一話「外道」
季節は冬……それもクリスマスだ。
淡い紺色の夜空から粉雪が舞い落ちている。聖なる夜の名に相応しい空模様だ。
日本の首都、東京の一区、銀座。此処は若者たちを中心に人気がある。
風情があり、静けさがある。その中に確かな人の温もりがある。
男女の交際場にはもってこいだ。
とある男女が手を繋いで歩いていた。
どちらもまだ若い。大学生ほどか……
青年の方は黒髪を短く切り揃えており、眼鏡をかけている。真面目な性格をしているのがすぐにわかる。
少女の方は今時のお洒落な子だった。少し明るく染めた髪、薄い化粧。目鼻顔立ちが整っており、服装のセンスもいい。服の上からでもわかる豊満な肢体は道行く男の視線を自然と誘う。
隣の青年は良くも悪くも普通なので、少女の方が悪目立ちしてしまう。
しかし、少女は青年の事が大好きなのだろう。頬をほんのりと染めながら彼の手を握っていた。
青年は照れながらも、しっかりとその小さな手を握り返す。
七色のイルミネーションが街を彩っていた。
商店のあちこちからクリスマスソングが流れていて、道行く人々の心を温める。
「すっかり遅くなっちゃったね。ゴメンよ」
「ううん、たっ君と過ごせて楽しかったよ」
「そう? ……ならよかった」
たっ君と呼ばれた青年は安堵の笑みを浮かべる。
お互い、今が最高の時間だった。
時刻はそろそろ深夜0時を迎えようとしている。
成人済みとはいえ、そろそろ帰らなければならない。
それに明日は24日、クリスマスイヴだ。
二人は名残惜しそうにしながらも帰路につく。
そんな二人の様子を、住宅の屋上から眺めている不穏な輩共がいた。
「表世界、特に日本ってのはいいねぇ。武装してない奴らがゴロゴロいやがる。最高の狩り場だ」
「デスシティはともかく、夜中に出歩くなんざ無用心なこった!」
「それじゃあ仕事帰りの一発、キメるとするかぁ。なぁに、つまみ食いするくらいなら別にいいだろう」
下品な笑い声が木霊する。
家畜を目の前にした卑しい獣の鳴き声だ。
「どれ……ふぅむ、あの子にするか。綺麗な顔といい肉付きしてやがる」
「だな! 俺も目に入った!」
「彼氏連れかぁ、いいねぇ……」
悪党三人は瑠美に目を付けた。
凄惨な悲劇のはじまりだった。
◆◆
外灯のみが道標の、暗く静かな夜道。
不気味だが、恐れる事はない。
此処日本はとても治安がいい。不審者など滅多に現れない。
仮に現れたとしても、すぐに助けを求められる。
110番でもすれば瞬く間に警察が駆け付けてくれるだろう。
心配はない。
しかし、用心に越した事はない。
卓矢は瑠美の手を引いて歩いていた。
その力強さに瑠美は心ときめかせている。
瑠美は大学内ではアイドル的存在だった。
何故卓也と交際しているのか、疑問に思われることもあるくらいだ。
しかし、瑠美は本気で彼を愛していた。
容姿端麗、運動神経抜群、成績優秀。
成る程、魅力的な要素だ。
しかし、そんなものは必要ない。
卓也の魅力は誠実な心にある。
きゅっと手を握り返すと、卓也は耳を赤くする。
そんな初心な反応を見せられると堪らない。
もっと見たくなる。
しかし、これ以上彼を困らせたくない。
今はまだプラトニックな関係なのだ。
だが、何時か本気で向き合いたい。
本当の意味で男女の関係になりたい。
瑠美は卓也との将来を真剣に考えていた。
それは卓也も同じである。
彼女を養える立派な社会人になるべく、猛勉強を続けていた。
今日と明日は数少ない休日だ。
卓也は廃れた公園前に自販機を発見した。
丁度いいと、瑠美に聞く。
「温かい飲み物とかいるかい? 僕はお茶でも買おうと思ってるけど」
「……うん、なら私も、あったかいお茶で」
「わかった」
笑顔で頷く卓也に瑠美も微笑み返す。
粉雪は未だ降り注いでいた。時刻も深夜に入り、いよいよ寒くなってくる。
お茶で手元を温めながら彼女を家まで送り届けよう……
卓也はそう考えていた。
そんな時である。
目の前に不審な三人組が現れたのは。
「こんな夜中に出歩くなんて、悪い子たちだねぇ」
「お仕置きが必要かなぁ?」
「それも、キツイお仕置きが」
素人目でもわかる。
極めて危険な男たちだ。
一人はサングラスをかけた金髪の派手な男。
ジャラジャラと全身にアクセサリーを付けている。
豹柄のジャケットを着ていて、咥え煙草をしていた。
