villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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三話「鬼の出所」

 

 

 大衆酒場ゲートの外に出て。

 ここは中央区の路地裏。

 街灯の明かりすら届かぬ、何をしてもお咎めなしの危険地帯──

 

 大和と野ばらはこの場所をあえて選んだ。

 二人の姿を見た路地裏の住人たちは、まるて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 

 ガリルから事の経緯を聞き出した大和は、まずその顔面を殴り飛ばした。

 最低限の手加減のみをした、掬い上げる形での剛拳。

 一般人なら首から上が吹き飛んでいる。ガリルは宙を六回転した後、地面に転がった。

 ひん曲がったサングラスが音を立てて地面に落ちる。

 

 大和はすかさず彼の顔面にサッカーボールシュートを見舞った。

 ゴシャっと、嫌な音と共にガリルはまたしても宙を舞う。

 

「ホゲェッ!!」

 

 生まれて初めて体験する超暴力──

 自らの卑怯でチンケな喧嘩殺法とはワケが違う。

 

「報復が怖いから逃げてただぁ!? ふざけんじゃねぇ!! だったら最初からレ◯プなんてすんじゃねぇよ!!」

 

 大和は眉間に特大のシワを寄せていた。

 地面で痙攣しているガリルを見て、野ばらは少し困った様子で告げる。

 

「怒る基準が少しズレてるように思えるけど……待ちなさい。その調子だと死んでしまうわ」

「死んでもかまわねぇよ!! こんなクソッタレ!!」

 

 大和はうずくまっているガリルの腹を蹴り飛ばす。

 ポキポキと、枯れ木を踏んだかの様な音が響いた。

 

「〜〜〜〜〜っっ!!?」

 

 アバラが何本も砕けた。

 ガリルは声にならない悲鳴を上げる。

 

「待ちなさいと言っているでしょう。ソイツにはまだ聞きたい事があるわ」

 

 野ばらは番傘を振り上げ、先端の天ロクロを大和に向ける。

 大和は目を丸めた後、凄まじい殺気をこめて野ばらを見下ろした。

 

「オイ、調子に乗ってんじゃねぇぞ餓鬼。誰にものを向けてやがる」

「なら私の話を聞いて頂戴」

「ハァ? ならコイツから何を聞き出そうってんだ? コイツは表世界のカップルを襲い、女をレ◯プし、怨嗟の鬼になった連れに追い回されてる。怨嗟の鬼については何も知らないと言った。もう一度聞くぜ? コイツから何を聞き出すと?」

「…………」

「何も考えずに行動に移すんじゃねぇよ。今度そんな真似したらマジで殺すからな」

 

 大和は番傘の天ロクロを手で払いのける。

 その声には絶対零度の殺意がこもっていた。

 次もしも野ばらが同じような真似をすれば、大和は確実に彼女を殺すだろう。

 それほどの怒気だ。

 

 大和の言い分は間違っていない。

 よくよく考えれば、この男から聞き出せる情報はほとんどなかった。

 野ばらは素直に大和の話を聞くことにする。

 

「いいか? 無知なテメェに合わせて一から順番に丁寧に説明してやる。鬼を殺すことしか考えてねぇ脳みそをフル回転させろ」

 

 大和はそうに吐き捨てると、ガリルの顔面を容赦なく踏み付ける。

 そしてゴリゴリと下駄の裏で鼻骨と歯を砕いた。

 大量の鼻血が噴き出て、口内で溢れた血と混ざり大きな血溜まりが形成される。その中に、黄ばんだ歯のカケラが浮かぶ。

 

 あまりの激痛に、ガリルは白目を剥いて失神してしまった。

 みるみるうちにズボンの股間部分に染みが広がる。

 路地裏にムッと嫌な臭いが漂った。

 

 失禁と脱糞を繰り返し、ビクンビクンと痙攣しているガリル──

 そんな彼に唾を吐き捨て、大和は野ばらを睨みつける。

 

「俺はともかく、テメェの目的は怨嗟の鬼を殺す事だ。だが、それ以上に「出所」を知らなきゃいけねぇ。怨嗟の鬼は既に絶滅している。死人が出るのが常日頃、負の感情で地脈か汚れていた大正時代とは違う。現代じゃあ、怨嗟の鬼になりたくてもなれる材料がねぇんだよ。……つまり、後押しした輩がいる」

「……人を鬼にした奴がいるってこと?」

「そういう事だ」

 

 野ばらの半信半疑な表情を見て、大和は肩を竦める。

 

「目ぼしは……まぁ、顔を見たらわかるわ」

「……そうね、知らないわ。私のいた時代でも聞いた事がない」

 

 そもそも、鬼とは東洋を代表する妖魔の最強種。生まれながらの怪物だ。

 大正時代、怨嗟で鬼に堕ちた人間は確かに存在したが、それらは怨霊や地縛霊の類に分類された。

 鬼は鬼でも、全くの別物なのだ。

 

 しかし、鬼である事には変わらない。 

 野ばらの殺害対象だ。

 

 もしも怨嗟の鬼を人為的に生じさせられるということであれば、なるほど、確かに異常事態──

 ネメアが大和を頼った理由がわかる。

 

