ゼクスは早々に理解した。勝てない事を。
目の前の褐色肌の男には、どう足掻いても勝てない事を。
であれば、勝つ必要はない。時間を稼げばいい。背後の若者たちを逃がせるだけの時間を作れればいい。
五体満足で成せないのなら、命を懸ければいいだけだ。この命は、既に価値のないものだから。
明日を生きる若者のために死ねるのなら、本望だ。
「ごちゃごちゃと考えてるなぁ、しかし隙がねぇ。……軍人。それも相当場数を踏んでる」
『……貴公は、人間ではあるまい。会話できるのすら驚いているよ』
「カッカッカ! 一応人間だぜ! 一応なァ!」
大和は笑いながら超高層ビルをバットの様に薙ぎ払う。
誰が想像できるだろうか? 人間が500階建ての建造物を腕力だけで振り回すところなど……
まるで人の形をした天変地異。
夢でも見ているのかもしれない。しかし体は勝手に動く。戦場で生きてきた肉体が自然と脅威を避けようとしている。
意識もまた同じだ。夢を見ている、という感想を客観的に捉えている。
目の前の災害に、ほぼ総ての集中力を使っている。
(サンダルフォンを完全自動制御モードにするか? その方が視野を広げられる。……いいや、駄目だ。このレベルの存在にそれは自殺行為。全て読まれた上で叩き潰される。……であれば、要所要所でオンオフを切り替えていくしかない。幸い、サンダルフォンの修復機能は高い。エネルギー残量にも余裕がある)
ゼクスは、異世界では間違いなく最強の軍人だった。経験、才能、頭脳、判断力。おおよそ軍人に必要な全てを持ち合わせている。
サンダルフォン初号機の性能もあり、彼が本気を出せば大和をその気にさせる事ができた。
しかし足枷がある。それも、酷く重たい足枷だ。
『なんで!? サンダルフォンが言う事をきかない!! なんでよぉ!!』
『ハッキングされてんのか!? クソ!! このポンコツ!! さっさと動けよ!!』
背後の若者たちだ。
所詮、サンダルフォンに乗れる適性があるだけの素人。この危機的状況で、喚き散らす事しかできない。
ゼクスは邪魔だと思いながらも、大人の責務だと押し殺す。
大和は超高層ビルを担ぎながら、酷薄な笑みを浮かべた。
「放っておけよ、後ろの餓鬼共なんざ」
『……』
「お前がその気になれば俺をそれなりに楽しませる事ができる。それだけの力が、お前にはある」
『……彼等は、サンダルフォンに乗れるだけの子供だ』
「そいつら、その兵器で人を殺しただろう?」
『…………』
「だったらそいつらはもう子供じゃねぇ、軍人だ。責任を負わせろ」
『……いいや、すまない。やはり私は、彼等を護るしかない』
「堅物が……後悔するぜ」
『もうしているさ』
ゼクスは笑った。空っぽな笑みだった。
大和の言う事が真実だとしても、彼は戦うしかなかった。
◆◆
丁度三分経った。
ゼクスは戦い抜いた。文字通り命を懸けて。窮鼠猫を噛むとはよく言ったもので、ゼクスは大和に何度も食らいついた。
最も、猫は猫でも虎であったが……
力の階梯が違う。
大和は結局、手持ちの武具を一切使わなかった。闘気で強化した超高層ビルや電柱を振り回していただけだった。
そもそも、大和は真面目に戦う必要がなかった。
今回の目的は誰かを殺す事ではなく、異世界にいる人類に復讐する事だから。
故に、素直に、ゼクスを称賛する。
有言実行した事に対して。何より、自分相手に三分間も戦い抜いた事に対して。
「異世界の住民にしておくのは勿体ねぇ。そこらの自称殺し屋よりよっぽど腕が立つ」
「……褒め言葉として受け取っていいのか?」
「ああ、俺にしては褒めてるほうだ」
「……なるほど」
ゼクスは苦笑する。既にサンダルフォンから引きずり下ろされ、鎖分銅で拘束されていた。サンダルフォンは、同じく鎖分銅で雁字搦めにされている。
ゼクスは焦土と化した周辺を見渡す。
半径数十㎞が火の海に沈んでいた。その瞳に写る炎は、妖しくも高々と燃え上がっている。
彼は、絶望していた。
何に対して? この都市についてはなんの心配もしていない。そもそもの構造が違う。住民についても同じだ。
であれば、これから先の事に対して?
