
あらゆる種族の女を──
大和に抱かれて不満を抱いた女は、今まで一人としていない。
しかし、それは「抱かれれば」の話である。
現に、斬魔がこれ見よがしに肩を竦めた。
「やめとけって大和。「俺」のパートナーだぜ。美貌だけで堕とせるような女じゃねぇ」
斬魔の発言とほぼ同時──
大和の頬に銃口が付きつけられた。
淡く銀色に輝く自動拳銃。
しかし、女の得物にしてはあまりに物騒だった。
世界最大の拳銃、デザートイーグルより尚大きい。
全長35センチ、重量12キロ、装弾数8発。
対天使病拳銃「Danse Macabre」
専用弾「祝福儀礼済み13mm劣化ウラン弾」は、デスシティの化物達を容易く仕留めてみせる。
銃身を彩る薔薇のレリーフは、持ち主がどういう女であるかを暗に物語っていた。
えりあは大和の頬に銃口を突きつけたまま言う。
「誘ってくれるのは素直に嬉しいけど、キミみたいなケダモノと寝るのは少しね……」
「口説いただけで銃口を突きつける女に、ケダモノたぁ言われたくねぇなァ」
嗤う大和。
えりあの表情は変わらない。
「言ってくれるじゃない。こうでもしなきゃ、キミはもっと先へ進もうとするでしょう?」
「一発だけでいいからよ」
「早く退きなさい。ほっぺに風穴開けられたいの?」
声音に怒気がこもる。
すると、大和は意外なほど早く身を引いた。
「参ったなコリャ。まるで薔薇……棘が鋭くて触れやしねぇ」
両手を上げて降参のポーズをするも、大和は好奇で瞳を揺らめかせた。
「だが、男ってもんは袖に振られるほど滾るもんだ。えりあ、だったか? 覚悟しとけよ」
子供のように無邪気でいて。
それでいて、百戦錬磨の男娼の如き笑み。
えりあは思わず溜息を吐いた。
「……全く、噂以上の女っ垂らしね。うちの馬鹿が影響を受けなければいいのだけれど」
えりあは相棒──斬魔に向き直る。
斬魔は神妙な顔付きで大和を見つめていた。
「なぁ、大和」
「あ?」
首を傾げる大和に、斬魔は緊迫した声音で問う。
「おっぱいは、好きか?」
「当たり前だろ?」
「……」
「……」
「「HAHAHA!」」
唐突にハイタッチを交わす二人。
何か通じるものがあったのだろう。
斬魔は快活な笑顔で言う。
「流石だぜ大和! やっぱ男は美女! 酒! 煙草だよな!」
「わかってるじゃねぇの」
「なぁ大和! 俺行きてぇ場所があるんだよ!」
斬魔は懐から雑誌を取り出す。
雑誌の表紙は際どいボンテージを着たサキュバスのお姉さんが飾っていた。
タイトルは『今日は眠らせない!! デスシティま〇ま〇ガイド!!』
斬魔は鼻息を荒げながらページをめくり、ある項目を指す。
「この「プッ〇ー・キャット」って高級娼館! 色々な種族の美女美少女が揃ってんだろう!?」
「そこならよく行くぜ、お勧めだ」
「マジか~ッ、なぁなぁ! この店にゃぁ、色気ムンムンのエルフ姉ちゃんとか、あざといケット・シーのお嬢ちゃんとかも居るのか!?」
「大概揃ってる。あの店は品揃えがいいからなァ……なんなら任務の後、一緒に行くか?」
「マジでか!?」
斬魔は子供の様に目を輝かせる。
「行く行く! ぜってぇ行く! てか今行きてぇ!!」
「なら今から行くか。一日くらいいいだろ」
「いいねぇ! さすが大和!! ノリがいいねぇ!!」
「おうさ! 早速行こうぜ!」
「おう! デスシティで一夜のアバンチュール! 楽しませてもらうぜ!」
ジャキン、と。
大和と斬魔の顎に銃口が突き付けられた。
二人の眼前には、えりあが佇んでいた。
彼女は絶対零度の視線を二人に向けている。
「楽園に行きたいの? なら行かせてあげるわよ? 物理的に」
「……」
「……」
「任務中よ。真面目になさい」
「「……へーい」」
有無を言わさない圧力に、大和と斬魔は引き気味に返事をした。
「……ふんっ」
えりあは不機嫌そうに鼻を鳴らし、踵を返す。
濃紺色のロングコートが翻り、腰辺りに二丁拳銃が収納された。
その仕組みは大和を以てしてもわからない。
ズカズカとブーツを踏み鳴らして先へと進んでいくえりあ。
大和と斬魔は、揃って肩を竦めた。
◆◆
裏区。
此処はデスシティの負の側面を端的に表している場所だ。
ケバケバしいネオンが点滅を繰り返し。
獣人族の中でも「ケモノ」と揶揄される半人半獣がたむろしている。