 悩んでいる野ばらを余所に、大和は盛大に舌打ちした。

 

「未知の現象だ。調べるにしても、俺たちじゃあ手に余る」

 

 あらゆる知識に精通している大和でも、鬼の専門家である野ばらでも、この事態を把握しきれていない。

 

 ただ鬼を狩るだけなら簡単なのだが……

 

 大和は野ばらの目を見て聞く。

 

「とりあえず、聞いておくぜ。……出所が人間だとしても、お前は殺せるか?」

「……無論よ。鬼を生み出す輩は鬼と変わらない」

「そうか、そりゃよかった」

 

 野ばらは当時の鬼狩りでも過激派で知られていた。

 邪魔する者や鬼と協力する者は、人間であろうが容赦なく斬り捨てる。

 

 大和は安心したのだろう、明後日の方向を向いた。

 

「もうそろそろ来る頃合いだ」

「……誰か呼んだの?」

「俺たちは殺し専門だ。情報収集なんざ専門外もいいところ。だからその筋の専門家を雇った。ネメアがな」

 

 大和が言い終えると同時に、目の前に煙幕がたかれる。

 しばらくして白煙が晴れると、二足歩行の三毛猫が現れた。

 しっぽが二本生えており、質素な浴衣を着ている。

 彼はミャ、と手を挙げた。

 

「ネメアの旦那に頼まれ参上しやした! 怨嗟の鬼について調べてきましたぜ! 大和の旦那!」

「助かるぜ、ミケ」

 

 ダミ声で喋る猫又、ミケ。

 デスシティで最も有能だといわれている情報屋。

 彼は既に、怨嗟の鬼の出所を掴んでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

 同時刻。

 摩天楼煌めくデスシティの中央区、その大通りになんとも場違いな美少女がいた。

 絢爛豪華な着物を大胆に着崩している。紅桜の花びらを散らした、黒を基調とした和ゴススタイルだ。

 ミディアムな長さの黒髪はかんざしで綺麗に束ねてある。年齢は十代半ばか後半ほど。幼さを残した顔つき。雪の様に白い肌。紅がさした頬。桜貝の様な唇。

 優しげな表情はどこか楽しげで、誰でもこの少女に笑顔を向けたくなる。

 左側の袖は肩まで剥き出しになっており、レースの長手袋に包まれていた。

 スラリと伸びた足はか細く、柔らかな肉付きをしている。

 履いてる一本歯下駄……通称天狗下駄はかなりの厚底だが、それでも背が小さく見えた。

 

 カランカランと下駄を鳴らす様は実に神秘的。

 西洋と和の文化を絶妙に合わせた独特な美しさ……

 

 彼女は雨でもないのに、番傘を開きながら踊るように歩いていた。

 時折クルクルと回転して片足でステップを踏んでいる。

 歩調は軽やかで、上機嫌なのが伺える。

 開いている番傘にしろ、服装にしろ、どこか野ばらに似た雰囲気を感じさせた。

 

 通りの向こうから戦闘服や外套、革ジャンなど、服装もまちまちの男たちがやって来る。

 全員、屈強で凶悪な魔界都市の住人だ。

 その間をカランカランと跳ぶ様に駆け抜ける番傘の少女。

 酸味の効いた、しかし甘い果実のような匂いが男たちの足を止めた。

 全員、その幼いながらも完成された美貌に目を奪われる。

 

 しかし何故か、数名の男たちは顔を青くしてその場を飛び去っていった。

 彼らは一体、何を見たのか……? 

 

 わかる者にはわかる。

 とんでもない邪気を纏っている。

 地縛霊や怨霊などの比ではない。

 とてつもない濃度の邪気──

 逃げていったのは手練の殺し屋や霊能力者たちだった。

 

 彼女は明らかに危険だった。

 しかし、その危険性をわからない者たちがいた。

 

 下駄を鳴らして通りを行く少女に、ガラの悪いチンピラ三名が声をかける。

 

「君、見ない顔だね~。どこから来たの?」

「可愛い服装してるね~」

「お嬢ちゃん、モデルさんみたいな顔だなぁ♪」

 

 猫なで声だが、滲み出る獣欲を隠しきれていない。

 全員、目をギラギラと輝かせている。

 少女は顔こそ幼いが、その肉体は熟れた南国の果実を彷彿とさせた。

 

 チンピラたちは人間ではなかった。魔界都市の住民は人間だけではない。

 それぞれリザードマン、エルフ、ホビット。

 精霊の一種だが、神聖な雰囲気はどこにも感じない。派手な服装をしていて、アクセサリーをじゃらじゃらと身につけ、タトゥーを腕に彫っている。

 精霊とは名ばかりの、人外のチンピラだ。

 

 ホビットが少女の特徴的な衣装を見て顎をさする。

 大きな瞳が全身を舐め回すように動いた。

 

「君、大衆酒場のウェイトレスにどこか似てるね。名前はなんだったかな? ……そう、確か野ばらとかいう」

「え!? 野ばらさん!?」

 