もう一人は銀髪を派手にかき上げた若者。
革ジャンを着ていて、腰や腕にナイフや拳銃をこれでもかとぶら下げている。
最後は一見普通の男性。
カジュアルな服装をしていて、緑色の髪を後ろに束ねている。
浮かべている笑みは温和だが、瑠美を見る目は爬虫類のそれだった。
上から順番にガリル、ルナード、ゼルレン。
魔界都市の住民だ。
そんな事、二人が知る由もない。
卓也は瑠美を庇う様に前に出た。
そして三名を睨みつける。
「どなたか存じませんが、関わらないでください。もしもの事があれば、警察に通報します」
卓也の言葉に、三名はゲラゲラと笑った。
本当に汚い笑い声だった。
「彼女さんの前で格好つけたいのはわかるけどよぉ。足が震えてるぜ?」
「俺ら、さっさと済ませたいワケよ。お前に用はねぇから、失せろや」
ズイっと、三名が卓也に詰め寄る。
圧倒的な存在感。地元のチンピラやヤクザが可愛く見えてしまう。
卓也の身長は170cmほどだが、三名とも190cm以上はある。
服の上からでもわかる筋肉は、男として力の差を痛感させられる。
それでも、卓也は引かなかった。
「やめてください! 貴方たちがしようとしている事は犯罪ですよ!?」
「ハッ、犯罪だとよ? 笑える!」
「まぁまぁ、落ち着けって」
ルナードとゼルレンはニヤつき、おどけてみせる。
しかしもう一人は違った。
「ハァ? んだテメェ、モヤシ野郎が……調子乗ってんじゃねぇ!!」
ガリルは卓也の鳩尾を蹴り抜いた。
容赦のない一撃である。
あまりの衝撃に卓也の身体が宙に浮く。
眼鏡が吹き飛び、激痛で呼吸困難に陥る。
彼は苦しみのあまり地面をのたうち回った。
顔面は蒼白で、頬には脂汗が伝っている。
「ゲホッ、ゲホゴホっ! ……おぇぇッッ!」
「たっ君っ!!」
瑠美は咄嗟に卓也に駆け寄る。
その様子を見て、三名は嘲笑を浮かべた。
「ダッセー、彼氏ヘナチョコじゃん」
「そんな種無しなんて放っておいて、俺たちと楽しもうぜ」
一方のガリルは、うずくまる卓矢に向かってぺっ!! と唾を吐き捨てた。
「俺様はなぁ、テメェみたいなモヤシ野郎に指示されるのが一番嫌いなんだよ。なんならもう一発食らっとけや!!」
爪先の尖った革靴が卓矢の横腹に突き刺さる。
肉の潰れる鈍い音がした。
「たっ君!? たっ君っ!!」
瑠美は卓也にすがりつく。
ガリルはニヤニヤしながら彼女の肩を掴んだ。
激しく抵抗される。
「やめて!! 触らないで!!」
「アア? っせぇぞこのアマぁ!!」
ガリルは瑠美の頬を容赦なく殴った。
瑠美は呆然とした後、全身を恐怖で震わせはじめる。
三名は更に興奮しだした。
「いいねぇ! その顔だよ! 女ってのはそういう顔でグチャグチャにするのが堪らねぇんだ!」
「さっさと公衆トイレに連れてこうぜ! もう待ちきれねぇ!」
「この女はどれだけ保つかなぁ? 精々イイ声で泣いてくれよ」
捕まり、無理矢理立たされた瑠美は泣いて叫ぶ。
「いやぁっ!! たっ君!! たっ君っ!!」
「無駄だっての!」
「俺、公園周りに人払いの結界張っておくわ!」
「声が漏れたら大変だからな」
瑠美はそのまま担ぎ上げられる。
彼女は最後まで卓也の名前を叫んでいたが、その声が届く事はなかった。
そうして地獄のレ○プショーがはじまる。
周辺に張り巡らされた結界は公園内の音を完全に消し去る。外部からは無音状態だ。
公衆トイレに響き渡る悲鳴と下種な笑い声が卓也の耳に届かなかったのは、ある意味救い……だったのかもしれない。
◆◆
どれほど時間が経っただろうか……
路上は足首が埋まるほどの積雪に覆われている。
「うぅ……」
苦悶に満ちた声が聞こえてくる。
卓也だ。未だ疼く鳩尾を押さえながら、フラフラと立ち上がる。
「る……瑠美……? 瑠美は……? あグぅっ!」
頭が割れそうなほど痛い。
それでも、よろめきながら彼女を探す。
「あれ、は……」
自販機の前に、雪を被ったロングブーツが転がっていた。
間違いない、瑠美のものだ。
その先には公衆トイレがある。
卓也は足を引きずりながら、懸命にトイレへと向かった。
中に入ると、三つの個室がある。
一つ目をノックしても返事がない。
ドアを開けても、誰もいない。
二つ目の個室を開けても、何もない。
最後に、奥の個室。
嫌な予感がした。全身が震える。
ねばつく喉。嘔吐感さえ覚える。
