大衆酒場ゲートの外に出て。
ここは中央区の路地裏。
街灯の明かりすら届かぬ、何をしてもお咎めなしの危険地帯──
大和と野ばらはこの場所をあえて選んだ。
二人の姿を見た路地裏の住人たちは、まるて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
ガリルから事の経緯を聞き出した大和は、まずその顔面を殴り飛ばした。
最低限の手加減のみをした、掬い上げる形での剛拳。
一般人なら首から上が吹き飛んでいる。ガリルは宙を六回転した後、地面に転がった。
ひん曲がったサングラスが音を立てて地面に落ちる。
大和はすかさず彼の顔面にサッカーボールシュートを見舞った。
ゴシャっと、嫌な音と共にガリルはまたしても宙を舞う。
「ホゲェッ!!」
生まれて初めて体験する超暴力──
自らの卑怯でチンケな喧嘩殺法とはワケが違う。
「報復が怖いから逃げてただぁ!? ふざけんじゃねぇ!! だったら最初からレ◯プなんてすんじゃねぇよ!!」
大和は眉間に特大のシワを寄せていた。
地面で痙攣しているガリルを見て、野ばらは少し困った様子で告げる。
「怒る基準が少しズレてるように思えるけど……待ちなさい。その調子だと死んでしまうわ」
「死んでもかまわねぇよ!! こんなクソッタレ!!」
大和はうずくまっているガリルの腹を蹴り飛ばす。
ポキポキと、枯れ木を踏んだかの様な音が響いた。
「〜〜〜〜〜っっ!!?」
アバラが何本も砕けた。
ガリルは声にならない悲鳴を上げる。
「待ちなさいと言っているでしょう。ソイツにはまだ聞きたい事があるわ」
野ばらは番傘を振り上げ、先端の天ロクロを大和に向ける。
大和は目を丸めた後、凄まじい殺気をこめて野ばらを見下ろした。
「オイ、調子に乗ってんじゃねぇぞ餓鬼。誰にものを向けてやがる」
「なら私の話を聞いて頂戴」
「ハァ? ならコイツから何を聞き出そうってんだ? コイツは表世界のカップルを襲い、女をレ◯プし、怨嗟の鬼になった連れに追い回されてる。怨嗟の鬼については何も知らないと言った。もう一度聞くぜ? コイツから何を聞き出すと?」
「…………」
「何も考えずに行動に移すんじゃねぇよ。今度そんな真似したらマジで殺すからな」
大和は番傘の天ロクロを手で払いのける。
その声には絶対零度の殺意がこもっていた。
次もしも野ばらが同じような真似をすれば、大和は確実に彼女を殺すだろう。
それほどの怒気だ。
大和の言い分は間違っていない。
よくよく考えれば、この男から聞き出せる情報はほとんどなかった。
野ばらは素直に大和の話を聞くことにする。
「いいか? 無知なテメェに合わせて一から順番に丁寧に説明してやる。鬼を殺すことしか考えてねぇ脳みそをフル回転させろ」
大和はそうに吐き捨てると、ガリルの顔面を容赦なく踏み付ける。
そしてゴリゴリと下駄の裏で鼻骨と歯を砕いた。
大量の鼻血が噴き出て、口内で溢れた血と混ざり大きな血溜まりが形成される。その中に、黄ばんだ歯のカケラが浮かぶ。
あまりの激痛に、ガリルは白目を剥いて失神してしまった。
みるみるうちにズボンの股間部分に染みが広がる。
路地裏にムッと嫌な臭いが漂った。
失禁と脱糞を繰り返し、ビクンビクンと痙攣しているガリル──
そんな彼に唾を吐き捨て、大和は野ばらを睨みつける。
「俺はともかく、テメェの目的は怨嗟の鬼を殺す事だ。だが、それ以上に「出所」を知らなきゃいけねぇ。怨嗟の鬼は既に絶滅している。死人が出るのが常日頃、負の感情で地脈か汚れていた大正時代とは違う。現代じゃあ、怨嗟の鬼になりたくてもなれる材料がねぇんだよ。……つまり、後押しした輩がいる」
「……人を鬼にした奴がいるってこと?」
「そういう事だ」
野ばらの半信半疑な表情を見て、大和は肩を竦める。
「目ぼしは……まぁ、顔を見たらわかるわ」
「……そうね、知らないわ。私のいた時代でも聞いた事がない」
そもそも、鬼とは東洋を代表する妖魔の最強種。生まれながらの怪物だ。
大正時代、怨嗟で鬼に堕ちた人間は確かに存在したが、それらは怨霊や地縛霊の類に分類された。
鬼は鬼でも、全くの別物なのだ。
しかし、鬼である事には変わらない。
野ばらの殺害対象だ。
もしも怨嗟の鬼を人為的に生じさせられるということであれば、なるほど、確かに異常事態──