 終始ニコニコしていた少女が、野ばらの名前を聞いた瞬間目の色を変えた。

 

 ホビットの尖った耳がピクリと動く。

 リザードマンは思わず舌舐めずりした。

 エルフがチラリと横目で合図する。

 三名は頷きあうと、少女に対して気味の悪いくらい優しく接しはじめた。

 

「そうそう、野ばらちゃん。何でも大正時代からワープしてきたっていう……」

「詳しい事はわからないんだ。本人に聞くといい」

「俺たちが案内してあげよう。さ、こっちだよ」

 

 先立って歩き出す男たちに少女は迷いなく付いていく。

 三名が案内したのは暗い路地裏だった。「ここを通れば近道だから」と、わかりやすい嘘をつく。

 

 彼らの目的は一つ。そんなもの、わかりきっている。

 そわそわしはじめる三名をよそに、少女は唐突に唄いはじめた。

 

『とーりゃんせーとーりゃんせー♪ こーこはどーこの細道じゃー♪ 天神さーまの細道じゃー♪』

 

 わらべうたの一種だ。

 日本の古い謡なので三名がわかる筈もない。

 ホビットが首を傾げて振り返ると、少女が笑いながら唄を歌っていた。

 広げた番傘を肩に持たせかけながら、背中を見せている。

 

「なんだよ、歌なんかうたい始めて……まぁいい」

 

 待ちきれなくなったリザードマンが鱗だらけの手を伸ばす。

 その先で、少女がクルリと振り返った。

 

 幼く可憐な少女の姿はどこにもなかった。

 笑う口元から見える犬歯は牙のように長く太く、くりっとした目は釣り上がり、瞳孔が蛇のように開いている。

 

 そして、その頭には二本の角が生えていた。

 その姿は──まさしく鬼。

 

『ちっと通してくだしゃんせ~♪ 御用のないもの通しゃせぬー♪ この子の七つのお祝いにー♪ お札を納めにまいりますー♪』

 

「お……おい、なんかおかしくねぇか?」

「さっきと全然違うぞ!」

「ひっ! 来るな! それ以上近づくな!」

 

 怯えはじめる三名。

 今ようやく気づいたのだ。少女がとてつもない邪気を纏っている事を──

 この少女はただの少女ではない。

 少女の皮を被った、化け物だ。

 

『行きはよいよい♪ 帰りはこわい♪』

「や、やめろ〜!!」

 

 咄嗟に魔改造済みの銃や刀を取り出す。だが、それより速く銀閃が煌めいた。

 ボトリと、首が地面に落ちる。

 番傘に仕込まれていた刀が既に抜かれていた。

 

 首のなくなった三名、その首元からは間欠泉のようにビュービューと血が噴き出す。

 少女は仕込み刀を振るい血糊を落とすと、番傘に納めた。

 鍔鳴りの音と共に首無しの胴体たちが倒れる。

 

『とーりゃんせーとーりゃんせー♪』

 

 歌い終わった彼女は、自分の指の先を犬歯で甘噛みする。

 真っ赤な血の珠が指先で膨れ上がり、それを倒れて動かなくなった死骸たちに数滴ずつ落としていった。

 

 死骸が突如として痙攣しはじめる。

 骨格がギシギシと音を立てて軋み、体格が3倍近くに膨れあがる。

 筋肉が異常なほど膨張し、纏っていた布地を音を立てて引き裂く。

 みるみる内に皮膚の色が変わり、首元が沸騰した水のようにゴボゴボと泡立つ。

 

 粘液にまみれた新しい首と頭が生えてきた。

 爪はより一層鋭利な鈎爪に、牙は肉を食いちぎるのに特化した刃物に変わっている。

 服を内側から破るほどの筋肥大は、下手をすれば命に関わる症状だ。

 しかし、彼らは既に死んでいた。

 

 ユラリと、三つの巨影が立ち上がる。

 鬼でもなければ魔物でもない。新鮮な死骸を濃い「鬼の血」が無理矢理活性化させているだけの、ただの化け物である。

 少女を遥か下に見下ろすほどの巨体が、闇に浮かび上がった。

 

「Gruuuu……」

 

 裂けそうなほど巨大な口から呻き声が漏れる。

 彼らは一斉に片膝をつき、恭しく頭を垂れた。

 少女に絶対の忠誠を示している。

 

 完成した三名の化け物を見て上機嫌になった少女は、少しだけ遠くなった摩天楼を見つめる。

 細い瞳孔がスゥと細められた。

 彼女は邪悪でありながら、とろけそうな笑みをこぼす。

 

「ここに来てよかったぁ♪ 本当は鬼さんの最期を見るだけの予定だったんだけど……ここにいるんですね、野ばらさん♪ ……あはっ♪ 噂は本当だったんだー♪ おばあちゃん、喜ぶだろうなー♪ だって元・同期だもんね~♪」

 

 少女は嬉しそうに、両手を広げる。

 

「うふふ、あははっ♪」

 

 無邪気に笑いながらクルクルと回る。

 まるで、野ばらの存在を歓迎しているかのように……

 

 新たな悪意が、魔界都市に紛れ込んでいた。

 

 


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