長い長い旅が終わりを迎えた。経過したのは半日ほどだろうが、密な内容が体内時計を狂わせている。沈みかけている夕暮れを拝む事で、ようやく心の整理がついた。
あふれ出る疲労感がとてつもない。長らく用心棒をやっている筈の右乃助が、膝をふるわせていた。彼は思わず苦笑する。
思い返せば、生きているのが奇跡といっても過言ではない。まるで伝説上の神話の時代の戦争。正直、何度死を覚悟した事か……。
右之助は改めて、自分がただの人間である事を思い知らされた。
山を持ち上げられても、光速で移動できても、所詮は人間なのだ。
膝を叩いて立ち上がる右乃助。東西南北の区に被害が出ているが、夜になれば元通りになるだろう。此処は魔物の楽園、邪神の王の無聊を慰める闇のゆりかごなのだから。
「ねぇ、右乃助」
振り返ると、凄絶な色気を醸している美少女がいた。ニーナ・イスラエル。この時代の救世主になるかもしれない存在……。
右乃助は適当な言葉を並べる。
「お疲れさん。いやはや、救世主はオーラからして違うな。眩しくて見てられないぜ」
「そんな嫌みったらしい性格だったかしら? ああ……もしかして遠慮してるの?」
「依頼は終わった。俺達は帰るぜ。お前も、元いた場所に帰りな」
「嫌よ」
「何故だ?」
右乃助は内心舌打ちした。サングラスをかけているのが幸いだった。
ニーナは彼に近寄り、その袖を掴む。
「まどろっこしいのは嫌いなの。この際ハッキリ言うわ。私の従者になりなさい」
「嫌だ」
「無理矢理にでも連れていくわ。そうでもしないと、貴方はこの都市から離れそうにないから」
「……よせ、ニーナ」
聞いた事もない声に、ニーナはたじろいだ。
「どこまでいっても俺は屑だ。誰かを殴って、殺して、金を貰ってる」
「……」
「だがお前は違う……わかるだろう?」
ニーナは黒真珠のような瞳に涙を浮かべた。返す言葉が見つからないのだ。
「お嬢様……」
クレフは首を横に振っていた。
ニーナは認めたくなかった。子供のような我が儘だった。
右乃助はやれやれと肩を竦めると、彼女を抱き寄せ、頭を撫でる。
「泣くな。……また何処かで会えるさ」
「っっ」
涙が溢れてくる。右乃助はそっとハンカチを渡すと、背を向けた。
「じゃあな」
「……右乃助!」
ニーナは上擦った声で叫んだ。右乃助は振り返らない。
「このハンカチ、必ず返しに行くわ! だから……また会いましょう!」
右乃助は手をあげて応じる。その横に香月とアモールが並んだ。
ニーナは受けとったハンカチを愛おしげに胸に当てる。
住む世界が違う……しかし、また何処かで会える。
今は、それだけでよかった。
◆◆
今宵、大衆酒場ゲートは祝勝会でおおいに盛り上がっていた。あれほどの激戦を制したのだ。達成感が凄まじい。今は種族性別関係なく、皆で喜びを分かち合っている。
「さぁ!! 踊るわよーっ!!」
「やりましょう!!」
「頑張ります!!」
「キャハハ♪」
パンジー、香月、アモール、サーシュの四人は派手なダンスを踊っていた。エルフ、ダークエルフのバンドがヘビーなロックを刻み、吟遊詩人たちがお洒落なジャズを奏でる。互いの長所を潰さず魅力を引き出す、デスシティならではの音楽だ。
「舞踊か。俺も心得はあるぜ~!」
「面倒くさ……俺、あっちで肉食ってる」
「なにぃ!?」
慌ててトムを引き戻そうとする八百万だったが、パンジーとサーシュに満面の笑みで捕まり強制連行される。その様子を見ていたAクラスの殺し屋たちは手を叩いて笑っていた。
今宵のお代は魔界都市交通株式会社、並びに東区と北区の頭領がもってくれる。故に皆遠慮しない。疲れるまで踊り、腹が痛くなるまで飲食する。
浮かれて飛び回っている子供幽霊たちをなんとか落ち着かせた青年オークは、彼女たちを見守りながらビールを飲んでいた。
半ば無理矢理ダンスに参加させられた何でも屋は、諦めてノリと勢いで踊りはじめる。
寡黙な殺し屋は端っこで一人ワインを嗜んでいた。
厨房は激戦区。どんどん料理を作って運んでいく。癖の強い店員たちがせわしなく店内を走り回っていた。
カウンター席の一角は、驚くほど静かだった。今回の主役である右乃助と大和が並んで座っている。
「で、どうだった? 世界の命運を懸けた戦いに身を投じたのは」
「もうやりたくねぇよ。あんなの命がいくつあっても足りねぇ」
「ハッハッハ! 最初だけだ! 何回かやってりゃ慣れる!」
そんな訳ないだろ、と右之助は内心ツッコんだ。
しかし相手は闇の英雄王。神話の時代から現在に至るまで、何度も世界を救ってきている。
言ってる事は間違っていないのかもしれないが、到底理解できるものではなかった。