違う。彼は軍人だ。死ぬ覚悟などとうにできている。
「嫌だ……嫌だっ!! 死にたくない!! 助けてください!! ゼクス大尉!!」
「お願いします!! ゼクス大尉っ!! 俺は、まだ死にたくないんです!!」
原因はこれらだ。
彼等はゼクスが奮戦している最中にサンダルフォンから降り、そそくさと逃亡。案の定すぐに捕まった。
それだけならまだいい。
問題は、揃って死にたくないだの助けてくださいだのと喚いているところだ。
呆れを通り越して憎悪すら覚える。
悪意をもって竜人族を滅ぼした癖に、命の危機となれば無様に命乞い……
ゼクスは今になって、ようやく自分に素直になれた。
「ファイン少尉、ギラ少尉」
「ゼクス大尉!! ああ!! お願いです!! 戦ってください!!」
「俺達には貴方しかいないんです!!」
「最後の命令だ。その汚い口を閉じろ」
「「……え?」」
「二度は言わん。軍人として、いいや、一人の人間として、報いを受けろ。俺も受ける」
「そ、そんなっ!!」
「嫌ですよ大尉!! 俺たちは!!」
騒ぐ二名の顔面を、大和は下駄の裏で蹴り抜く。子供であろうが女であろうが関係ない。ムカつく奴は蹴りとばす。
鼻の骨が折れ、歯が何本も弾け飛ぶ。
あまりの激痛に悶絶している二名を無視して、大和はゼクスに聞いた。
「ゼクスとやら。お前は竜人族の滅亡に加担していたのか?」
「帝国の軍人だ。加担しているに決まっているだろう」
「そうじゃねぇ。直接、その手で、竜人族を滅ぼしたのかって聞いてんだ」
「…………していない。職務放棄した。俺にはできなかった」
「なるほど、だろうと思った」
大和は笑った。嬉しそうな笑みだった。
「なら見てな、今からはじまるぜ。宴が」
大和は空を見上げる。その笑顔に潜む邪悪さに惹かれ、ゼクスも空を見上げた。
見たこともない異形の大群が異世界に通じるゲートに群がっていた。
凶悪な殺し屋が、凄腕の傭兵が、人食いの化け物が、重装備のサイボーグが、屈強な軍団が、恐ろしい集団が、ゲートへ一直線に飛んでいっている。
数万、数十万……いいや、それ以上か。
どこにそれだけの人数が隠れていたのか、どうやってあれだけの数を集めたのか、……疑問は多いが、これだけは言える。
自分たちの世界は滅ぼされる。
それもただの滅ぼされ方ではない。想像を絶する惨い方法で滅ぼされる。
大和は上機嫌に言い放った。
「いい光景だ! ハハハッ! まるで砂糖に群がる蟻の大群だな! 全員イキイキとしてやがる! まぁそうだろうさ! 五大犯罪シンジケートが大金をばらまいてありったけ集めたんだ! ククク、これから始まるぞ! 蹂躙が! 楽しい楽しい悪党共の宴が! 異世界は住民もろとも搾り尽くされる! いーい資源になるだろうさ! ハッハッハッハッハ! 絶景だなぁオイ!」
大和は本当に楽しそうに笑っていた。
その笑みに釣られて、ゼクスも笑ってしまう。
彼は今まで胸に秘めていた想いを吐き出した。
「ああ……確かに絶景だな。因果応報とはまさにこの事だ」
「ほぅ……」
「何の罪もない一族を悪意で滅ぼしたのだ。その罪は必ず償わなければならない。どんな形であれ、だ。だから安心している」
「家族や友人はいないのか? あの世界に未練はないのか?」
「ない。元より戦争孤児。友人どころか恋人すらいない。戦場で死ぬ軍人に、そんなものは必要ない」
ゼクスは、晴れ晴れとした表情で言った。
「ありがとう……死ぬ前にいいものを見れた。これで安心して地獄にいける」
「ククク……変わった奴。なぁ、お前らはどう思う?」
大和は振り返る。
そこには東洋系の美男美女が佇んでいた。
漆黒のパンツスーツを着こなした歴戦の邪仙、
漆黒のチャイナ服、背中に青竜刀を二本背負った男。現・天下五剣、
貪狼連合の最高戦力たちだ。
二名はそれぞれ思った事を口にする。
「よく軽んじられていますが、異世界も一つの世界です。様々な人間がいます。彼は一種、軍人の理想像ですね」
「そうあれかしと願い、そうであった。……ただ殺すには惜しい」
大和はわざとらしく両手を広げた。
「ならどうする? 殺すのはやめておくか?」
「そうですね。本人次第ですが、ウチに来て貰いたいです。こういう人材は、捜しても中々いませんから」
「同意見だ。もう少し鍛えれば、メイファン様のよき肉盾となるだろう。ただ殺すのならウチで引き取る」
「いいぜ、勝手にしな。俺は今回部外者だ。異世界が滅びるってんなら、他はどうでもいい。……そこの餓鬼共はどうする。顔面潰しちまったけど」
玉風と飛龍は若者たちを見下ろす。
怯え、助けを求める視線を無視して、二人は冷酷に告げた。
「雇う価値がありません。人間牧場に放り込みます」
「他の人間も同様だ。使える者は引き抜き、使えない者は全員「資源」にする」
それを聞いた大和は、腹を抱えて大爆笑した。
「ハハハッ! よかったじゃねぇか餓鬼共! 腐って土に還るよりかは幾分かマシだぜ! 四肢切断されて種馬と孕み袋、もしくは挽き肉にされて人肉缶詰の中身だ! 誰かの役には立たぁな! 今のウチに泣いて喚いとけよ! クククッ……ハーッハッハッハッハッハ!!」
この場で、いいや、この事件に関わっている中で一番邪悪なのは大和だ。間違いない。
彼は五大犯罪シンジケートのためではなく、ピスカのためだけに一つの世界を滅ぼしたのだ。
大和の笑い声が魔界都市全体に響き渡る。
そうして住民たちは悟った。
全てが終わったのだと……