カマキリの蟲人が得体の知れない肉に食らい付き、身体障害者が不自由な身体を引きずっていた。
騒動が起こる場所では、数名のヤクザが麻薬売人達を公開処刑していた。
彼等はここら一帯を治めるヤクザ、
骸道会は裏区を長年縄張りにしている武闘派&極悪ヤクザだ。
此処は最果ての最果て。
力の弱い者が、更に力の弱い者を求めて訪れる掃きだめ場。
瘴気と共に漂ってくるのは激烈な悪臭。
麻薬と糞尿、そして廃棄物が、鼻が腐るほどの悪臭を生んでいるのだ。
住民達は強烈な香水で誤魔化しているが、この腐乱臭は誤魔化せるものではない。
糞にたかる魔虫「豚虫」が不気味に蠢いていた。
が、途端に物陰に隠れる。
この虫は臆病な事で有名だ。
身の危険を感じ取ったのだろう。
同時刻、三名の美魔人がこの地に降り立った。
褐色肌の美丈夫。影すら美しい美男。そして、死人を連想させる美女。
三名の美貌は、荒んだ住民達の心を好奇と欲情で慄かせた。
三名の内、褐色肌の美丈夫が顔を歪めた。
此処に足を踏み入れた直後だ。
彼は鼻を摘みながら叫ぶ。
「くっせぇぇぇっ、マジでくせぇ。カーッ」
嫌悪感を隠そうともしない。
褐色肌の美丈夫──大和は盛大に咳き込んだ。
「ゴホゴホッ……! ア~クソッ、お前等、大丈夫か?」
大和は振り返る。
すると、青を纏った死美人が無愛想に告げた。
「ええ。大丈夫よこれ位」
死美人──えりあは全く表情を変えない。
彼女は淡々と大和に問う。
「で、どうして此処へ来たの? 理由はあるのかしら」
「あ?」
大和は片眉を上げた。
「何だお前、棺桶の中で聞いてなかったのか?」
「眠っていたのよ。再度、説明願えないかしら」
「ハァ……」
大和は面倒臭そうに溜息を吐きながらも、説明する。
「此処に天使病を研究してる奴がいる」
「天使病の研究?」
「患者から霊子型ナノマシンを抜き取って、人造天使を製造してるんだ」
「……」
えりあの双眸が僅かに細くなった。
彼女から嫌悪感を感じ取った大和は、念を押す。
「余計な真似はすんなよ」
「……しないわよ。私達の役目は天使病の患者の抹殺、そして根源の排除。ただそれだけ」
「そうか。安心した」
大和は表情を和らげる。
「お前の相棒も同じ様な事を言ったからな。でも確認だけはさせて貰ったぜ」
「……そう」
えりあは小さく相槌を打つ。
彼女はふと、ロングコートの下から大きめの瓶を取り出した。
「一応サンプルを持参してきたのだけれど、役に立つかしら」
瓶の中にはグロテスクな怪物が収められていた。
赤子ほどのサイズで、蟲のような複眼を持ち、身体中から純白の翼を生やしている。
頬から牙が幾つも突き出しており、手足の関節も異様に柔らかい。
大和は顎を擦る。
「それが──」
「今回の特異な天使病の患者、その一部よ。分裂したから、その一匹を収めたの」
「カーっ」
大和は瓶に収まるバケモノを気持ち悪そうに眺めていた。
「やっぱキメェな。天使病の患者は」
「全員そうよ」
冷たく告げたえりあは瓶をコートの内側に戻す。
先程の二丁拳銃といい、彼女のロングコートは異次元ポケットか何かなのか──
気になった大和だが、追求はしなかった。
彼は首を傾げる。
「そういやぁ、相棒はどこ行った? 後ろにいねぇぞ」
「……」
えりあは振り返る。
そこに居る筈の斬魔がいなかった。
代わりに、調子に乗った笑い声が聞こえてくる。
「HAHAHA! おいおいベイビー達! そう擦り寄るなって! 俺の身体は一つしかねぇんだぞ!」
少し離れた場所で。
亜人の娼婦達に囲まれている斬魔がいた。
彼は黄色い歓声をあげる牝達を両手で囲んでいる。
「…………大和。少し待ってて頂戴。すぐに戻るから」
「ん」
大和は頷く。
えりあはズカズカとブーツを踏み鳴らし、斬魔の元まで歩み寄った。
斬魔は相棒の存在に気付いて、ヘラヘラと笑う。
「どうしたえりあ、今取り込み中なんだ。後にしてくれ」
「何をしているの?」
「可愛いベイビー達を囲んでんだ」
「質問を変えるわ。何をしようとしているの?」
「そりゃお前、この後ホテルで「ケツ出して並べ」的なことを……」
ゴシャリと、鈍い音が立った。
えりあの拳が斬魔の顔面にめり込んだのだ。
慌てて逃げていく娼婦達。
斬魔は倒れて痙攣している。