それでも卓也は、意を決して扉を開けた。
そこには無残な姿の瑠美があった。
個室内には濡れたトイレットペーパーが散乱しており、そこに全裸の彼女が横たわっている。
顔は青痣だらけで、身体にはミミズ腫れと歯型が一面に浮かんでいる。
特に乳房と太腿は執拗な責めの跡が見てとれた。
柔らかな腹には白い粘液が飛び散っている。
そして股間には──無数の煙草の吸い殻がねじ込んであった。
「嘘だ……嘘だ……っっ、こんなの、あんまりだ……瑠美ッッ」
卓也は崩れ落ちる。
ふと、壁に何か書き込まれているのが目に入った。
『私の処女マ○コは皆さんの灰皿です♪ どうぞご自由に♪』
一面に汚い文字で書き殴ってある。
卓也は愕然とした。
その背後から、男たちの声が降りかかる。
「彼氏クゥン、お前の彼女、マジで良かったぜ。まさか処女だったとはなァ……お陰で五回も中で
悪魔たちの笑い声が響き渡る。
卓矢の頭は真っ白になった。
「よっしゃ、出すモンも出したし、とっととズラかろうぜ」
公衆トイレの外で、ガリルはサングラスを指で押し上げる。
「ガリルっち〜。俺、腹減っちまった。ラーメン食いに行こうぜ」
ルナードが大きく伸びをする。
「いいねぇ、ルナード。ゼルレンも行くだろ?」
「ああ。……しかしアレ、どうするんだ? なんなら殺しておいたほうがいいだろう」
汚れた手をハンカチで拭きながら、ゼルレンは公衆トイレの方に顎をしゃくる。
ガリルは鼻で笑った。
「ほっとけ。もしかしたらオ○ニーしはじめるかもしれねぇからなァ」
ドッと爆笑する三人組。
彼等は転移魔術符を用いて魔界都市へと消えていった。
冷え冷えとした空間に、無残な姿の瑠美と卓矢だけが残される。
「……ぐぅぅッッ。ああ、ああァ、ああああァァァァ……!! グ、ぅぅゥ……ウォオオオオオ──ッッ!!!!」
その叫びは魔獣の咆哮のようであった。
やりきれない怒りと哀しみに満ちている。
卓矢の目からは真っ赤な血の涙が止めどなく流れていた。
「かーごーめかーごーめ♪ かーごのなーかのとーりーはー♪」
突如として、卓也のいる公衆トイレが異様な結界に覆われる。
四方を囲む領域展開……何らかの儀式だ。
何処からともなくわらべ唄が聞こえてきた。
子供のものとも男女のものともつかぬ声だ。
「いーついーつでーやーるー♪ よーあーけのばーんにー♪」
卓矢の全身が痙攣し始める。
血液が沸騰するような感覚が身体中を駆け巡る。
骨が軋み、肉が肥大化する。
張り詰めた衣服がビリビリと音を立てて裂けていった。
「あああァァァ…………っ」
卓矢のやるせない思いが声になってもれる。
歯がポロポロと抜け落ち、代わりに鋭い牙が生えてくる。
爪も剥がれ、捩くれた鉤爪が生えてきた。
今行われているのは禁忌の呪術……
人を鬼に変えてしまう、狂気の儀式である。
「つーるとかーめがすーべったー♪」
「ウゥ……ウオオオオオオオ……ッッ!!」
卓矢の額の内側が盛り上がる。
そうして現れたのは二本の分厚い角──
「うしろのしょーめん、だぁーれ♪」
そうして出来上がったのは、人造の鬼。
現代では生まれてこない筈の、怨念で転身した鬼である。
ユラリと巨体が立ち上がる。
3メートルを超える巨体の頭部はトイレの天井すれすれだ。
小山の様な隆起。それは筋肉の束であり、赤銅色の皮膚は油でも塗ったかの様なぬめりを帯びている。
額から生えた2本の角、血走った眼、あぐらをかいた鼻。
耳元まで裂けた口元には、岩をも噛み砕きそうな牙が並んでいる。
「グルルル……ッッ」
人とも獣ともつかぬ唸り声が響き渡る。
鬼は無残な姿の瑠美を一瞥すると、トイレの壁をぶん殴った。
轟音と土煙と共にコンクリの破片が吹き飛んでいく。
「グオオオオオォォォォッッッッ!!!!」
咆哮を上げ、卓也だったものは公園から飛び去っていった。
彼は向かったのだ。怨敵を惨殺するために、魔界都市へと……
「クスクス、丁度いい現場に遭遇しちゃったから、ついやっちゃった♪ さぁ、いってらっしゃい。哀れな鬼さん。魔界都市で鬼の名前、広めてきてね♪」
唄を歌った主……若い女の影は、夜の闇の中へと消えていった。
……今からはじまるのは、『鬼』を狩る物語。
鬼は鬼でも、どちらの『鬼』を狩るのか。
魔界都市に勧善懲悪の概念はない。
しかし、暗黒のメシアと鬼狩りの少女であれば……あるいは。