ネメアが大和を頼った理由がわかる。
悩んでいる野ばらを余所に、大和は盛大に舌打ちした。
「未知の現象だ。調べるにしても、俺たちじゃあ手に余る」
あらゆる知識に精通している大和でも、鬼の専門家である野ばらでも、この事態を把握しきれていない。
ただ鬼を狩るだけなら簡単なのだが……
大和は野ばらの目を見て聞く。
「とりあえず、聞いておくぜ。……出所が人間だとしても、お前は殺せるか?」
「……無論よ。鬼を生み出す輩は鬼と変わらない」
「そうか、そりゃよかった」
野ばらは当時の鬼狩りでも過激派で知られていた。
邪魔する者や鬼と協力する者は、人間であろうが容赦なく斬り捨てる。
大和は安心したのだろう、明後日の方向を向いた。
「もうそろそろ来る頃合いだ」
「……誰か呼んだの?」
「俺たちは殺し専門だ。情報収集なんざ専門外もいいところ。だからその筋の専門家を雇った。ネメアがな」
大和が言い終えると同時に、目の前に煙幕がたかれる。
しばらくして白煙が晴れると、二足歩行の三毛猫が現れた。
しっぽが二本生えており、質素な浴衣を着ている。
彼はミャ、と手を挙げた。
「ネメアの旦那に頼まれ参上しやした! 怨嗟の鬼について調べてきましたぜ! 大和の旦那!」
「助かるぜ、ミケ」
ダミ声で喋る猫又、ミケ。
デスシティで最も有能だといわれている情報屋。
彼は既に、怨嗟の鬼の出所を掴んでいた。
◆◆
同時刻。
摩天楼煌めくデスシティの中央区、その大通りになんとも場違いな美少女がいた。
絢爛豪華な着物を大胆に着崩している。紅桜の花びらを散らした、黒を基調とした和ゴススタイルだ。
ミディアムな長さの黒髪はかんざしで綺麗に束ねてある。年齢は十代半ばか後半ほど。幼さを残した顔つき。雪の様に白い肌。紅がさした頬。桜貝の様な唇。
優しげな表情はどこか楽しげで、誰でもこの少女に笑顔を向けたくなる。
左側の袖は肩まで剥き出しになっており、レースの長手袋に包まれていた。
スラリと伸びた足はか細く、柔らかな肉付きをしている。
履いてる一本歯下駄……通称天狗下駄はかなりの厚底だが、それでも背が小さく見えた。
カランカランと下駄を鳴らす様は実に神秘的。
西洋と和の文化を絶妙に合わせた独特な美しさ……
彼女は雨でもないのに、番傘を開きながら踊るように歩いていた。
時折クルクルと回転して片足でステップを踏んでいる。
歩調は軽やかで、上機嫌なのが伺える。
開いている番傘にしろ、服装にしろ、どこか野ばらに似た雰囲気を感じさせた。
通りの向こうから戦闘服や外套、革ジャンなど、服装もまちまちの男たちがやって来る。
全員、屈強で凶悪な魔界都市の住人だ。
その間をカランカランと跳ぶ様に駆け抜ける番傘の少女。
酸味の効いた、しかし甘い果実のような匂いが男たちの足を止めた。
全員、その幼いながらも完成された美貌に目を奪われる。
しかし何故か、数名の男たちは顔を青くしてその場を飛び去っていった。
彼らは一体、何を見たのか……?
わかる者にはわかる。
とんでもない邪気を纏っている。
地縛霊や怨霊などの比ではない。
とてつもない濃度の邪気──
逃げていったのは手練の殺し屋や霊能力者たちだった。
彼女は明らかに危険だった。
しかし、その危険性をわからない者たちがいた。
下駄を鳴らして通りを行く少女に、ガラの悪いチンピラ三名が声をかける。
「君、見ない顔だね~。どこから来たの?」
「可愛い服装してるね~」
「お嬢ちゃん、モデルさんみたいな顔だなぁ♪」
猫なで声だが、滲み出る獣欲を隠しきれていない。
全員、目をギラギラと輝かせている。
少女は顔こそ幼いが、その肉体は熟れた南国の果実を彷彿とさせた。
チンピラたちは人間ではなかった。魔界都市の住民は人間だけではない。
それぞれリザードマン、エルフ、ホビット。
精霊の一種だが、神聖な雰囲気はどこにも感じない。派手な服装をしていて、アクセサリーをじゃらじゃらと身につけ、タトゥーを腕に彫っている。
精霊とは名ばかりの、人外のチンピラだ。
ホビットが少女の特徴的な衣装を見て顎をさする。
大きな瞳が全身を舐め回すように動いた。
「君、大衆酒場のウェイトレスにどこか似てるね。名前はなんだったかな? ……そう、確か野ばらとかいう」
「え!? 野ばらさん!?」