えりあは無様な相棒を引きずって、大和の元まで戻って来た。
「お待たせ」
「面白れぇ奴だな。お守が大変そうだ」
「キミが言えることかしら?」
「だから俺は普段、単独行動なんだ」
「……」
えりあは斬魔から手を離すと、右腕を指す。
そこには真紅の、逆十字の紋章が入った腕章が巻かれていた。
「これは補佐の証。天使殺戮士は普段二人一組で行動するの。私の仕事は、この馬鹿の面倒を見ること」
「なんだ、恋人じゃねぇのか?」
「…………わかってて言ってるわよね?」
「冗談だ。んな不快そうな顔すんなって」
眉間に大層な皺を寄せるえりあに対し、大和は仰々しく両手を広げる。
すると、今まで倒れていた斬魔がよろけながら立ち上がった。
「ま、前が見えねぇ……ッッ」
顔面が陥没していた。
こうなれば自慢の美顔も形無しである。
えりあは冷たい眼差しを大和に向け、忠告する。
「キミも、ふざけた真似したらこうするから。真面目に仕事をしてね」
「へいへーい」
「……はぁ」
えりあは少し疲れたのか、小さく溜息を吐いた。
◆◆
暫く歩いていると、三名の視界に厳かな建造物が入ってきた。
近未来を彷彿させるドーム状の建物は、まるで要塞。
濃紺色に輝く表面は未知の金属で形成されているのか、圧倒的な質感を誇っている。
高圧電流を常に循環させている有刺鉄線が侵入者を許さない。
更に監視カメラを、ざっと千台弱。
それも、不可視である筈の霊体までも察知する超高性能タイプだ。
ふと、敷地内に偶然入った肉食性の
敷地内に張り巡らされた不可視のレーザーの網。
そして、各所に設置された50口径の全自動式レーザーライフル。
それらを一身に受けた鴉は、悲鳴を上げる事もできずに蒸発したのだ。
「スゲェな。宇宙人でもいんのか?」
「宇宙人のほうがマシだぜ」
斬魔の軽口に大和は鬱屈げに答える。
今度はえりあが問うた。
「ここにいる人物が、天使病の研究をしているの?」
「まぁ、研究内容の一つに「天使病」が入ってるだけなんだけどな」
「どんな人物なの?」
「……」
大和はえりあ達に振り返る。
「
大和は向き直り、歩みを再開する。
「まぁ、ここで立ち話をする必要もねぇだろ。事情を説明すりゃあ中に入れてくれるだろうし、さっさと行こうぜ」
大和は数歩進む。
しかし、返事が無かったことに違和感を感じて再度振り返った。
斬魔とえりあは消えていた。
隠れた訳ではない。その程度なら大和にもわかる。
「……アイツ等、どこ行ったんだ?」
大和は思わず首を傾げた。
◆◆
真紅の満月が、二名の頭上で不気味に輝いていた。
デスシティに月は現れない。
大気圏は瘴気と有毒ガスに覆われている筈だ。
「オイ、えりあ……」
「……」
斬魔とえりあは現状を察する。
先程とは、居る世界が違う。
デスシティとは全く別の世界に「連れ込まれた」
暁に照らし出されたのは西洋風の建物。
地面は数多の白骨で埋め尽くされていた。
何処からともなく笑い声が聞こえてくる。
「クククッ……」
「あの青い女は俺のもんだ」
「ならあの可愛い坊やは私のものよ」
「ほざくな。二人とも俺が頂く……」
「キヒヒッ……」
「美味しそう……っ」
粘り付いた声。
複数の嘲笑。
おどろおどろしい欲望が狂気となって、斬魔とえりあに纏わりつく。
濃密な血臭を嗅ぎ分け、斬魔は苦笑した。
「魔界都市たぁよく言ったもんだぜ。マジで魔界だな、ここぁ」
「減らず口を叩く前に、構えなさい。来るわよ」
えりあは既に二丁拳銃を取り出していた。
斬魔は黒金の長物で肩をトントンと叩く。
「殺すなよ。天使病の患者以外を殺すのは、俺達にとってタブーだ」
「殺さなかったらいいんでしょう? 半殺しならOKだわ」
ドライな相棒に、斬魔は肩を竦めた。
「オーイお前等、逃げるなら今の内だぞー」
斬魔の忠告は無意味だった。
魔界都市の住民達が躍り出る。
二人を凌辱し尽くさんと迫る。
斬魔は溜息を吐いた。
「……忠告はしたぜ。後で泣きべそかいても知らねぇからな」
斬魔とえりあは得物を構える。
二人は超犯罪都市から洗礼を受ける事になった。
この都市に要求されるものはたった一つ。
「力」だ。
弱肉強食。
弱者に生きる価値はない。
正義を貫いても構わない。
悪を謳うのも構わない。
ただし、強くなければならないのだ。