右乃助は焼酎を口に含む。
「空手屋が助けに来てたな。お前の兄弟弟子だったか? 酒場にはいねぇみてぇだが……」
「薫の事か? ……アイツは根っからの求道者だ。こういう雰囲気は好きじゃねぇんだろう」
「ふぅん」
薫……救援に来てくれた四大魔拳、
「近代の武術家として、あの在り方は一種の理想像だ。……よくあの頑固者を呼べたな」
「兄弟弟子の縁を利用しただけだ」
「……いや、お前じゃなかったら応じなかっただろうぜ」
右乃助は目を見開く。まさかその様な言葉を貰えるとは思ってもみなかったからだ。
「あーん大和さまぁん♡ そんなむっさい男と話してないで、私を見てぇ♡」
猫なで声を上げて大和の胸板を撫でる美少女。
炎の精霊王、イフリート。ルプトゥラ・ギャングに雇われていた傭兵だ。
彼女は大和の腹筋に自分の股をいやらしく擦り付ける。
「約束通り、無事生還できましたぁ♡ ご褒美くださぁい♡ かわいがってぇ♡」
まるでマタタビに酔った猫の如く、魔性の色香にあてられている。大和は嘲笑を浮かべると、雌猫の頭を撫であげた。
「約束通り、可愛がってやるよ」
「はにゃぁぁん♡」
表情を蕩けさせるイフリート。大和はスマホを取りだし、今しがた届いたメールを見た。そして灰色の三白眼を細める。
「うまく治まったか……」
同時に、背後から誰かに抱き着かれた。
「流石だなぁ、大和の旦那♪」
「参碁か……何の事だ?」
「とぼけんなって。社長から聞いたぜ? 敵勢力、ぜぇんぶ丸めこんだんだって?」
耳元に熱い吐息がかけられる。頭にタオルを巻いた厳つい美女、参碁。
大和は面倒くさそうに言った。
「異端審問会、ルプトゥラ・ギャング、ネオナチス。三勢力とも、根に持つタイプだ。特にネオナチスなんか、何言っても聞きゃあしねぇ。だから売ったんだよ」
「何を?」
「俺自身を」
大和は笑う。
「一回限りの、無料の絶対依頼権限をくれてやった。ほんとはもっと高く付く予定だったんだが、三勢力とも納得してくれた。……安く付いたぜ」
「……マジで、どんだけだよ。ここまで出鱈目だと惚れ直しちまうなぁ♡」
参碁は溜め息を吐く。
一方、右乃助は信じられないといった顔をしていた。
あの大和が、誰かのために己を売った?
言葉も出せないでいる右乃助を傍目に、女たちは喧嘩をしはじめる。
「ちょっと、失せなさいよ筋肉達磨。大和様にその汗くささが移ったらどーするワケ?」
「るっせぇぞ火の玉ロリ。テメェこそ失せろや。いっぱしに女気取ってんじゃねぇ」
「ハァ!? 火の玉ロリ!? ざっけんじゃないわよこの糞ゴリラが!!」
「アア゛!? 殴り殺すぞ糞餓鬼!!」
「うるせぇ、静かにしろ」
静かな声音だったが、それだけで二人は黙る。
大和は彼女たちの頭を撫でた。二人はすぐに雌の顔つきになる。
我に帰った右乃助は大和に聞いた。
「なぁ、大和……っ」
「なんだ?」
「……いや、なんつうか、その……なんでお前がそこまでしてくれるのかなって」
「そうだなぁ……」
大和は目を閉じる。
「面白ぇもんを見させて貰った、俺なりのサービスだよ。……いい喜劇だったぜ、右乃助」
彼は続けて言う。
「人の強さは心の強さ。 今まで築き上げてきた信頼が功を成す……誰かが言ってた言葉だが、あながち間違っちゃいねぇ。お前を見てると、そう思う」
大和はテーブルに勘定を置くと立ち上がる。イフリートを腕に抱き、参碁の肩に手を回して歩きはじめた。
「さぁて。やる事は終わったし、お楽しみといこうか」
「やったぁ♡」
「なぁ旦那、死織の奴呼んでいいか? アイツ、なんでか落ち込んでてよぉ。唇奪われたーっ、とかなんとか」
「ハァ? 唇ぅ? ……あぁ、イスラエルの餓鬼か。ご先祖様のそーゆー部分も受け継いでるワケね。面倒くせぇ……。オイ、死織に連絡しとけ。上書きしてやるからさっさとウチに来いって」
「りょーかい♡」
去っていく大和の背中に、右乃助は慌てて声をかけた。
「大和っ!!」
「あん?」
「……ありがとうなっ、助けてくれて」
右乃助の誠意のこもった礼に、大和は軽い笑みを返す。
「気にすんな」
それだけ言って去っていった。
右乃助はその背中を最後まで見送る。
ふと、パンジーたちに声をかけられた。一緒に踊ろうと誘われる。最初は断ろうとしたが、肩を竦めてそちらに向かった。
考えたい事、振り返りたい事、山ほどある。
しかし今は戦友と共に喜びを分かち合おうと、そう思ったのだ。
……今宵の大衆酒場ゲートは、何時にも増して賑やかだった。
人の強さは心の強さ。 今まで築き上げてきた信頼が功を成す。
強さとは、決して目に見えるものだけではない。
右乃助もまた、強い男だった。
《完》