終始ニコニコしていた少女が、野ばらの名前を聞いた瞬間目の色を変えた。
ホビットの尖った耳がピクリと動く。
リザードマンは思わず舌舐めずりした。
エルフがチラリと横目で合図する。
三名は頷きあうと、少女に対して気味の悪いくらい優しく接しはじめた。
「そうそう、野ばらちゃん。何でも大正時代からワープしてきたっていう……」
「詳しい事はわからないんだ。本人に聞くといい」
「俺たちが案内してあげよう。さ、こっちだよ」
先立って歩き出す男たちに少女は迷いなく付いていく。
三名が案内したのは暗い路地裏だった。「ここを通れば近道だから」と、わかりやすい嘘をつく。
彼らの目的は一つ。そんなもの、わかりきっている。
そわそわしはじめる三名をよそに、少女は唐突に唄いはじめた。
『とーりゃんせーとーりゃんせー♪ こーこはどーこの細道じゃー♪ 天神さーまの細道じゃー♪』
わらべうたの一種だ。
日本の古い謡なので三名がわかる筈もない。
ホビットが首を傾げて振り返ると、少女が笑いながら唄を歌っていた。
広げた番傘を肩に持たせかけながら、背中を見せている。
「なんだよ、歌なんかうたい始めて……まぁいい」
待ちきれなくなったリザードマンが鱗だらけの手を伸ばす。
その先で、少女がクルリと振り返った。
幼く可憐な少女の姿はどこにもなかった。
笑う口元から見える犬歯は牙のように長く太く、くりっとした目は釣り上がり、瞳孔が蛇のように開いている。
そして、その頭には二本の角が生えていた。
その姿は──まさしく鬼。
『ちっと通してくだしゃんせ~♪ 御用のないもの通しゃせぬー♪ この子の七つのお祝いにー♪ お札を納めにまいりますー♪』
「お……おい、なんかおかしくねぇか?」
「さっきと全然違うぞ!」
「ひっ! 来るな! それ以上近づくな!」
怯えはじめる三名。
今ようやく気づいたのだ。少女がとてつもない邪気を纏っている事を──
この少女はただの少女ではない。
少女の皮を被った、化け物だ。
『行きはよいよい♪ 帰りはこわい♪』
「や、やめろ〜!!」
咄嗟に魔改造済みの銃や刀を取り出す。だが、それより速く銀閃が煌めいた。
ボトリと、首が地面に落ちる。
番傘に仕込まれていた刀が既に抜かれていた。
首のなくなった三名、その首元からは間欠泉のようにビュービューと血が噴き出す。
少女は仕込み刀を振るい血糊を落とすと、番傘に納めた。
鍔鳴りの音と共に首無しの胴体たちが倒れる。
『とーりゃんせーとーりゃんせー♪』
歌い終わった彼女は、自分の指の先を犬歯で甘噛みする。
真っ赤な血の珠が指先で膨れ上がり、それを倒れて動かなくなった死骸たちに数滴ずつ落としていった。
死骸が突如として痙攣しはじめる。
骨格がギシギシと音を立てて軋み、体格が3倍近くに膨れあがる。
筋肉が異常なほど膨張し、纏っていた布地を音を立てて引き裂く。
みるみる内に皮膚の色が変わり、首元が沸騰した水のようにゴボゴボと泡立つ。
粘液にまみれた新しい首と頭が生えてきた。
爪はより一層鋭利な鈎爪に、牙は肉を食いちぎるのに特化した刃物に変わっている。
服を内側から破るほどの筋肥大は、下手をすれば命に関わる症状だ。
しかし、彼らは既に死んでいた。
ユラリと、三つの巨影が立ち上がる。
鬼でもなければ魔物でもない。新鮮な死骸を濃い「鬼の血」が無理矢理活性化させているだけの、ただの化け物である。
少女を遥か下に見下ろすほどの巨体が、闇に浮かび上がった。
「Gruuuu……」
裂けそうなほど巨大な口から呻き声が漏れる。
彼らは一斉に片膝をつき、恭しく頭を垂れた。
少女に絶対の忠誠を示している。
完成した三名の化け物を見て上機嫌になった少女は、少しだけ遠くなった摩天楼を見つめる。
細い瞳孔がスゥと細められた。
彼女は邪悪でありながら、とろけそうな笑みをこぼす。
「ここに来てよかったぁ♪ 本当は鬼さんの最期を見るだけの予定だったんだけど……ここにいるんですね、野ばらさん♪ ……あはっ♪ 噂は本当だったんだー♪ おばあちゃん、喜ぶだろうなー♪ だって元・同期だもんね~♪」
少女は嬉しそうに、両手を広げる。
「うふふ、あははっ♪」
無邪気に笑いながらクルクルと回る。
まるで、野ばらの存在を歓迎しているかのように……
新たな悪意が、魔界都市に紛れ込んでいた。